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お願いメール 2 [評論]



お願いメールの後半部分です。



2012-09-18
ここまで、危険に満ちた日本の課題について書きましたが、今日は、維新の会の危険に満ちた課題を書かせてもらいます。
結論から先に書きますが、人材不足が大きな課題です。
それは、維新八策の中身と完成度から感じるものです。
橋下さんは、直感の人です。もう少し踏み込んで言えば、直感を言葉に変えることの出来る人です。この才能は、誰にでも備わっているものではありません。
リーダーに最適な人間だとは言えませんが、条件付きであれば、リーダーをやっても許される人物です。その条件というのは、スタッフに恵まれる事です。彼一人の力では、限界があります。そのことは、橋下さんが一番感じていることかもしれません。
一人では何もできません。
織田信長の時代であれば、英雄が国を動かすことも可能だったでしょう。でも、今の時代には、英雄が出現する環境もありませんし、そんな人物が生まれる必然性もありません。
今は、チームで国を動かす時代です。
問題は、そのチームの質なのです。目標が大きくなればなるほど、チームの質が求められます。維新の会は、ここに課題を抱えているのです。残念ながら、このことが致命傷になる確率は非常に高いと言わざるを得ません。
自民党にも民主党にも人材はいないではないか、と言われれば、その通りなのですが、自民党や民主党と比較すること自体が間違いなのです。なぜならば、彼等にはこの国を変えることは、もう出来ないからです。それは、官僚の軍門に下ってしまったからです。スポーツじゃありませんので、一度負けた人間は、もう二度と勝つことはできません。
維新八策では、「私は、日本をこんな国にしたいのです」という理念が見えてきません。もしかすると、八策というスタイルを採用したことが失敗だったかもしれません。坂本竜馬は船中八策を作る前に、西郷や桂に対して自分の理想の国を語っていました。竜馬の船中八策は、独立したものではないのです。「唐突だ」という批判は間違っていません。これは、橋下さんだけの責任ではありません。彼を支えるスタッフの責任でもあります。
橋下さんの直感は本質を突くことがあります。でも、それだけでは一過性の話題で終わります。彼の直感を、体系にまとめ、理論武装するスタッフが必要です。その時、そのスタッフには苦言を含めて問題提起が出来なくてはなりません。そして、その理論を行動に移すための作戦を作る参謀役の人材が必要です。そこで初めて実働部隊が活躍できるのです。この思想家と参謀の質の高さがあって、初めて橋下さんを本物のリーダーにすることが出来るのです。勿論、実働部隊の意識の高さも必要ですし、重要スタッフ以外のスタッフの質も求められます。一人二人が突出していても、成功しません。
例えば、この意見メールを担当しているあなたにも、質の高さが求められているのです。この意見コーナーには数多くの意見が寄せられているでしょう。目を通すだけでも大変な作業です。でも、玉石混合の意見の中から、維新の会の将来を左右する意見を選別し、どのように役立てていくかは、あなたの感性で決まるのです。
今、必要なことは、優秀な人材を仲間にする事です。少なくとも、今日までは、そのことに成功しているとは思えません。念のために言いますが、合流する国会議員の話をしているのではありません。彼等は選挙戦略に必要な人数ですから、顔は貉に見えたとしても、議員バッジさえ持っていれば誰でもいいのです。
理想論だと言われるかもしれませんが、既成概念の中に浸かっている人ではなく、出来れば若者に注目してもらいたいものです。古い人を集めても、今まで以上のことは為し得ないと思いませんか。ここまでに集まった人達を見ていると、失敗へと続く道に一歩踏み出していることは否定できません。でも、まだやり直しは可能です。今なら。


