SSブログ

従順と服従の結末は [評論]



岸田政権の経済政策が、少しずつ明らかになってきました。
まだ、「新しい資本主義」が何を意味するのかは、私にはわかりませんが、深読みをするのではなく、「デフレ脱却」と同じで、自民党が得意とするスローガンに過ぎず、意味はないと思ったほうがいのかもしれません。NHKが世界の経済学者や各分野の専門家を集め、資本主義の終焉について議論したことがありますが、資本主義の未来像は見えなかったと記憶しています。日本の一政治家が、その未来像を見つけたのであれば、世界的な大発見になると思いますが、そういう視点での評価は聞いたことがありません。ご本人も、理論立てて説明できないのだとすると、多分、間違いなく、ただのスローガンだと思います。岸田政権が終わった後でも、「結局、あの新しい資本主義って、何だったの」と言われるのではないかと思います。
経済政策については、各省庁に、「予算をつけてやるから、何でも持ってこい」と言ったかどうは知りませんが、毎度、同じことをやっているように見えますが、これで活路が開けると思っている方はいないのではないでしょうか。
「皆さんの話を聞くのが、私、得意なのです」と総理は自慢しています。
だから、いっそ、「全部、政策にしてしまえ」と思ったのでしょうか。
どうも、よくわかりません。
自民党という政党が賞味期限を過ぎているという認識を持っている人はいないのでしょうか。個人的には、新しい資本主義ではなく、新しい政治集団を、新しい文化の創設を、と願います。政策は、基本理念次第だと思いますので、瀕死の状態のこの国を立ち直らせたいのであれば、必要になるのは、新しい文化なのではないかと思います。もう、この国の現状は、小手先や口先で、「何とかなる」状況ではないと思います。
岸田政権の経済政策は、総花式政策とか曖昧政策と呼ぶことが正しいのかもしれません。中には、選挙で協力してくれた公明党への返礼だと言う人もいます。
多分、岸田さんは、とても「いい人」なのだと思います。
ただ、曖昧、ぺこぺこ、揉み手、八方美人という総理のお人柄が出ているようで、とても心配です。曖昧がこの国を衰退させているのに、その曖昧を更に進めようとしている姿勢は、敗戦に向かっていた、かつての日本の様子と似ているように思えます。人間は追い詰められると、何故か、悪しき方向へと進んでしまうという習性を持っています。いよいよ、最貧国になる日が間近に迫っているということなのかもしれません。
岸田総理は、自慢げに語っていますが、「これなら、期待が持てそうだ」と評価する人はいないようです。著名なエコノミストの皆さんは、「お上」との関係もあり、奥歯に物の挟まったような表現をしています。もろ手を挙げて賛成していないということは、「期待が持てない」と言っているように聞こえます。外資系のメディアは、はっきりと「期待が持てない」と言っています。岸田政権が短命で終わるのではないかという予測さえ出ています。
資源価格の高騰と円安の影響もあり、10月の貿易収支は670億円の赤字になり、3カ月連続で赤字です。1ドル115円が、たかが数円の円安が、円安とは思えませんが、円安の影響があるのだとすると、数百円、数千円の円安になれば何が起きるのでしょう。その時点で、日本は破綻するのではないでしょうか。石油関連の価格高騰だけではなく、食料品も、その他諸々も、高騰しています。10月の企業物価指数は8%上昇しましたが、消費者物価指数は0.1%の上昇です。これは、企業が8%の収益を悪化させているということです。企業は人件費の削減を更に進めなくてはなりません。それでも採算が取れなければ販売価格を上げなければなりません。岸田政権の「賃金上昇」政策の真逆の現象が起きているのです。11月にスタグフレーション(stagflation)の文章を書きましたが、その危険もないとは言えません。
岸田政権の目玉政策と言われる、看護師、介護士、保育士の公的賃金の引き上げは人材確保に苦労している業界にとって、有難いことです。ただ、公的賃金は一般の賃金よりも低いと言われていますので、今後も、継続的に賃上げが必要になります。そんなことが、岸田政権にできるのでしょうか。単発で終われば、人気取りのバラマキ政策になってしまいます。
確かに、公的賃金の引き上げは必要な政策なのだと思いますが、ただ、それを吸収するのは国力であり、国民力です。公的賃金と言われているように、公的賃金の財源は社会保険料と税金です。公的賃金の引き上げは、税や社会保険料の負担増を意味します。国民の皆さんは、耐えられるのでしょうか。政治生命をかけて、公的賃金を、税や社会保険料を、継続して上昇させていけるのでしょうか。給与明細書の社会保険料の金額を見て「うーん」と言っている皆さん、大丈夫ですか。公的賃金は、皆さんの保険料で支えられているのです。
公的賃金の上昇を阻害する要因は、税や社会保険料だけではありません。
政府が宣伝する公的賃金の引き上げが、実質的な従業員の賃上げにつながる保証はありません。現在も、賃金に充当する目的で配られている補助金がありますが、賃金に充当されている金額は半分以下だと言われています。補助金でも保険料による収入でも、企業の収入を配分する権利は、企業にあります。賃金に反映するかどうかはわかりません。
長期計画に自信を持っている企業は、非常に少ないと思います。何が起きるかわからないと思っている経営者は多いと思います。先が見通せなければ、どの業種の企業でも、賃金の上昇には消極的にならざるを得ません。企業にとっては、生き残ることが最優先課題です。
意味不明な「新しい資本主義」が、国民の可処分所得の減少トレンドを反転させることができるのか、とても疑問に思っています。
もちろん、コロナで傷を負った業界は、まだまだ、癒えていません。
いろいろな悪条件が揃っている日本で、始まったばかりの岸田政権の経済対策が評価されていないということは、日本の明るい未来は見えないということだと思います。
ただ、一部の公費喰いの皆さんの中には、喜んだ人は大勢いると思います。
「おい、予算を食いに行こうぜ。俺は、10億くらい食えそうだ」という人達が、プロジェクトを立ち上げているのではないかと思います。

