SSブログ

記事紹介 14 [記事紹介]



JBPRESSの8/25付の記事を紹介します。
表題は「地方自治におけるトヨタ自動車、下條村の堅実経営」
筆者は川嶋諭氏です
紹介記事の中で赤字になっている部分は石田が勝手に加工したものです。


本国政府だけでなく大半の地方自治体が多額の借金地獄に苦しむなか、下條村には基金が44億5000万円もある。基金は家計で言えば貯蓄に当たる。下條村は人口が4000人ちょっとだから、住民1人当たり100万円を超える“貯蓄”があることになる。
BIS規制が呼び水となった「地方自治のバブル」
 これは前回紹介したユニークな施策によってコストを徹底的に抑えてきた結果である。もちろん、コストを抑えたからといって住民サービスが低下したわけではない。
 若い子育て世代が下條村に住み着いていることが如実に示しているように、住民サービスも極めて手厚い。
 ムダなコストは徹底して省き、住民サービスを手厚くする。それだけではなく、万一のときに備えて貯蓄もしっかりとしておく。
 「地方自治のトヨタ自動車」。そう呼んでもおかしくないのが下條村の経営なのである。それを可能にしたのが、村長である伊藤喜平さんである。
 伊藤村長は1992年に誕生する。このタイミングがいまから考えると絶妙だった。20年前を少し振り返ってみよう。このときから日本はバブルが崩壊して暗くて長いトンネルに入るからだ。
 1989年に破裂したバブルの後処理のために日本銀行は急激な金融引き締めに転じ、さらには当時の大蔵省(現財務省)が総量規制を実施したことも引き金となって、我が国の経済はデフレに突入する。
 悪いことは重なるもので、国際決済銀行(BIS)による規制が1992年から実施されたことで(これも日本のバブルが原因の1つだったが)、金融機関は自己資本比率を高めるためにゼロリスクとされた国債の保有にひた走り始めた。
 一方、デフレ対策のためにゼロ金利政策を採った政府は、国債発行コストが低くなったことから箍(たが)が外れたように赤字国債を乱発するようになった。こうして国債の発行者と引き受ける側の利害が一致、日本は赤字まみれの国へと転落していった。
 国の赤字が増えるだけならまだしも、国はこともあろうに地方にも多額の借金をさせるような施策を採った。いわゆる“ひもつき”の地方交付税と呼ばれるものだ。
 地方自治体に地方債を発行させ、景気対策の名の下に公共事業を乱発させた。その地方債が償還を迎えたときに地方交付税を上乗せしてあげると約束したのだ
 地方にとってみれば、ほぼゼロコストで公共事業ができるのだから、多くの自治体はこれに飛びついた。しかし、よく考えてみれば、大きなハコモノを作れば維持費も多額になる。建設費は国が補助してくれても維持費は自前で毎年支出し続けなければならなくなる。
 つまり、日本経済はバブルが崩壊してデフレ経済に陥ったとき、地方自治では別のバブル経済を引き起こしたわけである。そのツケがいま日本の地方に重くのしかかっているのだ。
 下條村の場合、そうした地方自治のバブル経済が発生しようという段階で幸いかな伊藤村長が登場した。企業経営で培ってきた目には、国の政策が奇異に映り、バブルに踊ることがなかった。
 しかし、周囲がバブルに踊っていれば踊りたくなるもの。人と違うことをするのは日本では非常に勇気がいることだ。変人扱いされることもある。なぜ下條村は堅実経営ができたのか。今回はその理由を伊藤村長と地方財政の第一人者である大和田一紘さんに聞いた。

