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子供を守れ 2 [日記]



5/1日に「子供を守れ」という日記を書きました。国の嘘八百に騙されずに、被災地の親は子供達を放射性物質から守るために立ち上がってくださいというお願いでした。私のお願いで行動した訳ではありませんが、お母さんたちのデモもありましたし、学校への抗議もありました。疎開した学童の数も増えました。それでも、間違いなく被曝をしている子供達の数はかなりの数にのぼるでしょう。
政府は、子供約1000人の調査をして、問題ないと言っていましたが、当初、詳細の発表はしませんでした。やっと発表した詳細によりますと45%の子供が内部被曝しているという結果が出ました。そして、いつものように、健康には影響ありませんと言っています。その数値が正しいと、誰が信じてくれるのでしょう。
事故発生時の枝野官房長官の責任は重大です。責任ある立場の人間が、これほど易々と悪魔に魂を売ってもいいのでしょうか。国民の生命と財産を守ることより、党や自分の利益を優先させた、実に器の小さな人間だと言わざるをえません。国民は騙されていませんが、本人は完璧に騙し通した、「うまくやった」と思い込んでいるように見える節があります。
枝野さんだけではなく、政治家の皆さんは、ほぼ枝野状態です。誰一人反省しようとはしていません。日本中が、我欲と強欲のおしくら饅頭です。
農作物や家畜に汚染が広がっていますが、人間だけは汚染していないと考えるのは身勝手というものです。農作物は廃棄処分にし、家畜は殺処分にできますが、では、人間は何処分にするのでしょう。これは、国の犯罪です。政治家と官僚と利権企業が犯した立派な犯罪です。とは言え、厳密に言えば、国が犯した犯罪を取り締まる法律はありませんので、犯罪とは言えません。だから、犯罪ではないと強弁するのではなく、法律の不備を追求しなければならないのです。

今日の「子供を守れ」は、その続編ではありません。
被災地の子供を守れ、ではなく、日本の子供を守れという意味です。
「ツケを次の世代に回すな」という、ありふれた言葉があります。この言葉は左派の人達が自分達を正当化するために使いすぎましたので、色褪せた言葉になってしまいましたが、ここで言う「子供を守れ」は観念の問題ではありません。北朝鮮の子供達やソマリアの子供達を頭の中に描いてみてください。日本崩壊は間近に迫っていますので、あの子供達の姿はあなたや私の子供達や孫たちの姿でもあるのです。ソマリアでは40万人の子供達が餓死の危険にさらされています。これは大惨事ですが、日本崩壊の場合は1000万人の子供達が犠牲になるかもしれないのです。
動物の子供は、生まれるとすぐに立ち上がる動物もいますが、人間の子供だけは一人で生きていける能力を手にするまでに多くの時間を必要とします。体力的にも弱い動物です。親の庇護がなければ、種の存続ができない。それが人間です。
私達は、そんな子供達を地獄に連れて行こうとしているのです。
いや、子供は守る。
そんなことにはならない。
親は、漠然とそう思っているかもしれません。
とんでもありません。
それは、単に想像力が欠如しているだけに過ぎません。
窮地に追い込まれれば、人間は簡単にその責任を放棄してしまうのです。
それが、人間なのです。
弱者から滅びて行くという現象は人間社会では当たり前に起きる事なのです。
それが、現実なのです。
以前に中国残留孤児の親の話を読んだことがあります。日本が戦争に負けて、中国各地にいた多くの民間人は日本をめざして逃げなければならなくなりました。広大な土地ですから、その逃避行は並大抵の苦労ではありません。自分の命を守るために、現地の中国人に子供を託した人もいましたし、子供を泣く泣く置き去りにせざるをえない人もいました。その子供達がどうなったのかは、誰も知りません。運よく中国人として成人した子供達が中国残留孤児として日本の親を捜しにきたのです。
取材した記者も親達を責めませんでしたし、世間にも非難の言動はなかったと聞きます。それは、誰でも同じ境遇になれば、自分でもそうしただろうという想いが、当時はまだあったのでしょう。
子供を置き去りにせざるをえなかった親達は極悪非道の人間なのでしょうか。いいえ、違います。人間であれば、誰でもやることなのです。
その事を、一番責めていたのは本人だったのではないでしょうか。
究極の選択を迫られた時、人間は誰でも自分の生命を選びます。平時における理想や夢や覚悟など、何の意味も持ちません。愛や徳も役には立ちません。そのことは、人間なのですから至極当然の事なのです。
しかし、そのことを忘れるべきではありません。
私達人間は窮地に立てば、どんなことでもできる人間になるのです。
平時の理論は、ただのマスターベーションに過ぎません。
そのことを知っていれば、究極の選択をしなければならない地獄になど堕ちてはいけないとわかる筈です。
地獄に堕ちれば、全員が餓鬼道を歩むことになるからです。
地獄になれば、弱者から滅びていきます。子供達も、その弱者なのです。
子供を守るということは、日本崩壊など起こしてはいけないということなのです。
一旦地獄に堕ちてしまえば、子供は守れません。
地獄になる前にしか、弱者を守ることはできないのです。
それが、大人の責任なのです。
あなたは、地獄に堕ちても愛や徳を持ち続けられますか。
私は自信がありません。
生き残るために、誰かを殺すかもしれませんし、子供を置き去りにしないと断言もできません。いや、きっと、餓鬼になるのだろうと思っています。
人間は素晴らしい生き物であると同時に、救い難い生き物でもあるのです。
子供達を守るのは、今の私達、この崩壊直前の時代に生きている私達にしかできないことなのです。崩壊してしまえば、人間の手には負えません。
全ての日本人が、その責任を負っているのです。
子供を守りませんか。
いえ、お願いします。どうか、子供達を守ってください。