2012-09-19
日常的に、権力者による論点のすり替えが行われているのをご存知でしょうか。
「素人に何が出来る」「政治のプロに任せろ」という声があります。特に現職議員や、官僚に依頼されたと思われる人達からの声が多いように感じます。
彼等は、プロに任せた結果が、この崩壊寸前の日本だということを、まるで忘れたかのように平然としています。多分、ほんとに気付いていないのでしょう。勿論、一部の人は承知の上で、言論統制をしようとしているのですが、私達には見えません。
私達は、政治という言葉が、意味を失ってしまったことにも気付いていないのです。
自称プロは「なあなあ」「まあまあ」がプロの技だと思い込んでいます。
違いますよね。
結果を出すのがプロです。
戦後67年間の結果が、このボロボロになった現在の日本です。結果を出していないのですから、過去の政治家はプロではなかったのです。議員バッジをつけて、10年間永田町にいれば、それがプロだと思い込んでいるだけです。
戦後日本は、67年間かけて、先祖がえりをしてしまったのです。悪代官と越後屋の世界に舞い戻ってしまいました。
「お主もワルよのう」「いえいえ、お代官様には敵いません」「ハッハッハッハッ」
永田町と霞が関は、利権の巣窟になりました。気がつけば、官僚達が利権を一人占めしている状態になり、政治家はその利権のおこぼれを貰うために官僚の前で土下座をしているのです。江戸時代の末期にも同じような現象がありました。官僚にとっては、今がわが世の春です。プラスがあればマイナスがあるのがこの世の常です。結果、国民は、日々貧困へと向かっています。それでも、国民は官僚の一の子分(自民党)を復帰させようとしているのですから、国民にも責任はあるのですが、悪いのは騙されている国民より、騙している官僚の方だと思います。
この腐りきった日本を変えるのは、簡単なことではありません。
でも、変えなければ、国民は地獄の苦しみを味わうことになるのです。
問題は、素人かプロではありません。志があるかないかなのです。
政治という言葉の意味を忘れた人達に政治を任せておいてはいけないのです。
維新の会の皆さん。
皆さんには、ほんとに、志がありますか。
皆さんには、強い意志がありますか。
皆さんの強みは、そこにしかありません。
理不尽な戦いが始まります。
皆さんは、官僚との戦いという意味を理解していますか。
ヤワな志では、戦えないことを今から理解しておいてください。
私の目からは、皆さんが理解しているようには見えないのです。
志もなく、意志もなく、理解能力もなく、「自分さえよければ」と考えている人が多いように見えてしまうのです。
ご自分の利益を考えていませんか。
政治家になるということは、見知らぬ国民のために命を捨てるということなのです。
他人のために自分の命を捨てる、という意味がわかっていますか。
とても、心配です。
皆さんは、権力を倒そうとしているのですか、それとも、権力に擦り寄ろうとしているのですか。権力者の力は強大です。そのことを、知っていますか。
とても、心配です。
間違いなく、理由のない圧力がかかってきます。その圧力を跳ね返すだけの志がありますか。弾圧という言葉は日本にはないと思い込んでいませんか。
とても、心配です。


2012-09-20
論点のすり替えは官僚が最も得意とする手法です。
「橋下政治は、ポピュリズムにすぎない」というネガティブ発言があります。
日本では、ポピュリズムが衆愚政治と翻訳されています。大衆による愚かな政治という意味です。
この発言の、論点のすり替えはどこにあるのでしょう。
隠されている言葉を表に出してみましょう。この言葉の隠し方も巧みなものがあります。
「橋下政治は、民主主義政治ではなく、衆愚政治に過ぎない」となります。
国民は「そうなのか」と思ってしまいます。
この「・・・に過ぎない」という言い方は、「そんなことしてたら、ひどい結果になりますよ」という言外の意味が込められています。
でも。
なぜ、民主主義政治と、衆愚政治が比較されているのでしょう。
ここに論点のすり替えが行われています。
私達日本国民は、日本が民主主義国家だと思い込まされていますが、私達の国は民主主義を実践したことなどありません。民主主義とは、国民主権主義です。主権者である国民だけが貧しくなっていくシステムが民主主義なのですか。
実は、国民主権は、官僚主権にすり替わっているのです。
官僚による、官僚のための政治が行われているのがこの国の現実の姿なのです。
本来であれば、官僚利権主義政治と、衆愚政治が比較されなくてはならないのです。
このままであれば、日本は崩壊するのですから、官僚利権主義政治で崩壊するより、衆愚政治で崩壊した方が国民は納得できます。
この国では、民主主義について真剣に考えたことがありません。
残念なことに、選挙制度さえあれば、民主主義だと思い込んでいる人が大半です。
日本国民の大きな勘違いは、日本の権力構造に関する誤解です。
権力構造の頂点にいるのは、政治家ではありません。下から見ると雲に隠れていて、国民には見えませんが、真の権力者は官僚なのです。政治家には選挙による浮き沈みがありますが、官僚は誰の審判も受けることなく君臨し続けることが可能です。選挙制度は何の役にも立っていないのです。それは、自民党政権から民主党政権になっても、何も変わらなかったことを見れば一目瞭然です。
国民の一人一人には、一票の投票権しかありません。投票した相手が民主党のようなペテン師だったら、国民の一票は何かの役に立っているのでしょうか。しかも、投票して国会へ送り出した国民の代表が、実際には何の権力もなく、ただ官僚の下働きをやっているとすれば、選挙制度そのものが意味を持っていないのではありませんか。政治家が政治家として機能していないのですから、国民の政治不信は当然の事なのです。
維新の会の皆さん。
皆さんの敵は、自民党でも民主党でもありません。官僚です。
この強大な権力者に勝つことは容易なことではありません。
それでも、官僚を制圧しなければ、何も出来ないことを理解して下さい。
他のことは後回しでいいです。この出発点を間違えれば、全てが無駄になります。
改革と革命の違いを述べましたが、巷にあふれる橋下批判は、改革を前提に成り立っています。改革という観点からみれば、彼等の言っていることも的外れではないものもありますが、では、改革で日本が変わるのでしょうか。現状認識と将来展望が、これだけ現実離れしていていいのでしょうか。改革で何とかなる段階なのですか。
この国がやらねばならないことは、無茶や無理を承知の上で革命をするしかないのです。
そのためには、崩壊後の日本の姿を国民に知らせる事です。