どうして多くの自治体には「必ずやって来る危機」が見えなかったのか?
川嶋 
伊藤さんが村長になられた1992年は、日本経済のバブルが崩壊してデフレ経済に向かうまさにそのときですね。何かおかしいぞと思い始めていましたが、国民のほとんどは多少景気が冷えただけで、日本の成長はまだまだ続くと思っていましたよね。
大和田
 ちょうど同じ時期に、交付税特別会計が赤字を生み出し始めるんです。1991年の赤字は7000億円程度だったのが、今じゃ34兆円にまで膨らんでしまった。
 地方交付税を身の丈よりもどんどん増やすということは、公共事業をやらせるってこと。つまり国に特別の政策がなかったということです。公共事業をやらせれば地方は豊かになるだろうという、いつもの発想ですよ。
 で自治体はといえば地方交付税だけでは足りないから、地方債を発行して借金をどんどん増やすことになる。国も地方も出費を増やして、それで効果が上がればいいんですが、そううまくいくはずもなく・・・。
川嶋 
本来は構造改革によって新しい日本をつくるべきだったのに、為政者もバブル崩壊を気楽に考えていたわけですね。それまでと同じ景気対策をすれば景気は持ち直すと。
 しかし、実際には日本は改革が迫られていたわけで、公共事業にカネをばら撒くことは逆効果でしかなかった。結局、政府の間違った施策に乗った市町村は国と同じように雪だるま式に赤字を増やしたわけですが、下條村は乗りませんでした。なぜそれができたのでしょうか。
伊藤
 家計でも村の会計でも、数字は同じだわな。足し算、引き算の単純な話だ。内需喚起だ、景気浮揚のための公共事業だと言われても、分不相応なことには危なくて乗れるわけがない。
 政治家のみなさんはそれぞれ立場もあるし、わが身可愛さがあるから、どうしても良い格好をする。それを当てにしたら痛い目に遭う。信頼していいのは、一番シンプルな数字だけだ。
 下條村はそういう形でやってきて、おかげで基金は今もかなりある。
大和田
 基金というのは積立金、家計で言えば貯金のようなものですね。下條村の基金は平成22年度で44億5000万円近くあります。
伊藤
 ひところは県の担当者が、あんまり良い決算をすると交付税が減りますよと言った。だから財政調整基金は表面上少なくしとけと指示しとったよ。まあ、幼稚な指導をしたもんだと思うよ。そういう国家を欺くような担当者が実際におったんだ。
川嶋
 しかし下條村は交付税を減らされてもいいと、覚悟を決めてちゃんと決算したんですね。
伊藤
 減らされるときを見越してな。
川嶋
 小泉(純一郎元総理)さんが三位一体という形で地方財政の改革を始めたのは2001年ですが、伊藤村長はそういうときがいずれ来ると分かっていたんですね。
伊藤
 もしものときのためにちゃんとストックしとけ、財務体質を含めて社内の体制を強固にしとけという話だ。商売をやってたら、そんなのはイロハのイなのにな。
大和田
 自治体というのは意外に、財政を長いスパンで考えないところがあります。その場しのぎでやっているから、貯金がどれだけあればいいのか分からない。
 過去の財政運営を見て浮き沈みを知っていれば、そんなことは分かるはずなのに。
川嶋
 ここが日本にとって大きなポイントですよね。日本の役所は3年4年で担当が変わって、責任を持ち越さないから、政治がリーダーシップを取って長い目で見た施策を打たなければならない。お役人にすべてを丸投げしているいまの民主党政権に日本を良くできるわけがない。

