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海の果て 第3部の 3 [海の果て]




浩平が京都に来て、一年が過ぎた。子供基金の方向性は、ほぼ決まってきている。もう、浩平が事務局にいる必要はなくなった。
藤沢から持ってきた資料をバッグに詰め込んで、亜紀の自宅を訪問している。
「優はもう寝てしまいました」
「はい」
「きっと、明日、私、怒られますね」
浩平は、優が寝ている時間を選んで来た。優に会うと自分の決意が鈍る心配がある。子供にはそれだけの力があると思うようになっていた。
「東京に戻ろうと思ってます」
「そうですか」
「亜紀さんには、ほんとに、力を貸していただきました。感謝しています」
「東京で何をするんです」
「まだ、決めていません」
「また、悪事に戻ろうと思ってますね」
「そうなるかもしれません」
「わかってます。奨学金なんでしょう」
子供基金独自の奨学金が欲しいという話は、二人で何度か話し合った。亜紀はお見通しのようだった。
「実は、保険を掛けようかと思ってるんです」
「保険」
「あの寄付金は不正な金だと言いましたよね」
「はい」
「そのことを話しておこうと思うんです」
「ええ」
「ただ、危険が伴いますので、躊躇してます。あなたの身に何かあったら、白石さんから預けられた白石グループの安全を、危険に晒すことにもなります。そこまで、やっていいものか」
「片山さんの悪い癖ですね。男らしいのに、どこか煮え切らない。一言、頼む、と言えば終わることです」
「殴られそうですね」
「私の方が強いとわかっていたら、そうしているでしょうね」
「すみません」
「話してください」
「僕が死んだときの保険ですから、それまでは、何も知らないと言い張ってください」
「わかりました」
「それと、その時点で危険があると判断したら、何も抵抗しないように」
「はい。そうします」
「実は、あの金は国家予算から、脅し取ったものなんです。ですから、税金なんです」
「税金ですか」
「官僚と政治家が不正に私腹を肥やしている事実を調べ、その事を公表すると脅して、取り上げたものです。その事が判明すれば、返還要求をしてくるかもしれません。確かに、僕は不正な手段を使って、手にしていますから、彼等なら返せと言いかねません。ただ、僕が取り上げたその不正資金は、どれも、全体の半分なんです。つまり、残りの半分はいまだに彼等の懐に入っているんです。官僚と政治家が国庫に返還するという条件なら、子供基金の寄付金も返還せざるをえません。ですが、彼等は自分の不正は認めないと思います。その時は、こちらも返還する義理はありません。その不正の証拠を持っていれば、突っぱねることができます。ただし、この証拠は両刃の刃ですから、あなたも危険な立場になる。一番の問題は、この証拠を公表してくれるメディアがないということです。既存のメディアは、この内容が余りにも危険なので、協力はしてくれません。残された方法は、ネット公表です。我々も、数回、このネット公表を使いましたが。これはこれで大変でした。でも、彼等が返還要求をしてきたら、ネット公表すると言えば、諦める可能性はあります。僕が言う、保険というのは、このことなんです。僕が生きている間は、彼等も無茶はしないと思っています」
「その不正資金が、あんな大金になったんですか」
「一部です。僕たちは不正資金の全容を解明した訳ではありません」
「片山さんは、基金の額を増やしたいと思っている。そうなんですか」
「僕は、もう三十人を超える人の命を奪っています。そのことが重くて、一旦、悪事から手を引きました。子供基金も、そこから逃れようとする悪あがきに過ぎませんでした。でも、結局、逃れることはできない。だったら、悪の上塗りをするしかない、残された道はそれしかないのだと思いました」
「聞いてもいいですか」
「はい」
「もし、一人も殺さなければ、片山さんは、ここにいますか」
「いないでしょうね」
「戦いなんでしょう。どちらか一方しか、生き残れない。私も、まだ、この手に骨の折れる感触が残っています。相手は生き残りましたが、私は、あの時、相手が死んでもいいと思ってました。戦いなんですから、仕方ありません。だから、あなたの責任とは思えませんが」
「その通りですが、法は認めてくれません」
「法に認めてもらわなければ、いけないんですか」
「そう言われると、困ります」
「気にすることじゃありません。肝心なところで、優柔不断になるのは、なぜなの」
「ええ。僕も自分が、情けない」
「それと、片山さんは不正な金だと言ってましたが、もっと正確に言えば、不正な手段を使って得た不正なお金だということですよね」
