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雨 [超短編]




山肌をゆっくりと雲が降りていた。また、雨が来る。愛には関係なかったが、雨がくる。雨の中を歩きたい。いや、大声を出して走りたい。冬の雨は冷たかっただろうか。
今は、窓から見える黒松の葉が雨に揺れるのを見ることができるだけ。
ドアが開いて母が戻ってきたのがわかる。
「あい。お友達が来てくれたわよ」
愛は入り口へ目を移した。小笠原大和が不機嫌な顔で立っていた。大和の不機嫌な顔は珍しくない。あいつに微笑まれたら怖いだろう。いつでも、自分だけは中学生のつもりらしい。
「あい。お母さん、買い物に行って来るから」
愛は目で頷いた。
「大和くん。ゆっくりしてってね。冷蔵庫にジュースあるから」
大和は窓の方を見てうなずいた。「ガキじゃないぞ」と言いたいのだろう。母はまったく気にしなかった。
交通事故で生死の間をさまよい、半年過ぎても下半身は動かない。意識を取り戻してから、一ヶ月くらいは大勢の友達が来た。だが、今でも来てくれるのは小笠原大和と川島紗枝の二人だけになった。興味本位で来る友達などいらない。大和は見舞いに来ても、気の無い返事をするだけで帰っていく。それでも、愛が一番会いたいのは喧嘩相手の大和だった。
「そんなとこに立ってないで、座ってよ」
大和は不本意ながらという表情で椅子の方へやってきた。
「学校、どう」
「別に」
「だよね。やまと、三途の川って、知ってる」
「なに、それ」
「知らないよね。昔の言葉」
「ああ」
「三途の川というのは」
愛は、母からきいた話をした。
「この世と、あの世の間にある川なんだって。死んだ人は、その川を船に乗って向こう岸に行くの。あの世に行く船はあるけど、この世に戻る船はないの。昔の人は、死んだら、あの世まで旅をすると思ってたんだって」
「迷信だろ」
「うん。川は無かった。質問されたけど」
「質問」
「て言うか、道が分かれてるって言うか。三択なの。別に標識が出てるんじゃないけど分かれてるのよ」
「お前の夢だろ」
「そう。夢かも。でも、妙に憶えてるの」
「三択って」
「死にたい人の道と死の無い世界に行きたい人の道、そして死にたくない人の道の三択なの」
「なんじゃ、それ」
「私、死にたくって死んだんじゃないし、でも、死んでしまったんだから死にたくないと言っても意味ないし、死の無い世界って不気味だし」
「だから」
「そこから、動けなくって。でも、死んだ人がどんどん来て、早くしろってどなるのよ。追い越して行って欲しいけど、きっと追い越せない決まりがあるのね」
「で」
「病院のベッドで目が覚めたの」
「夢だよ」
「そうよね。夢なんだけど、すごく怖くて。頭は真っ白だし。その時、大和に助けて欲しいと思ったの。父さんや母さんじゃなくて、なんで大和なのか、不思議だった。ジュース飲む」
「いらねえよ」
「でも、死の無い世界って怖くない」
「怖いな」
「でしょう。大和ならきっとそう言うと思った」
「雨だ」
愛は窓の外に目を移した。黒松の葉が揺れている。事故に遭う前に、にわか雨の中を小笠原大和と二人で走ったことを思いだしていた。

また、二人が喧嘩をしている。大和は押し入れのふすまを閉めた。大和の両親の喧嘩は毎日のことなので慣れていたが、これほど長く続くとうんざりする。飯を食わして貰っているのだから、大和には文句を言う資格はない。でも、うんざりだった。狭いアパートの狭い押し入れが大和の部屋であり、両親の喧嘩から避難する場所であった。学校に行っても楽しいことは何もなく、先生やクラスの皆に冷たい視線を向けられるだけだ。大和は先生の命令には従わないし、乱暴者と言われている。ズックも穴があいているし、着ているものも汚れている。その上、成績も悪い。学校では大和はいないものとして扱われている。家の中でも、両親は自分たちに子供がいることも忘れてしまったのではないだろうか。
中学に行っても、何も変わらないだろう。そして、その先もずっと。何もかも、全てにうんざりしていた時に出会ったのが、「あたしは魔女だよ」と言う変な老婆だった。
「あんた。なにもかも、うんざりって顔だね」
「ああ」
「この先も、いい事なんて、ないね」
「ああ」
「どうだい。終わりにしてみないかい」
「はあ」
「あたしは魔女だから、簡単にあの世に連れて行ってあげられるよ」
「あの世って、どこ」
「あの世は、あの世さ」
「あの世に行けば、うんざりは無くなるのか」
「それは、保証できない。もっと、うんざりかもしれないし、一寸だけうんざりかもしれない。それは、あんた次第だよ」
「いい子にしてたらって、言いたい訳だ」
「そうさ」
「あんたも、他の大人と一緒だ。魔女なんて格好つけて、ただのばばあじゃないか」
「ばばあ、はよくないね。あたしにも、きみえという立派な名前があるんだよ」
「気味の悪いばばあという名前だろ」
「あんたとは友達になれるかと思ったけど、あたしの勘違いだったのかもしれないね」
「きっと、そうだろ」
出逢ったその日に喧嘩別れをした。
しかし、何日か過ぎると、妙にきみえばばあに会いたくなる。そして、会えば喧嘩になる。だが、両親や先生やクラスの皆と違って、大和を無視するようなことはしなかった。
「俺、あの世に行ってもいいな」
「そりゃあ、そうだ。他に行くとこなどありゃあしない」
「でも、もっとうんざりなんだろ」
「だから、それは、お前次第だと言っとるじゃないか」
「いい子になんか、なれないよ」
「ちっ、ちっ、ちっ、ちっ」
老婆は頭を振って舌を鳴らした。
「なんだよ」
「いい子って、どんな子の事だね」
「大人の言う事を、はい、はいと聞く子だろ」
「ちっ、ちっ、ちっ、ちっ」
「やめろよ、そのちっ、ちっ、ちっは」
「今は、誰もが自分のことばかりじゃ。誰かのために何かをやっている人間を見たことがあるか」
「いや」
「そうじゃろう。誰かのために、お前が命を差し出せばいいのじゃよ。そうすれば、あの世でのうんざりは少なくなる」
「ふうん」
「例えば、お前の親が喧嘩をやめて仲良くなるとか。二人とも幸せになるよ」
「無理だろ」
「先生が優しくなるとか。評判がよくなって校長かも」
「ありえない」
「友達が、お前のような悪でも尊敬してくれるようないい人になるとか」
「気持ち悪」
「自分の為じゃなく、なんか、願いはあるじゃろ」
「無いな」
「ないか」
「いや、一つある」
「ほう。どんな願いじゃ」
「友達の足が治って、走れるようになったら嬉しい」
「それは、病院にいるあの女の子じゃな」
「ああ」
「好きなのか」
「そんなんじゃない。あいつは、俺の事を無視しない」
「そうか」
「でも、そんなことができるのか」
「舐めちゃいけないよ。あたしゃ、魔女だよ」
「だったら、そうする」

