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ドリル優子の再登場 [評論]



ドリル優子という呼び方が流行したのは、約10年前です。
「政治とカネ」問題で追及された自民党の小渕優子議員の事務所が、証拠隠滅のためにハードディスクを電動ドリルで破壊したと報じられ、全国に名を売りました。
その小渕優子議員が、今年の内閣改造で、自民党四役と呼ばれている選挙対策委員長の要職に抜擢され、ドリル優子という呼び名が再登場しました。
政治の世界特有の常識である「禊は済んだ」という現象だと思います。
この「禊」という文字は大変便利な言葉で、どんな悪事を働いていても、次の選挙で当選すれば「身の潔白は証明された」という解釈になります。
日本の有権者の多くは、まだ、「下々」です。これは、紛れもない事実です。小渕優子が国会議員を続けていることが、それを証明しています。
「下々」は、「お殿様」だけではなく、「お殿様」の家の「お姫様」にも逆らえません。何よりも、「下々」は、自分の責務を知りません。ただ、ただ、土下座をしてやり過ごすことが習慣になっています。
先ず、小渕優子に一票を投じ、国会議員にしたのは、そんな「下々」の皆さんです。ですから、自分に責任があることを知りません。何の責任も感じていませんので、次の選挙でも小渕優子に投票します。「お姫様」だから、です。そして「禊」は完成します。とても、責任ある主権者の行動とは思えません。投票理由は、「お殿様」だった小渕恵三の娘だから、というものだと思いますが、まさに、これは、「お殿様」と「百姓」の関係です。
「下々」が存在する限り、政治家は好き勝手なことが出来るという風土です。政治家に「禊」という便利グッズを提供しているのは「下々」なのです。それでも、「下々」は「ふむ、ふむ」と納得しています。ほんとに、救いがありません。
私には、平安時代に栄えた陰陽師文化が、まだ、脈々と受け継がれているような印象しかありません。
まさに、歴史と伝統は不滅です。
ただ、私には、小渕優子を糾弾する資格がありません。
なぜなら、私が小渕優子と同じ立場に立てば、ドリルを使うかどうかは別にして、同じことをやっていた可能性が高いからです。「私が悪うございました。議員を辞職します」なんてことは、私も、絶対に言いません。政治家は、バレたことを「失敗だった」と思っているかもしれませんが、「悪事を働いた」とは思っていません。政治家とは、そういう人種ですから、批判をしても意味がありません。政治家は、国民から「落選」という引導を渡されるまで引退が出来ません。
でも、国民の皆さんには、いや、「下々」の皆さんには苦言を言いたいと思います。
選挙区は群馬県だそうですが、選挙区の皆さんは、どうして、ズルをしている小渕優子議員に一票を投じるのですか、と聞きたいです。選択を誤ったのは群馬県民の皆さんです。小渕優子議員も群馬県民も、全く、責任を感じていないだけではなく、「バレてしまったのは不運だった」と思っているのでしょう。それは、小渕優子議員が、破竹の8連勝中だということで証明されているようです。まさに、どっちもどっち、です。
政治家の「禊」という儀式を認め、好き放題をさせているのは、「下々」の皆さんです。
ほんとに、歴史と伝統は恐ろしいです。
今、この国は衰退トレンドの真っ最中で、国民は、日々貧しくなり、将来の展望は全く見えない状態です。
「おらが村」を守っても、何の得にもならないことに、どうして、気付かないのでしょう。
「おらが村」を守っていても、国民生活が壊れれば、「おらが村」も壊れるのです。それとも、群馬県だけは大丈夫だと信じているのでしょうか。なんと愚かなことでしょう。
物理的に見て、現在が、平安時代の延長線上にあることは否定しませんが、陰陽師や「おらが村」という伝統を守っていても、私達の生活は守れません。皆さんは、自分達の生活よりも、歴史と伝統のほうか大事なのでしょうか。
たぶん、そういうことなのだと思います。これを、洗脳と呼びます。
であれば、この国が潰れるのは、必然なのだと思います。
国民の皆さんが、自分の手で、この国を壊しているのです。
ただ、厄介なのは、国民の皆さんが、そのことに気付いてないことです。
自分の中では、良き振る舞いをしていると思っています。
文化と歴史と伝統は、世界最強の洗脳ツールです。宗教ですら足下に及びません。
多分、ドツボにはまっても、きっと、「ふむ、ふむ」と言うのでしょう。
日本の人口の大半の人が、数千万人の非正規労働者とその家族、そして数千万人の年金生活者が貧しい暮らしをしている国、それが日本です。しかも、貧困化が止まりません。
しかし、暴動は起きませんし、政権交代ですら起きません。
何故だかわかりますか。
国民が、国民ではなく、「下々」だからです。
小渕優子に一票を入れた皆さんは、「自分は正しい」と思っています。ですから、何回でも小渕優子に投票するのです。「下々」がいる限り、政治家は、いつでも「禊」が可能なのです。これまでも、文化と歴史と伝統は、常に「お上」の利益のために存在しましたし、今でも、「お上」の利益を守る守護神です。「下々」は、今でも「下々」です。この構図には、救いがありません。

