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文化を変えるという選択を [評論]



今日は、もう「お馴染み」の数値になった高齢化率の話を書きたいと思います。
2022年の日本の高齢化率は、29.0%だそうです。
私の実感では、60%だと言われても信じることができます。私の生活圏では、そのくらい、多くの老人がいます。しかも、私のような貧困老人が多いと感じます。
全国平均の推移を見てみます。
1950年   4.9%
1975年      7.9%
2022年         29.0%
予測値 2045年         36.8%

参考値として、地域別第1位の秋田県の数字も見てみます。なぜか、秋田県は、「全国1位」の称号を多く持っています。
1975年      8.9%
2023年         39.3%
予測値 2045年         50.1%

これ等の数値を見ると、全国平均の2045年の予測値(36.8%)を、秋田県は2023年(39.3%)に、既に、追い越しています。地方は、約20年先行しています。地方自治体の崩壊は既に始まっています。1975年では、1.0%の差しかなかったのに、2023年には、10.0%の差が生じています。これが、トレンドの怖さです。塵が積もれば山になるのです。
日本の少子高齢化は、何の抵抗もなく、着実に進行しています。
もう、この数値に驚く人はいなくなったと思います。
では、この数値は、何を表しているのでしょう。
いや、私達にどんな影響があるのでしょう。
国は、老人が増えれば増えるほど、豊かになるのでしょうか。
そんなことには、なりません。
当たり前ですが、国は、老人が増えれば増えるほど、貧しくなります。
18歳から64歳の人が、0歳から18歳未満の子供と65歳以上の高齢者の生活を賄わねばなりません。これだと、全員で貧しくなるという方法しかありません。
そんなことは、誰でも知っています。
しかし、私達の国は、少子高齢化のトレンドを変えられていません。
それは、変える努力をしていないからです。
いや、「やってるふり」はしていますが、口先や小手先では、どうにもならないことを証明しているのが、高齢化率の数字だと思います。
少子高齢化も国力衰退の大きな要素です。
この国力衰退の責任は、最終的に国民の皆さんが負うことになるのに、国民の皆さんは「ふむ、ふむ」「俺には関係ねぇ」と言っています。まるで、他人事です。これでは、変わらないと思います。
最終責任を取るのは、いつでも、国民なのです。
福島の処理水放出で責任を取らされているのは、誰ですか。
漁民の皆さんです。
高い電気代を支払っているのも国民の皆さんです。
これは、国民の皆さんの問題です。
でも、そんな意識は、国民にありません。「俺には関係ねぇ」で一件落着です。
国民の皆さんにも、言い分はあると思います。
「だって、俺達には何も出来ないだろう」という点では、認識は一致しているのでしょう。でも、これは、勘違いです。
「少子高齢化対策は、お上の仕事であり、下々の出る幕はない」と信じ込んでいます。これも、違います。
「お上でも出来ない仕事を、下々に出来るわけがない」と思っているようですが、ここにも勘違いがあります。
結果責任を取るのは「下々」である私達なのに、いつでも、そこは問題にはなりません。
「お上」の仕事であろうと、「下々」の仕事であろうと、何とかしなければ、ドツボにはまるのは、私達です。これだけは、不変の法則なのです。
ですから。
仕事をしない政府に仕事をさせるのが国民の仕事なのです。
今の政府が仕事をしないのであれば、仕事をする政府に換えなければなりません。
これ、当たり前のことだと思います。
政府は「お上」ではなく、国民の外注先です。
民間企業であれば、口先だけで仕事をしない外注先と契約するでしょうか。
いいえ、そんな民間企業は、成り立ちません。国も同じです。
私達は、完全にボタンをかけ違えています。政府は「お上」ではありません。
国の場合、企業が外注先を変えるように簡単には変えられないと思うかもしれません。
でも、独裁国家であれば不可能ですが、民主国家なら、それが可能なのです。
国民に出来ること。
既存政党に出来ないのであれば、いや、実際に、既存政党では無理ですから、国民生活を守ることを目的とする政治集団を、自ら作ることです。
だって、国家運営を担っている政治家は、国民の信認なしには仕事ができないからです。民主国家では、そのために、主権者である国民に投票権があるのです。
岸田や泉や志位に1票を投じていたら、皆さんはドツボにはまるのです。
それを証明しているのが、この高齢化率の数値です。

少子高齢化という言葉を、少し整理したほうがいいと思います。
少子化が進んでいるために、高齢化率が進んでいるのは事実ですが、少子化と高齢化は別に考える必要があると思います。
仮に、100年間、出生率が同じだとすると、高齢者の率は寿命の長短だけの差になるはずです。更に、少子化を変える方法はあっても、高齢化を変える方法はありません。
少子高齢化問題とは、人口問題であり少子化問題なのです。高齢化そのものを変化させる方法は存在しません。
ただ、高齢化問題は、貧困化に影響します。
ですから、高齢化と貧困化は、受け入れるしかありません。
問題は、少子化と高齢化が、同時進行していることです。
子供の数が減らなければ、時間はかかりますが、劇的な変化は望めませんが、高齢化と貧困化は緩和される時が来ます。
私達は、少子化に、真剣に対応する必要があるということだと思います。
その事を理解している方は、それなりにいます。
いろいろな提案もされます。
しかし、トレンドには何の変化もありません。
どうしてなのでしょう。
その原因は、「中途半端」にあると思います。
その「中途半端」の原因は、日本人の「行動原理」にあると思います。
その「行動原理」の原因は、「文化」だと思います。
その一例を見てみましょう。
岸田政権が推奨する「子供手当の拡充」です。
「子供手当の拡充」を実現すれば、日本の少子化トレンドは止まるだろうと評価している方がいるのでしょうか。そんな評価は聞いたことがありません。
少子化の原因に迫ることなく、「ばら撒き」でその場を凌ごうというやり方です。
しかも、その「ばら撒き」の源資は、国民から徴収する税と保険料です。これは、「皆で豊かになりましょう」という施策ではなく、「皆で貧しくなりましょう」という施策です。貧しくなれば、少子化は進みますので、「子供手当の拡充」は逆効果です。
少子化の原因は、国民の、特に若者の、意識にあります。「子供手当の拡充」で、若者の意識が激変するのでしょうか。そんな気配は皆無です。子育て世代の方は「ま、貰えるものは貰っておく」で終わりです。まさに「中途半端」な施策です。
では、日本人の「行動原理」とは、何でしょう。
「先送り」「なし崩し」「やってるふり」「責任不在」「ふむ、ふむ」「俺には関係ねぇ」「無関心」「従順」「土下座」「いい人ぶりっこ」と数え上げればいくらでも出てきそうですが、これらをひっくるめて表現すると、「なあ、なあ」「まあ、まあ」なのだと思います。
もちろん、一方的に非難されるような「行動原理」ではありません。日本人の行動を賞賛する人は、世界中に大勢います。「何と、ストイックな民族なんだ」と感心されます。でも、これは、世界常識から見ると、日本人は異質な存在である、ということでもあります。
しかし、現実の生活を維持するという点では、もう、従来の「行動原理」では、対応できなくなってしまったのです。確かに、「なあ、なあ」「まあ、まあ」は優れものですが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」にも限界があったと言うことです。
だから、国が衰退しているのです。
それでも、皆さんは、まだ、「武士は食わねど高楊枝」をやるのですか。
皆さんは、武士の誇りを胸に、死を選ぶのですか。
ただ、人間は、そう簡単には死ねません。苦しんで、苦しんで、苦しんで、死ぬことになりますが、それでもいいのですか。
もう、これまでの「行動原理」を維持するのは限界なのだと思います。
日本人の「行動原理」のベースにあるのは「曖昧文化」です。
もしも、「行動原理」を変えるのであれば、「文化」を変えなければなりません。
2000年間、お世話になった「文化」を変えるのは、至難の業だと思います。
それでも、背に腹は変えられません。
国力衰退の先にあるのは「ユートピア」ではありません。「滅び」です。
「生き延びる」ことを選ぶのか、「滅び」を選ぶのか、それを選ぶのは皆さんです。
確かに、「生き延びる」ことにも苦労はつきものですが、「滅ぶ」までの時間は、苦労ではなく苦痛の連続だと思います。滅んだ後の地獄では、その苦痛が永遠に続きます。
今、皆さんは、その耐え難いほどの苦痛の道を選択しようとしているのです。
それでいいのですか。
私は、文化を変えるという選択をお勧めします。
ただただ、苦痛しかない地獄の生活を何十年、何百年、何千年続けるより、文化を変える選択をするべきだと思います。実際に地獄へ堕ちてみないと理解できないのかもしれませんが、地獄へ堕ちた後では、後悔しようが、臍を嚙もうが、もう、どうすることもできないのです。この2000年間に、国家規模の試練は何度もありましたが、多分、次にやって来る試練が最大のものになると思います。
数ある生き物の中で、最弱の生き物が人類だと思います。本来であれば、人類は、生存競争に勝てなかったはずです。でも、人類が今日まで生き残ってきたのは、想像力という才能があったからです。皆さんは、そのことを忘れています。
窮地に落ちて「あちゃー」と言うのであれば、猿にでもできます。
どうか、生きる努力をお願いします。
日本という国土も、日本人という民族も、素晴らしい存在だと思います。
そんな場所を地獄に変えるのは間違っていると思います。
「欲」にまみれた「お上」の好き勝手にさせてはいけません。
この場所を守れるのは、国民の皆さんです。


2023-10-03



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