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弱き者よ - 4 [弱き者よ]



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その日は店の定休日だった。定休日と言ってもシャッターを閉めているだけで、おばあちゃんは在庫整理や日頃できない場所の陳列替などで忙しいのだが、真衣の話を聞いてくれた。
「そう、そんな話をしたの」
「私、男の人のことはよくわからない。普通の女の子だったら、あんな話しはしないと思うけど、私、普通の女の子じゃないし」
「そうかな」
「だって、直接言われた訳でもないのに、こんなこと言ったそうですね、でも、私はそんな気はありませんから、なんて言う女の子、いない」
「おばあちゃんは、そうは思わない。そういう話ができて、よかったと思うよ」
「そう思う」
「うん。黙ったままで、奥歯に物を挟んでたら、きっとギクシャクするよ。その方がお互いに困ると思うけど」
「うん。私もそう思った」
「サイコロで、1が出る確率がどのぐらいあるのか知らないし、続けて1が出る確率も知らない。でも、永遠に1が出続けるサイコロは無いと思う。真衣に男の人を信用しろと言っても無理だろうけど、世の中、ひどい男ばかりじゃないと思うよ。主人も信頼できる男だったし、西崎さんだって、荒木田さんだって信頼できる男でしょ。余り話をしたことはないけど、黒岩さんだって、信頼してもいい人に見える。100%じゃなくちゃいけないのかい」
「うん。怖い」
「男でも女でも、100%信頼できる人間なんていないと思うけど」
「ううん。おばあちゃんとお母さんは、100%信頼してる」
「ありがとう。私も真衣の信頼は裏切りたくないし、裏切るつもりもない。けど、100%かと聞かれると自信は無い」
「どうして」
「人間だからさ。人間はどんな風にでも揺れ動くものだからね」
「おじいちゃんが、そうだったの」
「いいや、あの人は最後まで揺れることはなかった。静かな人だったけど、本物の男とはこういう人のことを言うんだなと、何度も思った。おばあちゃんは運が良かったんだね。それでも、実の父親はひどい男だった。私だって、主人に会えなかったら、誰かを信用するなんてことなかったと思う。それも10年ぐらいして、信頼してもいい人が世の中にいるんだということに気がついたんだけどね。黒岩さんじゃないかもしれないけど、真衣が信頼できる男の人も、きっといると思う。そんなもの、時が経たなくてはわからないよ。真衣は自分に正直に生きていればいい。変に遠慮したり、隠したりするより、正直でいた方がいい。特に、真衣の場合は」
「うん」
「もし、真衣が、世の中の男は100%最低な人間だと思ってたら、それは、間違いだからね。少なくとも、私の主人は最高の男だったんだから」
「うん」
「でも、真衣は、真衣でいい」
「私のしたこと、間違ってなかったよね」
「よくやったと思う。多分、黒岩さんも、助かったと思う」
「よかった」
いつも、おばあちゃんには救ってもらう。こんな家で育っていれば妹も死なずに済んだのに。普通に笑い、普通に喧嘩をし、普通の女の子になれただろう。あんな父親でなければ、母も放火をする必要がなかったし、壊れて入院する必要もなかった。なんて、不公平なんだろう。自分だけが、こんなに恵まれていていいのだろうか。ナイフで人を死なせたことも、銃で殺したことも時間が少しずつ記憶を減らしていってくれることを知った。時折、フラッシュバックのように体が思い出す事はあっても、その頻度は少なくなった。だが、あの火事の事だけは真衣の体から無くならない。決して、十字架の重みは減らない。

