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夢見る少女 [日記]



全国的に自殺者が増加したという記事を見ました。
福島県でも自殺者が急増しているそうです。
「原発さえなければ」とか「老人はあしでまといになる。お墓にひなんします」という遺書を残して亡くなられた方もいます。
ただ、被災地である岩手・宮城では増加していません。その代わりに、神奈川・千葉・愛知で20代30代の女性の自殺者が増えているそうです。
何か、変ですよね。
これって、他人事なんでしょうか。

多くの国民が不安感や閉塞感を持っていると思うのです。
特に3月11日以降は、それが増えていると思われます。
直接災害に遭遇しなかった国民にも不安感や閉塞感があります。
政治の嘘八百・不手際・被災地を蔑にする様々な身勝手が原因のように言われることが多いのですが、それだけではなく、実はもっと根本的な部分に漠然とした疑義を感じている人が多いのではないかと思われます。
それは、将来への不安と、その不安を解決できないそうにもない現状への閉塞感だと思うのです。
そもそも、未来が現在の延長線上にあると考えることが間違っているのですが、人間はそう思いたいものですから、多くの国民は、未来というものが現在の延長線上にあると思っていました。
でも、もしかすると、そうではないかもしれない。
自分に直接関係していないとしても、身の回りで「これでもか、これでもか」という数多くの危険信号が点滅しているために不安に駆られるのだと思います。
これは、太古の昔から人間に備わっている生存本能ですから、正しい反応なのです。
それほど遠い未来ではなく、この不安感は現実のものとなります。
それが日本崩壊であり、その大惨事が私達を地獄に突き落とすことになるのです。
では、この大惨事を未然に防ぐことはできないのか。
何度、問いかければ、気が済むのかと怒られそうですが、できることなら未然に防ぎたいじゃないですか。本当は明るい答えが欲しいのです。
しかし、何度も書きますが、それは不可能なのです。
諸悪の根源は為政者といわれる政治家や官僚にあるのですが、彼等が反省し悔い改めて、この国を救ってくれるという期待は持てるのでしょうか。
それは、あり得ないことですよね。
彼等の自浄能力に期待して、それが報われた事が一度でもあったでしょうか。少なくとも、私の記憶にはありません。
では、大惨事の被害者になる国民に、大惨事を防ぐ力はあるのでしょうか。
残念ながら、国民にその力はありません。漠然とした不安感や閉塞感だけでは、国民はどう動けばいいのか想像もできないのです。
石田のブログで、どれほど警告を発しても世の中に変化はありません。
影響力を持っているメディアが為政者の味方についている現状では、国民にこの危険を伝える方法はないのです。危険を知らなければ、国民は動くこともできません。
海外メディアに見えていることを、何故、日本のメディアは無視するのかと、何度も書きました。今日もそんな海外メディアの記事の一部を載せます。ニューズウィーク紙の記事からの抜粋です。

ニューズウィーク紙
首相がころころと代わり、政治が機能不全に陥る理由はこれまでも数々挙げられている。世襲議員の多さ、霞が関の官僚による政治のコントロール、政争に明け暮れる永田町の論理──。ただそれ以外にも日本政治が停滞する大きな原因がある。
 メディアだ。
 権力を監視し、政策や国家中枢の動向を国民に分かりやすく伝えることが、「第4の権力」であるメディアに求められる役割。しかし、この国のメディアはその本来の使命を果たすどころか、政治の混乱を助長している。政治家同士の泥仕合に加担し、パフォーマンスをあおり、些細な問題をあげつらってヒステリックなバッシング報道を展開する──。その結果、首相の首が何度もすげ替えられてきたが、一方で政治の本質的な問題がメディアから伝えられることはほとんどなかった

