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不公正、不平等、不条理 [評論]



「無差別大量殺人事件」を検索したら、次のような記事がありました。

1938年:津山事件
1948年:帝銀事件
1980年:新宿西口バス放火事件
1995年:地下鉄サリン事件
2001年:附属池田小事件
2008年:秋葉原通り魔事件
2016年:相模原障害者施設殺傷事件
2016年:大口病院連続点中毒死事件
2017年:座間9人殺害事件
2019年:京都アニメーション放火殺人事件
2021年:梅田クリニック放火殺人事件

地下鉄サリン事件を除けば、個人の犯行です。
1938年から2000年の60年間は4件ですが、2001年から2021年の20年間に7件の事件が起きています。特に、2016年以降は、2年に一度、事件は起きています。
もしも、このまま、このトレンドが続けば、100年後には、毎日、どこかで、大量殺戮事件が起きているかもしれません。もっとも、その頃には、報道環境は失われていますので、皆さんは気付くこともないのかもしれません。
これは、日本社会の変化が、時間と共に、深化しているということなのではないでしょうか。
日本人が変わったのでしょうか。それとも、社会が変わったのでしょうか。
多分、その両方だと思います。
そして、その原因は、日本が貧しい国になったからだと思います。
あるアンケートで、「5年後、あなたは、今よりも豊かな生活をしていると思いますか」という設問に対し、「YES」と答えた人は15%だったそうです。
今後、日本は更に貧しくなります。
と言うことは、こういう事件は減ることはなく増えると考えておく必要があります。
世界が不条理だと感じる人が増え、「メチャクチャ」にしてやりたいと思う人もいます。
その気持ちは理解できます。
では、無差別大量殺人事件を犯す犯人は、特別な人なのでしょうか。
そう考えてしまったほうが、気が楽ですが、そうではないと思います。
私は、自分が犯人と同じ境遇にあったとして、「事件は起こさない」という自信はありません。これは、私だけではないと思います。
梅田クリニック放火殺人事件の犯人も、優秀な板金工として会社からも後輩からも頼りにされていた時代があったそうです。彼も、皆さんと同じ普通の市民だったのです。これは、誰にだって殺人犯になる可能性があるということです。世の中、万事うまくいくわけではありません。特に、最近の日本では、上手くいかないことが増えています。最大の敵は貧困です。ですから、国力を衰退させてはいけないのです。
無差別大量殺人事件の犯人予備軍は、多分、1億2500万人いると思います。
ただ、私のような老人は、体力も気力も衰えていますので、大量殺人は難しいと思います。1人を殺すのが精一杯だと思います。私には、それも、難しいかもしれません。
それぞれの事件の犯人は、私と何が違ったのでしょう。
多分、その違いは、ほんの小さなことだったと思います。
ただ、時代の変化という大きな潮流は、人間の些細な違いなんて関係ないのだと思います。
「国力衰退」「国民貧困化」という潮流の前では、私達の事情は関係ありません。
この先、時代は更に変わります。
社会も、人間も変わります。
このまま、壊れていけば、阿鼻叫喚が日常になる社会になります。
社会が不安定になればなるほど、人は秩序を求めます。
それは、独裁者が登場する環境が生まれるということです。
西にも、東にも、北にも、南にも、独裁者が出現し、独裁者たちの争いが始まります。
戦乱の時代は、簡単には終わりません。
これって、日本史の再現なのではないでしょうか。
私達は、こんなことをするために、2000年も費やしてきたのでしょうか。
もしも、「国力衰退」「国民貧困化」が原因だとすると、「国力衰退」「国民貧困化」という潮流は、受け入れてはいけないと思います。それは、国民の皆さん自身のためです。それが、皆さんの家族を守り、未来の皆さんの家族を守ることになるのです。
ですから、皆さんには、「国力衰退」「国民貧困化」を阻止する責務があります。

「お前、毎月毎月、同じことを書いていて、飽きないのか」
もちろんも飽きます。
でも、私には、これしか出来ません。
そして、私の心配は、多分、いや、かなり高い確率で現実になります。
国民の皆さんも、薄々と、ぼんやりと、その事には気付き始めています。
そして、「誰か、何とかしてくれ」と思っています。
ごめんなさい。そんな都合のいいことは起きません。
既に、生活が壊れてしまった人も大勢います。
「私、何か、悪いことしたの。どうして、私なの」と自分の不運を嘆きます。
ほとんどの方が、何の根拠もなく、「自分だけは、大丈夫」だと信じています。今、貧困の中で苦しんでいる多くの皆さんも、昔、そう思っていました。
貧困というドツボにおちてから、嘆いてみても何も変わりません。
実際に、辛くて、苦しい生活をするのは、政治家や官僚の皆さんではなく、国民の皆さんです。残念ですが、現実に直面した時には、もう、手遅れなのです。
確かに、皆さんは、放火をしたわけでも、人を殺したのでもありません。
でも、次々と、苦境に立たされる人が増えています。
では、皆さんは、この環境を変えるために、何をしましたか。
ほんとに、皆さんには、何の責任もないのですか。
いいえ、皆さんは、何もしていませんし、責任は、皆さんにあります。
皆さんが「俺には関係ねぇ」と言っている間に、国力は衰退し、国民は貧しくなり、社会は不安定になりました。それでも、責任を取るのは、国民の皆さんです。税金を喰っている人は貧しくなっていません。貧しくなっているのは、税金を納めている皆さんです。何もしていないから、責任を取らされるのです。
どうして、こんなことになっているのでしょう。
それは、国民の皆さんがが、自分の責務を知らないからです。
悪いことさえしなければ、何もしなければ、幸せな生活ができるなんて、誰が保障してくれているのですか。そんな原則はありません。
皆さんは、自分の生活を、自分の力で獲得し、自分で守らねばなりません。自分のために社会を守らねばならないのなら、社会も守らなければなりません。自分のために国を守らなくてはならないのであれば、国も守らなければなりません。これが、原則です。
原則を知ることも、皆さんの責務なのです。
国が衰退しているのであれば、皆さんが、それを止めなければなりません。
国民が貧しくなっているのであれば、それも阻止しなければなりません。
それが、国民の皆さんの仕事です。
「自分さえ、悪いことをしなければ」で自分の生活が守れるわけではないのです。
確かに、社会にも、国にも、不公正、不平等、不条理は、山のようにあります。
だからと言って、長いものに巻かれればいいというものではありません。潰されるだけです。
闘うしかないのです。
不公正、不平等、不条理を、こつこつと、潰していくしかないのです。気の遠くなるような作業ですが、他に方法はありません。
皆さんは、夢の花園に住んでいるわけではありません。
皆さんが生きているこの世は、醜い「欲」の世界なのです。
そんな世界で、自分を守り、家族を守り、未来の家族を守るのは、皆さんの責務です。
ほんとに、面倒なことです。
でも、それが、現世なのです。
皆さんは、そんな場所にいるのです。
残念ながら、夢見る乙女のままでは、「いい人」では、生きていけません。
まだ不運に見舞われていない方にも、不運はやって来ます。例外はありません。
国民の皆さんは、自分で、崩壊を止めるしかないのです。
もちろん、一人の力では、どうすることも出来ません。だからと言って、放置していいことにはなりません。たとえ微力であっても、皆さんが行動するしかないのです。

