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悪魔の微笑み [評論]



盛り上がらないまま、立憲民主党の代表選挙が11月に終わりました。
泉健太という人が代表になったそうですが、テレビで何度か泉さんの話も聞きましたが、泉さんも、何が言いたいのかよくわからない人でした。
候補者の皆さんは、立憲民主党の再生が必要だと言っていましたが、曖昧な主張ばかりで、党再生のための対策は持っていないように見えました。彼等は、何かを恐れているように見えましたが、何を恐れているのでしょう。彼等は、何を守ろうとしているのでしょう。
下打ち合わせがあったのかどうか知りませんが、4人の主張に大きな差はなく、マスコミも、商品価値がないと思ったのか、盛り上がりに欠けました。
衆議院選挙の敗因について、4人に共通していたのは、「発信力が不足していた」というものでしたが、そもそも、発信するものがあったのでしょうか。彼等が発信したのは、自民党批判であり、自民党批判が不足していたということなのでしょうか。彼等は、何をしたかったのでしょう。何を言いたかったのでしょう。4人の候補者の話を聞いても、今でも、わかりません。4人共、「むにゃ、むにゃ」でした。
よくも まあ、ここまでクズを集めたものだと感心してしまいました。彼等の話を我慢して聞いた自分を褒めてやりたいくらいです。私は、男女差に偏見を持っていないほうだと思いますが、女性を出馬させなければ、という強迫観念があったのでしょうが、あの女性候補は、特にヒドイです。ところが、その女性は幹事長になってしまいました。そんなに、人材不足なのでしょうか。4人の候補者は、ただ、ただ、自分を守ることに汲々としていました。立憲民主党の中は、魑魅魍魎の巣窟なのかもしれません。離合集散を得意とする政党ですから、悪い予感がします。
私は、これまで、立憲民主党を応援する人の気持ちが理解できませんでした。最近、立憲民主党ファン(支持者ではなく、一票を投じたファン)の方の文章を読んでいて気付いたのですが、立憲民主党ファンの根底にあるのは、アンチ自民党だということのようです。「なるほど」と思いました。
アンチ自民党という点では、立憲民主党の皆さんも、そうです。立憲民主党は、自民党が存在して、初めて存在する政党なのです。自民党を「ああでもない、こうでもない」と言っている時は、とても生き生きとしています。これでは、余りにも寂しいと思います。まるで、昼のメロドラマによくある、「嫌いだけど、好き」という愛憎ドラマみたいです。
この自民党を中心に世界を回すやり方は、そろそろ、やめるべきだと思います。
国民も、既存の政党しか選択肢がないという状況は終わりにすべきだと思います。

少し、個別に感想を書きます。
候補者の皆さん、4人とも、見事に勘違いしています。
政権批判は野党の使命だと言います。これだけは譲れないと言います。何様のつもりなのか、不正を糺すと言います。
野党に、そんな使命はありません。それ、勘違いです。
皆さんの使命は、誰かを非難することではなく、法律を作ることです。
政権をチェックしたいのであれば、そのシステムを作る法律を作ればいいのです。
一例を挙げてみましょう。
本気で、選挙制度改革の法案を、議員定数の廃止と白票の有効票化のような制度を、最初から国会に提出するのではなく、国民に提示し、国民世論を味方につけて、国会での議論を要求してみたら、どうなるでしょう。立憲民主党の皆さんは「国民と向き合う」と言います。国民の賛同があれば、自民党も審議拒否は出来ません。これが、「国民と向き合う」ということなのではないでしょうか。もちろん、多数決ですから、法案は成立しません。でも、国民は、きっと、立憲民主党を応援してくれます。ただし、バラマキ法案は、一時的な効果しか期待できませんので、外してください。
自民党と同じで、立憲民主党の思考も、結果に着目し、結果から始まります。
過去の選挙結果の数字を足し合わせて、「皆でやれば、勝てるじゃん」という発想から野党共闘が生まれています。ただ、選挙の条件は、常に同じわけではありません。特に、この国の国民の皆さんは、時には間違えますが、絶妙な判定を下すのが得意です。しかも、国民は、立憲民主党の皆さんと同じで、口には出しませんが、基本、自民党ファンです。
自民党批判をする時間があるのであれば、その時間を、理念を見つける時間に、システムを構築する時間に、法案を作る時間にすべきです。アンチ自民の人達を当てにせず、立憲民主党が独力で国民の信頼を得なければなりません。

どうすれば、自民党に勝てるのでしょう。
票を数えていたのでは勝てません。
寄って立つ土台を替える必要があります。
自民党と同じ土俵で戦って、勝てると思っているのでしょうか。
新しい土俵を見つけることが、立憲民主党のやることです。
自民党がどんな土俵で戦っているのか、立憲民主党の皆さんは知っているのでしょうか。
結果ばかりに目を向けているのですから、多分、知らないと思います。
自民党の土俵は、民主主義風・王政並立・封建制度という土俵です。匙加減で、どのような統治でもできる制度です。
この制度であれば、「ドブ板選挙」という手法は有効な手法です。利益誘導という武器も使えます。衆議院選挙で、「ドブ板選挙」の底力を見せつけられた立憲民主党の議員は、自分達も「ドブ板選挙」をやらなくてはならないと思っています。これも、結果からの出発です。
簡単に「ドブ板選挙」と言いますが、それほど簡単なことではありません。日々の積み上げが「ドブ板選挙」の土台です。これは、一朝一夕に作れるものではありません。「歴史と伝統」が必要です。自民党出身の小沢一郎や中村喜四郎が、口を酸っぱくして「ドブ板選挙」を推奨しましたが、立憲民主党の議員には出来ませんでした。それが、今年から、にわかに、出来るとは思えません。
立憲民主党の土俵を、立憲民主党独自の手法を、作らなければ、他人の真似をしていたのでは、結果にばかり執着していたのでは、選挙に勝てません。

では、立憲民主党にとっての、新しい土俵とは、何でしょう。
民主主義だと思います。
目の前にあるのに、どうして、民主主義に目を向けないのか不思議です。
立憲民主党の皆さんは、民主主義の定義を、とことん、やったのでしょうか。
「何となく」わかっていると勘違いしているのではないかと思います。
民主国家の、国家とは、何でしょうか。国民とは、何でしょう。
私達の国の、そして、私達国民の、目的は何ですか。
国の責務は、国民の責務は、何ですか。
その「答」が見つかれば、システムも法案も簡単に作れるはずです。
立憲民主党の皆さんは、口を開くと「国民のため」「国民に寄り添って」と言いますが、それが「口先番長」の戯言にしか聞こえないのです。
なぜ、戯言にしか聞こえないのか。なぜ、国民から信用されないのか。
それは、言葉の定義をしていないからです。
だから、上っ面の言葉にしか聞こえないのです。
なぜ、立憲民主党が国民のために働くのかという「理」を、国民に伝えなければ、国民の心には届きません。多分、立憲民主党の議員の方も、その「理」が分かっていないのだろうと思います。立憲民主党の皆さんも、民主主義もどきの思考しか持っていないのです。
民主主義を定義し、「国とは、国民とは」という定義をすれば、国民生活を守る本物の集団になれるはずです。

4人の候補者は、安全保障に関しては、ほとんど、語りませんでした。
どうして、こんな重要な課題の答を持っていないのでしょう。
口を開けば、安保法制の改定や辺野古の工事中止です。これでは、共産党の支部です。アメリカと対等な交渉をする、と言います。その能天気ぶりには驚かされます。世界情勢なんて、「俺には関係ねぇ」と言っているようなものです。2027年までに、中国は台湾に侵攻すると言う方が増えています。アメリカ議会では、台中戦争が始まる前に、在日米軍基地にミサイル攻撃が始まるという報告書が議論されています。立憲民主党は、どうやって、中国のミサイルから国民の生命と財産を守るつもりなのでしょう。立憲民主党は「国民の命は、何よりも重い」と言っていたはずです。安全保障政策で必要なのは、理想論やイデオロギーやお花畑理論ではありません。現実的な対処方法です。辺野古の工事を停止したら、国民の命を守れるのですか。他国の善意を信じていていいのですか。
隣国であるロシア、中国、北朝鮮、韓国は、ミサイル能力の向上に余念がありません。日本は神の国だからミサイルは飛んでこないと信じているのでしょうか。
もしも、他国のミサイルで国民が犠牲になったら、誰が、責任を取ってくれるのですか。責任を取れる人は一人もいないと思います。
立憲民主党は、国民生活を守ることが最大の任務だとは思っていないのです。
国民は、馬鹿ではありません。中国の武力を「ヤバイ」と思っています。そんな国民を、お花畑理論で説得できると思っているのでしょうか。自分の生命と財産を守ってもらえないことがわかれば、たとえアンチ自民党の人でも、自民党を支持してしまうと思います。
現実的な安全保障を考えない政党が国民から信頼されることはありません。