「そうなります」
「そのお金は、今、本来使われるべき場所で使われています。何の問題もないじゃないですか」
「そうは言っても」
「ほんとに、殴りますよ」
「すみません」
「それで、片山さんは、また命をかけようとしている。やめるという選択肢はないんですか」
「ありません」
「どうして、そこで男前になるんです。変ですよ」
亜紀は、手に負えないという表情をした。
「基金が十兆になれば、独自の奨学金も可能です。二十兆になれば、施設や職員の充実も図れます。三十兆になれば、施設に入りたいという子供が列を作ります。施設という意識が変わるんです。いいですか、年間三兆円の恐喝が十年続けば、三十兆も可能な金額なんです」
「それでも、命まで」
浩平は証拠になる資料と録音データの説明をして、亜紀に預けた。亜紀には片山のことを説得できないということがわかっているようだった。
「工藤開発と陣内組のこと、今、わかりました。あなただからできたんですね」
「その後、陣内組は」
「何も」
「そうですか」
「もう、京都には来ないつもりですか」
「わかりません」
「寂しいですね。私、片山さんのこと、兄さんだと思っています。白石があなたを後継者にしていたら、私は白石と夫婦にはならなかったんでしょうが、あなたのこと、他人だとは思えないんです。単純に生きていて欲しいと思うんです」
浩平は辛い気持ちで白石邸を後にした。相馬園長に電話して、時間をもらった。
「こんな時間に申し訳ありません」
「いいんです。いつも、遅いんです」
「子供基金の方も軌道に乗りましたので、東京に戻ろうと思います」
「そう。亜紀さんには」
「今、ご挨拶に行ってきました」
「何と言ってました」
「寂しいと言ってもらいました。兄だとも」
「そうね。今度のことで、亜紀さんは目を見張るような働きでした。あなたのためだったような気がしてるの。あの子は父親を知らないし、育児放棄をするような母親で、兄弟もいなかった。一番信頼していたご主人にも」
「はい」
「あなたのこと、兄だと思っているあの子の気持ち、わかります。寂しいんでしょうね」
「ええ」
「あの家も、引き払うの」
「そのつもりです」
「たまには、来てくれるの、京都に」
「時間があれば」
「そう」
「先生に、お願いしたいのは、亜紀さんのことです。支えてやって欲しいんです」
「ええ。でもね、私で支え切れるのかどうか」
「そこを、お願いしたいんです」
「そうよね。あなたがいなくなったら、私が支えなくてはね。あなたが京都に来てくれて、私、喜んでた。ほんとよ。あなたなら、あの子を支えてくれると思ったの」
「すみません」
「なにもかも、うまくいく人生ってないのかしらね」
「あったら、いいですね」
向日町の家に戻ると、福村が待っていた。
「どうしたんです。こんな遅くまで。彩ちゃんは」
「水島が見てくれています。東京に行ってしまうんですか」
「ああ」
「ほんとなんですね」
「福村さんの仕事、なくなってしまいました」
「誰もいないから、言いますけど、私、片山さんのお嫁さんになりたかったんです。知ってました」
「ごめん。気がつかなかった」
「だと、思いました」
「聞かなかったことにするよ」
「そうですね」
「水島君のこと、頼みますよ」
「わかってます。うまくいかないものですね」
向日町の家の後始末は水島に頼んでいるので、心配はない。浩平はバッグを一つ持って東京へ向かった。

上野のホテルから、本間直人に電話をした。
「片山さん」
「戻ってきた」
「ほんとですか」
「ああ」
「よかった」
「皆、元気か」
「はい」
「会いたいな、皆に」
「いつがいいですか」
「いつでも」
「今、どこです」
「上野」
「すぐに、行きます」
二時間も経たずに直人がやってきた。昔の面影は全くなくなった。後藤組から引き取った時の、あの拗ねた子供のような様子は遠い思い出になった。電話の声だけを聞いていたのではわからないが、落ち付いた成人男子で、普通のサラリーマンにはない、凄味のようなものがある。初対面の人間は直人を極道だと思うに違いない。二人はしっかりと握手した。阿南と似た戦友の感情が二人に出てきたのかもしれない。
「阿南さんは、少し遅くなります」
「藤沢だからな」
「他の仲間は、久し振りでしょう」
「ああ」
直人は、現状報告を熱心にしてくれた。浩平の留守を預かっていたという意識が強い。チーム片山の解散後は、保田と二人で、ごく普通の探偵社をやっていたそうだ。一時間もしないうちに、菅原と保田が来て、すぐに志保も来た。
「片山さん、別人みたいですね」
「片山さん、整形したんだって」
直人が、浩平の整形話を志保に話した。
「阿南さんがまだ来てないけど、子供基金に協力してくれたこと、ありがたいことだと感謝してる。この通りです」
