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記事紹介 37 [記事紹介]



4/9付 フィナンシャル・タイムズ紙の記事を紹介します。
表題は 本格始動するアベノミクス 一歩たりとも間違いが許されない綱渡り




日本は20年間ためらった後、ついに経済の綱渡りに挑み始めた。これは大胆であり、かつ必要な取り組みだ。綱渡りにはリスクもあり、日銀は少しぐらつきながらその第一歩を踏み出した。
 新総裁の黒田東彦氏が率いる日銀は先週、大規模な量的緩和プログラムを新たに打ち出した。安倍晋三新首相の経済対策「アベノミクス」を初めて実行に移した格好だ。

正しい診断書と正しい治療法

 アベノミクスの目標は、世界で最も難しい経済問題を解決することにある。
 実のところ、日本は3つの経済問題を抱えている。これらは互いに絡み合っており、1つだけ切り離して対処することが不可能な均衡を生み出している。
 3つの経済問題とは、デフレ、低い経済成長率、そして財政赤字への構造的な依存である。
 安倍氏を見ているとわくわくするのは、彼が正しい診断書と正しい治療法を手にしているからだ。デフレには金融緩和で対処する。民間需要の回復への道筋をつけるために財政支出を増やし、後でこれを引き締める。そして構造改革を進めて経済成長率を引き上げる、というのがその骨子だ。
 これらを一度に、精力的に、そして必要な時間を十分にかけて実行すれば、日本経済は今の停滞から抜け出せるかもしれない。

日本が歩まねばならない狭い道

 15年前、10年前なら、いや5年前でも、このような施策が成功するチャンスはあっただろう。しかし年を追うごとに、一方ではデフレが続いたり、他方では債務危機が発生したりしたことで、日本が歩まねばならない道の幅は狭くなってしまった。
 これはアベノミクスを試みない理由にはならない。試みなければ惨事は避けられない。日銀のこれまでのためらいが本当に腹立たしいのは、そのためだ。しかし、ミスは許されない。
 その理由の1つはデフレ期待の根深さに求められる。物価下落の罠から脱出しようという過去の試みはいずれも、消費者がデフレ期待にどれほど強く捕らわれているかを示す結果に終わっている。
 2005年を思い出してほしい。円相場は1ドル=118円というレベルにあり、現在の97円よりかなり円安だった。日経平均株価はこの年だけで40%上昇して1万6194円に達した(現在は1万2833円)。
 日本以外の国々は好景気に沸いていたし、当時の小泉純一郎首相は選挙で構造改革を訴えて再選された。日本経済はそれでも持続的なインフレには戻れなかったのだ(確かにこれは、日銀がその後に利上げを行ったためでもある)。
 日本のトレンド成長率は、人口が高齢化するにつれて低下している。また苦しい時代が何年も続いたことで、国内総生産(GDP)比の純公的債務残高は135%に上昇した。日銀がこれから取る行動はすべて、信用できる財政政策と矛盾しないものでなければならない。

理想的とは言えない日銀の第一歩

 こうした懸念を考慮すると、日銀が先週踏み出した第一歩は理想的なものではなかった。
 黒田氏は今回、大規模かつ従来型の量的緩和(QE)策を国債市場で打ち出した。株式や不動産の購入額も増やす計画で、こうした施策を物価上昇率が2%に達するまで続けると公約している。
 規模の面ではいいスタートを切ったと言えるが、目に見える結果が出てこなければ人々の期待は変わらない公算が大きいし、巨額のQEも銀行システムに潜む罠に捕らわれる可能性は残る。
 政府が財政赤字を出し続ければ、国債を買っている日銀はリスクにさらされることになる。さらに、QE自体には構造改革を促す効果はない。前日銀総裁の白川方明氏は慎重ではあったものの、構造改革を熱心に促そうとしたのは適切だった。
 日銀が次に取るべき施策は実物資産の――特に株式の――購入を大幅に増やすことだろう。具体的には、銀行と事業会社が持ち合っている株式を買い取ればよい。安倍氏と黒田氏は、日銀への株式売却は義務だと日本企業に告げるべきだ。
 このようにして株式の持ち合いを解消すれば、競争も促されるだろう。納入業者に自社の株式を5%保有されているということがなければ、その納入業者からほかの業者に乗り換えることは容易だからだ。
 また持ち合いを解消すれば、銀行が株式市場から受ける影響も小さくなるだろう。日銀のキャッシュは事業会社に直接流れるし、そこで配当を支払うよう圧力をかけておけば、株主にもキャッシュが流れる。
 さらに、日銀の国債購入の態勢と財政政策の進捗とをリンクさせておけば、安倍氏の側にも財政に対する有用な緊張感が生まれるだろう。
 安倍氏はまた、株高と円安が政策発動の余地を作り出している間に結果を出さなければならない。といってもそれは、同氏から統治の権限を奪う無用な政治的痛みを意味するものではない(日本の首相のイスは壊れやすいのが常だ)。
 経済面の成功で得られた政治資本はほかのことには使わず、経済面での次の成功を手に入れるために使うことをはっきり示すべきだ、という意味だ。
 消費税率の引き上げ(現行の5%を2~3年以内に10%に引き上げることになっている)は、予定通り実施すべきだ。これによる財政引き締めの効果をほかの施策で短期的に緩和することがあったとしても、引き上げの延期などはすべきでない。
 貿易の環太平洋経済連携協定(TPP)には参加すべきだし、日本の女性が仕事と子育てを両立できるよう支援する政策も自民党内の保守派の意向に関係なく推進すべきである。日銀いじめはアベノミクスの中でも容易な部分だった。今後は安倍氏がもっと難しいことに取り組む様子を見たいところだ。