2012-09-21
日本維新の会は世論の後ろ盾がなければ、何も出来ません。
個々の国民にとって不利益なこともしなければなりませんし、風がいつまでも吹き続けるわけではありません。
衆議院だけではなく参議院も過半数を取らなければ法案は成立しません。既成政党はどの党も既得権益者です。彼等は、志で動くのではなく利益で動きますから、政策協定を結んではくれません。
この先は、もっともっと、世論の後ろ盾が必要になります。
そのためには、夢を語ることも必要ですが、地獄を語らなければ本物の応援はしてくれません。
ポジティブな応援が理想ですが、ネガティブな理由でも応援せざるをえない状況が必要になるということです。
そのためには、崩壊後のこの国の地獄を国民に見せるしかありません。
福島原発事故の時でも、権力者は、民がパニックになることを防ぐために、あえて公表しなかったと言いますが、それは国民の生命と財産を守るためですか。
違います。それは、自分達の権力を守るためでしかありません。
権力者は、自分の体制を守るために、体制にとって不利になることは隠します。財務省は財政破綻のシミュレーションもしていますし、財政破綻の結果もわかっています。でも、それは、どんなことがあっても国民に知られては困る事なのです。なぜなら、一番被害を受けるのは国民だからです。民が反乱すれば、官僚は利権を失うからです。
「このままだと、皆さんは、こんなひどい目に遭うのですよ」と知らせれば、国民は革命を容認せざるをえません。あらゆることが比較によって決まのが人間社会です。天国と地獄を比較すれば、天国が選ばれます。地獄の度合いが、弱・中・強とあれば、人間は弱を選択するのです。今の日本人は地獄の存在も、地獄に強弱があることも知らされていません。そんなぬるま湯の中で、正しい判断ができるのでしょうか。
まだ、形ははっきりとは見えていませんが、橋下さんの言っていることも、維新八策も、改革で出来ることではありません。実は、皆さんにもまだ理解できていないのかもしれませんが、日本維新の会は革命がしたいと言っている政党なのです。橋下さんでさえ、まだ改革と革命の中間にいるのかもしれません。これでは、改革も革命も、どちらも出来ません。
日本の現状を直視し、将来を見る目を持てば、やらねばならないことは見えてきますし、それを隠さずに伝えれば、この国の国民は理解する力を持っています。
財政破綻の危機を回避出来たとしても、やらねばならないことは山のようにあります。でも、潰れてしまえば何も出来ません。先ずは、国を潰さない事です。
ポピュリズムだと揶揄されてもいいのです。政治は、結果的に国民を、国を救うことができればいいのです。
くどいようですが、国民世論の後ろ盾は、日本維新の会にとっては必須の条件です。
我欲で政治をしても、国民はついてきてくれません。
先ず、維新の会の皆さんが「俺たちは革命をするのだ」という認識を持ってください。
その上で、国民の直面している危機を正しく国民に知らせてください。
他に方法があるとは思えません。
誰だって命は惜しいのです。地獄を這いずり回るような未来は望んでいません。
このままだと、日本は必ず崩壊します。
大阪都構想のために、国政に足をかけるという段階は、もう終わっています。
国を変えれば、大阪も変わります。地方分権だって出来るのです。
次の衆議院選挙で過半数が取れなければ、維新の会の未来はありませんし、大阪都構想が実現することもありません。維新の会にとっては、今が正念場なのです。
このことが、皆さんには、まだわかっていないように見えます。
30年後、50年後を想像してみてください。世界も日本も大きく変わっているはずです。過去の延長線上には何もないことを知らねばなりません。国の舵を切るのは政治の仕事です。


