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実に厄介です [評論]



経済の衰退、政治の衰退、社会の衰退に言及する記事が、民間レベルで、少しずつですが、増えています。経済界も、やっと、「国力低下」という言葉を使い始めました。
しかし、政治家は、相変わらず、「自分さえよければ」をやっています。
私は、これらの衰退現象を一纏めにして「国力衰退」と呼んでいます。
民間の、今の動きが、トレンドにまで育つのかどうか、まだ、わかりません。
それでも、何も起こらないよりは、はるかに、朗報です。
ただ、まだ、議論は煮詰まっていませんので、核心に辿り着くまでには、時間が必要です。
崩壊までの時間との勝負ですが、私達は、国家崩壊を阻止できるのでしょうか。
全く、わかりません。
私は、悲観論者ですから、間に合わないと思っています。それでも、何もしないよりは、いいと思います。それは、この国が「ドツボ」に落ちた後、這い上がって来る時の力になる可能性があるからです。可能性にすぎませんが、何もないよりはいいと思います。
今日は、国力衰退に関する記事を2つ紹介します。

「2025年日本経済再生戦略」という本の解説をしている記事がありましたので、そのことについて書いてみたいと思います。書いた方は、元日本マイクロソフト代表取締役社長の成毛眞さんと経営共創基盤(IGPI)グループ会長の冨山和彦さんという方です。この国は、今のやり方を続ければ、危険だと心配しています。
いつものことですが、本は購入していません。ですから、私の解釈は間違っているのかもしれません。記事を抜粋します。

「若者は上場企業よりユニコーンを目指せ」
「1960年生まれのリーダーは昭和にとどめを刺せ」
「日本の政治も行政も、そして大企業も昭和のレガシーを引きずり、保身に毒されたままなのだ。彼らがいくら、『何とかなる』という楽観論、『何とかする』という根性論を掲げても、それで国がよくなるはずがない」
「昭和の価値観を引きずっている政府は、日本経済再生の先導役にはなりえない。100%自己責任の意識で、個人として人生を構築すべきだ」
「中小企業の70%が国内消費依存、GDPに占める個人消費の割合は50%強にも上る。官製内需頼みが日本経済低迷の原因なのだ」
「コロナ禍でも企業倒産件数が史上最低水準で推移している日本は、逆に、危ない。いろいろなかたちで企業には巨額の資金が政府から流れており、キャッシュが回っている限り、どんなに大赤字になっても企業はつぶれず、ゾンビ化して生き延びるのだ」
「政府であれ、大企業であれ、日本の古典的なエスタブリッシュメント組織の体質をひとことで言うなら『グダグダ』であるということだ。すべてが固定的で旧時代的。何かというと『ことなかれ』の保身に走る。悪しき『昭和』である」
「横並びの価値観から自分だけの幸福感にシフトせよ。空気を読まない、集団に埋没しない、権威・権力に屈しない、そんな自分勝手に生きる個人こそが、今後は生き残っていく」
「昭和世代に足をすくわれないよう注意しよう」
「新たな能力を身につける、自己トランスフォーメーションが必要」
「岸田政権が掲げる『新しい資本主義』に頼らないことが新しい資本主義だ」

書かれていることに、私は「ふむ、ふむ」と頷いてしまいました。
これを書かれた方は、国力衰退という現実を認めています。ですから、現実という当たり前の認識の上に立脚した提案ができるのだと思います。
この本のキーワードは「昭和」です。
私も、度々、「昭和」という時代を引き合いに出しますが、この本の筆者は、「昭和を否定しろ」と書いています。
ただ、どうやって、「昭和を否定するのか」がわかりません。
それは、「昭和」を否定して、何を基準するのかが見えないからです。
否定しなければならないのは、「昭和」ではなく、「曖昧文化」であり、「昭和」の代わりになる基準は、「目的と責務」の確立です。
ほとんどの方が、このことに気付きません。確かに、曖昧文化は、見えませんから、仕方ないのかもしれませんが、頑張って欲しいと思います。
この「曖昧文化」は、昭和だけではなく、平成にも令和にも存在しますので、「曖昧文化」にドップリと浸かったままの私達が、「昭和」を否定しようとしても、それは、無理な相談です。
これを書かれた方は、意識下で、気付かずに、目的と責務を定義しているのかもしれませんが、本人は、そのことに気付いていません。
ただ、一歩前進していることは認めます。
必要なのは、やはり、原因の原因の原因の解明なのだと思います。

上の記事では、衰退の現象は書かれていますが、言葉としての「衰退」は使われていません。
最近、「衰退」という言葉が使われることが多くなってきたと思っています。
民間では、少しずつですが、現状認識が進んでいることになり、喜ばしいことです。
衰退に関する別の記事も転記しておきます。