私の主張は奇異に感じられることでしょう。石田は奇人変人の類いだと思っている方も多いでしょう。でも、事態は着実にその方向に動いています。「なるほど」と多くの方が感じた時が、本物の手遅れになる時かもしれません。私の主張は、今はまだ少数意見です。でも、必ず多数の方の意見になる日が来ます。ですが、それでは間に合いません。子供達を守ることはできないのです。
先日、氷山の崩落する映像を見ました。小さな崩落が続き、割れ目や裂け目が広がり、最後に巨人のような柱状の氷山が崩落します。これは、ごく普通の自然現象です。人間社会だけは別のものだと思うのは、人間の傲慢というものではありませんか。

民主党代表選挙。
財務省と近い関係になった政治家は、次々に増税派になっていく。ある評論家は財務省の調教能力だと評しています。結果だけを見ているとそのように見えます。確かに、政治家は愚かな存在ですが、そこまで馬鹿ではないと思います。彼等は、自分の利益には誰よりも敏感です。調教されたのではなく、自ら官僚に擦り寄るのです。それが、利益になると判断するからです。
財務省には明確な財政破綻の青写真があるのです。私のような素人の勝手な予測ではなく、数字と事実に基づいた確固たる予測が存在しているのです。門外不出のそのデータを見せられた政治家は「これは、大変だ。とりあえず、増税しかない」と自分から言い出すのだと思います。民主党代表選挙に名乗りを挙げている野田さんは、財務省の走狗と化しています。民主党は「国民生活第一」と言っていましたが、今は「官僚利権第一」に変わりました。それが政治家の利益に繋がると確信しているのです。その代表選手が野田さんです。野田さんは官僚との関係が良好だという評価があるそうですが、官僚に使われるのが上手なだけの豚にすぎません。これは、容貌が似てるという意味ではありません。心根の問題です。豚が豚になって何が悪い、と開き直られたら、返す言葉ありませんが、どうか、人間に戻ってください。
増税が国を滅ぼすことになるという当たり前の論理も、利権の前では見えなくなります。
こうして、日本崩壊はまた一歩前進することになります。
歴史がある方向を向いた時、いろいろな事象が同じ方向へと動き出す。スケールが大きすぎて人間の目には見えにくいものですが、50年後の自分が歴史の検証をしているのだと思えば意外に見えてくるものです。崩壊へと加速度をつけ始めた日本の姿が私には見えています。その元凶は人間の強欲が生みだした「自分さえよければ」です。

子供達よ、君達が何もできない私達を軽蔑し、恨んだとしても、私達大人には言い訳をすることが出来ません。謝って済むことではありませんが、私達は何もしませんでした。
ごめんなさい。
これって、とても「みじめ」なことだと思いませんか。
誇りを失った私達は、ただの悪鬼にすぎません。


2011-8-22



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