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時代と文化の不整合 [評論]



今日は、少し、ミクロの視点から、国民の皆さんの将来を見てみましょう。
もっとも、ミクロの視点でも、マクロの視点でも、見るものは、皆さんの将来ですから、同じ結論になります。
最後は、いつもの文化の話になりますが、ご容赦ください。

岸田政権は、9月に、経済対策を発表しました。
経済の「5本柱」だそうです。
〈1〉物価高への対応〈2〉持続的な賃上げと地方の成長〈3〉国内投資の推進〈4〉人口減少対策〈5〉国土強靱(きょうじん)化です。
ところが、国内に、歓迎や期待という空気は生まれていません。
「柱だけでは、風雨は凌げない」という批判すらあります。
「海外や企業にカネをばら撒くのが岸田政権のやり方だ」という批判もあります。
誰が命名したのか「増税メガネ」というニックネームまで出て来ました。つい、頷いてしまいました。本人は気にしているという報道もあります。
「5本柱」の言葉だけ見ると、薔薇色の世界が待っている、と国民に勘違いして欲しいという意図が見えます。
でも、実際には、「皆で、仲良く、貧しくなりましょう」という「柱」です。
皆さんは、年々、豊かになっていますか。
実質賃金の世界比較というグラフを見てもらえば、一目瞭然です。
過去の実績というものは、ほんとに、重いものがあります。政治家が、いくら美辞麗句を並べてみたって、数字には敵いません。
年々、日々、日本人は、他国の皆さんと比べると、貧しくなっています。
もしも、この30年間、他の先進国と同じような経済成長を続けていたら、皆さんの給料は、今の数倍になっていたはずです。もちろん、その分、物価も上がりますから、劇的に生活が楽になるわけではありませんが、今よりも数段良い生活が可能だったかもしれません。少なくとも、給料が上がるという夢は見ることができたと思います。
しかし、この国がやってきたのは「皆で貧しくなりましょう」というやり方であり、その延長線上にあるのが、今回の「5本柱」です。
でも、これが、私達の現実です。

私は、専門家ではありませんので、間違った解釈をしているのかもしれません。その時は、どうか許してください。
1本目の柱である物価高対策。
政府の物価高対策は、電気・ガス料金とガソリン料金の高騰を抑えるものです。食料品や日用品やその他の物品の価格高騰には対応していません。建設資材の高騰で建設会社の倒産が増えているというデータもあります。
電力会社、ガス会社、石油元売り会社に対する補助金を継続することを、物価高対策と呼んでいるようです。
補助金を貰っている各社は好決算になっているという報道もありました。
なぜ、こんなことになっているのか。
自民党と経団連は、古き「お殿様」と「豪商」の関係を継続しているからです。
まさに、歴史と伝統に培われた関係です。
「腐れ縁」と呼んでもいいような関係です。
2本目の柱である持続的な賃上げと地方の成長。
持続的な賃上げについても、経団連との貸し借りの関係維持を指しています。ただ、日本の企業が全て経団連に属しているわけではありませんので、賃上げは一部の大企業に限定されます。2023年の春闘で、大企業の賃上げが騒がれましたが、日本全体としては、また、実質賃金の減少が続いています。
地方の成長については、意味不明ですが、多分、最低賃金のことを指しているものと思います。過疎化に苦しむ地方都市の成長を意図するのであれば、地方に仕事を生み出さねばなりませんが、そんな対策は誰も思いつきません。地方が、最低賃金を上げることで成長するとは思えませんが、何もしないよりはいいのかもしれません。地方でも働いている人はいるのですから、多少でも時給が上がれば、購買力は増える計算になります。逆に、人件費の増加で立ち行かなくなる零細企業も出てくると思います。
3本目の柱である国内投資の推進。
経済を成長させるためには設備投資が欠かせませんが、日本の企業は、どこも、守りに入っています。その空気を変えることなく、投資が増えることはありません。掛け声だけで空気が変わるのであれば、苦労はありません。
また、NISAのことも指しているのだと思いますが、たとえ、NISAであっても、投資は投資ですから、全員が利益を得られるわけではありません。いや、年金財政が危ういのですから、老後は「自分で何とかしてね」という意味の投資推奨です。ただし、これは、あくまでも、自己責任です。
4本目の柱である人口減少対策。
これは、財源で四苦八苦している「子育て支援」のことだと思います。
これまでに何度も指摘しているように、人口減少対策としては、副作用が大きすぎます。副作用とは「皆で貧しくなりましょう」という副作用のことです。
5本目の柱である国土強靱化。
自民党は、もう、何十年も、この国土強靱化を掲げていますが、それで、随分献金も貰いましたが、岸田政権が言う国土強靱化は、軍事力の増強を指しているものと思います。
これも、「皆で貧しくなりましょう」政策です。

言葉だけを聞いていると、薔薇色の未来が待っているように勘違いする人も大勢いるのでしょうが、この「5本柱」で未来が変わることはありません。
いや、変わります。
薔薇色の未来ではなく、皆で、更に貧しくなる未来に変わります。
いつも、システム設計の話を出しますが、岸田政権の政策には、システム設計の基本である「目的」が欠落しています。この国の目的は、何ですか、と問いたい。その目的を達成するために、誰が、どんな、責務を果たすのですか、と問いたい。言葉やスローガンで、何をしようとしているのですか、と問いたい。
弥縫策、対処療法で何とかなる状態ではないとは思わないのでしょうか。
私に見えるのは、政治家の助平根性だけです。