地方交付税はよくできた制度。しかし打ち出の小槌ではない

大和田
 ただね、下條村をはじめとして、全国の自治体の中にはまともにやってるところもたくさんある。
 1つや2つなら変わり者、「例外」ということになりますが、そうじゃないんです。地方から国を変えるつもりで、こうした動きを整理してちゃんと世に明らかにすべきだと思います。
 北海道のニセコ町なんかは良い例です。地方分権こそが地方を変えるという信念のもと、十数年前から職員教育も含めて取り組んでね、黙っていたら過疎地になるようなところに移住する人が増えるまでにした。
 宮崎の綾町もそう。九州に行くと大分の湯布院の次に有名で、やっぱり人が減らない。そういうところには学ぶべき良いところがあるんですよ。
 下條村にしたって、なぜか若者が住み着くわけです。私の見るところ、要因は定住促進住宅の補助制度とか保育園とか、文化芸能交流センターとか。あとはハイテク企業をうまく誘致した飯田市に職場があれば、もう十分なんです。
 ちょっとした知恵があればこういう環境を作れるはずなのに、あまり数が多くないのは政治の貧困と言うしかないんですが・・・。
伊藤
 ここまできて本当に日本の体質を変えるには、この危機状態をオープンにして、国は国民に早く立て直さんとえらいことになるんだよということを教えないといかん。  現実はもう破綻がすぐそこまで来ているんだけども、「おれの目にはまだ天下泰平なんだ」と国民自体が思っている。
大和田
 平成の大合併を経験した自治体なら、じき猶予期間が終わることや財政への影響も大きな問題なのに、どこまで分かっているのか・・・。
伊藤
 全然分かっていない。今まで何とかなってるから、神風でも吹くと思ってるんじゃないだろうか。
大和田
 夕張だけじゃなくて、あと3つ4つ潰れた方がよかったかもしれない。夕張が社会に大きく貢献したのは、自治体だって破綻するということを世に示したことです。でも、1つだけじゃ例外的な存在だと片づけられてしまう。
川嶋
 米国ではカリフォルニア州を中心に次々と市町村が破綻しています。JBpressでも最近、それを報じるフィナンシャル・タイムズの記事を載せました。
 どうして日本はそうならないんでしょう。
大和田
 米国には地方交付税制度ってものがありませんから。
川嶋
 なるほど。自己責任が徹底しているということですね。
大和田
 日本の地方交付税制度は、どちらかというと北欧に近いんです。日本は国土が狭くて、平地はさらに狭いでしょ。そこに1億人以上の人がいるわけだから、離島や山の中の不便なところにも住んでもらわないといけない。
 今の地方交付税制度をやめるとね、人口が平地にばかり集まっちゃうわけです。そこいくと米国は、砂漠が多いにしても平らな土地が広い。これは大きいことなんですよ。
川嶋
 つまり日本の地方交付税制度は設計段階では非常によくできていたというわけですね。それがどこかでおかしくなり始めた。
伊藤
 本当によくできている。でも腹一杯やっちゃだめなんだ。満腹になると食欲がなくなる。安心して、どうにかなるわいと思ってしまう。
