SSブログ

この国の目的は何 [評論]



昨年くらいから、社会に「衰退」という言葉が増えてきた、と書いたことがありますが、昨今では、月に数回、そのような記事を目にします。「衰退」「弱体」「後退」「凋落」「老化」と言葉に差はありますが、どれも、日本の国力衰退を嘆いている表現です。
この社会風潮により、自然と、多くの方が「衰退」という言葉に着目し、そのファクトを探し、更に、「衰退」という言葉が増えているようです。
「国力衰退」という現象が、社会的なテーマになることは、現実を直視するという視点で、歓迎すべきことです。数年前、私は、「なぜ、衰退という現状認識ができないのだろう」と嘆いていましたが、現状認識が出来るようになったことは、大変、嬉しいことです。ただ、その事は終末が近づいているということでもあります。時間がありません。
今は、多くの論者が、個別に、自分なりに、原因解明をしています。
対策を提言している方もいます。
でも、何かが違う、という感触が拭えません。
昨今のコラムから感じる違和感について書きたいと思います。
先ずは、あるコラムから抜粋したものを転載します。

1人当たりGDPはアメリカの半分以下の水準で、イタリアと並んでG7の中で最低水準にある。
『世界競争力年鑑』(2022年版、63カ国・地域)によると、日本の順位は34位。1989年から1992年までトップを維持し、1996年までは5位以内だった。それが1996年の4位を最後に2ケタ順位に定着。2022年は過去最低(2020年と同位)の34位まで低下した。
日本は、韓国27位、マレーシア32位、タイ33位よりも下位となっている。
個別の判定要素の中での上位にある指標は、「経済状況」雇用2位が最高で、あとは「インフラ」科学インフラ8位、健康・環境9位、この3指標のみである。逆に「経済状況」物価は60位、「ビジネス効率性」経営プラクティスは63位で最下位、「政府効率性」財政は62位と厳しい評価だ。24指標中、9指標が40位以下という惨憺たる状況だ。
このままでは、日本は「縮小」と「衰退」の坂道を転げ落ちていくばかりだ。
「なぜ、日本の国際競争力、経済力がここまで落ちてしまったのか、その検証をきちんと行い、原因となっている壁をひとつずつ壊していくしかない」と指摘する。
国際競争力トップだった時代の豊かさに甘えて、あぐらをかいてきた結果がいまの凋落ぶりです。1980年代までは官民共同で技術開発を行い、革新的企業に金融支援を行って成長を助けたものです。
 この10年は、成長戦略と称して金融緩和と財政バラマキを行ってきたものの、資金が効率よく回らず、結局、政府に近い企業群が儲かる仕組みだけが残り、非正規の従業員が世に溢れる状況になってしまいました。政権交代も含めたドラスチックな改革を実現させて壁をひとつずつ壊していかなければ、日本のジリ貧化、地盤沈下は止まらないでしょう。

さて。
このコラムの「衰退」の現状認識は、正しい認識だと思います。私も、以前に世界競争力年鑑のことを書いたことがあります。
では、原因の究明は、どうでしょう。
原因は、政策の失敗だと捉えています。
ですから、必然的に、政策変更が対策になると判断しています。
結果、政権交代を推奨しています。
筋は通っています。
では、結論となっている政権交代が実現すれば、日本の「衰退」は止まるのでしょうか。
多分、このコラムを書かれた方も、それを読んだ国民も、そうは思っていません。
だからこそ、不安感と閉塞感と焦燥感が増幅しているのだと思います。
まさに、袋小路状態ですが、それは、なぜなのでしょう。
そうです、私達には選択肢がないのです。自民も立憲も維新も共産も、どれも同じです。ですから、政権交代では、どうすることもできません。

