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勝手に魅力を失った日本 [評論]



2022年は、世界金融環境が大きく変わる年になりそうです。
多くの専門家が、そのことを指摘しています。
その上で、専門家は、この環境変化が日本を窮地に追いやると予測しています。
しかし、残念なことに、日本は対応策を持っていません。
これまで、じわじわ、ずるずる、で済んでいた没落のスビートが、今年から、加速の時代に入ることになるのかもしれません。
私は専門家ではありませんので、正しい分析は出来ないのかもしれませんが、素人なりに分析をした内容を書いてみたいと思います。

1997年にアジア通貨危機がありました。
タイで始まった通貨危機は、インドネシア、マレーシア、韓国、へと波及し、ブラジルやロシアまで、広範囲の地域に通貨危機を招きました。
その原因は、アメリカの経済金融政策にあります。
そして、今年、アメリカは経済金融政策の転換をします。
ゼロ金利政策を終了し、過去に買い入れた資産の縮小をします。
それは、アメリカ国内のインフレが無視できなくなったからです。
これ、全部、カネにまつわる話です。
「カネって何でしょう」
カネは、神棚に祀って柏手を打っていても増えません。
しかし、人間は、カネを増やしたいと、常に願っています。
ですから、カネは、利息を払ってくれる場所へと流れるのです。
金融緩和から、金融引き締めへ向かうということは、アメリカの金利が上昇することを意味します。金利が上昇すると、ドルが高くなります。と同時に、ゼロ金利政策のためにアメリカで投資をしても利益を出せなかった資金が、アメリカで投資をしても利益が出せるようになり、資金はアメリカへ還流します。
アメリカにある資金が100だとして、タイ一国の資金需要が1だとすると、タイに投資すれば何とかなるというわけではありません。アメリカドルは、利息を求めて、世界中に広がります。ただ、投資家にとっての環境は、アメリカと新興国では違います。新興国でのリスクは、多岐にわたり、資金を失う危険はいつでも存在します。投資家は、アメリカで利益が出せるのであれば、危険な新興国への投資を引き揚げます。
投資では、常に、ハイリスク・ハイリターンが原則ですから、投資家は、常に、世界的な投資環境と個別の投資先の環境に敏感です。その判断材料の大きな要因になるのが、国レベルの金融政策です。中でも、大きく影響するのが、アメリカの金融政策です。投資家は、慈善事業として投資をしているわけではありませんので「利益を出せるか、どうか」「安全か、どうか」で判断します。個々の投資先の国の事情は判断材料にはなりません。資金を引き揚げることで、投資先の国が窮地に堕ちても気にしません。
ドル資金が国外へ流出するということは、勝手に、ドルがアメリカへと戻るわけではありません。為替レートが大きな意味を持ちます。
例えば、ドル建てで1億円の借り入れをしていた企業は、その借金の返済を求められた時、円でアメリカドルを買って返済しなければなりません。もちろん、為替レートが変わっていなくても、1億円でアメリカドルを買い、ドルで返済しなければなりません。それだけでもダメージですが、為替レートはそのダメージを増幅させます。それが、ドル建て債務です。
もしも、借入時の為替レートが、1ドル100円だったとして、現在の為替レートが、1ドル110円だとすると、1億1000万円で、借入時の1億円に相当するドルを買って返済しなければなりません。これは、為替レートの変動だけで、日本企業は1000万円の赤字を出すということです。もしも、1ドル200円であれば、2億円を出して、1億円相当のドルを買わねばなりません。
為替レートの変動は、どこの国でも歓迎しません。
ドル資金の流出は仕方ないとしても、為替レートの変動は避けねばなりません。
アメリカが金利を上げるのであれば、世界中の国が追随します。
ドル資金は、各国の国債にも投資されています。
国債市場は自由に投資出来ますが、それは、自由に引き揚げることができるということです。それは、その国の国債が下落するということです。
同じことが、株式市場でもあります。
日本は、ドル建て国債は発行していませんが、株式市場の6割は海外投資家の資金です。
海外資金が日本から流出するということは、日本の株式市場が下落するということです。
岸田政権は、賃金上昇のために配当を減らせと言っています。これを実行すれば、海外投資家の利益が減るということです。
海外投資家は、為替レートが大きく変動する前に、円安になる前に、売り抜けなければなりません。それは、短期間で株価が下がることを意味します。

