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資本主義の終焉 [日記]



アメリカの人口は約3億人で、その内の4600万人が貧困層だと判定されたそうです。就労人口は1億5000万人ですから、就労人口比ではかなりの高率になります。
アメリカの判定基準は、親子4人家族で年収22,113ドル以下の人を、単身世帯で11,139ドル以下の人を貧困層としています。現在の1ドル77円で、日本円に換算すると年収約170万円以下が貧困層に当たります。アメリカも貧富の格差が大きく、決して国民が豊かだとは言えません。
連邦政府も財政赤字で苦しんでいますし、各州政府も同じ苦しみを抱えています。失業率は9%で高止まりしたままですし、GDPもデフレ寸前の状態にあります。意図的にドルを下げることで生き延びていると言っても過言ではないでしょう。
軍事費の削減も表面化しています。過去のアメリカの繁栄が軍事力抜きではありえなかったということは世界が認める事です。そのアメリカが軍事力を弱体化せざるをえない状況にあるのです。基軸通貨としてのドルも強さを失いつつあります。これらの事態は経済成長の鈍化によるものです。これは、金融商品を錬金術として重用しすぎたためではないでしょうか。資本主義の行き着いた場所にあったのはバーチャル経済だったのかもしれません。サブプライム危機とリーマンショックがアメリカ経済に大打撃を与えました。
もし、アメリカ経済が日本化し、失われた20年を再現するようなことがあれば、世界が大きく変わることになります。特に軍事力のバランスが壊れることの影響は、世界に激動をもたらす危険があります。

現実的な観点から見れば、順風満帆の経済運営をしている先進国はありません。
このことは、資本主義経済が限界を超えてしまったと解釈しなければ説明がつきません。
その先頭を走っているのが日本です。
資本主義社会は、19世紀中頃にイギリスで始まったと言われていますが、日本では明治維新以降に始まったとされています。いろいろな変遷はありましたが、21世紀に行き詰まり、世界は革命を待っている状態だとも言えます。資本主義社会に明るい未来は存在していないのではないかと考える人が増えているのです。私達にはまだ見えていませんが、これは資本主義の終焉なのではないでしょうか。1世紀半にもわたって世界を牽引してきたのですから、大きな功績があると思います。功績は功績として、しがみつくことに意味はないのだと思いきる勇気が求められているのかもしれません。
何事もなく、時代が変わるということはありません。何かを変えようとすれば、或いは変わろうとする時、そこには大きな軋轢が生じます。しかし、いつの日か、どこの国も、この革命に挑戦せざるをえない時を迎えます。その革命に成功する国もあれば、失敗する国も出るでしょう。どちらにしても、大きな犠牲を覚悟しなければなりません。できれば、大三次世界大戦にならずに、新しいシステムが生まれる事を願います。随分前に混沌の時代と言いましたが、どうやら避けては通れない過程のようです。
このような視点から見ると、既得権益にしがみ付くことがいかに小さな事なのかがわかります。これからの国家運営は、過去からの決別を余儀なくされるような厳しいことになると思われます。しかし、その行き着く社会形態がどのようなものなのか、多分、まだ、誰にも予測できていないのではないでしょうか。それは、過去を全否定するような革命かもしれませんし、ごく簡単な事であっても、激変かもしれません。
誰にもわからないのであれば、思考錯誤であっても前に進める必要があります。
多分、それが生き残る条件になるのでしょう。
先頭を走ることを苦手とする日本人が崩壊の先頭を走っているのです。その上、新しい社会形態を最初に見つけ出さなければならない場所に立たされているとすると、これはかなり厳しい状況になります。

素人考えですが、新しい変革のヒントになるのは公務員という存在ではないかと思っています。日本だけではなく、多くの国で問題の解決にブレーキをかけているのは公務員なのではないでしょうか。既に(公務員)=(公僕)という数式は成り立っていません。
もし、アメリカが生き残れるとしたら、他国と違って公務員の扱いが雑な所です。予算がないという理由で、平気で人数を減らします。当然、公的サービスは低下しますが、そのことで暴動が起きたという話は聞きません。逆に従来通りの公的サービスを確保していたら、州や町や郡という地方で財政破綻に追い込まれる自治体が続出していたと思われます。
日本だけではなく多くの国で、公務員の流動性は低いものです。簡単には人員削減ができませんし、人件費の削減すらできていません。倒産を前にして、ギリシャでは公務員の人員削減と人件費削減が行われていますが、これは特殊事情によるものです。
また、公務員の仕事は決められた仕事を決められたマニュアルに従って間違わずに行う事です。過去の事例が最優先になり、保守的になることを良しとします。
政治も経済も社会形態も硬直化している原因は、国家の中心を公務員が占拠していることに起因するのではないでしょうか。公務員的思考は出口を塞ぐことが優先しますので、ダイナミズムは期待できません。
しかし、ここまで追い詰められているのですから、新しい公務員像というものを設計し直してみてはどうかと思います。この再設計が新しい社会形態に繋がるかどうかはわかりませんが、何でもやってみるしか方法はありません。勿論、この再設計を公務員にやらせては意味がありません。予算を取り、民間企業のコンペで入札をするような方式を採用しなければなりません。国内だけではなく世界中の企業にオファーすべきでしょう。どこの企業でも、常にシステムデザインと原価低減、そして品質管理には力を入れています。公的サービスに経済理論を導入することを恐れて、国が滅びるのであれば、それは本末転倒の極致ではありませんか。

方向性は誰でも主張できます。しかし、その方法論になると、誰もが口を閉じてしまいます。人間の欲を敵に回しているのですから、現実的な方法論はこの巨大な壁を乗り越えることができません。力技での革命か、国民の圧倒的支持が必要だと思われますが、その点では「国の仕組みを変える」と訴えて政権交代をした民主党にチャンスはあったと思います。しかし、見事に潰れました。国のためより、自分のためという欲望には勝てなかったということなのでしょう。人間らしいと言ってしまえばそれまでですが、政治家としては下の下になります。
では、お前に何が出来るのだと問われると、下を向くしかありません。
日本崩壊を阻止する方法で、万民が納得する方法は存在しません。欲望という人間の本質をねじ曲げるのですから、誰かが犠牲になります。
今回の政権交代の失敗により、民意では崩壊の阻止が出来ないことは証明されました。残された手段は暴力を伴う力に頼る以外に方法はないように思います。
私の提案も現実的な方法論を持っていませんので、全く意味を持たない空論に過ぎません。何故なら、既得権益を捨ててもいいという人は一人もいないからです。全てを失うまで、人は既得権益を守ることに執着するものです。それが、人間の習性であり、簡単なことでは変えることができません。この人間の習性は、もう少し長い目で見た時、人間そのものが絶滅する原因にもなるだろうと思われます。広大な宇宙の歴史の中で、人類の歴史が一瞬の光だとすれば、日本という国がなくなったり、日本民族が絶滅したりという現実は、ごくごく些細なことかもしれません。そう思えば、日本崩壊など心配しても意味のない事なのでしょう。
せめて、じたばたせずに、死を受け入れられるようになりたいと願います。
でも、私はじたばたしています。
ほんとに、往生際が悪いと思います。


2011-10-3



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