でも、そんなことは、岸田さんにとっては、どうでもいいことです。
「総理大臣を続けたい」
岸田さんは、そのことしか考えていないと思います。
政局専門家の皆さんの見方は、統一協会への解散命令で点数を稼ぎ、具体的経済政策の発表で国民を騙し、補正予算の成立で身内にカネをばら撒き、体制を整えて、解散総選挙をするというものです。
岸田政権は、決して盤石な政権ではありません。ただ、強力なライバルが存在していませんので、「岸田おろし」は起きていませんが、このまま、来年の自民党総裁選挙まで待っていると、「ジリ貧」になる危険もあり、行動しなければならないという焦りがあると言われています。
確かに、来年の9月の総裁選挙まで、このままでいけば、政権支持率は更に低くなると予測されます。岸田さんは、世論調査には「一喜一憂しない」と言っていますが、最も「一喜一憂している」のが岸田さんだと思います。
自民党の総裁選挙は、本音が出る選挙です。
「この総理総裁で、岸田で、自分は選挙に勝てるのか」が最大の関心事です。
政治家にとっては、選挙が命です。
一票を持っているのは国民です。その国民の支持率が低く、「増税メガネ」と揶揄されるような総理で選挙を戦いたいと思う政治家はいません。
岸田政権の支持率は、随分下がりましたが、まだ、底を見たわけではありません。支持率が上がる案件が、突然出てくる可能性はありますが、確実ではありません。
だったら、「今、解散総選挙をしてしまえ」と思っても不思議ではありません。
その焦りは、岸田さんだけの焦りではなく、多くの自民党議員の焦りでもあるとすれば、解散総選挙には現実味があります。

でも、これ、やっぱり、変です。
政治家の都合で政党が作られ。
政治家の都合で政策が決まり。
政治家の都合で立候補者が決まり。
政治家の都合で選挙が行われる。
どこに、国民の出番はあるのでしょうか。
政治家は、自分の身分が一番大事で、国民のことは、低い優先度しかありません。
だから、無党派層が増え、投票率が下がります。投票所に足を運ぶのは、何らかの組織に属している人か、長年の習慣から惰性になっている老人ばかりだと思います。欲得と義理と老害で、この国が蘇るとは思えません。これは、民主主義ではありません。
私達は、どうして、そのことに気付かないのでしょう。
それは、民主主義という言葉の、国という言葉の、国民という言葉の定義がないからです。
政治家が支配する今のシステムでは、国民の出番はありません。国民の皆さんが、自分の生活を守りたいのであれば、国民自身が議論し、言葉の定義をするしかありません。ここで言う国民の議論は、「下々」を集めてやる、結論ありき、の国民「的」議論のことではありません。生身の国民が議論する国民議論のことです。楽をしていれば、どこかでツケが回ってきます。政治家の好き放題を許しているのは、この国の主権者であるはずの国民の皆さんの、低い意識なんです。
この国の今のシステムは、政治家の、政治家による、政治家のための、システムです。これは、文化と歴史と伝統が生み出したシステムですが、これで美味しい果実にありつくのは一部の人達だけです。
この国に国民は存在していません。存在しているのは「国民もどき」の「下々」です。

メディアも、世論も、ミクロの視点からの批判で溢れています。
でも、ミクロの視点では見えないものがあります。
この国の課題は、その見えない部分にあります。
確かに、人々は、目先のことで動きます。人間ですから仕方ありません。
では、本物の課題を世に示し、方向性を出す仕事は、誰がするのでしょう。
学者と呼ばれる人達の仕事だと思います。
しかし、日本の学者は、全く、機能していません。
自分の守備範囲の中に埋没し、広い視野を持つこともなく、とりあえず、今の自分の立場を守りたいと思っているように見えます。
憂国の志を持つ人も出て来ません。
皆さん、どっぷりと、曖昧の中に安住しているのです。
私達の課題は、ミクロの世界にあるのではありません。
マクロの世界、それも、2000年という超マクロの世界にあるのです。
無茶な私見に過ぎないのかもしれませんが、時の流れが緩やかな平安時代には、曖昧文化はフィットした文化だったと思います。曖昧文化は、他に例のないほどの優れものだったと思います。しかし、20世紀以降、時間の経過が早くなり、目まぐるしく変わる環境下では、曖昧文化は真価を発揮できなくなりました。文化は、時代の要請で人間か作り出したものです。であれば、時代に合わせた文化を作ることも理に適っているように見えます。
そうです、文化に気付き、文化を変えることでしか、対処できないと思います。
もっとも、こんなことを言っても、理解してくれる人もいないのでしょう。
何となく体が重い、元気が出ない、心配だけど何が心配なのかわからない、先が見えない、等々の症状は、人間だと精神疾患の症状ですが、国の場合はシステム疾患に当たると思います。時代と文化の整合性が失われ、かなり重症になってしまいました。
そのことに、誰も気付かないのですから、いや、当事者は気付き難いものですが、既に、病気に罹患しているのだとすると治療が必要です。しかし、治療は行われていませんから、この国が壊れるのは、必然だと思います。
多分、多くの皆さんは、「何となく、貧しくなっているような気がする」と感じているのかもしれません。文化なんて代物は、余りにもマクロなものですから、認識しづらいのだと思います。でも、紛れもなく、この国は病気です。病名は、時代と文化の不整合によるミスマッチ病という名称かもしれません。


2023-10-02



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