 そんな具合にこの制度は、自治体に希望というか依存心を持たせてしまった面がある。逆に言えば危機感を持たせるということがなかった。しかしもともとが打ち出の小槌じゃないんだ。
地方自治・財政を肌で学べる中学生議会を16年前から実施
大和田
 私はね、地方財政の学びのカリキュラムを小さいときからライフステージごとにやるべきだと思っています。
 スウェーデンではそれをやっているんですよ。小学校2年とか3年になると自分の町の財政規模はどれくらいなのかって。日本では、例えば下條村だって、いい大人に財政規模はどれくらいかを聞いてもきっと答えられないでしょ。
 日本では財政規模も分からないのに何となく「苦しいらしい」とか言う。自分の家計だったら、お財布の中身を把握しているから「今月は足りなそうだ」と分かるでしょう?
川嶋
 北欧型の地方交付税制度を入れるんなら、教育システムも入れないといけませんよね。なのに官僚に任せきりで、そういう勉強をさっぱりしない。
伊藤
 昔は学校の先生は郷土のことを教えたんだが、いまの先生は地元のことをよく知らない。だから「苦しいらしい」とかバーチャルな話にしてしまうんだ。
 だからな、うちの村では徹底して情報公開している。それに、実は昨日もやったんだが、中学生議会というのもやってる。
川嶋
 ほう。中学生が町議会を開くんですか。いつ頃から始めたんですか?
伊藤
 中学3年生が対象で、もう16年ぐらいになる。だから、下條村では中学生に財政規模を聞けばすぐに答えられる。村の問題点も指摘する。大人は無理だけどな・・・。
川嶋
 子供議会ではどんなことをやるんですか。
伊藤
 例えば文化ホールについて、これだけ金をかけたが収支はどうかと。あんまり使われとらんということなら、収支が合っとらんじゃないか、改善せにゃいかんとなる。で、もっと利用者を増やすにはこうしようというアイデアを出す。
 昨日は少子化対策や人口を増やすための策も出たな。下條村の人口は今までずっと伸びてきたが、今は4100人と4200人の間を行ったり来たりしてる。これは政策が息切れしているんじゃないか、どうなんだと。村長のおれにしてみればカチンとくる話だったけどな(笑)
 下條村が含まれる飯伊地域には、人口が減らない高森町というのが1つあって、あとは軒並み減る一方だ。今の時代、人口を減らさないなんて至難の業だからな。
川嶋
 下條村は出生率の高さでも有名ですよね。2003年から2006年の平均で2.04人。これがさらに上がらないと増えないってことですか。あるいは転入者が減った?
伊藤
 そういうこととな、去年、なぜかお亡くなりになるお年寄りが多かったこともある。
大和田
 僕が村長だったら、周りと比較してみなさい、もっと長いスパンで考えなさいと言うところですが(笑)。下條村の数字は立派なもんです。
伊藤
 中学生は本当にまじめだ。しかし先生たちは完全に労働者なんだな。忙しくてもこれだけはやらんといかんという情熱がない。昔ならクラブ活動っていうと、先生が必ず遅くまで指導したもんだが・・・。
川嶋
 本来、先生の仕事は頭を使って子供たちを育てることで、決まりきったことをやっていればいいという話ではないはずですよね。