今日は、小渕優子議員に国会議員を代表してもらっていますので、群馬県民の皆さんをボロクソに言っていますが、この構図は、全国規模で存在しています。もちろん、だからと言って、群馬県民の皆さんに責任がないわけではありません。群馬県民の皆さんにも、国民貧困化の重大な責任があります。
「お前は、群馬県のことを知らないから、そんなことが言えるんだ。立候補者の中では小渕さんが一番ましな立候補者なんだ」
「俺達には、他の選択肢はないんだよ」
きっと、そうなのでしょう。
これまでは、そんな言い訳は、真面な意見に聞こえたかもしれません。
しかし、ここまで貧困化が進めば、それは、ただの言い訳に過ぎません。
政治家の都合で政党が結成され、政党の都合で立候補者が決められています。
なぜ、国民の都合で、政党ができないのでしょう。
なぜ、国民の都合で、立候補者が決まらないのでしょう。
これって、おかしくありませんか。
国は、国民生活を守るために存在しているのです。政治家がズルをするために存在しているのではありません。それなのに、国民は既存の政党しか選択肢がないと思い込んでいるのです。それって、封建時代の「下々」のやることです。どうか、「下々」を卒業してください。皆さんは、この国の主権者です。
国会議員だけではなく、後援会長も後援会の人達も事務所のスタッフも、全員、自分の利益のために働いているのです。口では「県民の皆さんのために」と言うでしょうが、そんなことは露ほども思っていません。自分のためにやっているのです。
それが悪いと言っているのではありません。誰でも、そうします。
しかし、投票権を持っている国民には、責任があります。
それは、国民が、この国の主権者だからです。
皆さんは、政治家やその取り巻きのために存在しているのではありません。
ましてや、皆さんは「下々」ではありません。自分のために、自分の家族のために、そして、全ての国民のために、自分達の生活を守るという重大な責務を負っているのです。
皆さんには、その責務を果たす義務があります。
今、既存政党という選択肢しかないのであれば、主権者である国民自身が、新しい政党を自分で作らなければなりません。
それが、責任を果たすという意味です。
百歩譲りましょう。
国民の皆さんが、豊かな生活ができ、幸せであれば、たとえ「下々」であっても問題はないのかもしれません。
でも、現実は、そうではありません。
この先、国民は、更に貧しくなります。
確かに、「下々」という立ち位置は、居心地はいいのかもしれませんが、ドツボにはまりそうになっている今は、「下々」に安住している場合ではないと思います。
しかも、最終責任は、皆さんが取るのです。
「あちゃー」では済みません。
国民生活は、助平根性では守れません。
どうか、自分の責務を知ってください。
「東京に行けて、観劇できて、美味しいお弁当が食べれて、お土産もあって」
「別に、1円にもならない投票権なんだから、それぐらいいいだろう」
これって、世間では「助平根性」と言います。
皆さんに責務がないのであれば、その理屈は通ります。
でも、皆さんは、責任ある立場にいるから主権者なのです。
皆さんは、そのことを知らないだけなのです。
お願いです。
民主主義を知ってください。
国の責務を知ってください。
国民の責務を知ってください。
今のままだと、この国は、貧しくなるだけです。
貧困化の先にあるのは、国民生活の破綻です。

小渕優子議員は、選挙対策委員長就任会見で、ドリル事件を持ち出され、涙目になってみせたそうです。議員を続けるためであれば何でも利用する人のようで、女を演じ、誤魔化そうとすることも選択肢の1つなのでしょう。人間としてもいかがなものかと思います。
群馬県の皆さんは、恥ずかしいとは思わないのでしょうか。
思わないのでしょう。だから、小渕優子が議員を続けているのです。逆に、「うちの姫に、なんてことをするんだ」と思っているのかもしれません。
もし、そうなら、ほんとに、救いがありません。群馬県民の皆さんの行動を見る限り、この国を壊しているのは、国民なのだと痛感します。文化と歴史と伝統、そして、無知は、ほんとに怖いと思います。

また、新党が出来るそうですが、一部の人達の都合で新党が出来ている間は、国民意識が今のままなら、国の責務と国民の責務が曖昧なままであれば、この国は変われないと思います。まだまだ、壊れ続けます。
国民の皆さんが、新しい政治集団を作らねばなりません。ただ、直接、新党を作るのは国民の皆さんの仕事ではありません。国の責務を、国会議員の責務を明確にし、「私達は、責務を果たしてくれる候補者に投票します」と宣言すればいいのです。少なくとも、小渕優子を当選させるのは、間違っていると思います。
国民の皆さんは「下々」ではありません。
国会議員は「お殿様」でも「お姫様」でもありません。外注先の社員です。
政党は、特定の一部の人達が立ち上げるものではありません。多くの国民が民主主義の原理原則を知り、それをオーソライズすることで、自然発生的に生まれるものだと思います。
日本は民主国家だと思っている人が多いようですが、今は、看板がかかっているだけの民主国家です。この国は、実際には、民主主義風王政並立封建制度の国です。その証拠に、民主主義の定義もなく、国の責務が明確ではなく、皇室が存在し、「下々」が健在です。
多くの国民の皆さんの生活が、どんどん、貧しくなっているのは、民主国家の最大の責務である「国民生活を守る」ことが出来ていないということです。本来の責務を守るために、本物の民主国家になってみませんか。
言葉の定義をし、国民による、国民のための、新党が生まれることを期待します。


2023-10-05



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