皆さんが「何もしていない」一例を挙げてみます。
今月、文書交通費問題のことを書きました。
国民の皆さんは、声を出しましたか。
私は、そんな声を聞いていません。
なぜ、国会議員の年収が7000万円で、国民の年収が400万円なのですか。
これ、おかしいと思いませんか。
しかも、仕事をしていない国会議員に支払っているカネは、私達が納めた税金です。
これって、不公正、不平等、不条理なのではありませんか。
でも、国民は「知らんぷり」です。
文書交通費の廃止を求める政党はありません。
立憲も共産も騒ぎを大きくしたくないから、ツイッターの動員もしていないようです。
「お前等、馬鹿なのか」と言いたいくらいです。
皆さん、「こんなの、おかしいだろう」と言ってみませんか。
皆さんは、「これ、間違っている」と言えない理由を知っていますか。
そうです。原則がないからです。
今、この国に原則はなく、国民生活は守られなくてもいいのです。
政治家は、1円でも多く手に入れ、選挙を乗り切ることが政治家の仕事だと思っています。
これが、不公正、不平等、不条理でなくて、何なのです。
目に見えている不公正、不平等、不条理から糺しましょうよ。
政府が「自己責任」だと言っているのは間違っていません。
何もしない、政治を糺そうともしない、だから、国民が責任を取る、これも、当たり前のことです。
国民は、主権者としての責務を果たしていません。これこそ、「責任」の放棄です。だから、自己責任だと言われても仕方ありません。
確かに、責務を知らないのですから、果たしようがありませんが、責務を知ることも国民の責務なのです。
先ず、言葉の定義から始めてください。
そうすれば、原則が見つかります。
皆さんは、自信を持って声を出すことが出来ます。
それが、皆さんを守り、皆さんの家族を、未来の皆さんの家族を守ることになるのです。
皆さんを守れるのは、皆さんしかいないのです。
ある会社で、会社に対する貢献度が明らかに低いと思われる先輩が年収7000万円で、30歳で会社の利益を押し上げている社員の年収が400万円だとしてみます。昔であれば、「いつか、俺も」と思ったでしょうが、今は、そんな予測はできません。こんな会社の若者が頑張るモチベーションはどこにあるのでしょう。「俺には関係ねぇ」と言いたくなるのではないでしょうか。それと、同じ構図が、国全体にあるのです。
碌な仕事もしていない外注先の社員に7000万円も支払っていてはいけません。
彼等は、何もしてくれません。そんなことは、皆さん、知っているはずです。
また、国民が納めた税金で10万円を給付してくれるのが有難いことなのですか。
給付という言葉は、強者から弱者へ金品を支給するという意味です。政治家や官僚がカンパをしたカネを国民に支給してくれるのであれば、意味は通りますが、国民の納めた税金を国民に返すのに、給付するというのは、言葉の使い方を間違っています。
封建制度の国で、飢饉のときに、お殿様が百姓に米を分けてやるのは、百姓が納めた米であっても、意味が通じます。なぜなら、百姓も米もお殿様の持ち物だからです。
皆さんは、岸田総理の持ち物なのですか。
民主国家では、これも不公正、不平等、不条理の1つです。
「国とは、国民とは、民主主義とは」の定義ができたら、「国家運営とは、国会議員とは、選挙とは」という言葉の定義をしてください。そこに、山のように不公正、不平等、不条理が詰まっています。
皆さんには、生きる権利があります。無人島や山奥で、自給自足で生きる自由もあります。しかし、社会で生きようとすれば、果たさねばならない責務があります。その社会が、不公正、不平等、不条理に満ちているならば、それを是正する責務があります。
これ、当たり前のことだと思いますが、今は、当たり前が当たり前ではありません。
政治家は、「欲」に目が眩んでいますから、変わりません。
国民が変わるしか、この国は救えません。
国民が変われないのであれば、それこそ、自己責任、自業自得です。


2022-02-04



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