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敵基地攻撃力 [評論]



ウクライナ戦争という現実に直面し、自民党は、本気で「敵基地攻撃力」を前面に出してきました。その名称は変えたようですが、これは、名称の問題ではなく、何をしようとしているのかが問題なんですが、そこがはっきりしません。とても違和感があります。
2019年にINF条約が失効した時に書きましたが、アメリカは、今、中距離ミサイルの開発と生産に邁進していると思います。アメリカは、主敵を中国だと決めましたが、中距離ミサイル分野では圧倒的な劣勢にあります。しかし、生産して、アメリカ本土に中距離ミサイルを配備しても、中国には届きませんから、役に立ちません。在日米軍やアジアの海軍艦艇を守るためには、中国本土に届く場所に配備しなければなりません。それも、2000発ものミサイル配備が必要なのです。5年後には、4000発必要かもしれません。
沖縄の在日米軍基地に大量のミサイルを配備すれば、中国のミサイルの標的は沖縄に集中します。島礁を含めた日本全土に、分散して配備するしかありません。そのためには、日本が国として「敵基地攻撃力」という形で、中距離ミサイルを配備するしかなかったのだと思います。ここでも「アメリカに、おんぶにだっこ」です。日本の国民を守るためではなく、在日米軍の兵士を守るための中距離ミサイルなのです。
でも、日本政府は、そういう説明を一切しません。
もちろん、中国は百も承知ですから、アメリカに負けない中距離ミサイル戦闘群を作ることになります。日本のミサイル配備なんて、軍事機密でも何でもないのです。
日本政府は、公言しないことで丸く収まると思っているのでしょうか。米中戦争、日中戦争のための軍拡だと言えば、平和ボケの日本人がパニックになってしまいますので、国内向けの説明として、曖昧な説明をするしかないのだと思います。唐突感や奥歯に物の挟まった感は、そこから来ていると思います。
更に、中距離ミサイルには核弾頭を搭載するのかどうかも明らかではありません。自分で非核三原則を作り、好き好んで、自分の手足を縛っているのですから、どうすることもできませんが、ここも、解釈変更や「なし崩し」で何とかしようとしているのでしょうか。そのほうが危険だと思います。
どこに配備するのかも、不明です。
アメリカ製のミサイルなのか、国産のミサイルなのかも不明です。
当然、中距離ミサイルは、これまでの装備になかったものですから、新たに部隊を作る必要がありますが、自衛隊の現状の人員で運用できるのかどうかもわかりません。
いつものように「なし崩し」方式を採用するものと思いますが、私には、正しい国力評価が出来ているようには見えません。
そもそも、この国は、自衛隊だけで、守れるのでしょうか。
今でも自衛官不足で困っています。
日本の現状を見て見ましょう。
この国は、人口減少に直面しています。
それは、自衛隊員も、更に、減少するということです。
それほど遠くない将来、国民に協力をお願いするしかないと思います。
ここは、先送りをする場面ではありません。
しかし、環境が整っていません。
国民の9割の方は、戦いたくない、と言っているのです。
このままであれば、国民が、徴兵制度を受け入れてくれるとは思えません。国民を説得し、環境を変えることが先だと思います。
国民の意志が、どんな災禍を受け入れてでも、「たとえ奴隷になったとしても」「戦争をしたくない」というのであれば、戦争準備をするのは間違っています。ただ、今の生活を維持したいけど戦争は嫌だという我儘は通りません。残念ですが、二者択一です。
一方、国民の皆さんが、今の生活を守りたいと思うのであれば、戦って勝ち取るしか選択肢はありません。これが、世界常識です。「奴隷も嫌、戦争も嫌」は通用しません。
もしも、国民の皆さんが「奴隷は嫌」だと言うなら、そのための行動が必要です。
先ず、国民の皆さんに、戦う意識を持ってもらう必要があります。
「降参しよう」「国外に逃げよう」「平和、平和と叫ぼう」という国民が大半です。
戦う前から、この国は中国に占領されているようなものです。
これは、アメリカの問題でも、日米同盟の問題でもありません。
国民の皆さんが「どうしたいのか」という問題だと思います。
それとも、まだ、日米同盟が基軸なんですか。政府の「アメリカにおんぶにだっこ」で大丈夫なのですか。
アメリカが何とかしてくれるのですか。
アフガン、中東、欧州、ウクライナでのアメリカの姿勢を見ているのに、まだ、神話を信じているのですか。
そろそろ、目を醒ます時です。
日本の国力、軍事力を正しく評価し、相応しい行動を取る時です。

