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この国、変ですよ [評論]



2022年3月、経済産業省所管のエネルギー庁が、2012年の制定以来初めてとなる「電力需給ひっ迫警報」を発令した、というニュースがありました。そして、6月に、「電力需給ひっ迫注意報」が出されました。
これまで、電気は、空気と同じで、「あって当たり前」だったと思います。
それなのに、最近、電力に関するニュースが多くなってきたのは、何故なのでしょう。
時代は変わるという、ごく当たり前のことが、起きているのだと思います。
その始まりは、福島第一原発事故の影響による、原発停止だったと思います。
次に、電力の自由化という政策の失敗があります。
カーボンニュートラルの影響もあります。
化石燃料の価格高騰という世界潮流もあります。
電力会社の設備の老朽化に見られるように、国力衰退という潮流があり、積極投資ができなかったという理由もあります。
次から次へと不運と不幸が重なってやってきますが、これが自然なのだと思います。
不幸な事象は、これ以外にもあったと思います。

この先、「電力需給ひっ迫注意報」や「電力需給ひっ迫警報」は、出てくると思います。
もしかすると、計画停電ということもあり得ると思います。
自然エネルギーは、天候次第で発電量が変わるという弱点があります。革新的な蓄電技術の向上と設備が不可欠ですが、まだ、実現していません。
需給ギャップを埋めるために使われている古くなった火力発電所がいつまで使用に耐えられるのか、わかりません。映像が流れましたか、かなり、ボロボロに見えました。
電力会社から見れば、原子力発電所の稼働を停止しておいて、「何とかしろ」と言われても困ります。設備を持っていても、利益は得られないだけではなく、維持費だけはかかります。電力会社は、国営企業ではありません。
この「電力需給ひっ迫警報」の発表は、いつもの「なし崩し方式」による原発再稼働プロジェクトが動き始めたということです。
徐々に、「電力需給ひっ迫注意報」「電力需給ひっ迫警報」「計画停電」「大規模停電」というシナリオが進行し、政府は国民に「原発を稼働させれば停電は起きませんが、どうしますか」と問うてきます。
さて、国民の皆さんは、どう答えるのでしょう。国民は、「もう、停電は勘弁してくれ。原発、再稼働してもいいから」と言うことになります。
停電による経済活動の停止は、決して、軽いものではありません。
経済活動だけではなく、個人の生活にも影響します。些細な事かもしれませんが、想像しただけでも、暗い気持ちになります。
老人にとっては、私だけなのかもしれませんが、冷凍庫は生活の基盤になっています。冷凍庫が使えないと、痛手です。電力消費量が多い時期は、極暑の時や、極寒の時です、冷暖房をエアコンに頼っている私は、お手上げです。老人の生活に欠かすことができないレンジもトースターも使えません。読書もできませんし、パソコンが使えなければ、こんな文章も書けません。集合住宅ですから、水道はポンプで汲み上げていると思いますので、水も使えなくなり、料理もできませんし、トイレにも行けません。エレベーターも使えません。
ここに挙げたこと以外にも影響はあると思います。行動力が衰えた老人にとっては、電力という生活基盤の破綻は厳しいものになります。
個人への影響だけではなく、国全体への影響も無視できません。
中国の人口に匹敵する人口を持つインドが、優秀な人材が豊富だと言われるインドが、なぜ、中国に後れをとっているのでしょう。
大きな要因の一つが、電力インフラの未整備によるものだと言われています。インドでは、度々、停電します。そんな土地に進出しようとする海外企業はありません。
発展途上国、貧困国に共通するのは、電力インフラ不足です。電力は、経済発展の土台なのです。
そう考えると、電力供給に不安が生じている日本は、経済発展が望めない国になろうとしているということです。

なぜ、こんな国になってしまったでしょう。
電力は、個人の力では、どうすることもできません。
ですから、これは、いや、これも、国家運営の失敗が招いたことです。
原子力神話を作り、その上で胡坐をかき、利益を貪った電力会社と経済産業省が、国の運営を誤った結果です。
数十年という時間が経過していますので、過去の失敗は見過ごされます。これが、「先送り」のうま味です。「今さえよければ」「自分さえよければ」をやっていても、逃げ続ければ、時効は成立するといううま味です。
では、なぜ、「先送り」「今さえよければ」「自分さえよければ」が横行するのでしょう。
それは、目的を持たず、責務を曖昧にしているからです。
「国家100年の計」という言葉があります。国家運営は、100年先を見通して運営する必要があるから生まれた言葉です。目的も責務もなく100年の計は作れません。
この国は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で運営されているのです。