ここまで書かれても、日本のメディアに反応はありません。既に、日本のメディアはジャーナリズムを求める集団ではなく、官僚の広報機関になっているからです。
多分、海外のジャーナリスト達は「アンビリーバブル」と言って肩をすくめているのでしょう。日本のジャーナリストは自分の利益が最大の目的と化し、ジャーナリスト本来の使命を、カネで売り渡した強欲豚になっているのです。ジブリ作品に「千と千尋の神隠し」というアニメがありますが、あの中で登場する豚の場面を記憶している方もおられるでしょう。強欲豚になったジャーナリストに人間の言葉は通じません。
しかし、彼等の裏切り行為は国民に大きな代償を払わせることになります。ある意味では政治家や官僚より罪深いのかもしれません。古今東西、政治家や官僚は「悪さ」をするものだと相場が決まっていました。ジャーナリストは正義を追求する筈だったのに強欲豚になってしまった。その落差を罪の重さとすれば、彼等は重罪です。
「なでしこジャパン」の快挙が日本を歓喜させました。これは、たまたま優勝したのではありません。きっと、そこには彼女たちの想像を絶する努力と不屈の精神力があったから出来たのだと思います。現状を認識し、逃げることなく苦しみを克服した選手に惜しみない拍手を送ります。日本人だって、出来るのです。それは、彼女たちが現実を直視したから出来たのです。現実を隠蔽しているジャーナリストは、「なでしこジャパン」から何かを感じてもらいたいと願ってやみません。
もしも、日記「まさか!」で書いたような地獄が目の前に迫っているとしたら、日本国民としても行動せざるをえないと思います。「知らぬが仏」ですが、本当に仏になってどうするのです。洒落になりませんよね。

日本では、「国とは」という命題にも「国民とは」という命題にも答えを求めず、曖昧なままに国家運営を続けてきました。
これは、日本人の特性でもあるのですが、その大前提には人間の善意と徳が暗黙の了解として存在しています。でも、これほど不確かな前提もありません。
カネの前では、善意や徳が役に立たないことなど誰でも知っていますし、経験もしています。それでも、事を荒立てたくないのが日本人です。この自己矛盾が我々を縛り、行動力を殺いでいるのです。
日本人の理想は独裁者による統治ではないでしょうか。
そうなれば、自分は何もしなくて済むからです。
但し、独裁者の資質については多くの注文があります。愛と誇りに満ち、善意と徳を備え、公平公正で、国民の一人一人を幸せにしてくれる、そんな独裁者が望みなのです。これは、無茶な相談だと言わざるをえません。
以前にも、何度か、日本人の事を「夢見る少女」に例えたことがあります。確かに可愛らしさはありますが、それで国家運営ができるのでしょうか。
いや、勿論、本物の少女は夢見ていいのです。それは、少女の特権として世界が認めてきたことです。でも、大人のやるべきことではありません。
そもそも、独裁とは力であり、愛、誇り、善意、徳、公平、公正はその対極にあります。この矛盾を平気で乗り越えられるのが私達日本人です。
国家であれ、民族であれ、そこに属する自分を守るのは自分なのだという使命感が無くなってしまいました。まるで、他人事としか感じていません。
その根っこにあるのは、「ずるさ」と「幼さ」でしかないのかもしれません。
世界は、日本を不思議な国「ジパング」と見ているでしょう。まるでタイムスリップしている日本が、なぜ経済大国になれたのか理解できない部分があるでしょう。世界が、数多くの日本の「アンビリーバブル」を理解するのは大変な事です。日本人の私ですら、「信じられない」と感じるのですから。

昭和末期に出現した強欲が、日本崩壊の最大の要因なのです。
強欲から一番遠い場所にいた日本人が、僅か数十年間、強欲の甘い蜜を食べ、その幻覚に支配されている今は、まるで麻薬に支配される人間のように自分を失っているとしか思えません。この数十年というわずかな時間が、2000年という歴史を積み重ねてきた時間を凌駕しようとしています。権力が腐敗し倒れるのは歴史の常ですが、国民を共連れにするのは感心できません。
そして、壊れようとしているこの国を、私達はまるで他人事のように、無関心を装っています。自分にさえ振りかからなければいいと願っています。でも、残念ですが、誰一人としてこの崩壊から逃れることはできません。
このような国家崩壊は、日本でしか起きないと思われます。他国の国民は、もっともっと強かです。他国では、夢見る少女は少女に限定されているのです。
それでも、これが宿命であれば、私達はそれを受け入れることしかできないでしょう。
何度考えても、他の選択肢がないのです。


2011-7-19



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