2012-09-22
我欲の芽は維新の会の内部で育ってきています。それは、合流した国会議員の表情に表れていますし、その毒素は拡散すると思われます。永田町では、国家や国民という言葉が、金や権力や名誉に翻訳されているようです。
一度、既成概念を外してみませんか。そして、新しい仕組みを作ってみませんか。最適な仕組みが、どんなものになるのかは、まだわかりませんが、いろいろと挑戦するしかないのではないかと思います。
例を書いてみます。これが最適な仕組みかどうかはわかりません。
一つの選挙区を3人のグループにします。大阪を例にとりますと、市議1人、府議1人、議員1人でグループを構成します。市議のAさんは、市議、府議、議員の順番で立候補し、府議Bさんは府議、議員、市議の順番で、議員Cさんは議員、市議、府議の順番で立候補します。選挙の時期により、いろいろな組み合わせが必要ですし、人数も3人では難しいかもしれません。議員を衆議院と参議院にわける必要があるかもしれません。
後援会は、3つ出来ますし、地方分権を考えれば国政と地方自治の垣根が越えられるかもしれません。
過去の常識では、議員秘書をやって、地方議員になり、国政に立候補して国会議員になる。すごろくで言えば、国会議員は「上がり」です。その結果、国会議員は、自分の再選しか念頭になくなります。その上に、世襲が出てきます。
政治も政治家も、ドン詰まりまできているのです。国や国民のことよりも、自分のことが優先するのは人間ですから仕方がない面があります。
国会議員になったら、一生国会議員でいると誰が決めたのですか。何のために国会議員になるのですか。これも、就職の一部なのですか。自分の生活を豊かにする手段に過ぎないのですか。こんな簡単な疑問も忘れられているのです。自民党の安部氏が「維新には人材がいない。我々のような経験がない」と言っていましたが、経験が必要とされる時代もありますが、今は志が必要な時代です。彼には、そのことがわかっていないようです。
3人グループのような既成概念を壊すような新しい仕組みは非難の的になることでしょう。でも、橋本さんが「国の仕組みを変える」と言った第一弾になるかもしれません。国民の支持があれば、いいのです。要は、国民のためになるかどうかが基準になればいいのです。それが政治の持っている使命であり価値です。国会議員になって利権を手に入れることが政治家の仕事ではないはずです。少なくとも、今はその時ではありません。
しかし、このような仕組みも含めて、事前にグランドデザインの中に入れておかなければなりません。そのためには、自由な発想と、それをシステムに取り込む勇気が求められます。その基本になるのは、想像力です。そして、それが維新です。
生物学的には、人間は他の生物に比べて格段に弱い存在です。その人間が地球上で君臨しているのは何故なのでしょうか。それは、多分、想像力なのだと思います。このことは人間社会という狭い範囲でも有効なのではないでしょうか。
民主党政権を見てください。彼等は、事前に何の想定もしていなかったために、目先の問題解決に四苦八苦しました。その結果は、目先の問題さえ解決できない政権になったのです。これは、明らかに、想像力の欠如です。彼等には、国家像も理念もなく、言葉だけが先行し、その上、想像力もなしに政権を担当しましたので、最低の自民党政権よりも、さらに不幸な結果を招いたのです。今では多くの国民が、嘘つき民主党と言っています。
民主党も昔は「国の仕組みを変える」と言っていました。とんでもないペテンです。
維新の会も、同じ轍を踏みたいと思っているのですか。
もう少し時間はあります。
まだ、修正は可能です。
何度も書いて申し訳ありません。
維新の会には大義が必要です。我欲にも負けないほどの確固たる大義です。既存の国会議員の助平根性を常識にしてはいけません。
1年後3年後を、想像してみてください。失敗に終わる維新の会の姿が見えませんか。
私には、今のままでは、失敗は必然に見えます。維新の名が泣いています。
維新の会の挑戦が失敗すれば、この国は終わるのです。