ついに、大和も見舞いに来てくれなくなった。夢の中でしか会えないのは寂しい。
外は風が強いらしい。木々が大きく揺れていた。
「おまえ、もう歩けるんだぞ」
夢の中で、いつものようにぶっきらぼうな言い方で大和が言った。
愛はベッドの上に起き上がり、布団をどけた。自分の足の指が動いたような気がしたのだ。
大きく深呼吸をして、目を閉じ、心を落ち着かせて目を開けた。
指が動いている。
「うそ」
いや、間違いなく指が動いた。
愛は、また動かしてみた。動いている。震える手でナースコールを押した。
「紺野さん。どうしました」
「足が」
「足が、どう・・・・」
看護士が部屋を飛び出していった。
そして、怒涛の検査が始められた。検査の結果、損傷していた脊髄の影がなくなっているのが判明した。外科的治療も内科的治療も行われていないにも関わらず、脊髄の正常化は医師に納得がいかなかったようで、医師からの明確な説明はなかった。
医師の説明は「奇跡です」という結果になった。
勿論、長時間使われなかった足の筋肉が、すぐに動きはしなかったが、リハビリの計画が立てられるということは、将来的には歩くことも可能だということであった。
マッサージとリハビリに明け暮れる日が続き、愛は大和の夢を見る暇もなかった。
ふと、窓から見える黒松の葉が雨に揺れているのを見た愛は、大和が夢の中で言った言葉を思い出した。「おまえ、もう歩けるんだぞ」と大和は言った。あの言葉が奇跡の始まりだった。だが、もう二カ月以上も大和の顔を見ていない。病状が好転したことを知った先生や級友が見舞いに来てくれたが、大和は一度も来てくれていない。愛は、どうしても夢の話を大和にしたかった。
「お母さん。大和君はどうして来ないのかな」
「大和君って」
「小笠原大和君。よく来てくれたじゃない」
「いつ」
「何カ月も前だけど」
「そう。そんなお友達、いたっけ」
「えっ」
「誰かと間違えているんじゃない。お母さんは憶えていないけど」
「うそ」
「何かの勘違いよ」
数日後に先生と友達が見舞いに来てくれた。
「先生。小笠原君は」
「小笠原君 ?」
「小笠原大和君です」
「うちのクラスの子 ?」
「えっ」
「誰か、知ってる」
友達は、全員が首を横に振った。
これは、何かの陰謀だと思った。
「みんな、どうして、隠すの。どうして」
余りの大声に、全員が声を呑みこんで、愛を見詰めた。それは危険物を見る目だった。
泣きだした愛を置いて、小声で話しながら全員が部屋を出て行った。

リハビリが始まってからの愛は、明るく元気な小学生だった。だが、母親に否定され、先生や友達に恐れられたことで、笑顔のない暗い女の子に戻ってしまった。
今では、車椅子を自分で動かして病院の中だけではなく、庭にも自由に行くことが出来る。雨さえ降っていなければ、愛は庭に出た。どこかで、大和に会える。そんな確信があった。特に風の強い日は好きだった。愛の目は、いつも大和の姿を求めていた。
いつもは行かない、木立の中の細い通路に車椅子を向けた。
「よかったな」
「や・ま・と・・・」
「おれ、川を渡っちゃった」
「うそ」
「がんばれよ」
「いやっ」
「・・・」
もう、大和の声は聞こえなくなった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ」
突然、雨が激しく落ちて来て、愛の意識が途切れた。






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