先日、たまたま、国会中継を見ました。
共産党の小池議員が質問者です。小池さんの質疑応答では、度々質疑が止まります。多分、それが小池さんの狙いなのだと思いますが、小池さんが質問巧者であることは確かなようです。質疑応答が中断すると、委員会の各党の理事が出てきて話し合いをします。そこで落としどころを決めて、大臣に伝えます。つまり、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が議事進行のルールになっているのです。自民党の理事が、小池さんの肩を叩いて「まあ、まあ」と言っているような様子も見えました。あの予算委員会は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が基本なのです。野党は言いっぱなし、与党は馬耳東風、そして、何となく時間が経過し、一件落着となります。与党の議員も野党の議員も、テレビに出演しているのですから、彼等の頭の中にあるのは選挙だけだと思います。茶番でも何でもいいのです。
与党と野党には共通した原則がありませんので、「原則に照らして」という議論が生まれることはありません。共通している原則は「選挙」くらいのものです。つまり、彼等は、自分の選挙のために国会活動をしているのです。そうです。国民生活を守ることが、彼等の目的でもなければ、仕事でもないということです。

れいわ新撰組の大石議員が、暴言を吐いたという記事もありました。
「この鬼」
「資本家の犬」
「財務省の犬」
と岸田総理を非難したのです。
驚き、ですが、実際にあった話のようです。漫画です。
確かに、大石議員の原則から見れば、岸田総理は「鬼」であり「犬」なのかもしれません。
どうして、皆さんは、共通の原則がないことに気付かないのでしょう。
皆さん、自分の原則しか持っていませんので、言いっ放しでも、聞きっ放しでも、自分は正しいと思ってしまうのです。
国会は、何のために存在するのでしょう。
国会は、国民生活を守るための議論をする場所です。
しかし、そこで議論をしている人達は、自分の原則と自分の選挙しか念頭にありません。
どうして、変だと思わないのでしょう。
それは、国民が、「俺には関係ねぇ」と思っているからです。
それは、国民も、共通する原則を持っていないからです。
最終的に責任を取る国民が、「俺には関係ねぇ」と思っているのですから、国会議員が自分の選挙に専念するのは仕方ありません。
あの国会での茶番は、国民の皆さんが作り出しているのです。
国民の皆さんは観客ではありません、皆さんが国そのものなのです。

岸田政権の支持率は堅調です。
岸田政権は、国民生活のための施策を果敢に実行しているのでしょうか。
私には、そうは見えません。
「ああでもない、こうでもない、検討します」と口先で言っているだけに見えます。
取り敢えず、参議院選挙を乗り越えることが、岸田政権の最大の目的です。
7月の選挙が終われば、3年間は国政選挙がありません。
岸田さんは、大石議員が指摘したように「資本家の犬」「財務省の犬」になる条件が整います。国民の皆さんは、どう対応するのでしょう。
「どうしようもないだろう。だって、自民党に代わる政党がないじゃないか」
その通りです。
今の私達には、自民党一択の選択肢しかないのです。
でも、それでいいのでしょうか。
私達の生活も、子供達の未来も、あんな政治家に任せておいて大丈夫なのですか。
政治家は、自分の選挙のことしか見えていませんので、変われません。
これまで、政治家は仕事をしないけど、官僚がしっかりしているから、日本は大丈夫だと言われていた時代がありました。
今も、その神話は生きているのでしょうか。
東京国税局の職員が持続化給付金詐欺の容疑で逮捕されました。国税局は、国民から税金を収集する仕事をしています。そんな人達が税金を騙し取って逮捕されているのです。
では、そんな人は、ほんの一部の人達なのでしょうか。
日本最狭の狭き門であるキャリア試験に合格した人達の離職が止まりません。
既に、官僚システムは機能していないのではないでしょうか。
この国、変ですよ。

私達は、結果に右往左往するだけです。そして、結果を捻じ曲げようとします。岸田さんは「鬼」かもしれませんし、「犬」かもしれません。でも、それも、結果です。
どうして、原因を見つけようとしないのでしょう。
どうして、原則を作ろうとしないのでしょう。
「お前達は、政権批判とかスキャンダル騒動しかできないのか」と批判された野党第一党の立憲民主党は、提案型の政党になると大見得を切って新体制を発足させました。これも、結果を捻じ曲げるやり方です。だから、政党支持率は下落しています。国民の皆さんは、確かに、皆さん、「いい人」ばかりです。でも、決して、馬鹿ではありません。
立憲民主党の皆さんは、支持率が上昇しない原因を、未だに見つけていません。
国力衰退という現実を認め、そのトレンドを変えるのが、彼等の仕事です。
立憲民主党が政権を取れば、こんな国になります、という青写真を示したことがありません。相変わらず、自民党批判とばら撒きです。それだけではなく、ウクライナ戦争を目の当たりにした国民に対して、安全保障の面では、左翼のお花畑論に引きずられていて、国民の心配に答えることができません。

1つ1つは些細なことですが、色々な場面で、「何か変」が横行しています。
それには、原因があるはずです。
目的がないことと、責務が明確でないことが、これらの原因です。
そのことに、そろそろ、気付かねばならないと思います。
どうすればいいのでしょう。
国民が変わるしか、この国を変えることはできないと思います。
国民が変われば、政治家は手の平を返します。
「国民生活を守るために」と連呼し始めると思います。
だって、政治家は、国民の一票を貰わなければ、カネにならないからです。
どうして、こんな明白な事実に誰も目を向けないのでしょう。


2022-07-04



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