破綻を経験することなく問題を解決する最後のチャンス

 もし経済統計が日本と同様な数字を示している国があったら、恐らくその国はとっくに危機に陥っているだろう。
 しかし、日本には目を見張る強さがあり、それゆえに脱出する道が残されている。世界トップクラスの輸出企業と巨額の貯蓄、そして社会に連帯感もあるこの国では、困難な改革も常に可能なのである。
 日本が破綻を経験することなく経済問題を解決できるチャンスは、今回が恐らく最後だろう。いよいよ綱渡りが始まった。人々は固唾を飲んでこれを見守っている。一歩たりとも間違いは許されない。




余談です。
この記事に全面的に賛成しているのではありませんが、日本という国を外部から見た時は、ごく自然な見解だと思います。
「 日本が破綻を経験することなく経済問題を解決できるチャンスは、今回が恐らく最後だろう。いよいよ綱渡りが始まった。人々は固唾を飲んでこれを見守っている。一歩たりとも間違いは許されない」
この、記事の最後の文章こそが、言いたかったことなのではないかと思います。
ただし、これも社交辞令にすぎません。他国のことですから、「日本は崩壊するしか選択肢はありません」などと言えないのです。多分、海外では「日本は終わった」と思っているのが本音なのだと思います。
国内でも「成長戦略こそがアベノミクスの成否のカギを握る」という解説は一般的にも言われていることです。
しかし、今年の1月に書いた「アベノミクス」でも言及しましたが、3本の矢の1本とされる成長戦略という矢は、幻の矢だと書きました。それは、成熟国家には、もはや、過去に体験したような成長戦略が見当たらないことによるものです。これは、日本だけに限ったことではありません。
ある専門家の方は、4本目の矢を用意しろ、と言っています。それは、財政再建という政策です。念仏のようにプライマリーバランスのことを言っているだけでは財政再建にはならないとも言っています。
百歩譲って、20年前であれば、通常の成長戦略でも、それなりの効果は期待できたのかもしれません。でも、今、求められている成長戦略は超ウルトラ成長戦略なのです。通常の成長戦略でさえ実行できなかった国が、突然、超ウルトラ成長戦略を手にすることができるのでしょうか。残念ですが、勝負を挑む前に勝敗は決まっているようなものです。
紹介記事にもありますように、これは、この国にとって最後の挑戦となります。確かに、失敗は許されません。でも、失敗することは、既にわかっていることです。もちろん、この5月か6月に発表される政策を待つ必要はありますが、私の予感では「焼け石に水」的な、自称成長戦略が発表されるのではないかと思っています。以前に試算しましたが、この国に求められている成長戦略は、短期間でGDPを3倍にする戦略です。そんな超ウルトラ成長戦略が存在するとは思えません。
では、この国に必要なのは、成長戦略ではなく、縮小戦略なのでしょうか。
しかし、これも今は絵空事に過ぎません。
現実的には、痛みのない縮小戦略はありません。それは、借金の大きさが原因です。縮小すれば縮小するほど、借金の大きさは大きくなるのです。縮小戦略をとるためには、先ず、借金を返さなくてはなりません。そのお金は国民資産しかありません。たとえば、今年中に預金に資産税を課して、全額借金返済に充てれば出来ないことはありません。預金1円につき1円の税金を課せばいいだけのことです。でも、これをやれば、流石の日本人でも暴動を起こすでしょう。企業だって、倒産します。しかも、こんな無茶苦茶な国家運営ができるとしても、この1~2年以内しかチャンスはありません。
だから、今の国家運営は、じわじわと、気付かないうちに、崩壊まで持っていくことが求められているのです。私達は、進むことも、退くことも出来ない場所にいるのです。
成長戦略も超ウルトラ成長戦略も縮小戦略もありません。ですから、インフレを使って国家を崩壊させようとしている国家運営は、理に適っているとも言えます。選択肢がないのですから仕方がありません。「せめて、崩壊を迎えるまでは、知らせないでおこう」という親心なのかもしれません。
でも、この国民を騙すやり方が国民のためになるのでしょうか。誰か、真剣に縮小戦略を考えたのでしょうか。今こそ発想の転換が必要なのではないでしょうか。
巨額の借金のことを考えれば、縮小戦略は無謀だと思われるかもしれません。しかし、そこに小さな光はないのでしょうか。
縮小戦略は、確かに苦しいし、痛みも大きいでしょう。他の民族では乗り越えられなくても、日本人なら乗り越えられるのではないか、と思うのは買い被りなのでしょうか。
どう考えても、ほんのかすかな光であっても、いや、光はまだ見えていなくても、私の直感は縮小戦略の方向へ目を向けろと言っているのです。もちろん、石田の直感なんて、何の価値もありません。でも、選択肢がないのですから、初めから縮小戦略を捨てるのは間違っているように思えるのです。アベノミクスで国民が盛り上がっている時に、大変申し訳ないと思うのですが、そんな時だからこそ、もう一度考えてみる必要があるのではないかと思うのです。
「れば・たら・もし」は「あの時、こうしていたら」という過去の選択を元に戻したいという願望です。確かに、時間は戻せませんから何の価値もありません。でも、時間が過去になる前の今だから、選択肢は捨てるべきではないと思うのです。
ですが、縮小戦略の「し」の字もこの国にはありません。
私は、そのことを大変残念なことだと思っています。
ま、奇人・変人の類いの石田の言うことですから、気にしないでください。


2013-04-17



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