自民党は、過去30年、「成長」を言い続けてきました。
では、日本経済は成長しましたか。
いいえ、ずるずると衰退しただけです。
岸田政権も、世論に迎合し「分配」という文字を入れましたが、スローガンは「成長と分配」です。「分配」が先行していますが、「成長」が先だと言っています。「あれっ」
普通に考えれば、「成長」が必要なことくらい小学生でもわかります。立憲の枝野さんは、「分配」が先だと言って信用されませんでした。幼稚園児であれば「はーい。先生」と言ってくれたかもしれませんが、選挙権を持つ有権者には通用しませんでした。
「成長」が必要なことは、誰にでもわかることですが、実現は簡単ではありません。
スローガンだけで、カネをばら撒くだけで、「成長」できるのであれば誰も苦労しません。
総理大臣が変わる度に、口先で「成長」を言い続け、大金をばら撒いてきましたが、30年間成長しませんでした。これが現実です。
また、同じことをやろうとしているのです。
今回も、財政無視というコロナ風潮を利用し、総理も「カネに糸目をつけずに大盤振る舞いをします」と自慢しています。事業規模で80兆円、財政支出50兆円の大規模補正予算を組むと豪語しています。
しかし、間違いなく、借金を積み上げるだけの政策になると思います。
これまでも、こうやって、日本の借金は増えてきたのです。
経済政策だ、国民のためだ、と言いながら、一部の人達の懐を温めてきたのです。
大学でも億単位の裏金が動くのです。国家規模ですから、百万円単位ではなく、その支出金額は、百億円や一千億円ですから、1%の裏金でも巨額のカネになります。
これが出来るから、政治家はやめられないのかもしれません。
この歳になって後悔しても始まりませんが、政治家を目指していればと思うこともあります。もっとも、「大人の対応」が下手な私には無理だと思いますが。

岸田政権の政府高官は、「成長は、イノベーションです」と言います。
言っていることは間違っていません。
間違っているのは、やっていることです。
誰が、イノベーションを起こすのですか。
イノベーションを起こすのは、政治家ではなく、国民です。
では、国民は、イノベーションを起こす意思を持っているのでしょうか。
政治家が「イノベーションを起こしてください」と言って、国民は「了解しました」と言うのでしょうか。
いいえ。国民は、「俺には関係ねぇ」と言っています。
しかも、国家の経済を成長させるようなイノベーションは、1人や2人のイノベーションでは足りません。数百万人、数千万人の国民がイノベーションに挑戦する必要があります。
今、やらなければならないのは、国民の意識を変えることです。
国民意識を変えずにカネをばら撒いても無駄金になるだけです。いや、一部の利権集団が甘い汁を吸うだけです。
国がやらねばならないことは、「俺には関係ねぇ」と言っている国民意識を変えることなのです。中身のないスローガンでも、カネをばら撒くことでも、ありません。
経済成長は、国民が生み出すという原則を無視して、成長することはありません。
しかも、残念ながら、この国に、国民はいません。この国に住んでいる人は、皆、「下々」なのです。「お上」に逆らわない従順な「下々」であり、「いい人」の集まりなのです。「下々」は、「いい人」は、消極的に「お上」に従うだけで、「ふむ、ふむ」と頷くだけで、「お上」が口先で「イノベーションだ」と言っても、自分から能動的にイノベーションを起こしたりしません。国民は、美味しい果実が、空腹を満たす牡丹餅が、棚から落ちてくるのを待っているのです。良き事も悪しき事も、ただ、受け入れるだけです。
それでも、戦後の混乱期に、奇跡のように、国民がイノベーションに挑戦した時期がありました。あの数十年は、奇跡としか思えません。あの頃は、ほんとに、多くの国民が新しいことに挑戦し、それを経済成長につなげました。多分、戦争に敗れ、全てを失い、「下々」という意識も一時的に失っていた時代なのだと思います。2000年の歴史の中でも、稀有な時代だったのではないかと思います。
日本人は、イノベーションを起こす能力がないのではありません。
その気になれば、奇跡だって起こす人達なのです。
国民を「下々」のままにしておくのは、国益に反します。
先ず、やらなければならないことは、「下々」を「国民」に変えることです。

