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火山噴火 [評論]



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昨年10月に熊本県にある阿蘇山が噴火しました。小笠原諸島にある海底火山の噴火で出た大量の軽石が、各地に漂着して、漁業等に影響が出ているとニュースもありました。富士山の噴火可能性についても、現実的な予測が出されるようになりました。
日本だけではありません。
1月には、トンガで海底火山が噴火し、その津波が日本にも到達しました。
最近は、世界のいろいろな場所で火山噴火が起きています。
上図は、1900年から2019年までを、10年ずつに区切り、世界で起きた火山噴火の件数をグラフにしたものです。
1900年から1970年までは、それぞれ10年間で、2件か3件です。
1970年以降、増加トレンドが見えます。
2011年から、2019年の火山噴火件数は、9年間で、14件になりました。
個別に拾った件数ですが、重複しているかもしれませんが、2020年は23件、2021年も23件ありました。余りにも多いので、もしかすると、基準が違うかもしれません。
コロナ報道で見えなくなっていたと思いますが、ニュースとしては、あったように記憶しています。「なんか、最近、多くないか」と思いました。
増加が始まったのは、50年前からです。
日本は火山大国と呼ばれていますが、日本だけではなく世界各地で火山噴火が起きているのです。800年ぶりに噴火した火山(アイスランドの火山)もあります。
何か、人知の及ばない力が働いているのかもしれません。
まだ、人間の知力では、噴火予知も、地震予知も、できません。予知だけではありません、火山噴火も地震も、人間の力では防ぐことができないのが現状です。
国の責務が、国民生活を守ることであれば、いつ火山噴火が起きても、いつ大地震が起きても、国民の生活は守らなければならないということです。
地球温暖化が顕著になったのが、50年前だとすると、地球の内部で何かが起きているのではないかと疑いたくなります。CO2が温暖化の原因ではないとは言いませんが、温暖化の要素の1つであることは科学的にも証明されているのでしょうが、地球そのものが変化しようとしているのではないでしょうか。
地球史の中では、様々な変化がありました。
超長期の変化で言えば、地球そのものの温暖化も寒冷化もありました。
今が、その温暖化の過程にあるのかどうかは、私にはわかりませんが、そうであったとしても不思議ではないと思います。
地球の環境変化で絶滅した生物も数多くいます。
私達生物は、変化する地球環境に対応するしか方法はありません。
地球環境の変化は、生物に危機を与えます。
弱者から淘汰されていくことは、火を見るよりも明らかだと思います。
だとすると、私達は、最低限、国として、強靭な体力が必要なのだと思います。
火山噴火の被害は、噴石や溶岩だけではありません。
生物に多大の被害をもたらすのは、噴煙です。
地球が噴煙に覆われると太陽光を遮ります。
私達の食糧になっているのは、太陽光が育てているのです。
太陽光がなければ、食物は育ちません。
地球上で生活をする人間は、何度も、その被害に遭っています。
人類絶滅の危機もあったそうです。
私達は、食べなければ生きていけません。
その代表的な食物が、米、麦、小麦、トウモロコシ等の主食と呼ばれるものですが、これらは太陽光が育ててくれています。
もしも、世界的に不作が続けば、世界的な食糧危機と食糧価格の高騰が起きます。
日本が影響を受けないという条件は、どこにもありません。
これは、人間の生存そのものを左右することになります。
そんな時に必要となるのが、国の体力です。
体力があれば、生き残る確率が高くなるのは、自然なことです。
もちろん、体力だけで、克服できるのかどうかはわかりませんが、少なくとも、国の体力が衰えていれば、淘汰の対象になっても不思議ではありません。
未来永劫、今の環境が、戦争もなく、火山噴火もなく、地震もなく、続くと考えるのは、人間の驕りに過ぎないと思います。
人間の力よりも、自然の力のほうが、圧倒的に、巨大だと思います。
火山噴火による環境破壊が、明日、起きるわけではありませんが、明日、起きても不思議ではないということもできます。
