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自由と尊厳を失います [評論]



ウクライナ戦争で、北部を占領していたロシア軍が撤退した町に入ったウクライナ人は、数多くの市民の死体を見つけました。
路上に放置された遺体、両手を縛られていた遺体、耳を切り取られた遺体、それらの死因は銃によるものです。
ウクライナ政府と西側諸国は、「戦争犯罪だ」と非難をしています。
ただ、仮に、戦争犯罪が証明できたとしても、ロシア国民がプーチンを引き摺り降ろし、法廷へと突き出さない限り、戦争犯罪を裁く方法を私達は持っていません。
そもそも、国家犯罪の証明は至難の業です。
仮に、状況証拠だけで犯罪を証明したとしても、犯罪者が主権国家の指導者であった場合には、罪を償わせる方法がありません。
国際犯罪を裁くのは国連の仕事ですが、国連の意思決定の最高機関である安全保障理事会には拒否権という仕組みがあります。たとえ、国連憲章に明らかに違反していたとしても、拒否権を持っている国が一国でも反対すれば、国連は何も出来ないという現実を何度も証明しています。
国連という仕組みを作ったのは、第二次世界大戦の戦勝国です。
安全保障理事会の拒否権という仕組みも、その時、作られました。
イギリスのチャーチルは拒否権に反対したそうですが、ソ連のスターリンは応じませんでした。チャーチルはスターリンに「君が侵略した時は、誰が止めるんだ」と言ったそうです。チャーチルもスターリンも先見の明があったということなのでしょう。
1945年に設立されてから77年間、国連改革の提案は何度も出されましたが、一度も実現したことがありません。
残念ながら、この地球上には、万人の利益になるような仕組みが存在していません。私達は、人類は、その答を持っていません。これが、現実です。
どうしても、新しい答を手にしたいのであれば、第三次世界大戦が必要になります。
ところが、第三次世界大戦の戦勝国が、新しい国際機関を立ち上げたとしても、必ず、助平根性は残ります。もっとも、第三次世界大戦が核戦争であったなら、新しい国際機関が誕生するかどうかも疑問です。つまり、犯罪の犠牲者にならない唯一の方法は、「自分の国は自分で守る」しかないのです。
人間に「欲」がある限り、公平・公正・信義・正義なんてものは成り立ちません。
もちろん、人類に「欲」があったからこそ、今日まで人類は生き残ってきたのです。
人間の「欲」を無くすということは、人類が絶滅するということです。
ですから、人類は、「欲」とも「不条理」とも共存していくしかないのです。
これが、私達の現実です。
だとすると、何度も書きますが「自分の国は自分で守る」しか方法がありません。
戦争になれば、多くの市民が犠牲になります。中には、虐殺される市民もいます。
それでも、多くの国が、自国を守ろうとします。
それは、どこの国の国民も、「奴隷」として生きていくことを「良し」としないからです。これも、「欲」です。いや、それが人間なんです。ウクライナだって、自由と尊厳を捨て、ロシアの属国になっていれば、こんな犠牲は払わなくても済んだはずです。

今の日本では、明らかに、中国の侵略を押し返すことはできません。
自国を守れない私達の前には2つの選択肢があります。
ウクライナになるか、ウイグルになるかの選択肢です。
皆さんは、どちらを選びますか。
もしも、どちらも選びたくないのであれば、「自分の国は自分で守る」しかありません。
ただ、その場合は、ウクライナやウイグルの比ではない犠牲者が出ます。
それが現実です。
それでも、私は、個人的には、自由と尊厳を失うより、「自分の国は自分で守る」立場に立ちたいと思いますが、これは、あくまでも、個人の願いにすぎません。
多くの国民の皆さんが、ウクライナやウイグルを希望するのであれば、それはそれで従うしかありません。
それとも、「お上」に丸投げしますか。
これが、一番、無難な選択なのかもしれません。
「他人のせい」にできる魅力は、捨てがたいと思います。
ただ、どちらに転んでも、辛酸を味わうのは国民の皆さんです。
自分で決めたほうが、後味だけはいいと思いますが、どうなんでしょう。
こんな時に、国の目的、国民の目的、国の責務、国民の責務が明確になっていれば、少しは、答が出しやすいのかもしれません。
でも、そんなものは存在していません。
きっと、皆さんは、文句を言いながらも「お上」に丸投げすることになるのでしょう。
「お上」は、責任を取ってくれる国民が、辛酸を舐めてくれる国民が、「お上」に任せると言っているのですから、こんなに楽なことはありません。
ウクライナ戦争の報道を見た国民の皆さんは、8割以上、「不安だ」と言っています。
でも、同時に「敵基地攻撃能力」について質問すると、賛成5割、反対5割になります。戦いたくないという人も9割います。何が何でも国を守るという意識はありません。あるのは「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。これは、原則がありませんから、仕方ありません。
「お上」は、いつものように、「ああでもない、こうでもない」と言いながら、うじうじとしながら、曖昧なまま、ある日、とんでもない事態になって、「あちゃー」と言うことになると思います。
でも、その「あちゃー」を選択したのは、「お上」に丸投げをしていた国民の皆さんですから、辛酸は舐めていただくしかありません。
アメリカの属国であればウクライナになり、中国の属国になればウイグルになり、「自分の国は自分で守る」ことを選べば多大な犠牲者を出します。
地球上に住んでいる限り、犠牲は受け入れなくてはならないということです。
どれも選びたいとは思いませんが、他に選択肢がありません。
どんな結末でも納得はできないと思いますが、中でも、一番ましな選択は何なのかを考える時が来ているように思います。
責任を取るのは、国民の皆さんですから、皆さんが決めるべきだと思います。
なんて、誰も思っていないのでしょう。
でも、現実は容赦なくやってきます。
覚悟だけでも持っておいたほうがいいと思うのですが、どうなんでしょう。

