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選挙後の展望 [日記]

マクロ観測から見れば、混迷時代の第二段階に突入することになります。
混迷時代の第一段階が前回の参議院選挙でした。
第三段階は来年の参議院選挙になるでしょう。
日本という国が衰退へ向かって、坂を転がり始めたのです。
結論から言えば、庶民の我々に残されている選択肢は自己防衛しかないということです。

民主党政権になって、日本がいい方向に向かうと信じておられる方はいないと思います。
自民党政権よりは、多少ましかなと思っていますよね。
こういうのを古人は五十歩百歩と言いました。

その元凶は何か。
私は、日本人の変質だと言ってきました。
そう思うのですが、もう、元に戻ることはないと考えなければなりません。
どうすれば。
時代の流れに竿をさしても無益であることは歴史が証明しています。
ならば、時代の行先を予測し、その方向へ近づく努力をする。
遅遅とした動きになりますが、仕方ありません。
現状を認識し、将来を予測し、そこに哲学と思想を構築することです。
二律背反が証明するように、この世に「絶対」は存在しません。
ですが、仮の「絶対」は作ることができるのです。
たとえば、民間企業にとっての「絶対」は利益です。
集団にとっては、この「仮の絶対」が必要なのです。
政治の世界では、それが哲学と思想なのです。
奇策や特効薬はありません。
今回の選挙で一番問題なのは、自民党にも民主党にも、この哲学と思想がないことです。
そのことを、誰もが、わかっている。
それなのに、日本人の得意技、先送り、を皆でやろうと言っている。
未来の「悲惨」がこれほどはっきりと見えているのに、見ようとしない。
最後は、国民一人一人の責任だと言って幕を引くことになるのでしょう。
そうなっても、日本では暴動も革命も起きません。
皆でやったのだから、誰も責任をとらない。
「みんなで、さきおくり、ぼくのせいじゃないもん」
これって、官僚そのもの。
官僚批判をしますが、誰もが官僚と同じなのです。
これが閉塞感の原因なのです。
危険が迫っていることは肌で感じるのに、何もできない。
国民が漠然とした恐怖感に襲われ、政権交代を選択する。
それを受け取ってくれる政治家がいない。
政治家も、皆と同じ官僚病にかかっているのです。
つまり、どこにも、救いはないというのが、現実です。

麻生さんは「ブレまくり」と評価されていました。
民主党政権は、これから、もっと派手に「ブレ」ます。
麻生さんの「ブレ」など可愛いものだと言われるようになります。
麻生さんが一人で「ブレ」ているくらいでは国家の危機にはなりませんが、政権党が「ブレ」れば国が危険になります。

経済危機とオバマ大統領の出現、そして中国の覇権思想の台頭。
時代は過去の延長線上から外れて動き始めているのです。
こんなことは、誰でも知っていることです。
今は、百年先を見通して自分の立ち位置を決めなければならない時代です。
世界第二位とか経済大国という概念は意味を持ちません。
私見ではありますが、日本は世界の中で五十位くらいの場所に安定することが最適だと思っています。それも大変難しいことなんですが、立ち位置を決めるということは国の安定に繋がるのです。
世界の政治力学の中で日本の存在感はどこにあるのでしょう。微かに、一つだけありますが、それは寂しさに満ちた存在感なのです。北朝鮮という国が崩壊したときに、その出資者になる国という存在感です。米国や中国にとって、日本という国は怖い存在でも、考慮しなければならない国でもありません。まして、欧州各国にとっては、はるかなるジパングでしかありません。いずれ北朝鮮は崩壊するでしょうが、その時が日本の影響力の終焉でもあります。
世界の行方を正確に見通せる人はいないでしょうが、そのための努力を惜しまない国がある以上、我が国は大きく後れをとっていることになります。日本は先進国などと言っている人が多いのは論外です。国の運営にも哲学と思想は欠かせないのです。現状を認識し、将来を予測して、立ち位置を決める。そのためにやらねばならないことを決めて、国民の協力を求める。バラ色の未来などないのだから、厳しい内容になることは避けられませんが、それをするのが国家運営だと思います。

目の前のことを考えてみます。
民主党がマニフェストに書いた政策の財源が不安だと言われますが、そのことを突き付けるのはフェアではありません。これは実際にやってみないと答えは出てこないからです。前にも書きましたが「等価交換の法則」が立ちはだかります。自民党では捻出することができなかった財源を民主党は捻出するでしょうが、その配分過程で「ブレ」が生じます。国民の誰もが納得をする配分方法など存在しないからです。その「ブレ」を増幅させるのが民主党内にいる左派の存在と小沢一郎議員の存在です。社民党の存在も多少影響するでしょう。