そう考えると、「国力衰退」は、あってはならないことだと思います。
「一寸先は闇」という言葉は古くから伝えられていますが、今も「一寸先は闇」なのです。多分、この先も、永遠に、「一寸先は闇」なのだと思います。特に、「自然」に関することは、私達の手には負えません。
皆さんは、どうしたいですか。
もしも、「可能な限り、生き残りたい」と思うのであれば、そのための努力はすべきなのではないでしょうか。
もちろん、完璧な対応なんてできるとは思いません。
それでも、可能な限り、努力すべきだとは思います。
誰が、努力するのですか。
皆で「俺には関係ねぇ」と言っていて、対応できるのでしょうか。
それは、甘いと思います。
そのためにも、「国力衰退」を止めなければなりませんし、目的と責務の明確化は、必要だと思います。
目的と責務が明確になれば、乗り越えられるというわけではありませんが、何もないよりは、今のままよりは、救われる人は多いのではないかと思います。
災害に対応する責務は、国だけにあるのではなく、国民にもあります。
食糧の備蓄も、その一つですが、一番大きな責務が、国を衰退させないことだと思います。
まだ、先進国で破綻した国はありません。
日本が、その初めての国になるかもしれません。
いや、間違いなく、そうなります。
皆さんは、破綻国へ一番乗りしたいと思いますか。
一方、成長できずに、貧困のままの国があります。
では、先進国から転落した貧困国とそうではない貧困国の貧困は違うのでしょうか。
多少の差はあると思いますが、最終的に飢餓に直面するという点では同じだと思います。
転落貧困国の国民は、飢餓に慣れていないという点で、衝撃は大きいと思います。
今でも、食糧危機に見舞われている国は、数多くありますが、北朝鮮やアフガニスタンやベネズエラやスーダン等が挙げられます。タリバンに征服されたアフガニスタンは、貧しい国で、前政権の時代でも、国民の8割が栄養不良だと言われてきました。政変の後では、その80%が95%になったそうです。既に、餓死者も出ています。
貧困の行き着く場所は、転落貧困国でも、元々貧困国でも、餓死です。
それが、生物の、人間の、宿命なのです。
極端な貧困国では、統計を取る組織もなく、外部に発信することもありません。
国連のWFPが、推測で発表する数値を信用するしかありません。
数値が正しいかどうかなんて、問題ではありません。実際に餓死している人達がいるのです。
飢餓とか餓死は、今の私達には想像もできていません。
ですから、今の日本で、飢餓とか餓死は、他人事に過ぎません。
過去に、日本にも飢餓の時代が何度も何度もありました。最近の例では、敗戦後の日本が、その飢餓の時代になると思います。
微かに飢餓の記憶を持っている年代は、私達の年代までなのではないでしょうか。
体験がないと、知識だけでは、なかなか、自分事とは思えないものです。
それでも、最低限、知識は必要だと思います。
知識と目的と責務があれば、そこそこの対応はできると思います。いや、その3つがなければ、対応は難しいと思います。
対応はすべきだと思いますが、国民の皆さんは、「俺には関係ねぇ」と言いそうです。
もちろん、責任を取るのは国民の皆さんなのですから、「俺には関係ねぇ」と言う権利はあると思います。ただし、泣き言は勘弁してください。覚悟を持って「俺には関係ねぇ」と言うのであれば、それは立派な判断だと思います。
皆さん、覚悟はありますか。
そんな覚悟を持つ人なんていないと思います。
今でも、生活が苦しい人達の怨嗟の声が、あります。
「どうして、俺だけ」「どうして、私だけ」と思っているでしょう。
そんな人達は、昔、どう思っていたのでしょう。「俺には関係ねぇ」と言っていた人もいたと思います。ても、貧しくなるのです。それが、現実です。
自己責任の部分がゼロだとは言いませんが、「国力衰退」という潮流に巻き込まれたことのほうが、はるかに大きな要因だと思います。貧しくなる順番が、たまたま、早かっただけだと思います。
戦後の「ひもじさ」は、今でも、まだ、体が憶えています。子供時代のことですが、生き物の本能を刺激する余程強烈な体験だったのだと思います。私以上に「ひもじい」環境にいた人は多いと思います。そんな体験をした人達も、少なくなりました。少なくとも、私は、二度と、飢餓は体験したくありません。
