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アンバランス [評論]



もう聞き飽きたかもしれませんが、アベノミクスの危険について、また書きました。この時期、こんな下らない評論を書く馬鹿は他にいませんので、多分、誰も信じてくれないと思いますが、時間があれば読んでみてください。
最初に、石田の意見は国民の立場が最優先になっています。政治も行政も司法も国民生活のためのものである、という観点から書いていますので、新聞やテレビの意見とは少し異なっています。国民にとっては、国家の存続は欠かせないものですが、存続のために国民を犠牲にするという発想ではありません。もちろん、ここはユートピアではありませんので、国民が何の不自由もなく、ぬるま湯につかっているような心地よさが必要だと言っている訳ではありません。国民が相応な犠牲を払う必要があることは否定しませんが、それはあくまでも、納得できる必要性でなくてはなりません。権力者の利益のために国民が犠牲になるのは、納得できる必要性ではないと考えています。

さて、国の進む方向性は政治が決めます。
この国では権力が二重構造になっていますので、単純なことではありませんが、理論通りに政治が国の方向を決めているという前提で考えてみます。
自民党政権が復活し、安倍政権が発足し、アベノミクスと言う経済政策が打ち出されました。国家にとって、最大の仕事は経済問題です。ですから、安倍氏の中に若干不純な動機が隠されているとしても、経済問題を最初に取り上げたことは評価しなければなりません。
安倍氏の経済政策はアベノミクスと呼ばれています。政権発足後、私は、ずっと、アベノミクスに反対する立場をとってきました。それは、アベノミクスが必ず失敗に終わると確信しているからです。更に、その失敗は国民を苦しめる結果になると思うからです。
今でも、反対です。個別の部分で反対意見は書いてきましたので、今日は全体として反対の理由を書いてみます。ただし、私は学者でも専門家でもありませんので、庶民感覚での理由を書きます。
アベノミクスが失敗すると確信している理由は、「アンバランス」です。
この国が大胆な経済政策を必要としていることは、多くの方が認めています。
大胆にもいろいろありますが、窮地に追い詰められている日本にとっては、驚天動地というほどの大胆さが求められています。あっと驚く金融政策が発表されましたが、偶然出された訳ではありません。
アベノミクスは、金融政策と財政政策と成長戦略で成り立っています。
金融政策では、大胆な政策を決定しました。
資金供給量を2倍にするものです。前代未聞の大胆な政策です。ただし、この金融政策が的外れなものであることは、ここでは無視しておきます。
問題は、残りの財政政策と成長戦略です。財政政策と成長戦略でも大胆な政策を打ち出すのであれば、バランスは取れていますので、成功の確率は低いとしても、成功の可能性がないわけではありません。
では、財政政策で大胆な政策とは、どんな政策でしょう。
日銀総裁が2倍という数字に拘っていましたので、その数値を当てはめてみますと、財政政策の場合は、歳出を1/2にするという大胆な政策です。
また、成長戦略で大胆な成長戦略とは、どんな戦略なのでしょう。
それは、GDPを2倍にするという驚異の戦略です。
しかし、財政政策と成長戦略に、上記のように大胆な政策が出てくる可能性があるのでしょうか。
私は、ありえない、と思っています。
そもそも、政策の重要度から言えば、第一に成長戦略、第二に財政政策、第三に金融政策の順番です。3番目の金融政策だけが突出していることが、成功に繋がるとは思えません。逆に、このアンバランスは、必ず歪みを生み出します。これを世間では副作用という言い方をしています。何もしないよりは行動すべきだと考えがちですが、副作用が事態を悪化させるのであれば、何もしない方がましな時もあります。
アベノミクスは、この国を再生させるのではなく、アンバランスで生じた歪みが首を絞める結果になると思います。
ごく普通の感覚でこの経済政策をみれば、無理があることくらいわかります。でも、多くの方が、そのことに言及することを避けています。メディアは自己規制しているという記事も読みました。日本では、新聞やテレビの報道が正しいと信じている人がほとんどです。政府の発表をそのまま国民に伝えることが仕事だと思っているメディアの報道を信じる国民にも問題があります。これだけ飼い慣らされた民衆は、どこを探しても見つからないのではないでしょうか。日本人は、家畜状態です。
専門家は、過度な金融政策に副作用があることは知っています。歳出の半減が出来ないことも承知しています。GDPの倍増が不可能だということも知っています。でも、それを指摘しません。
どこか、変ですよね。
何が、変なのでしょう。
それは、アベノミクスの本当の目的が国民に伝わっていないからだと思います。
何度も書いて申し訳ありませんが、この経済政策の目的は経済再生ではありません。
政府が宣伝する経済再生という言葉を信じることが間違っているのです。思い出してください。政治家は嘘をつくことが仕事なのです。真に経済再生が目的であれば、これほどのアンバランスは生まれないと思います。規模のアンバランスだけではなく、順序も正しくありません。
しかし、この経済政策の真の目的が別のところにあるのであれば納得できます。
その真の目的とは、財政破綻の「一時的回避」です。
国民には知らされていませんが、日本の財政はいつ破綻しても不思議ではない状況になっていると考えなくてはなりません。デフレ脱却の金融政策という表看板ですが、内容は国債の買い入れです。金融機関の持っている社債や株を買っても資金供給は可能だと思いますが、なぜか、国債の購入です。国債は日銀が買い取るしか選択肢がなくなったのです。
この先、財政政策と称して行われる社会保障費削減や増税も、国民負担の増大でしかありませんが、これも財政破綻の「一時的回避」が目的です。
回避ではなく「一時的回避」だということが、国民にとっては問題なのです。「一時的回避」というのは、わかり易い言葉で言えば「先送り」です。国民が苦しんで、苦しんで、それでも、その苦労は報われずに、最後には破綻することになるのです。
そんな馬鹿な、と思うかもしれませんが、少し別の見方をしてみてください。
今日まで潰れなかったことの方が奇跡なのだとすれば、政府が慌てている理由も見えてきませんか。この国は、過去の遺産のおかげで、ここまで持ち堪えてきたのです。
しかし、それも限界に来たようです。それは、こんなアンバランスな政策を実行しようとしていることが証明しています。アベノミクスは偶然の産物ではありません。アベノミクスという看板を掲げてでもやらねばならない必然があるのです。

なぜ、この国はここまで追い詰められてしまったのでしょうか。
それは、国家像の喪失と国民意識の劣化と物理的な人口動態と国家統治機構の硬直化によるものだと考えられます。この国には国家像という目標がありませんので、ひたすら、過去の延長線を守ろうとします。時代が変わっているのですから、そこには無理が生じます。ですから、多くの歪みが多くの分野で「危ないぞ」という信号を出しているのです。
あらゆることが、国家崩壊という一点に収斂してきています。阪神淡路大震災も東日本大震災も無関係ではないかもしれません。この先に発生するであろう南海トラフの三連動巨大地震も関係してくるのかもしれません。
人間社会では、千年に一度なのか、一万年に一度なのかはわかりませんが、こういうことが起こり得るのです。それは、文明崩壊と呼ばれています。
時の流れは、人間の力で変えることは出来ません。人間は追いつめられると、その流れを加速するような行動をするものです。
これは、運命なのだと受け止めることが正解なのかもしれません。

ここで「れば・たら・もし」を書いてみます。
今年(2013年)革命政府が樹立されていれば、かすかではありますが国家崩壊を回避するチャンスはあったかもしれません。もちろん、国民が無傷で済むとは思っていません。それでも、レベル5は可能だったかもしれません。レベル5でも充分苦しいですが、レベル9よりはよかったのではないかと思います。
日本人には奇跡を起こすチャンスがあったのです。
もちろん、これは「くりごと」です。


2013-04-18



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