相応しい行動とは何でしょう。
今は、国と国民が対話する時です。
先延ばしをすれば、対話は難しくなります。
「なし崩し」は最悪の選択です。
「国民の皆さん。皆さんには、3つの選択肢があります。ウイグルになるか、ウクライナになるか、それとも大きな犠牲をはらってでも国を守りますか」と問いかけてください。
国民投票をしてもいいと思います。
今のタイミングを逃せば、二度と、国民との対話のチャンスは来ません。
今、いつもの「なし崩し」を使えば、空気はダラダラと戦前の日本へと向かいます。窮地に追い込まれて、日米開戦という無茶をやった時と同じ轍を踏むのですか。
しかし、国民との対話には、目的と責務が不可欠だと思います。
目的も責務も曖昧なままで、国民に問えば、国民は正しい判断が出来ません。
当然の結果として、国民は、自分にとって都合のいい判断をします。
しかし、現実は曖昧なものではありません。
曖昧のままであれば、国民が後悔することになります。
どんな結果になっても、国民は「こんなはずじゃなかった」と言います。
3つの選択肢の中のどれを選択しても、国民は結果に納得できません。仮に、ウイグルを選択した人が、中国領日本自治区を手に入れたとしても、「こんなはずじゃなかった」と言います。ましてや、他の選択肢を取った人は、全く納得できません。
それは、選択する時に原則がないからです。
ですから、国民と対話する時は、先ず、目的と責務を明確にするように、国民に伝える必要があります。価値判断の基準が出来たら、3つの選択肢を示してください。
もちろん、こんなことが実現するとは、全く、思っていません。
ですから、私は、「日本はドツボにはまります」と再三申し上げています。
結果が出た後であれば、「あの時、こういう選択肢もあったのに」と臍を噛むことは出来ますが、違う結果を望むのであれば、事前に対処するしかありません。これ、当たり前のことです。