教育長がいてもまどろっこしいだけ。「欠員」にして人件費節約
伊藤
 一般論として教育の中立性に鑑み、行政は口を出さないってことがあるが、冗談じゃない。教育委員会なんて得体の知れんものもあるが、まどろっこしくてうまくいかん。
 だからうちは教育長は置いとらん。と言ってもポストをなくすと怒られるから、欠員にしてる。形だけ置くにしても、年収1000万円超えるからな。その分はほかに使いたい(笑)
 校長さんとはよく会って、この役所の2階で一緒に酒を飲みながら話すが、村の行政のトップも学校のトップもだいたい悩みは同じだ。
 しかし、教育委員会が入ると、たいていの場合には校長や行政のOBが就く。そうすると、現役の校長たちはどうしてもその先輩に遠慮してしまう。

先生たちの間のタテ社会はすごいものがあるから、積極的に自分の考えで責任持って行動ができなくなるんだな。過去の人に昔は良かったいまはダメだなんて言われた日には目も当てられないわけさ。
川嶋
 欠員とは、よく考えましたね。見事な発想です。ポストは形だけ残しながら、しかし給料は払わずに済んでいる(笑)。世の中には守らなければならない決まりはあるけれども、すべて杓子定規に守れということではありませんからね。
 そういうアイデアを思いつくことが素晴らしいし、実行に移せるのは肝っ玉が据わっている。お話を聞いていて何だか清々しい気持ちになります。
 ところで、子供たちは村のこともちゃんと勉強してるんだから、先生にも少子化問題とか人口問題とか考えてもらわないと困りますね。
伊藤
 ダメだよ。彼らはイロハとか九九とか、そういうことしか教えん。先生がちゃんと勉強していれば、教育の場で言葉の端々に、郷土の話とか、コレは常識から言っておかしいとかおかしくないとか、そういうことがポロッと出てくるはずなんだ。
大和田
 今の先生には精神的なゆとりがないんですよ。昔と違って転勤が多かったりしてね。
 実は、日本のカリキュラムには小学6年生に1時間、中学3年に2時間、地方自治・財政の授業があるんですが、現場には地元の行政や財政のことを教えるだけの知識がない。
 赤本と呼ばれる教師のための指導書には議会費はいくら、総務費はいくらと書いてあるけれど、それは「A市の場合」といった一例であって具体性がない。
 それを子供たちに教える段階では、先生たちがその村や町の実例に直して授業すべきなんです。下條村の子供なら下條村の財政についてとか、自分の町について教えてもらわないと、子供たちはリアルに理解できないでしょ。
川嶋
 A市の例みたいに抽象化したら、受験勉強になっちゃいますよね。一夜漬けで試験のための暗記はできても、次の日はきれいさっぱり忘れてしまう。
大和田
 中学3年生の教科書には経常収支比率は地方財政のエンゲル係数とも言うという例えまで書いてある。でも先生が内容を分かっていない。
 私はこういうことを忙しい先生が教えるのは無理だと思う。その代わりに、例えば教育委員会の社会教育課とかがやってる生涯学習ってありますよね。ああいうカリキュラムを充実させたらどうか。
 リタイアした大人が山ほどいて勉強したがってるわけだから、教育委員会が人材登録して、出前で授業をやらせればいいんです。彼らは喜んで誇りを持ってやるし、実際にやってるところがあるんですが、子供たちにも好評ですよ。
川嶋
 財政の話ではないですが、以前、京都の教育改革を取材したことがあります。堀川の奇跡で有名な堀川高校の荒瀬克己校長や、当時は京都市の教育長でいまの京都市長である門川大作さんをはじめ小中学校もたくさん訪問しました。
 そこでは大和田先生の言われるように地元の方々が教育に参加されていて、子供たちみんな面白がっていました。そういう地元密着型の教育システムが必要ですよね。
 さて、最後にお聞きしたいのですが、6期目に入った伊藤村長の新しいプランは何かありますか。
伊藤
 目新しいことをあれこれやるのではなく、これまでつくってきた基盤をさらにボトムアップしたい。この前も公開討論の席で知事から「もうちょっと他の町村と足並みを揃えてもらえませんか」と言われたしな。
川嶋
 下條村はでき過ぎだから、スピードダウンしろということですか。それは変ですね。何だか小学校の徒競走で順位をつけるのが嫌だからみんなで手をつないでゴールしようというのに似ている。そういう発想が日本をダメにしていることが全く分かっていない。
伊藤
 もっともな。ほかの自治体からいろいろ言われる知事の気持ちも分からないでもない。でも、うちの村は急にスタンドプレーをやっているわけじゃない、これまで予想してやってきた中からにじみ出るもんなんだと答えた。
 知事だってそのへんは分かっているんだ。だからあまり目立たないようにやって実を取ろうと思っている(笑)





余談です。
下條村の話題は3回目です。
何か変だと思いませんか。
私には、当たり前のことをやっている下條村が特別な存在として記事になることの方が異常だと思えるんです。国民や住民にとって、間違った道を選んでいるのは、国であり、下條村以外の自治体なのではないでしょうか。
人口増加も、高い出生率も、健全な財政も、活き活きとした子供達も、本来は下條村の専有物ではないはずです。
借金にあえぐ国と、貯金をしている下條村。
この落差は、どこから生まれているのでしょう。
なぜ、日本の国や地方自治体が下條村であってはいけないのでしょうか。
答えは簡単です。
下條村になれば、利権という甘い汁が吸えなくなる人達がいるからです。
私達の税金は、どこへ消えてしまったのでしょう。
この答えも簡単です。
利権という闇の中に吸い込まれているのです。
これって、やはり、おかしくありませんか。
これは、誰が見ても国家運営の失敗です。
失敗の責任を取るのは、政治家でも官僚でもありません。
責任を取らされるのは、あなたです。
もちろん、私もです。
そして、一番辛い道を歩かなければならなくなるのは、子供達です。
何もしない私達大人は、今や、加害者なのです。


