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文書交通費の問題は [評論]



去年10月の総選挙で初当選した日本維新の会の国会議員が、机の上に置いてあった札束を見て「ビックリ」して大騒ぎをし、文書交通費が脚光を浴びてしまいました。
日々、貧困化している国民にとっても、文書交通費なんて、初めて話題になったのですから、「吃驚仰天」でした。文書交通費の存在そのものを知らなかった国民が大半だと思います。私も知りませんでした。
しかし、与党、野党の区別なく、99%の国会議員は「何ちゅうことをしてくれたんや」と思ったでしょう。あの100万円は、国会議員の既得権益の中でも重要な既得権益です。
維新の会の新人議員を除く、ほとんどの議員は、怒ったと思います。
「そうだ、やれ、やれ、もっとやれ」と言っていたのは、松井大阪市長と吉村大阪府知事です。二人とも、国会議員ではありませんので、痛くも痒くもありません。
ただ、国民には歓迎されました。政党支持率では、維新の会が立憲民主党よりも高い支持率になりました。
さて、これで、国会議員にかかる費用が、議論されるのでしょうか。
少なくとも、国会では、本気の議論にはなりません。だって、どの党の議員も議論なんてしたくありません。ただ、ひたすら、国民の関心がなくなるのを待ちます。ただ、参議院選挙を控えていますので、どの党も、「やっているふり」はせざるを得ません。ここは、得意の「なあ、なあ」「まあ、まあ」で、玉虫色の決着がつくと思います。
そもそも、維新の会も「文書交通費の支給をやめろ」とは言っていません。「使途を公開しろ」と言っているだけです。
国民は、支給そのものに疑問を感じているのです。
年収が100万円の貧しい国民もいるご時世なのに、貧乏人の年収に匹敵する100万円が毎月貰えるのです。しかも、無税です。領収書を公開すれば済むという問題ではないと思います。でも、これを是正する手段を国民は持っていません。国民が参加できるのは、選挙だけです。では、選挙で、文書交通費を貰っている候補者を落選させることができるのですか。新人以外は、全員、文書交通費を貰っていたのです。出来ません。これでは、主権者は国民ではなく国会議員です。
ところが、国民は、「ふむ、ふむ」と頷き、「へらへら」と笑い、「俺には関係ねぇ」と強がり、「お上」に従順であることが使命だと信じています。いや、そういう風にしか見えません。国民は、自分が主権者であることを、自分から放棄しているのです。
こんな国、潰れます。
ここで、議員に支払われている費用(年間)を見てみましょう。

歳費       2,181万円
文書交通費    1,200万円
立法事務費     780万円
秘書関連費    3,180万円
鉄道パス      190万円
(合計)  (7,531万円)

ここに挙げた費用は、国会議員に直接支払われている費用だけです。
もちろん、それだけの仕事をしているのであれば、問題ありません。
でも、そんなこと信じている国民はいるのでしょうか。
それでも、国民の中には、「太っ腹な人」もいますので、「政治にはカネがかかるもんだ」と言う人もいます。ほとんどの方が「いい人」ですから、目鯨を立てることはないのでしょう。
国民議論になることもなく、ここは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で収まります。
国民は「しゃーないやん」で諦めるしかありません。
その通りです。
国民には、何もできません。
国民が政治に参加できるのは、選挙の時だけです。それも、不完全な投票権しかありません。これで、ほんとに、私達は主権者なのでしょうか。提案もできませんし、法案も提出できません。白票が無効票ですから、現行政治を否定することさえ出来ません。
それでも、国民の皆さんは「いい人」ばかりですから、こんなことで騒いだりはしません。騒ぎはしませんが、馬鹿馬鹿しくて、「頑張ろう」とは思いません。「俺には関係ねぇ」と言うしかありません。国民が頑張らないのですから、国力は衰退します。
これらの不具合の原因は、基準がないことです。
基準となる政治関連の、選挙関連の法律を作っているのは、政治家なのです。
お手盛りの制度を作るのは自然なことです。政治家が、自分達の利益を優先するのは当たり前のことです。私が議員でも、そうします。
では、なぜ、政治家が、今のように好き勝手ができるかというと、「言葉の定義」がないからです。
せめて、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義と、「国家運営とは、国会とは、国会議員とは、選挙とは」という言葉の定義が必要だと思います。