日本の金融政策の変更による世界経済への影響は、それほど大きくありませんが、アメリカの金融政策の変更は、世界経済に大きく影響します。
そのアメリカが、今年、3回~4回の利上げをすると言われています。
当然、どこの国も自国の通貨を守るために、追随します。
アメリカの利上げは、世界金融の転換になるのです。
では、日本は、どう対応しようとしているのでしょう。
日銀は、金融緩和を続けると言っています。
アメリカに追随しないと言っているのです。
日銀総裁は、日本の物価上昇は一時的なものだと言っています。物価上昇が一時的なものだから、金融政策を変える必要はないと言っているようです。物価の安定は、金融政策の大きな要素ですが、物価だけが金融政策を決めるのではありません。
日銀総裁も専門家の一人ですから、軽々に否定はできませんが、黒田さん以外に「一時的」と言っている専門家の発言は聞いたことがありません。逆に「一時的」ではないと言う専門家は、何人もいます。輸入物価は40%ほど上昇していますし、企業物価は8%ほど上昇しています。国際的な価格低下が起きているという話も聞きません。最近の円相場は、113円よりも円高になったことがありません。115円を超え、120円になるのは時間の問題だと言う人もいます。物価上昇が一時的なものだと断ずる根拠は薄いように思えます。
一時的の可能性もありますが、一時的ではない可能性も充分あるということだと思います。もし、一時的ではなかった時は、どうするのでしょう。黒田さんは、日銀総裁を辞めれば済むと思っているのかもしれませんが、これは、黒田さんだけの責任ではありません。日銀という組織の責任です。ただ、これまでも、公的機関が責任を取ったことがありませんから、いや、責任の取りようがありませんから、彼等の発言には、何の意味もないのです。それを信じた国民が責任を取るのです。この仕組みが曖昧になっているから、国民は「ふむ、ふむ」と頷いているのです。誰も責任を取らない。最終的に、国民が責任を取ってくれるのですから、彼等は、何でも言えますし、何でも出来るのです。いや、何もしなくてもいいのです。
そもそも、物価上昇だけが金融緩和をやめる理由ではありません。アメリカに追随しないと円安になるのです。円安になれば、物価は勝手に上昇します。資源価格の上昇と円安で、6カ月連続で上昇している電気料金を見ていれば、そんなこと常識です。
「お上」は責任を取りません。いや、取れません。
国民の皆さん、そろそろ、そのことに気付いてもいい頃だと思います。
先月も書きましたが、日本は、金融緩和政策をやめるという選択肢を持っていません。痛みを避けるために、永久に緩和政策を続けるしかないのですが、その結果、より強い痛みに耐えなければならない日がやってきます。得意とする「先送り」は、傷を大きくするだけです。
日本が何もしなければ、当然、金利差が生まれますから、日本円は下落します。
どの程度下落するのかは誰にもわかりませんが、1ドル120円とか130円はあり得るという専門家もいます。私には1ドル120円も130円も、通過点に過ぎないとしか思えません。
国際金融環境の変化だけなら、1ドル150円が限界なのかもしれませんが、国力衰退という日本独自の円安要因がありますので、1ドル500円も1000円も10000円もあり得ると思います。
日本に投資してくれる海外資金はあるのでしょうか。
日本という国に魅力はあるのでしょうか。
日本国内に、「この企業に投資すれば、将来、利益が出るだろう」という会社が何社あるのでしょう。
「日本の国力は、この先、大きくなる」と思っている投資家はいるのでしょうか。
もしも、そんな投資家がいたら、投資家として失格だと思います。投資家にとって、今の日本ほど魅力のない投資先はないと思います。
今は、まだ、株は暴落していませんが、株式市場からも投資家は去っていきます。
海外投資家にとって、為替レートは投資判定の大きなファクターです。日本円で利益が出ていても、ドルに換えたら損失が出るのでは投資になりません。
先ず、目先の利益を求める投資家が日本株を売り、安定を求める投資家も、じわじわと去っていくことになります。10年後には、日本の株式市場は様変わりしていると思います。
何と言っても、日本は最速で、先頭を切って、衰退している先進国なのですから、これまでの「普通」が続くと思うのは甘いと思います。