衆議院の解散総選挙が近いということで、大阪維新の会に注目が集まっています。
維新の会が維新八策を出すまでは、私も期待の眼差しで見ていましたし、このブログでも何回となく橋下氏を応援しました。しかし、維新八策には落胆しました。中身を見ると、ただの選挙用のマニフェストでしかありません。新しい政党なのですから、理念を掲げて欲しかったと思います。既成政党がどこも将来の国家像を示していないのですから、維新の会はチャンスだったのです。戦略のない集団だということが露呈してしまい、大変残念に思います。これ以上、理念のない政党は、もう要りません。
維新八策は、余りにもスケールが小さくて、船中八策を作った坂本竜馬が気の毒です。あの維新八策では、この窮地から抜け出すことはできません。それどころか、逆に崩壊を早める可能性があります。
維新八策の最終版が近く表明されるようです。そこでは、是非、前文をつけてもいいですから、理念又は国家像を国民に伝えて欲しいと願います。その理念が、正しい財政再建に向かうようなものであれば、少しだけ期待が持てます。日本が乗り越えなくてはならないのは、先ず財政再建です。その上で、社会正義と経済の復活です。
政治家の視線も、国民の視線も根っ子を見ていません。そんな環境からこの国を変える政党が出現することはないと言われれば、言葉もありませんが、現状の維新八策ではそれを証明してしまいます。
以前にも書きましたが、維新の会は人材不足です。広い視野を持った戦略家がスタッフとして必要です。種々の発言や行動を見ている限り、そのような片鱗が見えてきません。
維新の会は地域政党からのスタートです。その最大のテーマは地方分権です。しかし、地方分権でこの国を変えることが出来ると考えている出発点そのものが間違っています。木に例えるなら、地方分権は一本の枝です。幹がなくては、木そのものが倒れるだけです。
従来の思考をもとに、何かを組み立てても何も変わりません。そのためには、現状を否定することから始めなくてはなりません。それは、現状を否定する新たな理念が求められるということです。目指すべき国家像があり、それに近づくための政策として地方分権が枝になるのであれば、立派な木になることもあるでしょう。
地方分権は幹にはなれないのです。
また、地方分権のやり方を間違えると、この国は簡単に沈没してしまいます。福井県や山口県を見ている限り、とても地方分権で国がよくなるとは思えないのです。全国の知事の8割は「予算が増えるなら、歓迎だ」と思ってる筈です。中央の利権が地方に拡散し、地方の利権が増殖する状態で、この国が持ちこたえられるとは思えません。
現在の地方自治体のあり様を是認した上に、地方分権という制度を上乗せしたとして、何かが変わるのでしょうか。いいえ、これは、とんでもなく危険な事です。
幹となる理念もなく、地方分権の定義もせず、腐敗防止システムも構築せず、市民の監視機能もなく、情報公開もせず、勢いだけでやってしまいそうな空気があります。情報公開を請求しても、黒塗りの資料が出てくるだけです。全国の市町村が下條村と同じなのではありません。下條村のような地方自治体は、10本の指があれば数えられる程度しか存在しません。
今だって、地方自治体には十分すぎるほどの腐敗があるのですから、地方公務員は更なる利権を手にするチャンスを待ち構えていることでしょう。その上、利権システム構築のノウハウを持った国家公務員も地方へやってきます。
地方分権にはお金がかかりますので、増税をおねがいしますと言われても、日本人なら納得してくれます。国家公務員の方を地方へお招きするのだから、立派な建物や宿舎や福利施設が必要ですから増税します。ついでに、地方公務員の待遇もよくしなければなりませんので増税します。天下り先を山ほど作らなくてはなりませんので、その費用も増税で賄いたい。あれやこれやで、増税します。
これでは、国民がいくら税金を納めても足りません。
根っ子を変えずに、形だけを変えても何も変わりません。維新八策からは、根っ子に切り込むような臭いはしていません。この国は、表面的に何かを変えれば立ち直れるような状況ではないのです。この国の症状は、瀕死の重傷なのです。どうして、そこから目を逸らすのでしょうか。近隣諸国の人達には、この臨終に近い日本の姿が見えています。「日本など、もう、たいした国ではない」と言っていますし、その言葉は間違っていません。そのことから目を逸らしているのは日本国民だけです。
今なら、中央の利権を切り捨てるだけで済みますが、地方分権をすれば、全国規模で利権の排除をしなければならなくなります。これは、前進ではなく後退です。
それでも、自民党よりは、多少ましなのかもしれない。その程度の大阪維新の会に、この国を立て直すことができるのでしょうか。いいえ、間違いなく潰れます。
全ての国民が適温に保たれた曖昧文化のなかで、流れに逆らわずに浮遊しているだけです。そんな日本人の中からは、英雄も英雄的政治集団も出現しません。「なるようにしかならない」という庶民の諦観は間違っていないのです。私達は崩壊と遭遇する運命なのです。
地の果てが有限であることを願わねばなりません。「崩壊との遭遇」で書いた状況も充分悲惨ですが、無限地獄は、辛すぎます。
仮に、維新の会が政権の一翼を担うような状況になった場合には、石田の予測は5年ほど早めなくてはならなくなるでしょう。どうしようもありません。