12月に、真衣は20歳になった。15歳の時には決断できなかった。大学に進学した時も決断できなかった。でも、孝子母もおばあちゃんも、何も言わなかった。真衣は20歳になったら話をしようと決めていた。
真衣の誕生日だけは、毎年小さなパーティをしてくれる。孝子母もおばあちゃんもそれを楽しみにしていてくれた。そんな時は妹の事を想い、胸が痛かった。でも、そのことは言ったことが無い。嬉しそうな顔が礼儀だということぐらい、中学生だった真衣にもわかっていた。
誕生日のケーキはおばあちゃんが好きだから、ほとんど食べてもらう。今年からローソクは立てない事が去年決まった。19本ものローソクを吹き消すのが大変だったのだ。
「真衣も、大人だから、今日はこれだよ」
孝子が冷蔵庫から取り出したのはビールだった。
「ビール」
「真衣が飲まなくても、私は飲むわよ」
「無理しなくてもいいんだよ」
おばあちゃんが、心配そうな顔で二人の顔を見比べた。
「いいよ。乾杯しよう」
「そう。我が家もアルコール解禁」
「・・・」
「孝子がね、真衣の二十歳の誕生日まで禁酒することに決めたの」
「そう」
「真衣が二十歳になってくれて、嬉しい」
「ありがとう。お母さん」
男の想い出も、父親の想い出も、そして酒の想い出も碌なものはない。大学に進学してからも、どんな会合でもお酒は飲まなかった。
「苦い」
「でしょう。この苦さが、いいのよね」
孝子母の気持ちを考えて一口だけ飲んでみたが、美味しいという味覚はなかった。
おばあちゃんの目はケーキを見ていたので、ケーキを切っておばあちゃんの皿に乗せた。
「食事の前に、一口だけね」
おばあちゃんは、ケーキを口に入れて目をつぶった。誕生日のケーキには、何か思い入れがあるのだろう。普段はケーキなど食べないおばあちゃんが、真衣の誕生日だけはケーキを食べて至福の顔をしてくれる。
「お母さん」
「ん」
「おばあちゃん」
「何だい」
「ありがとう。私」
「ん」
「・・・」
「私、片岡真衣になる」
「真衣」
「・・・」
「お母さんの子供になる。里子じゃなく、片岡真衣に。いい」
「・・・」
二人とも、声をなくし、真衣を見ていたが、二人の目から同時に涙があふれ出した。そして、二人とも大きく何度も頷いた。
「一つだけ、お願が、あるの」
「なに」
「病院の母が退院したら、ここに来てもらっても、いい」
「もちろんよ」
「ありがとう。こんなによくしてもらって、厚かましいけど、あの人の事は放っておけない。私が、支えたいの。ごめんなさい。お母さんもお母さんだけど、病院の母も母でいて欲しい。お母さんとおばあちゃんが支えてくれたから、今の私があることはよおくわかっているの。でも、病院の母の事を捨てて、片岡の子供にはなれなかった。今なら、お母さんもおばあちゃんも、許してくれると思ったから」
「当たり前じゃない。私だって、ずっと、その積りだったよ」
「ありがとう。お母さん。おばあちゃん」
「うれしいね、孝子」
「こんなサプライズがあるなんて。真衣が私の子になってくれて、ビールも解禁になって、私、怖いぐらい」
「どう、孝子、披露宴、しない。親子披露宴」
「披露宴か、いいね」
「やめてよ」
「どうして」
「恥ずかしいじゃない」
「恥ずかしいぐらい、我慢しなさい」
「もう」
「安藤さん。西崎君でしょ。勿論、聡美も。荒木田さんと黒岩さん。できれば、あの三沢病院の先生。ごくうちわの披露宴。いいね、やろう。寿司万の二階貸し切りにして」
「いい誕生日ね、今日は」
おばあちゃんが、また泣きだした。何も喋らない、何も食べようとしなかった泥だらけの中学生。そんな真衣の七年間を思い出している目だった。

真衣には反対できなかった。奈良岡医師の都合を聞きに行くのも真衣の役目になった。真衣も養子になる決心をした時に、奈良岡医師には了解しておいてもらいたかったので、三沢病院にやってきた。
「先生。お願いがあってきました」
「どうしたの」
「私、二十歳になりました。で、私の方から片岡の母の養子になると言ったんです」
「そう」
「以前、児童相談所の人から養子の話しは聞きましたが、ずっと決心できませんでした。今では片岡の母もおばあちゃんも他人だとは思っていません。でも、母の事がありましたから、言い出せなかったんです」
「うん」
「母が退院したら、片岡の家に来てもらって、私が支えたいけど、それでもいいですかと聞きました。予想通り、二人とも賛成してくれたんです。一つ屋根の下に二人の母親がいるのも変ですが、事実、私には母が二人いる訳ですから」
「よかったんじゃない。私は、どうにでもフォローするわよ」
「ありがとうございます」
「退院して、落ち着く場所があるということは、とても大事な事なの。ここには、行き場所がない人が大勢いる。片岡さん、いい人なのね」
「はい」
「あなたも、二十歳になった。早いわね」
「はい。その時、おばあちゃんが親子披露宴をしたらと言いだして、できたら、先生にも来てもらいたいと言うんです。先生は忙しいから無理と言ったんですけど、空いている日がないかどうか確かめてということで、今日、来ました。無理ですよね」
「いつ」
「先生の時間を聞いてから、他の人の都合をきくことになってるんです」
「私が、主賓なの」
「いえ、一番忙しそうな人が優先なんだと片岡の母が言ってました」
「そう。私も、出席してみたいわね。成瀬さんの主治医でもあるし」
「いいんですか」
「ただし、二日ほど待ってくれる。調整してみる。駄目な時はごめんね」
「ありがとうございます」
「あなた、変わったわ。もう、二十歳なんだ」
「はい」
「変わったのは、養子の話したから」
「わかりません」
「ひょっとして、恋人ができた」
「まさか」
「そうよね。でも、とてもきれいになったし、落ち着いてる。やっぱり、大人になったってことね」
「自分ではわかりません」
真衣の男性不信を知っている奈良岡医師は、診察料を払っていない真衣のカウンセラーみたいなものだった。大勢の人に支えられていることを、強く感じる。

