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ほんとにデフレ [評論]



金融緩和、財政出動、成長戦略、デフレ脱出、インフレターゲット。それらを、マスコミはアベノミクスと呼び、日本に方向性を持たせることに成功したようです。
今では、反対論の方が劣勢です。
それでも、私は、これで日本が復活することなどありえないと考えています。
今日は、アベノミクスの原点になっているデフレについて書きます。

この日本の20年間は「ほんとに」デフレなのだろうかという疑問です。
デフレーションとデフレ現象とは同じものなのだろうかという疑問です。
ややこしいこと書いて、ごめんなさい。
ずっと、すっきりしていないのです。
何か違うという、棘が刺さったままの、非常に不快な気分なのです。
専門家でもないのに、こんな話題を書くことが間違いなのかもしれません。
経済学者から見れば「何を馬鹿なことを」といわれるかもしれません。
でも、どうしても、納得できないのです。
デフレ現象って、デフレーションの時にしか出現しない現象なのでしょうか。
デフレは貨幣現象だから、それを是正することが正しいやり方だと言われているようですが、本当に、この現象は貨幣現象なのでしょうか。
なんか、違うなあ、と思ってしまうのです。

たとえ、経済学者であっても、経済理論が完璧だと言う人はいないと思います。これからも経済理論は変化していくものです。経済理論に新しい一ページが追加されることなど驚くようなことではありません。
例えば、20年後に「国家衰退の一現象として、デフレ現象に酷似した現象が現れることがある。これは貨幣現象ではないので、金融緩和政策や財政出動政策は衰退を加速させる場合がある」という新しい経済理論が書き加えられることはないのだろうか。
私は、今の日本の状態を、国家衰退現象だと捉えることの方が納得できます。数多くの分野で、数多くのマイナス方向の現象が起きているのは、デフレのためなのでしょうか、それとも、国家衰退のせいなのでしょうか。そう考えると、日本の現状は、デフレでは説明がつかないのではありませんか。
インフレかデフレかという二者択一も正しくないのではありませんか。
先進国で国家崩壊するのは、日本が最初の事例になると思いますので、国家衰退は、経済学の書物にはまだ書かれていません。もちろん、経済学が万能でもありませんが、失敗ばかりしているこの国が、国として、デフレだと決めつけることは、また失敗に繋がるのではありませんか。この国が衰退国家になっていることは、まぎれのない事実です。では、貨幣現象でこの国の衰退が説明できるのでしょうか。
やはり、納得できません。

以前に「アベノミクス」という文章を書きました。
アベノミクスは成功しないとも書きました。
それは、アベノミクスが後付け理論だと思うからです。
安倍氏にとって、いや、自民党と官僚にとって必要なものは、二つだったと思います。
公共工事と、国債の日銀引き受けの二つです。
それを正当化するために構築されたのが、アベノミクスです。利用できる理論を総動員していますが、それは、絵に描いた餅にしかなりません。なぜなら、現実と整合していないからです。そこに、違和感が生まれるのです。
もしも、仮に、この日本の現状が国家衰退現象だとした時、アベノミクスの方向性は正しい方向を向いているのでしょうか。
後付けで追加した成長戦略という枕詞が、突然変異をして、国家衰退現象を乗り越える大ヒットになる可能性がゼロだとは言いません。でも、以前に試算したような800兆円もの成長戦略が、本当にあると思いますか。数年で、GDPを3倍にする成長戦略など、夢にさえなれないと思います。政府の経済予想では、2.5%の成長が目標です。長期目標は出していませんが、それでも、300%の目標を出すとは考えられません。
やはり、何かが違う。
どうしても、変です。
このまま、突き進んで、ほんとに、いいのでしょうか。
財務官僚は「では、あなたは、数年後に財政破綻してもいいと言うのですか」と言うかもしれません。そう言われれば、誰も首を振ることはできないでしょう。
でも、それも、やはり違うのではありませんか。
この国は、いつも、出発点で失敗してしまいます。宙に浮いているようなデフレという言葉を使い、現実を曖昧にしたことで、すでにボタンを掛け違っているのです。
この国は、デフレではないと思います。それほど、単純なものではありません。
デフレ現象は起きていますが、それは国家衰退の現象に過ぎないと思います。意図的に現状分析に失敗し、原因究明を避けて、自分に都合の良い対策だけを立ててみても、それは対策にはなりません。対策を間違えれば、国が消滅することだってあるのです。
私達は、明治維新の時から、世界一を目指してきました。
今、私達は世界の最先端を走っています。見事に世界一を勝ち取ったのですが、それが衰退と崩壊という分野で得た世界一なのは、不幸としか言えません。このまま、不幸の世界一を達成することに意味があるのでしょうか。


私達日本人の余命はあと13年ですから、関係ない話かもしれませんが、少し気の長い話を書いてみます。
人類史というか、地球史というか、そういう長期的なテーマから現在の地球を見てみると、人類は生存の最終フェーズにいるものと思います。昔から、世界は富の奪い合いをしてきましたが、それでも全体としては拡大してきました。全体の拡大傾向が終了し、富の奪い合いは直接的に個々の国の民衆に影響する時代を迎えています。この先は、今までより豊かになる国があれば、今までより貧しくなる国が出てきます。世界の国が揃って豊かになるという時代は、もう来ません。その端的な例が、中国をはじめとするアジア地域の発展と、没落し始めた日本でしょう。シャープがサムソンから資金援助を受けなければならない状況を見れば歴然としています。
今後、この傾向は世界に広がります。先進国が低成長を余儀なくされ、発展途上国が発展する。アジアの次はアフリカだと言われています。
私達の国も、過去の栄華に縋りつくような発言を歓迎しているケースが増えてきました。これは、退化の兆しです。100年後、200年後、或いは1000年後を想定した時、国のあり方は違ったものにならざるをえませんが、まだ、過去の栄華を夢見ています。
今、私達がやっているアプローチは過去の想定の延長線上にあります。この線は、未来と交差することはありません。新しい想定とアプローチが求められているのです。
私には、これらのことを学術的に証明する力はありません。単なる直感です。でも、それほど的外れではないと思っています。


2013-03-15



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