福島原発事故の高濃度核汚染物質の中間貯場施設の候補地として福島県の12カ所が提示されました。福島県民は踏んだり蹴ったりのいじめを受けているようなものですが、東北人ですから我慢して受け入れるかもしれません。
これらは、あの原発事故で発生した汚染物質の処理です。もっと大変な事業が残っています。それは、使用済み核燃料の中間貯場施設と最終処分施設です。さらに、この先、廃炉になる原子炉が出てきます。その最終処分施設も必要になります。その事を考えると、今回の政府方針が既成事実を作るための行動に見えます。
このまま原子力発電を続けていけば、日本人は核廃棄物の上で生活する日がやってきます。
この辺で終止符を打つべきではありませんか。
ここで、石田流の無茶な提案をしてみましょう。
核汚染物質も核廃棄物も現実に存在しているのですから、貯場施設は作らねばなりません。
難局に際して求められるのはリーダーシップです。リーダーシップの要素に「率先垂範」があります。今は、その率先垂範が必要な場面ではないでしょうか。
そのためには、先ず、東京都に核廃棄物貯場施設を作る事です。場所は、23区内がいいでしょう。23区内でも、千代田区が、できれば霞が関のど真ん中が一番理想的です。そして、全国の都道府県に貯場施設の設置を法律で義務付けることです。自分は犠牲になりたくないから、お前の土地に核廃棄物を埋めろ、というやり方は率先垂範にはなりません。先ず、最初に政府機能がある東京で貯場施設を作り、他の地域にもお願いするのが率先垂範なのではないでしょうか。東京の人達は、なぜ東京なんだ、と言うでしょう。では、今、なぜ、福島なのですか。福島原発がある場所だからですか。だったら、政府機能がある東京でも、理屈は通ります。
電力消費量では、東京都が飛び抜けて多いと思いますので、東京都が最も大きな核廃棄物貯場施設を作らねばなりません。
もしも、こんな無茶な政策が取られるとすれば、話し合いでは決着しませんので、最終的には籤引きくらいしか方法はありません。それであれば、国民全員の問題です。
全国規模で核廃棄物の施設が出来るのですから、自分の住居の横がその施設になることもあります。こんな提案がなされても、国民は原子力発電を続けたいと思うでしょうか。
自分の町や村に核貯場施設が作られるとなれば、他人事ではありません。
こうなれば、本気で国民的議論ができるのではないでしょうか。
どうして、こういう議論にならないのでしょう。
原発を容認し、太っ腹を演じている人達の尻にも火が付きます。特に、こういう人達は自分の利害には敏感なものです。そして、俺はずっと原発には反対していたと声高に言うでしょう。そんなことを、やりそうな人、あなたの周囲にもいると思います。
民主党の統治能力の欠如が大きな要因であることはまちがいありませんが、自民党時代であれば、水面下の交渉で乗り切ったのでしょう。
「今度だけは、泣いてくれ。この埋め合わせは、必ずするから」
これも、利権構造に特有な根回しです。自民党は、そうやって日本を壊してきたのです。
これで、いいのでしょうか。
福島の住民が言っていました。
「私達が、何か悪い事、したんですか」と。
皆が、「自分さえよければ」をやって、我慢した奴が損をする時代なのですか。
こんなこと、いつまでも続けられませんよ。


2012-08-29






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0