衆議院選挙で躍進した維新が、得意気に「身を切る改革」と言っています。
議員報酬を、官僚の報酬を、下げたら、イノベーションが起きて、この国は何とかなるのでしょうか。
そんな奇跡は起きません。
維新は、大阪で、10年間、「身を切る改革」をやってきましたが、大阪は日本のシリコンバレーになったのですか。世界をリードする企業が生まれたのですか。
破綻寸前だった地方財政が、持ち堪えただけです。
もちろん、やらないよりは、やったほうがいいです。
でも、それで、国家経済が成長するわけではありません。
「身を切る改革」程度では、国は変わらないのです。

私達の国に必要なのは、文化を変えることです。
改善や改革では文化は変わりません。
革命に匹敵するような行動がなければ、文化は変わりません。
「下々」を「国民」にするためには、曖昧文化を基盤とした「お上」と「下々」という、裏の統治機構を変えなければ、何も変わらないのです。
曖昧文化に立脚した民主主義風王政並立封建制度をやめて、民主国家にならねばなりません。それは、「言葉の定義」をする文化を導入するということです。
国は、国民に働きかけて、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をするように誘導しなければなりません。
教育現場で、国会で、選挙で、討論会で、公報で、いや、メディア戦略等のあらゆる手段を駆使して、国民が「言葉の定義」をするように促さなければなりません。
魔法のような成長戦略なんて存在しません。
成長は、多くの国民がコツコツと積み上げるしかないのです。
1人の力で何とかなるイノベーションもあるのでしょうが、多くの人の力が集まって生まれるイノベーションもあると思います。日本人には、後者の方が似合います。
時間はかかりますが、今は「下々」でも、いつか、その「下々」が自分の責務を果たす「国民」になるしか方法はないと思います。
そして、これは、貧困化が進む国民が救われる方法でもあります。

もちろん、「言葉の定義」なんてしてしまえば、既得権益者は大損をすることになります。
今は、「先生」と呼ばれている国会議員は、ただの外注先の一社員になってしまいます。当然、歳費も文書交通費も政党助成金も見直されます。支援団体との馴れ合いによる補助金行政がなくなれば、政治資金パーティーに参加してくれる人もいなくなります。自分の政党の支持者の声だけを聴いていたのでは、政権交代になります。
「言葉の定義」から生まれた、目的と責務が、国の土台になれば、「お上」という存在はなくなりますし、美味しい蜜の部分もなくなります。「自分さえよければ」「今さえよければ」が通用しなくなると、既得権益者の利益は破壊されます。
しかし、「子供達の未来のため」が、国と国民の目的になれば、美味しい蜜は諦めてもらうしかありません。もしも、本気で、この国を立て直したいと思っているのであれば、一部の人達の美味しい蜜は度外視できるはずです。
なんてことは、理想論にすぎません。
当たり前のことですが、現体制で利益を得ている既得権益者が革命なんて起こしません。
「お上」が「お上」を否定することなんてないのです。
革命は、現体制で冷や飯を食っている人が起こすのです。
この国で冷や飯を食っているのは誰でしょう。
どんどん貧しくなっている国民です。
だったら、国民が、この国を変えようとしなければ、この国は変わらないということです。
しかし、この国の国民は、皆さん、「下々」ですから、「お上」のご下命がなければ動くことはありません。
「お上」は何もしない。
「下々」は何も出来ない。
だとすると、このままのトレンドが続くということです。
ご愁傷様と言うしかありません。
「従順」と「服従」の結末を、どうぞ、味わってください。
かなり、エグイ味だと思いますが。


2021-12-05



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog