SSブログ

改革という名の騙し [評論]



昨日は、立憲民主党の窮状について書きましたが、今日は、野党第一党に名乗りを挙げた日本維新の会の「騙し」について書きます。国民の皆さんは、既に、「改革」という言葉に、かなりの数の方が騙されていますが、日本維新の会が野党第一党になっても、政権党になっても、ずるずると壊れ続けている今の状況は何も変わりません。
世論調査では、日本維新の会は、国民の皆さんの誤解で、支持率で立憲を上回る政党になってしまいました。そうです、皆さんは騙されています。駄目な党(維新)と駄目な党(立憲)を比べた時、立憲のほうが、より駄目な党に見えているだけです。
国民の政治全般に対する閉塞感は大きくなっているように見えます。それは、多くの皆さんが「何党がやっても、同じだろう」と思っているからです。その直感は間違っていません。そのくらい「禄でもない政党」ばかりだということです。日本維新の会に夢を託せば、皆さんは後悔します。もちろん、このまま、自民党に政権を託すことは、地獄への道になります。自民党政治を続ければ、ジリ貧から抜け出すことは不可能だと言うことは、国民の皆さんも何となくわかっています。しかし、自民党に代わる政党がありません。
残念ながら、かつての民主党であれ、今の立憲民主党であれ、日本維新の会であれ、どの党が政権政党になったとしても、この国は変わりません。衰退するだけです。
それは、どの政党も、国家運営の基本となる目的を持っていないからです。国民生活を守るという責務を果たせる政党がないということです。
なぜ、目的が持てないのか。
それは、自分達が、目に見えない「民主主義風王政並立封建制度」という土台の上に立っていることに気付いていないからです。曖昧文化の副作用に気付いていません。
今ある政党は政治家が自分の都合で作り上げた政党ですから、国民生活とは無縁です。政治家による政治家のための政党です。国民は「あてがい扶持」のような既存政党ではなく、国民自らが、自分の生活を救うための政党を創り出さなければ、この環境は変わりません。
政権交代をしても何も変わらないことは、かつての民主党政権がコケたことで、既に、証明されています。
ただ、唐突な国防費増額、意味不明な少子化対策、ゴリ押しのマイナンバー政策、側近の木原事件、等々、オウンゴールを続ける岸田政権に対する国民の不信感は大きく育っています。これは、国民の「お灸をすえる」意識を高めているということです。
このまま、岸田さんが、秋に解散総選挙に踏み切った場合、最悪のシナリオとして、政権交代の可能性が浮上します。
この国には、国にも、国民にも、「目的」がなく、国の骨格を作るための選挙なのに、有権者である国民は、「何となく」とか「空気」で投票をしています。判断基準がありませんので、その時の空気で、どんな結果でも起きる可能性があります。
その時の受け皿になるのは、何党でもよく、今は、それが日本維新の会です。
自民党も立憲民主党も、内紛が絶えません。自民と公明の間にもすきま風が吹いています。公明と共産の力に衰えが見えます。これは、これまでの政治の構図が変化し始めているということだと思います。
自民党への「お灸」、立憲離れ、公明・共産の弱体化等々の要素が、維新の大勝に繋がる可能性があります。
そのためには、多くの幸運(全選挙区への立候補者擁立、高い投票率、嵐のような空気)が必要になりますが、可能性という意味では無視できません。
もちろん、日本維新の会に、国民の皆さんの期待に応える力はありません。
2009年の民主党と同じ結果になります。
それは、他の政党と同じで、確固たる目的を持っていないからです。

ここで、日本維新の会の共同代表である吉村大阪府知事の言葉を見てみます。
吉村さんは、維新が政権に就けば、「国会議員の定数3割減」を実行すると言っています。何かを期待させるような言葉ですが、「国会議員の定数3割減」では、この国は何も変わりません。重病の患者に風邪薬を投与するようなものです。
大阪でやったように、議員定数の削減や公務員改革や報酬の削減をしたところで、防衛費や少子化対策費が捻出できるわけではありません。ましてや、国力衰退は止まりません。ですから、日本維新の会が政権を取っても、増税路線は変わりません。岸田さんが敷いた六公四民というレールは、そのままです。
ただ、自民党は、過去の失政を「うやむや」にして増税するのに対して、維新は、一定の責任を取るという姿勢を示しています。
それを、国民の皆さんが、どう評価するのか、だと思います。
では、過去の失政に責任を取れば、国家運営が成り立つのかと言うと、それは、別の問題であり、国民が、国民負担の増加で苦境に立つことは避けられません。
残念ですが、何も変わりません。
「議員定数の削減をするから、増税を認めてください」と言っているだけです。
もちろん、小手先や口先の政策は山のように出してくるかもしれません。
でも、そんなことでは、この国のトレンドは、国力衰退と国民負担の増加というトレンドは、ビクともしません。
何年続くかわかりませんが、最終的には空中分解するしかありません。
その時、国力衰退と国民負担の増加は、大きく一歩進んでいると思います。
もちろん、自民党が政権政党に戻って来ても、何も変わりません。
問題は、「なし崩し」でも「けじめ」でもないのです。
問題は、国力衰退であり、原因の原因の原因を見つけていないことにあります。
そのことに、誰も気付いていません。
既存の、どの政党が政権を取っても、この国は潰れる運命にあるのです。
そんなことは、国民の皆さんも、薄々とですが、知っていると思います。
六公四民や、その先にある七公三民は、知りたくはないでしょうが、心のどこかで知っています。政治が、この国を劇的に変えてくれるなんて妄想は持っていないと思います。「なるようにしか、ならねえ」と思っているでしょうし、「俺には関係ねぇ」と逃げるしかないと覚悟していると思います。
でも、そうではありません。
国民の皆さん次第で、この国は、どのようにでも変えられるのです。
ただ、皆さんには経験がありませんので、その方法がわかりません。
「れば、たら、もし」ですが。
原因(国力衰退)を見つければ。
その原因の原因(責務と目的の欠如)を見つければ。
更に、その原因の原因の原因(曖昧文化)を見つければ。
この国は、変わります。
方法はあるのです。
そのためには、国民の皆さんが、自ら、言葉の定義に挑戦し、責務を明確にし、目的を持てば、この国は変わります。
「ほんとに、そんなことで、変わるのか」「そんな抽象的な方法で、事態が変わるとは思えない」「具体的な方法を提示しろ」「他に、何か、いい方法があるだろう」と言う方が多いかもしれません。
では、第二次世界大戦の頃まで、少し、時間を戻してみましょう。
日本軍は各地で戦争に負け続け、多くの街を廃墟にされ、原子爆弾でとどめを刺され、無条件降伏を受け入れるまで追い詰められた日本が、敗戦後、世界から「奇跡の戦後復興」と呼ばれる経済復興に成功したのは、なぜでしょう。
「奇跡の戦後復興」を実現した世代は、私達の世代よりも上の世代が主力だったと思いますが、私達世代も、その奇跡の中に、熱気の中に、いたことは確かです。私の個人的な感想に過ぎませんが、あの時代には、実際に、熱気があったと思っています。
国としてオーソライズされたものではなく、論理的帰結があったわけではなく、多くの国民に共通した心情として「追いつき、追い越せ、復興するぞ」という願望に突き動かされていた時代があったことは確かです。心情であっても、これも、目的の1つです。
多くの方が、共通の目的を持てば、何かが動くという実例だと思います。
定義された目的ではありませんでしたので、自然消滅し、無目的の時代が続き、そのトレンドが国力衰退へと向かいました。
何か、大きな力が働く時とは、多くの方が同じ願いを、目的を、持った時に生まれるのだと思います。
今は、その目的も、心情(願い)も、ありません。
あるのは、「俺には関係ねぇ」と「自分さえよければ」です。
私は、目的を持つために、責務を明確にしてみませんか、と提案しています。
そうです、自然消滅するような目的ではなく、論理的に、目的を構築してみませんか、と提案しています。未来永劫続く目的を創ってみませんか、と提案しています。
目的を持つことなんて、何の役にも立たないのでしょうか。
そうではないと思います。

皆さんが責務と目的を知れば、新しい政治集団が勝手に生まれます。
政治家の皆さんの責務は「国民生活を守る」ことになり、「自分さえよければ」を封印するしかありません。今のように国民を無視していれば、当選できないからです。
そうなれば、「子供達の未来を守る」目的を前に進める足掛かりができます。もちろん、国民の皆さんは、この国を豊かにする責務を負います。「俺には関係ねぇ」なんて言っていたのでは「子供達の未来を守る」ことはできません。
政治家も、官僚も、学者も、ジャーナリストも、国民も、その立場立場の責務を果たせば、この国の衰退は止まると思います。国が衰退して一番困るのは子供達です。子供達の未来を守れば、私達の未来も守ることになると思います。
多分、こんなことが出来るのは、日本民族しかいないのではないかと思います。
それは、日本の皆さんは、自然に「いい人」を演じることができるからです。日本人の「いい人」を演じる力は、負の循環になる時もありますが、正の循環にも寄与すると思います。
もちろん、日本人が一人残らず責務を果たしてくれるとは思いません。でも、責務を果たしてくれる人が多ければ多いほど、この国は豊かになると思います。

「責務と目的なんて精神論で何かが変わるとは思えない」
そうかもしれません。
では、どうするのですか。皆さんの生活は、どんどん悪い方向へ向かっています。
誰か、そのトレンドを変えていますか。
何か方法はあるのですか。
このまま、見て見ぬふりをしていていいのですか。
「俺ではない、誰かが、何とかしてくれ。俺は、甘い汁さえ吸えれば文句言わないし・・・」が、国民の皆さんの本音なのではないかと思います。でも、こんなこと、実現するのでしょうか。無理だと思います。
「自分さえよければ」「俺には関係ねぇ」という社会が豊かになると思いますか。「自分さえよければの何が悪い」と開き直っても許される社会が、豊かになるでしょうか。
大きな潮流の中では「俺には関係ねぇ」なんて声さえ聞こえなくなります。そもそも、大きな潮流の中では、個人の力なんて、何の役にも立ちません。
今、この国には、国力衰退という大きな潮流が生まれています。それを、個人の力で制御することは不可能です。
数を頼んで制御するしか方法はないと思います。
多くの個人の力を結集するために必要になるのが、目的です。
私達は、自分の生活を守るために、遠回りかもしれませんが、集団となって、大きな潮流を制御するしかないのです。
それが出来るのは、個人の力ではなく、国民の皆さん全体の意識しかないと思います。
そのための責務と目的は不可欠な要素だと思います。
多分、今は正念場です。正念場の国家運営を担う政党や政治家が、今のままでいいとは思えません。
既存の政党では、この潮流を制御することは出来ません。
先ず、助平根性なしに「国民生活を守る」ことに特化した政党を作らねばなりません。
それを実現するのは、皆さんが「言葉の定義」をすればいいだけです。命を差し出せとか全財産を差し出せ、と言っているのではありません。定義をするだけです。


2023-08-02



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog