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記事紹介 22 [記事紹介]


長文ですが、ダイヤモンド・オンラインの記事を転載します。

11/22ダイヤモンド・オンライン
表題「金融右翼が円を卑しめる。「国債の日銀引き受け」は暴論」
筆者 山田厚史 氏


「安倍相場」と囃され、安倍晋三・自民党総裁の悪のりが止まらない。タブーとされた「国債の日銀引き受け」を公然と主張するようになった。さながら街宣車で日銀に押し掛けるような荒っぽい論議である。

ちゃぶ台返し金融ポピュリズム

 選挙向けとはいえ、冷静で緻密であるべき金融政策に対して、「ちゃぶ台返し金融ポピュリズム」の登場だ。12月の総選挙では安倍自民党が第一党になる可能性が高いという。「金融右翼」が日本国通貨「円」を卑(いや)しめる時代が始まるのか。
 最近の安倍語録はこんな調子だ。
「かつての自民党とは次元の違うデフレ脱却政策を推進する」
「建設国債は日銀に全部買ってもらう」
「輪転機をぐるぐる回して、無制限にお札を刷る」
「日銀総裁には大胆な金融緩和をする人になってもらう」
 一連の発言は、近代国家が行き着いた「中央銀行の政治的独立」という大原則を頭から否定するものだ。金融に馴染みのない人には「中央銀行の政治的独立」がなぜ大事なのか、ピンと来ないかもしれない。平たく言えば「権力者に打ち出の小槌を握らせない」ということだ。
 権力者が小槌を振って、好き勝手に通貨を発行したら、どうなるか。
 紙幣は昔の金貨や小判みたいに、それ自体に価値があるものではない。紙幣の価値は政府の信用で維持される。例えば「1万円」と印刷された紙幣は「ブランド米15キロ」と同等の価値を持つという「共同幻想」の上に成り立っている。
 お札をどんどん印刷すれば、政府に対する信用がなくなり、やがて紙幣はタダの紙切れになる。
 財政難に陥った政府が、輪転機をフル回転して「ハイパーインフレ」と呼ばれるすさまじい物価上昇を招いた例は、世界にいくらでもある。戦争直後の日本がそうだったように預金や国債が無価値になり、庶民は生活の基盤を失い悲惨な暮らしを味わった。
 世界あちこちにそうした教訓があり「通貨発行は政府から切り離す。政治的独立が保証された中央銀行が行う」という決まりができた。
 政治家は政権維持や選挙対策で、輪転機を回す誘惑を断ち切れない。だから誤りを犯しやすい。「通貨発行を政府から切り離す」ことは、中国のような独裁国家は別だが、先進国で当たり前のことになっている。
 安倍自民党は、総選挙向け政策に「日銀法改正」を盛り込み、日銀に政治圧力を公然とかけ始めた。蔓延するデフレ・円高に決定打が打てない民主党政権に「大胆な金融政策」で対立軸を作ろう、という戦略だろう。
 野田首相は「禁じ手で、あってはならない経済政策だ」と反論した。安倍周辺は「民主党が土俵に乗ってきた」と喜んでいるという。

復活した安部総裁の経済ブレーン

「大胆な金融緩和」を真っ先に掲げたのはみんなの党だった。消費税増税に反対し、増税なき景気回復の柱として「日銀法改正も視野に入れた積極的な金融緩和」を掲げた。
 民主党内でも同様の動きが生まれ「デフレから脱却し景気回復を目指す議員連盟」が発足し、日銀に大胆な金融緩和を迫る緊急声明を出した。自民党は谷垣総裁のころは、消費税増税に邁進し、中央銀行の独立性を侵までして金融を緩和することに慎重だった。
 安倍総裁の登場で潮目が変わった。経済への助言者が変わったからである。安倍氏が首相だった時代のブレーンが復活した。安倍首相は小泉政権の継承者だった。小泉純一郎首相は消費増税には消極的で、規制緩和と金融緩和で景気を拡大させる、という新自由主義がもてはやされた。旗手は竹中平蔵氏、その盟友でいまは脱藩官僚となった高橋洋一氏がブレーンとして活躍した。
 小泉氏を引き継いだ安倍氏は竹中氏を頼りにしたが、安倍首相が政権を放り出し福田康夫政権になると竹中氏らはお役御免となる。格差拡大、貧困の増加などが社会問題になり、自民党も新自由主義に距離を置いた。
 小泉路線を継承したのは渡辺嘉美氏が旗揚げしたみんなの党だった。竹中・高橋両氏はみんなの党のブレーンになった。さらに竹中氏は橋下徹大阪市長に重用され、維新の会の政策に「日銀法改正を視野に入れた大胆な金融緩和」を盛り込ませた。
 そして今回、安倍自民党がこの路線を大々的に採りいれたのである。
 安倍氏自身は「自分の考えはほとんどなく、近くにいる人の言うことをよく聞く。問題は誰の意見を聞くかだ」と、元側近はいう。
 憲法改正や教育改革などは、親しい取り巻きがいるが、経済は明るくない。そこに知恵を付けているのが首相時代に接していた竹中グループだという。

異例!日銀総裁が反論

 大胆な金融緩和は米国でも採用され、こと新しい政策ではないが「国債を日銀に引き受けさせ、輪転機をぐるぐる回し、無制限な金融緩和を」とまで言うと、話は穏やかではない。
 日銀の白川方明総裁が「やってはいけないことの1番目に上げられていることだ」と反論した。「一般論として」と条件を付けているが、中央銀行総裁が首相になるであろう人物の発言に真っ向から異を唱える、という事態なのだ。
 国債が大量に発行されながら、国債の暴落が起きていないのは、庶民の預金が銀行を通じて国債に化けている、という日本の特有の事情がある。国の巨額の借金は国民の膨大な貯蓄が支える、という構造があるから、まだ何とかなっている。だが、日銀が輪転機を回してお札を刷って国債を買うようになったら「円」の信用は急速に失われる。
 ましてや、その国債で公共事業をバンバンやれば、日銀が赤字国債を無制限に引き受けて戦争を遂行したあの頃の二の舞になりかねない。
 円が安くなった、と喜んでいる場合ではない。ダイエットで痩せたと思ったら、実はガンだった、となる恐れがある。
 安倍総裁が言う「輪転機を回してお札を無制限に刷る」という政策は、「通貨を卑しめる政策」で、絶対にやってはいけないこと、とされてきた。そのタブーに挑戦して「強いリーダー」を演じ、自分のひと言が相場を動かした快感を弄(もてあそ)んでいるとしたら、安倍総裁は危ない政治家、である。
 3%のインフレ目標のはずが、天井知らずの物価高と国債の暴落を招く、という日が来ないといえるのか。恐いのは円高より、円を死に至らすような円安だ。

極論が出てくる背景にあるもの

 だが、「危険な政治家」「常識が分からないお粗末な政治家」と切って捨てれば済む話でない。一度退場した右翼的政治家が、再び舞台に上がってきた背景を無視することはできないからだ。
 20年も続く経済停滞、広がる格差、失業と非正規雇用の増加。そんな状況が、苛立ちと短絡的思考を増殖させている。
 以前だったら一蹴されている「国債の日銀引き受け」を政党の代表が堂々と叫ぶ背後には、「失業者が増えるデフレより、バブルだろうとなんだろうと、好景気がいい」というインフレ願望が潜んでいる。
 不況や格差社会の犠牲者である若者の間には、「インフレで資産を失うのは金持ちだ」という絶望感に近い破局願望が渦巻いている。雑誌のコラムなどにも、「ガラガラポンでしか日本は生まれ変われない」「焼け野が原から再生が始まる」といったガラポン願望が見られるようになった。
 欧州ではネオナチが拝外主義と結びつき、米国では「強いアメリカ」を叫びながら低所得者への支援を拒否するティーパーティーが一定の力を得ている。明日の見えない若者の間に、拝外主義や破局願望へと傾く素地が醸成されているのではないか。
「ネット右翼」が「金融右翼」を生み、「インフレ目標」「輪転機を回せ」と声高に叫ぶ時代にならない、と誰がいえるだろうか。
「今は選挙だから威勢のいいことを言っているが、安倍さんだって首相になったらバカなことはできませんよ」と霞が関の高官は言うが、インフレと同じように、過激な世論に火がつくと政治家もブレーキが効かなくなる。
 尖閣でも、金融でも、威勢のいい発言を繰り返す安倍総裁は、自分の言葉に政策が引きずられることにならないか。
 安倍新首相が打ち出の小槌を握るという事態だけは、避けたいものだ。