21世紀の今日まで、日本は奇跡的に生き永らえて来ました。
しかし、21世紀は、日本にとって、初めての試練に直面する世紀になりそうです。
戦争なのか、国家崩壊なのか、巨大災害なのかはわかりませんが、これまでの日本とは全く別物の日本になります。
その根っ子にあるのは文化です。
地球上に籍を置いている限り、唯我独尊では対処できない時代を迎えているのです。
先ずは、生き延びることです。
日本が日本であり続けるためには、私達が変わるしかありません。
曖昧文化、歴史と伝統、神の国、怨霊・亡霊との共存、全部ひっくるめて、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で国家を維持していくことが限界になっています。
「古きを尊ぶ」だけでは、国は永続できません。
もちろん、余力があるのなら、歴史と伝統も守ればいいと思います。
でも、今は、その局面ではありません。
フィンランドがNATO加盟に向けて動き出したそうです。フィンランド国民の中には、射撃練習を始めた人もいるそうです。彼等は、過去を捨て、現実に対処するために前に進もうとしています。私には、彼等の行動は正しいように見えます。「厳しいかもしれないが、フィンランドはウクライナにはならない」という決意をしたのでしょう。そういう決断をした原動力は、国民の意識です。国民の意識が国を変えようとしているのです。
しかし、日本では、右の方も左の方も、好き放題なことを言っています。
右にも左にも属さない人達(8割の国民)は、不安はあるが、「俺には関係ねぇ」と思っています。
だから、自民党は、8割の国民は日光東照宮の猿のような「いい人」だと思っていますから、「なし崩し」方式を多用するのです。
一方、左翼の皆さんは、日本だから好き放題なことを言えていることを知っているのでしょうか。皆さんが大好きな中国やロシアであれば、即座に逮捕です。
左翼の方の発言を見てみましょう。
社民党は、「ロシアの安全は保障されなくてはならない」と言っています。NATOの東方拡大こそが危険なのだという認識のようです。ロシアの安全も、北朝鮮の安全も、中国の安全も保障しなければならないのに、どうして、日本の安全には言及しないのでしょう。
「日本の報道は欧米の報道に毒されていて、片手落ちだ」と言う方もいます。
「本当は、ウクライナ戦争はアメリカが仕掛けた戦争だ」という陰謀論も盛んです。
「アメリカの軍需産業だけが儲かる仕組みになっている」という人もいます。
立憲民主党は、「ロシアも悪いが、アメリカとウクライナがロシアを追い詰めて、ロシアに戦争を始めさせてしまった」と言っています。
「日本のマスコミが偽情報によりウクライナ危機を煽っている」と言う人もいます。
「ドサクサに紛れて憲法を改正しようとしている政治家と言論人に騙されてはならない。マスコミと言論人が危機を煽る時は、常に国民を騙す時なのだ」と言う人もいます。
「自民党は、そんなに戦争がしたいのですか」と言う人もいます。
「ドイツは方向転換をしたが、それは、ドイツが歴史を認めてきたからだ。日本は、過去の過ちを反省することがない」と言う人もいます。
「戦争を起こさせないための話し合いの努力を強化しなければならない」と言う人もいます。
共産党は、ブレることく、未だに、「憲法9条、非武装中立」と言っています。
左翼の皆さんは「我々は、ブレない」と自慢します。
でも、時代は変わります。
環境も、世界も、変わります。
「ブレない」ということは、変化に対応していないということです。
それは、現実を見ていないということです。
これ、自慢できることなんでしょうか。
アメリカを敵とすれば、自民党に反対を唱えれば、自分達の存在意義が生まれるという意識は昭和の時代のものです。
更に、最悪なのは、左翼にも右翼にも、自民党にも立憲民主党にも、国民生活を守るという意識がないことです。確かに、自分の利益が優先されることは致し方ないことなのかもしれませんが、私達の国は、これでいいのでしょうか。
天皇制への執着、社会主義への憧憬は、昭和の遺産です。今は、そんな時代なのですか。
左翼の皆さんは、昭和時代に使い古した常套句を並べるしか能がありません。私には、言葉によるマスターベーションにしか見えません。現実を見る目が曇っているだけではなく、妄想の世界で自己満足をしているように見えます。できれば、昭和を卒業し、この国を根底から変える提案をしてもらいたいと思います。
国民を守るためには、時代に対応するためには、ブレてもいいのです。
確かに、私も妄想の世界に住んでいますし、私の文章もマスターベーションなのでしょうが、私は、国民を虫けらだとは思っていません。彼等の言葉からは、国民に対するリスペクトを感じません。利用しているだけのように見えてしまいます。
日本帝国主義に負い目を感じている皆さんと日本帝国主義の怨念から離れられない皆さんが、どちらも同じだと思いますが、時代に対応できず、「国民生活を守る」という視点を持つことが出来ないまま、国民を危険な領域に導いているようで怖いと思います。私達が守らなければならないのは、今生きている国民であり、この先生きていかなければならない国民です。歴史や伝統という過去の延長線上に居座ることが可能な時代であれば、傷を嘗め合うことも1つの知恵なのかもしれませんが、もう、そんな時代ではありません。この国は、とても危険な場所に立っています。
過去の延長線上に、私達の未来はありません。
日々衰退する国力が、それを証明しています。
時代は、私達に、新しい国と新しい社会を作れ、と言っているのだと思います。
そのことを誰も感じていないのでしょうか。
そうではないと思います。
国民の皆さんの直感は、そのことを知っています。だから、不安なのです。
ただ、その方法がわかりません。
難しく考えるのではなく、言葉の定義をすれば済むことです。
どうか、そのことに気付いて欲しいと思います。


2022-05-04



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