「ひどい」
「ロシアが悪い」
「アメリカもNATOも逃げている」
日本では、まさに、他人事でしかありません。
まさか、自分の国が、ウクライナやウイグルになるなんて、中国人民軍に蹂躙されて虐殺される日が来るなんてことを、想像もしていません。
この国では、「不安」は、既に日常になっていますので、新たな「不安」が出てきても、「ふむ、ふむ」としか言いません。誰かを非難していれば、何とか時間は通り過ぎていきます。「俺達には何もできない」「俺には関係ねぇ」と思っています。
多分、ウクライナの人もウイグルの人も、現実に直面するまでは、同じような感覚だったのではないかと思います。それでも、悲劇は容赦なくやってくるのです。ウクライナで起きていることも、ウイグルで起きていることも、フェイクニュースではありません。現実に起きていることです。
そんな実例を目にしているのに、誰も気づこうとしません。いや、逃げています。
どこまでも、「俺には関係ねぇ」と思っています。
諸国民の公正と信義を信じている日本の皆さん、いや、信じている「ふり」をしている日本国民の皆さん、「俺には関係ねぇ」で済むのでしょうか。

私は、中国と戦争することが解決策だとは思いません。
最も望ましい形は、「日本は、ちょっと、厄介だし、手を出さないでおこう」と中国に思ってもらうことですが、それは、私達の覚悟が試されているということでもあります。
一方、中国の属国になり、自由と尊厳を失ったとしても、奴隷になったとしても、生き延びることのほうが正しいのかもしれません。
中国帝国が、いつまで存続するのかはわかりませんが、永久に続くとは思えません。数百年後か、千年後かはわかりませんが、帝国は自壊します。そこから、新しい日本が始まる可能性だってあると思います。
何を選択するのか。
それを決めるのは国民の皆さんです。
なぜなら、どんな選択をしても、その責任を取るのは、辛酸を舐めるのは、国民の皆さんだからです。
ただ、厄介なことに、家族が虐殺されることも、自由と尊厳を失うことも、その場になって、初めて、その苛酷さに気付きます。平和ボケの極致を極めた私達には、想像すらできません。
人間には、想像力という才能があるのですが、ほぼほぼ、機能しません。それは、ボケ症状のために、自分にとって都合の良い想像だけが想像力だと思っているからです。
「うちの子に限って」とか「まさか、私が」とか「なんで、私なの」という言葉をよく聞きます。自分には不幸はやってこないという願望が、想像力を無力にしているのです。
もっとも、私のように不幸な事態ばかりを考えている悲観論者も、いかがなものかと思います。ただ、「事実は小説よりも奇なり」という言葉もあります。悲観論者になる必要はないと思いますが、もう少し、想像力を使うことをお勧めしたいと思います。
しかし、このような提言も議論も、この国には見当たりません。
とても、心配です。
歴史と伝統に従い、泣き寝入りが私達の生き様なのだとすると、仕方ないのかもしれません。

何よりも、私達の国は、国民の命を守るつもりはありません。
どうか、そのことは、知っておいてください。
先月も書きましたが、報道ベースでさえ、核戦争の可能性が出ています。
しかし、私達には、核戦争から身を守る方法がありません。
私は、日本に、公的な核シェルターが何ヶ所あるのか知りませんが、皆さんはご存知ですか。
東京に28ヶ所、大阪に4ヶ所という話もありますが、この数だと、庶民が避難できるわけではないと思います。多分、皇族やお偉い先生方が避難する場所なのだと思います。
日本の核シェルター普及率は、0.02%だそうです。50%でも10%でも1%でもありません。いや、0.1%でもありません。0.02%は、まさに、驚異的な数字です。
参考までに、スイス、イスラエルが100%、ノルウェー98%、アメリカ82%、ロシア78%、フィンランド70%、イギリス67%、シンガポール54%だそうです。
日本には、「我が国は唯一の被爆国だ」という常套句があります。唯一の被爆国の核シェルター普及率が0.02%しかないのは、なぜなのでしょう。その答は簡単です。日本という国には、国民を守るという原則がないのです。その原因は、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義がないためです。しかし、国民は、盲目的に「お上」に従うことが、国民の使命だと思っています。国家運営の仕事を託された国会議員は、国民の生活と国民の命を守ることが自分の仕事だとは思っていません。自分が選挙で当選することだけが目的になっているのですから、国民を守るという意識なんて持っていないのです。
一例として、お偉い先生方は、憲法に緊急事態を追加すべきだと言っていますが、国会議員の任期の延長が目的です。国民を、どうやって守るのかという視点はありません。
国の目的も責務も決まっていないのですから、どうすることもできません。
こんな国家運営を許している皆さんは、底なしの「いい人」です。
これは、もう、神の領域かもしれません。


2022-05-01



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