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記事紹介 36 [記事紹介]



4/9付 イケダハヤト氏の記事を紹介します。
表題は 社畜と家畜の共通点



巷でよく言う「社畜」って何なんでしょうね?と思ったので、家畜との共通点を洗い出してみましたよ。

飼われている

家畜は牧場主に飼われています。
毎朝エサ場に行けばたらふくご飯を食べられますが、何らかの事情でエサが与えられなくなったら、家畜たちは右往左往します。弱った足腰では、柵を超えて生き延びることすらできないでしょう。そもそも、「牧場の外に出ること」すら頭に思い浮かばないかもしれません。
社畜は雇用主に飼われています。
毎朝オフィスにいけば毎月給料が与えられますが、何らかの事情で給料が与えられなくなったら、社畜たちは右往左往します。弱った足腰では、会社の外に飛び出して生き延びることすらできないでしょう。そもそも、「会社の外に出ること」すら思い浮かばないかもしれません。

搾取されていることに気付いていない

家畜は搾取されていることに気付きません。毎日エサを与えてくれる牧場主に感謝すらしているかもしれません。
しかし、牧場主は利益を最大化するため、家畜たちを無機質に殺していきます。家畜たちが、自分たちは「商品」にすぎなかったことに気付くのは、死の瞬間においてです。
社畜は搾取されていることに気付きません。毎月給料を与えてくれる雇用主に感謝すらしているかもしれません。
しかし、雇用主は利益を最大化するため、社畜たちを無機質に「使い捨て」にしていきます。社畜たちが、自分たちが「労働力」にすぎなかったことに気付くのは、退職を強要される瞬間においてです。

いつクビを切られるかわからない

家畜は、自分のクビがいつ切られるかを知ることができません。動物的な鈍感さのために、彼らは毎日をのうのうと暮らします。
社畜もまた、自分のクビがいつ切られるかを知ることができません。理性がある社畜たちは、「いつクビにされるんだろうか…」と怯えて暮らすことになります。

群れている

家畜は基本的に群れています。牧場主は、管理のしやすさを追求し、意図的に同質な群れをつくります。
社畜は基本的に群れています。雇用主は、管理のしやすさを追求し、意図的に同質な群れをつくります。
社畜たちは家畜と違い、群れのなかで相互監視を行います。「あいつは群れに合わないヤツだ」と判断された社畜は放逐され、群れの同質性はさらに高まっていきます。

現状に満足している

家畜たちは、現状を疑うことをしません。言い換えれば、現状に満足しているのです。彼らはこのまま飼われつづけたいとすら願っています。
社畜たちは、現状を疑うことはあれど、行動することをしません。言い換えれば、現状に十分満足しているのです。彼らはこのまま飼われつづけたいとすら願っています。
現状に満足している社畜は「俺は社畜だからさ」と自虐的に語ります。そのことばを吐くたび、彼らは行動から一歩遠ざかります。自分の位置を、自分で認めてしまっているからです。
このブログをお読みの方々は、「社畜」からは遠い存在でしょう。会社に「飼われる」ことを全否定するわけではありませんが、これからの時代はかなりリスキーだと思います。「会社の外をいつでも飛び出していけるだけの力」を持っておくべきでしょう。




余談です。
イケダハヤト氏はネット上では、そこそこ有名な人だと思っています。もちろん、立派な人格者だと言っている訳ではなく、話題性がある人なのではないでしょうか。
前回紹介した谷本真由美氏の本でも社畜という言葉は出てきました。誰が、この言葉を作ったのかは知りませんが、上手いこと考えるものです。私が谷本真由美氏の名前を知ったのもイケダハヤト氏の記事からです。
ネット上で、当たり障りのない記事を書く必要はない、とまでは言いませんが、メジャーメディアが堕落しきっているこの国では、当たり障りのある記事を書くことこそネットメディアに求められていることのようにも感じます。
日本の元気のなさを指摘する文章は多見されます。私も何度となく書きました。特に、若者の目に、キラキラした輝きやギラギラした光が見えません。
社畜と言われる日本のサラリーマンだけに限らず、国民が活き活きとしていません。それは、多分、国民の官僚化が進んでいるからではないかと思っています。冒険をしない。マニュアルに支配される。周りを刺激しない。小さくまとまる。数え上げればきりがないほど官僚化の兆候は挙げることができると思います。それは、この国の親分が官僚ですから、仕方ないのかもしれません。でも、官僚の真似をしていれば、小さな間違いはしないかもしれませんが、大きな間違いをしてしまう危険があります。時代の流れは、官僚や小人には見えません。気が付いた時は、地獄に堕ちていたということもあるのです。

やはり、この国には革命しか選択肢は残されていないように思われます。
私は、ブログに文章を書いていますからネット界の片隅にいるのは間違いありませんが、ネット界の流行にはついていけてません。有名人の谷本氏やイケダ氏を取り上げたのは、少しだけ同じ臭いがしたからだと思っています。彼等は、罵詈雑言一派と呼べるかもしれません。この罵詈雑言グループの底辺には「これでいいのか、日本人」という焦りがあります。石田にもその焦りがあります。2chにも、表現方法は少し違いますが、その焦りはあります。でも、残念ながら、このグループは「キャンキャン」と吠える小型犬のような印象もあります。
なぜなら、騒ぐだけで、吠えるだけで、解決策を提示できていないからです。ずっと、必要なのは哲学と思想だと書いてきましたが、これは簡単ではありません。世界を動かす哲学と思想は、人類滅亡までの人類史という視点で見てみると、この21世紀以降にその哲学と思想が生まれる可能性は非常に低いと思っています。一つ生まれれば大成功です。
ですから、少し限定して、哲学と思想に代わるものとして、新しい国家像の発見が出来ればいいと思うようになりました。私達は、その新しい国家像を、未だに発見していません。罵詈雑言が増えるのは、それが原因なのだと思います。
では、煩い小型犬は必要ないのかというと、そうではありません。逆に、もっともっと「キャンキャン」と吠える小型犬が必要です。日本中が罵詈雑言で満たされた時には、新しい国家像が、無理矢理にでも生まれるかもしれないからです。それがなければ、革命は起きません。もちろん、まだ間に合うと言っているのではありません。これらの、罵詈雑言にしても、革命にしても、最後の抵抗です。


2013-04-16



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