政治家の先生方は、いや、政治家だけではなく、国民の中にも「太っ腹な、いい人」は大勢いますので、「政治にはカネがかかる」と言います。
ほんとに、政治には、カネがかかるのでしょうか。
そうではない、と思います。
政治ではなく、「選挙に、カネがかかる」のです。
政治家は、政治家を続けるために、当選するために、カネが必要なのです。
国会議員は、政治なんて、国民生活なんて、関心がありません。彼等が心配しているのは、国会議員という自分の身分のことだけです。ただ、ただ、国会議員で居続けたいのです。国会議員という職業は、それほど美味しい職業だということです。
国会議員の目的は、出来るだけ多く、税金を喰うことです。法律を作る仕事をしているのですから、法律さえ作れば、いくらでも合法的に、税金を喰えるのです。
文書交通費、立法事務費、秘書関連費は、昔から存在したのでしょうか。その成り立ちを調べていませんが、これらは、政治家が、長年努力を積み重ね、獲得した成果だと思います。彼等は、税金を喰うために知恵を絞ったのです。その成果が、文書交通費、立法事務費、秘書関連費です。政党助成金もそうです。
国民生活なんて頭の片隅にもありません。野党の議員も、自分の収入が増えるのですから、法案が成立したのです。彼等は彼等なりに努力したのでしょうが、国民から見れば「好き勝手」をやっているようにしか見えません。
でも、国民は「従順」で、その上「太っ腹な、いい人」ばかりですから、政治家はその事を熟知していますから、好き放題することができるのです。
もっとも、国民には発言権がありませんので、どうすることもできません。この2000年間、ずっと、泣き寝入りをしてきた庶民は、21世紀でも「泣き寝入り」するしかないのです。なぜなら、この国は、未だに封建制度の国だからです。
どうして、国の仕組みがおかしいと言う人がいないのでしょう。不思議です。
突然ですが、平均年収を比べてみましょう。
国会議員が7000万円、公務員は700万円、国民は400万円です。
税金を納めている人達の年収よりも、税金で喰っている人達の年収が、2倍であったり20倍というのは理屈に合いません。これでいいのでしょうか。どうして国民の皆さんが「太っ腹」になれるのか、私には理解できません。どこまで「いい人」なのか、底知れない怖さを感じてしまいます。私には、日本国民は「ドM」にしか見えません。皆さん、痛めつけられて快感なのですか。
今、この国に必要なのは国民の力なのに、国は国民を痛めつけているのです。これでは、国が国民に「頑張ってくれ」と言っても、説得力ないと思います。国民は、「俺には関係ねぇ」と強がりを言いながら、「泣き寝入り」するしかないのでしょうか。
どうして、誰も、何もしないのでしょう。ほんと、この国、変です。

さて、モリ・カケ・サクラをあれほど追求した立憲民主党と共産党の皆さん。
文書交通費の問題は、国民の賛同が得られる、とっておきの案件です。
「文書交通費を廃止しよう」という旗を揚げれば、次の参議院選挙で逆転大勝利を手にできます。ここは、国民世論を煽り、デモ隊を組織し、国会へ押しかける場面だと思いますが、そんな計画はあるのでしょうか。
でも、そんなこと出来ませんよね。自分の選挙資金を喪失するような行為は自殺行為になります。自民党には、党としての利権がありますから、何とかなりますが、野党の議員にとっては死活問題になります。
与党、野党の区別なく、税金を喰うことに血道をあげているのが政治家です。
お偉い国会議員の先生方の目的は、国民生活を守ることではなく、自分の収入を安定させることが、1円でも多く手に入れることが、最優先課題です。上級国民と下級国民が生まれたのは、先生方が頑張った結果です。国会議員に支払われている費用は、全額、国民の皆さんが納めた税金なのに、国民の皆さんは「太っ腹な、いい人」を演じ続けています。どうして、そんな心情になれるのか、変人の私には理解が出来ません。
ほんと、頭が下がります。
感心しているとか敬意を表しているという意味で頭が下がるのではありません。悲しくて、ガッカリして、うつむいて、頭が下がるのです。皆さん、どうぞ、勝手に、ドツボにはまってください。ただ、子供の皆さん、ごめんなさい。