自民党議員と民主党議員の間に何か差があるのでしょうか。民主党議員は国を想い民のために働く志士の群れではありません。国会議員なのです。保身のためなら何でもできる強かな人たちなのです。志士待望論を持った国民が、勝手に思い込んでいるだけのことです。期待した分、失望も大きくなるという副作用があります。いいですか、彼等は、志士の群れではなく、国会議員なのです。
もちろん、人気とりは必要ですから、それなりのことをするでしょう。でも哲学も思想もない政治家が人気とりをしたところで、国民が喜ぶことにはなりません。自民党政権の二番煎じになるだけです。

民主党は、官僚改革だと言っています。「笑わせちゃいけないよ」と官僚は思っているでしょう。明治維新からでも150年。お代官様の時代からだと数百年の実績があるのです。哲学もない烏合の衆が何を言っても平気です。官僚は一歩引きさがる知恵も持っています。最終的に管理ができれば、それでいいのです。そのためにキャリア官僚がいるのです。勘違いしないでください。キャリアは国のためにいるのではありません。官僚機構のために存在しているのです。政治家の中には、キャリア制度を廃止したら優秀な人材が集まらなくなると言う人がいます。完膚無きまでに飼いならされた国会議員の姿です。こんなことで官僚の優秀さを証明しなければならない悲しさに想いを馳せることはないのでしょうね。たとえ、キャリア制度を廃止しても、裏で代替機構が生まれるだけのことです。
次に、政治家が官僚と共犯にならざるをえない事情があります。法案の作成を官僚に頼らなければならないことは話題にのぼりますが、これは共犯ではなく共同制作です。政治は国民に対して全面情報公開されるものではありませんが、問題は本来情報公開しなければならない内容でも情報公開したくないというものがあります。もっと平たく言えば、国民を騙し続けたいという事情が起きてきます。その企みを成功させるノウハウを政治家は持っていません。ここは、官僚の独壇場とも言える舞台なのです。官僚は政治家のためにと言って全面協力を惜しみません。しかも、口は固いのです。そして、政治家が気づいた時は立派な共犯になっているのです。しかも、そのことがバレれば、政治家だけが悪者になるようにできあがっているのです。民主党議員のようにウブな政治家を騙すことなど朝飯前です。いつの間にか、官僚抜きでは政治ができない状況ができます。深い展望もなく、官僚改革を叫んでいる民主党。飛んで火に入る夏の虫。束になってかかっていっても勝ち目はありません。しかも、それが何故なのか、がわかっていない。哲学と思想がないからです。確かに哲学と思想は自分を縛りますが、それ以上に他者を縛るのです。

この一年、ねじれ国会を見てきた民主党に戦略はあるのでしょうか。改憲をせずに参議院を無力化する方策を実施することが、民主党の長期政権には不可欠です。なぜなら、来年の参議院選挙で再びねじれ現象が生じます。つまり、一年後には必ず揺り戻しが来るからです。参議院対策ができなければ政治空白が何年にもわたって長期化し、国は麻痺状態になります。一年後の民主党を想像してみましょう。亀裂につぐ亀裂で内部はボロボロになっていることでしょう。衆参同時選挙を予測している人がいますが、決して的外れではないと思います。

戦後60年の中で、今ほど国家運営の難しい時代はないでしょう。何が難しいかと言うと、下り坂にある国の運営です。人心が離反するのです。この難局を乗り切るためには、哲学と思想が欠かせません。このことを放置して、得意とする先送りをして、どん詰まりまで来てしまった時の哲学と思想は、軍国主義になる危険があります。絶対性という意味からも、軍国主義というのは哲学になりうるのです。
一等国などという考えは、もうやめませんか。G8からも自発的に退きましょう。国連で常任理事国になる必要もありません。国連負担金もODAもやめましょう。見栄を張っている場合ではないでしょう。国民目線と言うのなら、そういった対応を見せなくてはなりません。哲学と思想に欠けるから具体策が出せないのです。少子高齢化と人口比率を見ただけでも、五十年後の日本は様変わりしているのです。これからの日本にバラ色の未来はないのです。現状を認識し、将来を予測すれば、やらねばならないことは山ほどあります。その具体策を出せと言うのなら、いくらでも提示できます。残念ながら、今までの延長線上に日本の生きる道は見つけることができないのです。ただし、世界はいいとこ取りはさせてくれません。金を出すのではなく、血を流す覚悟もいるのです。世界と折り合って生き残る方法を模索するのです。ベスト10に入る必要はありません。その他大勢の中に含まれてもいいのです。いずれ、そうなるのですから。

哲学と思想なしで政権交代をしたって、何も生まれません。どうして政治家の皆さんは勇気を持たないのでしょう。先送りは、楽ですか。まさか、現状を認識できていないなんてことはありませんよね。
日本には、こんなことを考えて、議論して、成案を出そうとしている人たちがいるのだろうか。それとも、私のように小説の材料にする不埒な輩しかいないのでしょうか。

2009-08-26


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