「生き残ったのだから、それで、いいじゃないか」と言われるかもしれません。
私の力ではありません。親が、私を、生き残らせてくれたのです。私の親は、大人の責務を果たしてくれたのです。
では、今の大人の皆さんは、子供達を飢えさせることはありませんか。
現に、飢えている子供達がいるから、子ども食堂が増えているのではありませんか。
既に、この国には、飢えた子供が、大勢いるのです。
それは、この国が、国民が、間違っているということなのだと思います。
放置すれば、この貧困化は、ますます、進行します。
貧困者を救うために、「国民給付金を出せ」と言う人もいます。ベーシックインカムを主張する人もいます。
国民給付金を、ベーシックインカムを、いつまでやれば、問題は解決するのでしょう。
永遠に続けなければなりません。そんなこと、可能なのですか。
どうして、結果を捻じ曲げることしか考えないのでしょう。
原因を見つける必要があるのではないでしょうか。
原因は、すぐに、見つかります。
いや、皆さん、知っていて、逃げているだけだと思います。
皆で、自分の責務を無視しているのです。そのほうが、楽だからです。
「お上」がズルをしているのだから、俺達がズルをして、何が悪いのだ、という気持ちはわかります。でも、それは、自分の首を絞めるだけです。
今の国家運営者が、国民生活を守れない外注先であれば、外注先を変えなくてはなりません。皆さんは、そのための行動をしていますか。
自分の手を汚さずに、美味しい所だけを手に入れようとするのは、ただの助平根性です。
もちろん、外注先だけが「いい加減」なのではありません。
国民の皆さんが、自分の責務を果たしていないことが、最大の原因なのです。
皆さんは、頑張っていません。
皆さんが頑張るために外注先を変える必要があるのであれば、変えればいいのです。
皆さんも、薄々と、わかっていると思います。
「お上」と「下々」という意識をやめる必要があります。
「従順」と「服従」という責務をやめませんか。国民の皆さんは、「従順」に振舞う立場にはなく、「服従」する立場にもいません。皆さんは、この国の「主」なのです。
本来の「目的」と「責務」を明確にして、国民が頑張るしか道はないと思います。
それが、大人の責務だと思います。
今は、「国民とは」という定義はありませんが、「国民」って誰のことでしょう。
政治家も官僚も企業経営者も部長も課長も正社員も、経団連の皆さんも連合の皆さんも、自営業の皆さんも非正規の人も、学生の皆さんも、その他の人も、全部、国民です。
ただ、立場によって、目指すものは変わって来ると思います。
自分が属す組織の利益を優先することは、自分の利益になりますので、皆さんは、そのために努力をします。これは、間違っていません。ただ、個々の努力だけでは、皆さんの努力は報われない場合があります。これは、現実が示しています。皆さんの努力は無駄になっているのです。
これは、個々の目的だけではなく、国にも国民にも目的が必要なのだと思います。
自分の会社のための目的と努力が、自分の省庁のための目的と努力が、全体の目的に資するのかという視点が必要だということだと思います。
小さな力であっても、それが一つになれば、大きな力になります。小さな力がバラバラに存在していても、国力にはならないのだと思います。
今は、国民に共有できる目的が必要なのだと思います。
もしも、私が提案している「子供達の未来を守る」ことが、国民の目的であれば、立場を越えて目的を共有できると思います。国民全員が「子供達の未来を守る」ことを目的とすれば、「自分さえよければ」「今さえよければ」「俺には関係ねぇ」は通用しません。「自分さえよければ」「今さえよければ」「俺には関係ねぇ」がなくなれば、「国力衰退」は止めることが出来るかもしれません。多分、他に方法はないと思います。
厄介なことに、自分を守るためには、自分以外の人を守り、社会を守り、国を守るしかないのです。「子供達の未来を守る」という目的は、そのためにあるのです。
国民の皆さんの協力がなければ、この国は潰れてしまうのです。
どうか、そのことに気付いて欲しいと思います。


2022-02-03



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