余談です。
金融政策に関しては、いろいろな意見があることは承知しています。
山田氏の意見が正しい意見だとは言いません。何が起きるのかは、実際にその場になってみなければわからないのです。
例えば、インフレターゲットは正しい金融政策なのでしょうか。
インフレターゲットは正しい、と認知されているような風潮ですが、国民は本当に納得しているのでしょうか。物価が上昇すれば、庶民は上昇した高い物品を買うのですか。いいえ、庶民は質を落とします。その安かった物品も値段は高くなっています。つまり、質を落とした物品を従来よりも高い値段で買うのです。インフレターゲットは、庶民の犠牲で成り立つものなのです。正しい金融政策と書きましたが、誰にとって正しいのかが明確になっていません。増税も給付の削減も、国民の犠牲で成り立ちます。国家破綻の最終的な責任は国民が取るのだから、前倒しで責任を取らされているのでしょうか。その前に、国家とは、誰のために存在しているのでしょう。もしかして、この国は民主主義国家だったのではありませんか。主権者だけが貧しくなっていく体制が民主主義なのでしょうか。
少なくとも、最終責任を取るのは国民であることを明確に示し、それを避けるために犠牲になってもらうと宣言すべきではありませんか。国民は何も知らないのです。知らなかった国民が悪いという論法はフェアではありません。
どんな行程を辿って日本が崩壊するのかは、いろいろな予測があると思いますが、行き着く先は同じ場所です。
例えば、現在の場所を大阪とします。崩壊の場所が東京だとすれば、東京へ行く方法はいろいろな方法があります。飛行機を使う。鉄道を使う。フェリーを使う。深夜バスを使う。高速道路を使う。一般道を使う。自転車でも徒歩でも行くことはできます。でも、移動手段は違っても、終着点は東京です。そこは、地獄です。
少なくとも財政破綻が起きる確率だけは、ほぼ100%に近いものと思われます。
財政破綻がハイパーインフレを引き起こすのか、銀行閉鎖になるのかは別にして、金融システムが破壊されることは避けられません。それは、国民生活の根底が破壊されるということです。
安部金融論が、亡国論になる確率は否定できません。
嘘つき野田が消費増税で一歩前進し、ヘタレ安部が金融暴走で更に一歩前進します。
崩壊へ、崩壊へと役者が揃うのはなぜなのでしょう。
嘘つきやヘタレが向かっているのは、どこでしょう。
そうです。
地獄です。
でも、山口県民はダイヤモンド・オンラインなど読みませんし、ましてや、石田の評論など読んでくれません。
ですから、自民党政権が復活することになるのでしょう。
15年という年月は、あっという間に過ぎ去ります。遠い、遠い、未来の話ではありません。
私には「まさか!!!!!」と言う日本国民の合唱が聴こえます。
確かに、自業自得ではありますが、余りにも芸がないと思いませんか。
自民党の政治家は金の臭いを嗅いで涎を垂らしている官僚に飼い慣らされたパブロフの犬です。なぜ、皆さんにはあの涎が見えないのでしょうか。
14年後には、国民の皆さんは増税と給付削減と景気低迷で、ヘロヘロになっています。
2000兆円もの借金を背負って国が倒産するのです。そんな財政破綻の衝撃に国民が耐えられるとは、とても思えません。
また、山田氏は、若者に破局願望があると書いていますが、破局願望というのは、一度破局しても、再生するという前提がある願望です。でも、日本の場合、再生はありません。破局すれば、数百年間は破局したままになるのです。想像してみてください。電気もガスも石油も石炭もありません。それでも、人間は煮炊きをしなければなりませんし、暖房も必要になります。燃料になる物は樹木です。はげ山になった日本で、もし、日本人が立ち上がったとしても、それは再生ではなく、新しい国家の創設なのです。現在の日本とは関係のない、全く別の国家なのです。そこに住むのは砂漠の民かもしれません。
老いも若きも、ボケているとしか思えません。
この国は、今、国家存亡の危機にあるのです。「自分さえよければ」をやっている場合ではないはずです。「お上」も「下々」も、利権集団も庶民も、全ての国民がこの危機に立ち向かわなければ、危機は崩壊へと繋がるのです。


2012-11-23



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