2012-09-23
国政に携わる政党として出発したのですから、この先は、あらゆる妨害工作が日本維新の会を揺るがすことになります。
官僚が橋下手法を歓迎していないことは明白です。彼等は、他の政治家と同じように、維新の会の国会議員にも官僚の下働きをしてもらいたいと強く思っています。それができない政治家は潰すしかないとまで考えていることでしょう。官僚にはその力があります。それが、権力です。国政政党として活動を始めれば、そして、維新をなそうとすれば、革命でしか為し得ないことを知ることになるでしょう。その時、革命と改革を混同しないようにしてください。現状を追認すれば革命にはなりません。維新という言葉は、革命と同義語だということはご存じだと思いますので、これは念のためです。
メディアによるバッシングもひどくなります。
新聞社、テレビ、評論家、コメンテーター、数え上げればコバンザメはもっといるでしょうが、彼等は権力者の手下であり、利権集団の立派な構成員です。
つい最近、増税法案が成立しました。新聞社は増税賛成のキャンペーンを横並びでやっていました。その新聞社は、見返りとして消費税の特例措置を申請しています。評論家やコメンテーターのところへは財務官僚が個別に反対しないように説得する訪問をしました。評論家は評論を書くだけでは食べていけません。何らかのメディアに採用されなくてはお金になりません。コメンテーターもテレビ出演出来なければ、お金になりません。メディアは飴と鞭によって、権力にコントロールされています。権力に擦り寄ることで金が生み出されるのです。権力者にとって、世論操作は必須の業務です。中国ほどのあからさまな弾圧はしていませんが、操作していないわけではありません。
証拠はありませんが、世論調査の数字も捏造されていたと思っています。
社会保障と税の一体改革というキャッチフレーズで始められた増税ですが、社会保障の充実だとは誰も言っていませんし、社会保障という言葉が枕詞であることは、周知の事実です。増税が財政再建のためでもないことは、新聞社の人間なら常識でしょうし、「アレシナの法則」くらいメディアの人間なら知っています。今や、日本のメディアは官僚をサポートする利権集団のメンバーです。増税の目的は官僚利権の温存であり、それが自分達の利益になると思うから、官僚の要求を受け入れるのです。
東京に行けば、周囲は全部敵だと思ってください。
多分、いたる所から「カネ、カネ、カネ」という声が聞こえてくるでしょう。
問題は、維新の会の皆さんの「我欲」です。
必ず、裏切り者が出てきます。
私は皆さんに「志はありますか」「強い意志は持っていますか」と問いかけました。自信を持って「ある」と答えられる人は一握りの人達だけでしょう。
それでも、敢えて、我欲は捨ててくださいとお願いしなければなりません。
ま、無理でしょうが、お願いします。
我欲は、権力者の標的になります。そして、あっけないほど簡単に撃ち落とされます。
権力者にとって、一番厄介なのは欲のない人間です。
そんな人間にしか、革命はできません。
9/13から今日まで、11回も無茶なお願いや提案をしました。大変失礼なことも書きました。維新の会の皆さんにとっては聞きたくないこともあったと思います。でも、これは皆さんへの期待の裏返しだと受け取ってください。
私の勝手な予測ですが、2026年に日本は崩壊します。そこは、地獄です。
今でも、この国は、もう半分壊れています。何も知らずに地獄へ連れて行かれる大勢の人達。一部の人間の強欲のために、なぜ、これほど多くの民が苦しむことになるのですか。なぜ、私達は、そんなことも見えなくなってしまったのですか。こんな悲しいことがあっていいのでしょうか。私達の、人としての、誇りはどこへいったのでしょう。
長い歴史の中には、襟を糺さねばならない時があります。今が、その時です。
皆さんのご活躍を心から期待し、私のお願いを終わります。



2012-11-21


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