カーボンニュートラル行動計画の産業部門では、2020年度実績で既に 20.8%削減されたことになっている。結果だけが表面に出ているが、どうして、そんなに削減されたのかは、明確になっていない。
その中身。
「(1)経済活動量の変化」、すなわち産業の衰退でCO2が18.2%も減少した。
「(2)エネルギーの低炭素化」はわずかに3.9%のCO2減少。
「(3)省エネ」に至っては何と1.4%のCO2増加。
つまり日本の産業が衰退したのが、CO2減少の最大の理由だ。エネルギーの低炭素化も、省エネも、あまりCO2減少に寄与していない。
東京都の産業部門のCO2排出量は、2000年に679万トンだったのが2019年には43.9%も減って381万トンとなり、今後、2030年にはさらに41.8%も減らして222万トンとするという見通しになっている。エネルギー消費量も、同様に激減してきたし、今後も激減を続ける見通しになっている。その原因は、産業の衰退なのです。
実は、工場が壊滅的に減っている。
 東京にも工場はたくさんある。23区の中では大田区が有名だ。西部の多摩地区にも多くの工場がある。だが、次々に無くなっている。地元の方はまさにこれをよく実感しているだろう。
2003年から2015年の12年間だけで、事業所数は4万9580から2万7142まで減っているから、実に45%の減少だ。従業者数は46万7210人から29万6132人まで減っているから、37%も減っている。これだけ工場が激減し、雇用も減っていれば、CO2が減るのも何ら不思議はない。
大田区から、多摩地区から、工場が減り、雇用が無くなることを、東京都は今後も促進したいのだろうか。

「昭和」とか、「衰退」とかを発信する方は、まだ、少ないと思います。
それでも、声に出してはいませんが、多くの方に、「衰退」は「何となく」理解されています。この国が、順風満帆だと思っている国民は一人もいないのでないでしょうか。
国力衰退という現実を、公的に認め、正面から向き合うべきですが、それが出来ません。特に政府高官は「衰退」という言葉を禁句にしているのではないかと思っています。
何故なのでしょう。
どうして、「新しい資本主義」などという「まやかし」で誤魔化そうとするのでしょう。
それは、誰も、その対処法を見つけていないからだと思います。
でも、だからと言って、対処しなくてもいいということではありません。
衰退から生まれる現象は、結果として、誰の目にも見えています。
どうしても、結果に目が行くのは仕方のないことだと思います。
政府だけではなく、多くの方が、原因を見つけることもなく、結果を捻じ曲げようとします。
中には、原因を見つける人もいますが、対処法がわかりません。たとえ、対処法を見つけたと思っても、成功しません。それは、原因の原因がわかっていないからです。
仮に、原因の原因を見つける人が出てきても、対処法までは見つけられません。
それは、原因の原因の原因が「曖昧文化」だからです。
堀り進めていけば行くほど、「曖昧」の密度は濃くなり、対処法に辿り着けないのです。

なんてことを言っても、多分、誰も「ふむ、ふむ」とは言ってくれないでしょう。
ここで、原因と、原因の原因と、原因の原因の原因の関係を具体的に見てみましょう。
もちろん、これは、私の独断と偏見から生まれたものですから、正しい分析であるという保障はどこにもありません。
先ず、誰にでも見える結果は、2000万人もの相対的貧困者が存在するという事実です。これを、貧富の格差だと言う人もいます。
その原因は、多くの皆さんが指摘するように「賃金が上昇しない」からです。
多くの方が、そのことを知っていますが、一向に賃金は上昇しません。
それは、「賃金が上昇しない」原因が見えていないからです。
では、「賃金が上昇しない」原因は何でしょう。
政治は、結果を捻じ曲げようと、春闘で賃上げを要求したり、分配することばかり議論しています。こんなことをしても、賃金は上昇しません。
その原因は「国力が衰退」しているからです。
これが、原因の原因です。
この「国力衰退」を止めない限り、賃金は上がりませんし、分配は限界を迎えます。
ところが、原因の原因がわかっても、対応策は見えません。
それは、「国力衰退」の原因が、余りにも多すぎて、手に余るからです。個別の何か1つを変えれば、国力が繁栄するわけではありません。
どうしても、「国力衰退」の根っ子にある原因を見つける必要があります。
そのためには、私達は、原因の原因の原因を見つけるしかないのです。
ここからは、私の独断と偏見です。
原因の原因の原因は、この国に目的がないからです。
いや、目的を達成するための明確な責務がないからです。
責務がないのは、言葉の定義がされていないからです。
言葉の定義がされないのは、曖昧文化だからです。
これが、原因の原因の原因です。
実に厄介です。
更に、厄介なことがあります。
それが、「お上」と「下々」という歴史と伝統です。
私達には、不都合なことは「お上」が悪いからだ、という逃げ道があります。
特に、左翼の方、野党の方は、「お上が悪い」と声高に言います。自分達が、国民生活を守ることよりも、「お上」を批判しているほうが楽だからです。これも、逃げです。
確かに、「お上」は最悪です。
でも、それは、国民が最悪だから、「お上」が最悪になっているのです。
国民に選ばれた国民が「お上」というシステムを動かしているのですから、最悪が最悪を選んでいるのですから、「お上」だけが変わるなんてことはありません。
最悪の国民から、最良の「お上」が生まれることはないのです。
もしも、奇跡的に、突然変異が生じて、「お上」だけが変わったとしましょう。それで、国力衰退は止まるのでしょうか。いいえ、国力衰退は止まりません。
なぜなら、国力を繁栄させる主体である国民が変わっていないからです。
「2025年日本経済再生戦略」を書いた人は、個人に向けて提案しています。方向性としては、これが正しいやり方です。国民が変わらない限り、この国は変わりません。しかし、世代交代を待っている時間は残されていません。
この国に必要なのは、自然治癒ではなく、外科手術なのです。
国を繁栄させるのも、国を衰退させるのも、国民次第です。
どうか、「曖昧文化」ではなく「言葉を定義する文化」を導入してください。
責務を明確にして、目的を見つけてください。
そうすれば、国民の皆さんは、変わります。
この国の国民には、今の国力衰退トレンドを変える力があります。


2022-07-03



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