では。
このコラムに限らず、多くの方の警鐘と提案(もちろん、私の提案も同じです)が実現しない要因は、どこにあるのでしょう。
それは、原因の原因の原因に辿り着いていないだけではなく、仮に、原因の原因の原因がわかっても、実行手段が見つかっていないからだと思います。
もう、個々の原因(政府の政策等々)に対処するやり方では、打開できない領域に入っていますので、必要なのは、先ず、原因の原因の原因を見つけることです。
このコラムで指摘されているように、政府の施策の失敗も原因の1つですが、原因はそれだけではありません。世界環境の変化、時代の変化、意識の変化、と多くのものが変わっていることも、原因です。今の日本は、昭和ガラパゴス状態です。その変化に対応するためには、小手先や口先や政権交代などという常識的な対応では無理です。
実践処方箋が見つかっていないことは棚に上げておいて、今は、先ず、原因の原因の原因を見つけ、次に、それに対処する方法を探すことです。
気付いている方は、まだ、いませんが、原因の原因の原因は文化であり、私達が向き合わなければならないのは、文化です。一刻も早く、そのことに気付いて欲しいです。
今は、新しい文化の構築が必要な時代なのだと思います。
振り返って見れば、この課題は、明治時代から存在していた課題だと思います。
ただ、文化は、目に見えませんから、気付き難いという特徴があります。
どこの国でも、どんな統治体制でも、最終的に、その国のあり方を決めるのは国民意識だと思います。
国民意識を超える経済も政治も存在しません。
その国民意識に大きな影響力を持っているのが、文化です。
日本の場合は、曖昧文化です。平たく言えば「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。
では、そんな日本で、なぜ、奇跡の戦後復興ができたのでしょう。
あの時代は、皆が生きることに必死で、「なあ、なあ」「まあ、まあ」では生きていけなかった環境があったからです。もちろん、日本人に潜在的能力があったからできたことですが、一時的に文化の力が衰えたことが、奇跡を生み出したのだと思います。

日本が昭和ガラパゴス状態になっている要因は、「目的」の欠如だと思います。
私は、高校生の頃、「この国の目的って、何だろう」と疑問に思ったことがあります。
若い時は、そんな疑問を持つものです。実際に、年配の方に、そう言われました。
しかし、後期高齢者になっても、あれから60年以上経っても、その答は見つかりません。
それは、この国には「目的」など存在しないということなのだと思います。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」の世界では、「目的」なんて害になるだけなのでしょう。
ただ、それで、「何とかなった」時代が続けば、問題はありませんでした。
でも、現実は、「もう、どうにもならない」時代になったのです。

政府に責任がある。
その通りです。
では、国民に責任はないのでしょうか。
そうではない、と思います。
最も重い責任を有しているのは、主権者である国民の皆さんです。そんな皆さんに責任が無いなんてことはありません。皆で、力を合わせて、この国を衰退させてきたのです。
政府と国民が力を合わせる推進力になったのが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。
官民共同は、この国の特徴の1つです。
しかし、「なあ、なあ」「まあ、まあ」にも、限界があったのです。
そのことに気付かなければ、この「衰退」は止まらないと思います。
このブログの記事を読んでくださった方には、耳にタコだと思いますが、私は、「言葉の定義をする文化」を作りましょうと提案しています。
「曖昧文化」から「言葉の定義をする文化」への変更です。
もちろん、「言葉の定義をする文化」が完璧な唯一のものではありません。弊害も副作用もあると思います。それでも、ここまで追い詰められたら、四の五の言っていられません。
この国には、今、「目的」と「責務」の明確化が必要なのだと思います。
日本人は優秀です。
特に、一致協力という分野では、他の民族の追随を許さないほど優秀です。
「言葉の定義」をすれば、目的と責務が見えてきます。
「目的」があり、「責務」が明確になれば、ものすごい力を発揮すると思います。
文化を変えれば、「衰退」を止めることは可能だと思います。
ただし、残念なことに、まだ、国民の皆さんに「言葉の定義」をしてもらう方法が見つかりません。
ですから、実践処方箋のない私の提案は、今も、机上の空論です。
国民の皆さんに参加してもらう方法が見つからなければ、間違いなく、この国は崩壊すると思います。
政権交代しても、生産性向上やDXに挑戦しても、「衰退」は止まりません。
「衰退」の先にあるのは、当たり前のことですが、繁栄ではなく崩壊です。
崩壊で痛手を負うのは国民の皆さんです。
国民の皆さんには、自分のために、この国を変える必要があるのです。
国民の誰にとっても、他人事ではありません。
どうか、そのことに気付いて欲しいです。
崩壊を止めることが可能となるかもしれない方法はあるのです。
岸田さんが「何とか」するのではありません。そんな力、岸田さんにはありません。
皆さんが、「衰退」を止めるのです。
他に、自分を守る方法はないと思います。


2023-03-02



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。