立憲民主党は、不思議なことに、護憲の立場を取っています。
多くの方が知っていますが、自由民主党という党名にある「民主」は偽物です。
立憲民主党の「民主」も偽物なのですか。
民主主義を標榜する政党なのに、民主国家の憲法ではない憲法を守っているのです。
皆さんが守っているのは、民主主義風王政並立封建制度の憲法です。
いや、そのことにすら、気付いていません。
憲法の1丁目1番地に天皇条項がある憲法が、民主国家の憲法なのですか。
民主国家であれば、最初に宣言しなければならないのは、国民主権です。
どうしても、戦争放棄をしたいのであれば、それも憲法にすればいいのです。
今の憲法は、他国の善意を前提とした、「何でも有り」の、お伽の国の、民主主義風王政並立封建制度の憲法です。立憲民主党の皆さんも非難していましたが、解釈で、どうにでもなる憲法です。これでは、国民生活を守ることが最優先事項にはなりません。
「国民のため」「国民に寄り添って」と言うのであれば、立憲民主党が率先して憲法を変えなくてはなりません。でも、立憲民主党は「ああでもない、こうでもない」と言って、憲法改正をさせないようにしています。自民党を中心にして世界を回しているから、「自民党案ありき」になってしまうのです。部分的な改憲ではなく、ゼロから新憲法を作ればいいのです。立憲民主党が最大の改憲勢力になるためには、独自の憲法草案を作り、国民の賛同を得る必要があります。そのためには、民主主義の定義が必要です。

現実は、どの政党も、民主主義風王政並立封建制度に、どっぷりと浸かっているということだと思います。
それは、自民党の土俵で戦い、それに勝たねばならないということです。
どうして、こんな不利な戦いをするのでしょう。
多分、風さえ吹けば、何とかなると思っているのでしょう。
自民党が政権運営に失敗することを、ひたすら、じっと、待っているのが、今の立憲民主党です。だから、最優先で、自民党の粗探しに奔走するしかないのです。
過去に、民主党政権が誕生してしまったことが、野党を思考停止に追い込んだのだと思います。あの民主党政権誕生は、慢心した自民党に国民がお灸をすえたから出来たのです。民主党の力で政権が取れたのではありません。あくまでも、主人公は自民党だったのです。
かつての民主党政権が誕生したことが悪魔の微笑みであったように、10月の衆議院選挙で、立憲民主党が小選挙区で9議席増やしたという結果も、私には、悪魔の微笑みに見えます。来年の参議院選挙でも、悪魔は、それなりに微笑んでくれるかもしれませんが、この先、立憲民主党が政権を取ることはないと思います。それは、共産党の協力なしには選挙に勝てない構図を作ってしまったからです。国民は、共産主義は選びません。
ただ、政権交代だけが目標なのであれば、「後は野となれ山となれ」でいいのであれば、目標は達成できるかもしれません。棚から牡丹餅は、あります。
今は、都合よく「国力衰退」が進んでいる時です。その「国力衰退」を利用すれば、いや、加速させれば、政権交代は可能です。
「国力衰退」の時代だということは、貧困層が増加する時代です。相対的貧困層が絶対的な貧困層へと移行する時期でもあります。だとすると、「もう、共産主義でも、いいや」という国民が多くなるということです。立憲共産党は、実現可能なのです。
本末転倒ですが、政権交代が最終目標なのであれば、国を壊せば、政権は手に入ります。
国民の皆さん。こんな政党、必要なんですか。
もちろん、自民党も要りません。他の政党も不要です。私達には、本気で国民生活を守ってくれる政党が、必要なのです。

ま、既存の政党に国家運営を丸投げしていれば、国家崩壊までの時間の勝負に過ぎませんので、どちらに転んでも、国民はドツボにはまります。
責任を取るのは、国民の皆さんです。
国家運営をするのが、自民党だろうと、立憲民主党だろうと、共産党だろうと、国民にとっては同じです。何党が政権を取っても、国民がドツボにはまることは約束されているのです。確かに、自民党は変わらねばなりません。立憲民主党も変わらねばなりません。
しかし、一番変わらなければならないのは、国民なのです。
なぜなら、責任を取らされるのは、国民だからです。
ベネズエラで、北朝鮮で、アフリカの多くの国で、苦しんでいるのは誰ですか。
国民です。
これが、人間社会の原則なのです。


2021-12-06



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