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葬送民主党 [評論]



民主党の凋落が止まりません。
国会で質問者の席に座った民主党議員は、自民党にあしらわれています。
鳩山氏は、何度も何度も離党をほのめかしています。
前原氏は新党構想を持っていると噂されています。
海江田氏には、存在感がありません。
誰も民主党が野党第一党だと思っていません。
党内のバラバラだけは、堅持しています。
日教組だけは、支持してくれると思いますので、党名を教祖党と変えるべきでしょう。
今日は、民主党消滅の前に反省会をしてみようと思います。
私達日本人は、反省会が苦手です。
「うやむや」にしてしまった方が自分も傷つきませんので、楽だということもあります。
日本歴史の中の「うやむや」を一枚の紙に書いて、それを重ねると富士山の何倍の高さになるのだろうと馬鹿なことを考えてしまいます。
この民主党反省会は、もちろん、当事者が反省会をするのではありませんから、何の足しにもなりません。ですから、これはジョークとして読んでください。

なぜ、こんなことになってしまったのか、その原因を見てみましょう。
原因の根っ子には、人間の心の弱さがあります。信念や哲学を欠いた人間が欲に流れるのは仕方がないことなのかもしれません。
ついに、政権党になれたという「驕り」が、民主党の良さを消し去りました。
周囲が、特に官僚達がひれ伏してくれたので、舞い上がってしまいました。
自分達が特別の存在だと、勘違いしました。実際には、勘違いさせられていたのですが、特に、大臣に任命された人は、それだけで、肩で風を切る尊大な風貌に変わりました。
官僚の要求に応えることが、自分を守ることだと気が付きました。その結果、自分の職務を全うするためには、国民目線ではなく、官僚目線にならざるを得なかったのです。
国民が期待した、民主党の最大の責務は、この国の仕組みを変えることでしたが、既存のシステムに呑みこまれてしまいました。
言葉遊びで政治が出来ると教えたのは松下政経塾かもしれません。最初から最後まで、この勘違いは是正できませんでした。
では、代表者である総理大臣を見てみましょう。
鳩山氏は、国連で「友愛」を説いて、世界から失笑を買いました。アメリカの大統領には「トラスト・ミー」と言って信頼を失いました。総理を辞めてからも、余計なことばかりして物議を醸しています。これは、総理の器ではない人間を総理にしてしまった悲劇です。
菅氏は、総理の席にいた時は、キレまくっていただけのヤンキーでした。この人も、総理の器ではなかった。総理を辞めて、また、お遍路をしているようですが、お遍路をするのなら四国ではなく福島でやれという声もあります。
野田氏は、消費税増税をやってしまいました。財務省のマインドコントロールに制御され、民主党を分裂させ、民主党議員の大量落選を実現させました。今は、全く音沙汰がありませんが、彼は、この民主党凋落についてどんな感想を持っているのか是非聞きたいものです。財務官僚は、野田氏をどう評価しているのでしょう。これも、聞いてみたいです。想像に過ぎませんが、野田氏は官僚に「シカト」されているのではないかと心配しています。
これだけ無茶をやれば、たとえ相手が心優しき日本国民だとしても、信頼を取り戻すことは不可能です。
でも、民主党の最大の罪は、国民を、駄目政党と評価されていた自民党に回帰させたことです。これは、日本にとって致命傷になりました。
もしも、仮に、国民の声や石田の提言や警告を聞くことができていれば、こんな不様な結果にはならなかったと思っています。多分、官僚の声しか耳に届かない体になっていたのでしょう。
しかし、私は、民主党議員を責めているのではありません。民主党の三人の総理大臣を責めているのでもありません。なぜなら、国民のレベルを凌駕するような人が政治家になる訳ではないからです。民主党議員も、三人の総理も、私の分身のようなものです。一番責められなくてはならないのは、私であり、皆さんであり、国民なのです。
国民のレベルの低さは、どうすることもできませんので、私達が地獄へ突き進んでいるのは、仕方がないことなのです。
私は、民主党の現状に対して葬送しているのではなく、こんなことになってしまうことを事前に気付かなかったことに弔意を表しているのです。きっと、民主党議員は、あの3年間の民主党政権は夢の中の出来事のように思っていることでしょう。未だに、傲慢な表情を残している議員は、まだ夢の中にいるのかもしれません。
彼等は、党運営ができなかったし、自己管理すら出来ませんでした。ですから、必然的に国家運営に失敗しました。
そして。
今。
また。
自民党政権が国家運営を間違えようとしています。
もう、手遅れですから、「くりごと」に過ぎませんが、政治家の諸君も、たまには国民のことを、国のことを考えてもらいたいと強く思います。
政治家と国民は、同じレベルだと書きました。と言うことは、私が警告しているようなことは政治家も理解しているということです。
では、何が違うのかと考えてみました。
それは「欲」以外にはないように思います。
「欲」を捨てるだけで、国民のための政治ができるのです。
でも、それが、無理なのです。
千代田区では、そんな政治家は受け入れてもらえません。
千代田区だけは、そういう仕組みになっているのです。
この国の最高権力者である官僚は、自分達の「強欲」を実現するために、政治家の「欲」を逆手に取る術を持っているのです。その術は、「欲」を持っていない政治家には効きません。ですから、無欲の政治家は官僚に嫌われます。そもそも、官僚の協力なしには何も出来ないのが政治家ですから、コントロールできない政治家には協力しなければいいのです。民主党政権の初期に、厚労大臣になった長妻氏を迎えた厚労省の態度を見ればわかります。長妻氏は、存在そのものが省益に反します。長妻氏は表面上の協力しか得られずに更迭されてしまいました。もちろん、更迭するように働きかけたのは官僚です。その後、幸いに、長妻氏のような政治家は出現していませんので、官僚支配には何の揺らぎもありません。
自民党は、長年、官僚に飼い慣らされることを当然だと考えてきましたから、官僚達も喜んでいるでしょう。自民党の議員は、誰がボスなのか知っています。
この国には国民参加の選挙制度がありますが、東京・千代田区では、選挙結果は何の効力もありません。千代田区固有の論理でしか政治は行われないのです。選挙と政治は、全く別の論理で行われるのです。選出された議員が官僚の支配下に入り、官僚のための仕事をするのですから、選挙そのものに意味がないのです。
この官僚支配システムは完成度も高く、盤石です。もちろん、彼等は国民の意識を低レベルに維持するための努力も惜しんでいません。そのために、メディアを子分として飼っているのです。彼等の許認可権には誰も勝てません。官僚にとって、日本の官僚組織は、世界最高のシステムなのです。封建制度が進化しただけのシステムですが、実に見事なものだと思います。これだけ素晴らしいシステムを構築することが出来る人達が、国民主権のシステムを作っていれば、世界一のシステムになっていたのに、惜しいことです。そうしなかったのは、彼等の「強欲」によるものです。これは「強欲」という力がどれほど強大なものなのかということでもあります。この官僚独裁政治の一番優れている部分は、この国が官僚独裁によって運営されていることを国民に気付かれていないことです。逆に官僚組織があるから日本は安泰なのだと思っている人がほとんどです。石田のブログを読んで下さる方にも、くどいほど書きましたが、諸悪の根源が官僚組織にあるという石田の主張は受け入れられていません。
部外者の私でも、惚れ惚れするほどのシステムです。
人間は人間の欲のために滅びる、という鉄則は生きています。私達は、彼等の強欲に巻き込まれて地獄へ堕ちるのです。ま、古来より、民とはそういう存在でした。でも、次の地獄は半端な地獄ではありません。それが、辛いです。
民主党の凋落や消滅は些細なことなのです。官僚にとっては、どの政党であってもコントロール出来ればいいのです。
でも、「くりごと」を一つ。
この国は、官僚独裁政治に胡坐をかいている場合ではないと思います。
最後くらいは、抵抗しなくてはならないと思います。このまま滅びれば、日本人は成仏できずに宙を彷徨うことになります。それは、日本人の美学に反します。


2013-03-14



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