年が明けて、ある晴れた日曜日、八時に近所の寿司万で親子披露宴が始まった。予定した出席者が全員集まってくれて、おばあちゃんはそれだけで涙目になっていた。
奈良岡医師を紹介した後で、孝子が緊張した顔で挨拶をした。
「12月の、真衣の誕生日に、真衣の方から養子縁組の話をしてくれました。私は、この子を引き取った時から親子のつもりでしたけど、形の上で親子になることも大事なことなんだと思い、とても嬉しかった。母が一番喜んでいます。三沢病院の奈良岡先生にも、忙しいのに来ていただきました。先生はこの子の母親の主治医をしてくれています。この子の母親が退院したら、うちに来てもらって四人で暮らしたいと真衣に言われた時、私はいい娘を持ったと、嬉しかった。今日、こうやって、皆さんに来てもらって、とても、嬉しいです。嬉しい事ばかりで、ちょっと怖いぐらいです。真衣、皆さん、ありがとう」
西崎の音頭で乾杯をし、料理を食べ始めた。
食べながら、真衣の子供の頃の話をする人。事件での真衣の話を、自分の失敗談を中心にして話してくれた西崎。奈良岡医師が真衣との出会いを話し始めた。
「高校生だった真衣さんが、病院に来てくれた時、私は嬉しかった。残念な事ですが、精神科の入院病棟には、あまり来てくれる人がいません。黒岩さんも来てくれますが、幼友達だということだけで来てくれる黒岩さんは、とても珍しいんです。真衣さんが来た時、私は患者の家族と話しているというより、患者さんと話しているような気持でした。真衣さんが重い荷物を背負っていたからだと思います。でも、この親子披露宴の話をしに来てくれた真衣さんは、大人になっていました。入院している成瀬さんに退院して行く場所が出来たことも、とても嬉しい事です。帰る場所のない人が多いんです。片岡さんには、主治医として感謝しています。こういう明るい話は、ほんとに嬉しい」
拍手がおきた。
「真衣。あんたも、何か言いなさい」
「私も」
「そうよ」
「私みたいな人間が、こんなに大勢の人に支えられて、ほんとにいいのかな、と今でも思っています。不運と不幸の塊のような私が今日まで生きてこれたのが、不思議です。ここに来てくれた誰かと出会わなかったら、私は、ここにはいなかったかもしれません。ありがとうございます。皆さんにお返しができるかどうか自信はありません。でも、私の夢は、いい医者になって大勢の人の力になる事です。そんなことで、許してもらえますか」
大きな拍手がおきた。
荒木田が手を挙げた。
「私ごとで、すみません。僕は来月、別の支所に移ります。真衣ちゃんの養子縁組の話しは以前に僕が勧めました。最後にこの話が聞けて、とても嬉しいです。片岡先生の頑張りも、頭が下がります」
「転勤ですか」
「はい。山崎の方に新しい支所を作ります。ここは、黒岩君が来てくれましたので、大丈夫です。相談所の仕事がこれほど似合っている人は珍しいと思います。元刑事とは思えません」
「どういう意味」
「西崎さんは刑事が似合ってますが、黒岩君の刑事は似合わないという意味ですよ」
「まあな」
また、雑談が始まった。

2時間で披露宴は終わった。奈良岡医師はタクシーで帰り、西崎夫婦と荒木田、そして黒岩が一緒に寿司万を出て帰路についた。
「黒岩君。あの子に何か言ったのか」
「別に」
「あの子、変わった。そう思わないか」
「思います。危険な臭いが消えてます」
「俺も、そう思う。お前が刺された事がよかったんじゃないのか」
「そうなんですか」
「わからねえ」
「我々は勘違いをしてるのかもしれませんよ」
荒木田が突然言った。
「・・・」
「だって、絶体絶命の窮地でもあの子はそれを乗り越えてきた。不運の申し子みたいに思っているけど、実際は、とてつもない強運の持ち主かもしれない」
「それは、言える」
「それですよ。僕は西崎さんに一目惚れかと言われましたけど、違うと言いましたよね。違うんです。ほら、偉人伝とかで緯人の周囲には必ずその緯人を支えた人がいるでしょう。あれですよ。僕はその支える人として、真衣さんに会ったんです」
「もしかすると、あの子は医療の世界で無くてはならない人になるのかもしれない」
「きっと、そうです。わかりましたよ、僕」
「ほんと、黒岩君は変わってるな」
「そうなんですって。そうなる人なんです」
「確かに、あの子は、女だと思わない方がいいかもしれないな」
「西崎さん、わかってるじゃないですか」
「お前に、褒められてもな」
その時、黙っていた西崎の妻が何かを言った。
「何か、言ったか」
「ううん、別に」
聡子は「馬鹿」と言ったのだが、誰にも聞こえなかった。男って、どうして、こうも能天気でいられるのだろう。暴力を振う男も、暴力から弱者を守ろうとする男も、幼児並みの精神構造しか持ち合わせていない。まあ、そこが男の魅力ではあるが、そのことに気がついていないというのも、いかがなものか。聡子には暴力に蹂躙されたという体験はない。だから、真衣の苦しみの全てはわからないのだろうが、その一端はわかる。男達には、そのことがわかっていない。世の中から暴力が無くならないのは、男のその能天気にあると思う。そんなこと、言ってみても男達には理解できないから、女は誰一人、口には出さない。何千年も、男と女はそうやって生きて来た。これからも、変わることはないのだろう。

     了




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