ともかく、「国力衰退」を何とかしなければ、始まりません。
「国力衰退」もここまで重症になると、スローガンや政策では止められません。
賃上げ要求とか、分配とか、人への投資とか、構造改革では、何の役にも立ちません。
それは、「アベノミクス」でも「新しい資本主義」でも、役に立たないということです。
「国力衰退」は政治家が逆立ちをしたって止められません。
なぜなら、国力は国民力だからです。
「国力衰退」を止められるのは、国民だけです。
その国民が「俺には関係ねぇ」と思っているのです。
このままであれば、この国は、行き着く所まで行きます。
国民の皆さん、ほんとに、それでいいのですか。
国民の皆さん一人一人に個別の事情があることは理解します。
しかし、個別の事情は、大きな潮流の前では、何の役にも立ちません。皆さんは、自分を守るため、自分に不利益になるような潮流を生み出してはいけないのです。そのためには、一歩引いて、この国を俯瞰的に見る必要があります。
今の国民の皆さんは、余りにも無知です。
「国力」=「国民力」なんて当たり前のことです。国会議員や官僚が、何をやっても、国力は増えません。政府の仕事は、いかにして国民に頑張ってもらうか、だけです。
しかし、政府は国民に「頑張ってくれ」と言う根拠を持っていません。
なぜなら、この国には目的もなく、国にも国民にも責務がないからです。
「ああでもない、こうでもない」「なあ、なあ」「まあ、まあ」「ふむ、ふむ」「むにゃむにゃ」で時が流れていくだけです。
各界のお偉い先生方(ほぼ、老人クラブ)が議論をしますが、自分達が解決策を持っていないことを証明しているだけです。当たり前なことですが、結果の裏には原因があります。しかし、その原因の裏にも原因があるのです。原因は、何層にもなっているのです。とことん、原因を掘り出さなければ、結果的に表層を捻じ曲げるだけで終わります。私には、お偉い先生方が「むにゃむにゃ」と言っているようにしか聞こえません。それは、老人が発想を変えるという動作を苦手としていることに起因しているのかもしれません。私達は、昭和の延長線上で右往左往しているだけです。
もちろん、私が主張する「文化の革命」だけが解決策だとは思いません。私も老人ですから、信用していただく必要はありません。しかし、皆さんは、「なるほど」と納得させてくれるような解決策を聞いたことがありますか。
なぜ、こんなことになっているのでしょう。
目的や責務を明確にしてしまえば、国会議員や官僚の利権が失われるからです。彼等は、国民生活のために仕事をしているのではなく、自分の利益のために仕事をしているのです。
自分の利益のために仕事をするのは、一般市民であれば、当然のことですが、国家運営を担う人達の仕事は違います。
政府は、堂々と、国民に「頑張ってくれ」と言わねばなりません。
皆さんは、そんなメッセージを受け取ったことがありますか。
政府のメッセージは「自己責任でお願いします」というものだけです。
このままだと、皆で、仲良く、ドツボにはまるだけです。
皆で、仲良くしていれば、行き先はドツボでもいいのでしょうか。
国民の皆さんは、目先を見るのではなく、少しだけ長期的な目線で見て、自分の生活を守るために、自分で、目的と責務を明確にするしか選択肢はありません。
皆で、仲良く、ドツボにはまるのは、推奨できません。
既に、ドツボにはまっている人が1000万人なのか3000万人なのか別にして、多くの国民がドツボの中で喘いでいます。このドツボに転落する人は、この先も、増え続けます。
ドツボにも等級があることを知っていますか。
相対的貧困者と絶対的貧困者は次元が違います。
この先は、絶対的貧困者が増加します。
東京で行われた、年末の炊き出し村を訪れた人は数百人ですが、彼等は、家もなく、所持金もありません。彼等は、絶対的貧困者に分類されます。
全国規模で拾い上げれば数百人では済まないと思います。
こんな現状を、いや、未来を、放置しておいていいとは思えません。
あの炊き出し村を訪れた人は、皆さんの、未来の姿です。
「まさか、私が」と思っていても、「なんで、私が」になるのです。
国民の皆さんが持っている漠然とした不安は、間違っていません。
ぜひ、変わってください。


2022-02-05



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