今回の問題は、文書交通費だけの問題ではありません。
公設秘書の費用として、3000万円が支払われていますが、公設秘書がやっているのは、選挙のための仕事です。与党の場合は、政策立案は官僚がします。野党は、政策の立案なんてしません。議員立法があるじゃないか、と言う人もいるでしょうが、議員立法で成立する法案なんて限られています。立法事務費は、議員が勝手には使えないようですから、文書交通費と公設秘書費が選挙運動に使えるカネです。4400万円が選挙費用です。中には、選挙以外の私的な用途に使っている人もいるようですが、4400万円の大半は選挙対策費になります。既得権益を手放す国会議員なんて存在しません。
与党の大物であれば、政治パーティでカネを集めることが出来ますが、そうではない人が政治パーティを開けば赤字になります。個人献金の風習はありません。政治家に献金する場合は、カネを持って行くほうも「欲」と二人連れで行きます。見返りの見込めない献金をする人は、とても、少ないと思います。ほんの少しだけ、個人的に、趣味で、政治家を応援する人はいますが、その程度のカネでは選挙を戦えません。
これは、選挙に問題があるということだと思います。
「政治にカネがかかる」のではなく、「選挙にカネがかかる」のです。
政治家は、政治活動をしているのではなく、1年365日、選挙活動をしているのです。
私達は、彼等の選挙活動を支えるために、税金を納めています。
選挙制度を変えなければ、国会議員の費用は変わらないということです。
しかし、国会議員に選挙制度を作らせたら、どうしても政治家の利益追求が優先されます。多数決で勝てる与党の法案が優先されるのは、火を見るよりも明らかです。
ここは、思い切って、国民の公募で選挙制度を改正するべきです。
もちろん、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義と、「国家運営とは、国会議員とは、選挙とは」という定義が必要です。目的と責務が明確になれば、特定の政党や、特定の政治家に有利な選挙制度にはならないと思います。もちろん、選挙の方法も提案してもらい、できるだけ費用のかからない選挙制度にする必要があります。
そうすれば、議員に支払っている4400万円は、不要になります。
テレビ放映がある予算委員会では見かけませんが、それ以外の委員会では、居眠りする議員、スマホばかり見ている議員、本を読んでいる議員がいるそうです。国会議員の数は、今の半分になっても問題ないと言う人もいます。実際に政治をしている国会議員、百歩譲って、政治をしているように見せているだけの国会議員の数をカウントに入れても、それほど多くはありません。議員定数という考え方も変える必要があると思います。

「国家運営とは、国会議員とは、選挙とは」という言葉の定義をすれば、論点が整理されると思います。
もっとも、そんな時間が残されているとは思いませんが、それでも、最後まで努力を続けることは、崩壊後の日本人に対する礼儀だと思います。
以前にも、議会のあり方について提案したことがありますが、文書交通費の問題は、歳費の問題だけではなく、政治のあり方、国会のあり方、選挙のあり方、を問う問題であり、それは、憲法の問題でもあります。まさに、文書交通費は氷山の一角が、ほんの少し見えたことで問題になっているのだと思います。
「一票の格差」問題でも、自民党は揺れています。二階元幹事長は「人口が少なくなっていく責任は誰にあるのか。そこに対する反省やどう対応するかということが全然なくて、数だけ言うのはおかしいじゃないか」と言っています。多分、「悪いのは、子供を産まない女が悪い」と言いたいのでしょうが、「反省するのは、お前だろう」と言いたいです。これは、老害です。こんな老人が、この国を動かしているのです。これは、個人の資質の問題ですが、政治のあり方、国会のあり方、選挙のあり方の問題であり、憲法の問題です。その根っ子にあるのは、言葉の定義であり、目的と責務の欠落だと思います。
参議院不要論もありました。
ここは、システムの再構築をする時代になっているということだと思います。
国家運営を請け負っている人達も、国民の皆さんも、一人残らず、自分の責務を知った上で、新しいシステムを構築する必要があります。
偽物の民主国家ではなく、本物の民主国家になれば、多くの国民の皆さんが、この国を守ってくれます。
理想論に聞こえると思いますが、他に道はありません。
他に道があるのであれば、是非、提案してください。


2022-02-02



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