浩平は皆の前で頭を下げた。
「金もあそこまでデカクなると、自分の金だと思えない。預かりものを返せて、ほっとしてる」
菅原の言葉に誰もが同意した。
「知ってます。光園の子供たちの目が変わりました」
「そう」
「園長先生も若くなったし。子供基金のおかげです」
「よかった」
志保の目も生き生きとしていた。
「まさか、こんなことになるなんて。どうして、こんなこと思いついたんです」
「保田さんの扶養家族とか、志保や直人の寄付金の影響かも。僕は誰のためにも、何にもやってなかった。保田さんたちは、誰かのために何かをやっていた。真似したかったんだと思う。昔、直人が世直しがしたいと言ってたが、それもあったかな」
「片山さんだって、僕たちのためにやってくれたじゃないですか」
「いや。利用したにすぎない」
「そんなことありませんよ」
保田が少し納得いかないという表情だった。
「僕は自分自身の閉塞感から逃れるために、あの恐喝をやっていた。一人ではできないから、皆の力を借りた。だから、皆の身の安全は、あらゆることに優先していた。自己満足のために、他人を犠牲にすることはできない。これは、プライドというより自己保身だったんだと思っている。どこまでも自分族だったんだ」
「片山さんは、時々訳のわからんことを言い出すから、困る」
「すみません」
浩平は菅原に謝った。
「京都の白石さん、憶えてるよな。あの白石さんが、子供基金のことでは先頭に立ってくれたんだけど。あの人に言われた。僕は、優柔不断で煮え切らない男だと。時々、殴りたくなるそうだ」
「賛成。時々、そうなる」
白石亜紀の意見は、浩平を除いて、全員一致だった。
「国に喧嘩しかけたり、こんな基金を作ったり、逆立ちしたって俺にはできん。今は、生まれてきたことを後悔してないし、明日、死んでも、悔いはない。これは、あんたのおかげなんだ。それで、いいじゃないか」
「菅原さん。今日はよくしゃべりますね」
「へへへ」
「菅原さんだけじゃありません。皆、そう思ってますよ」
直人が菅原に同意すると、志保も保田も納得したように頷いた。
志保が光園の子供たちのことを、夢中になって話した。施設の子でも夢が持てる、卒園した子でも帰る場所がある、このインパクトは強烈だったようだ。それは、卒園年齢になった子供たちだけではなく、卒園という言葉の意味がわかっていない子供の目をも輝かせた。志保は、うらやましいとさえ思ったようだ。
「剣埼先生に僕の名前、言ったことがある」
「すみません。随分と昔ですが、言ったことがあると思います」
「初めて行ったのに、先生から礼を言われた。あれは、志保のことだったんだ」
「大丈夫でしょうか」
「あの先生なら、心配ない」
阿南が到着した。
「これで、全員揃った。改めて、皆に相談がある。全国に児童養護施設は六百近くある。いずれ、子供基金は全部の施設に基金を出していきたい。そこで、簡単に言えば、資金が足りない。今は五千億だが、最終目標を三十兆円としたい。最初は二兆もあればと思ったけど、奨学金も出したいし、施設のスタッフの待遇もよくしたい。それと、どこの施設も古くて、いずれ建て替えを迫られる。だから、目標を三十兆としたい。これは、途方もない金額になる。だから、年間一兆円を三十年続けることを目標にしたい。やってもらえるだろうか」
「無理だな。俺は三十年も、もたんよ」
菅原が笑顔で答えた。
「菅原さんなら、いけますよ」
保田の言葉に全員で爆笑したあと、全員が賛同した。
「チーム片山の鉄則は事前準備だった。これからは、もっとシビアになる」
阿南が真剣な表情で話しだした。
「片山さんのことは心配していない。自分も含めて、残りの五人に問題がある。たとえば、直人が捕らえられたとする。直人は全部吐かされることになる。そうなれば、次々に逮捕される。どうする」
「僕は、吐きませんよ」
「通常の取り調べなら、そうだろう。でも、チーム片山はテロリストだと思われている。当然、公安や自衛隊も参加する。我々は、自白剤を打たれても吐かないという訓練はしていない」
「自白剤」
「そう。自分が捕まっても、多分、全部話してしまうことになる」
「訓練はできるんですか」
「いや、我々には、無理だろう。専門の施設と専門の医師団が必要になる」
「どうすれば、いいんですか」
「捕まったら、死ぬことだ。死んだ人間に自白剤は効かない」
部屋の中が静まりかえった。
「どうして、私達、五人なんですか」
「片山さん、のことか」
「はい」
「品川埠頭でのことは、遠くて見れなかったと思う。片山さんは、何人でも殺せる。だから、この人は捕まらない」
「阿南さんの言ったことは、一つの案だと思う。僕は、誰かが捕まった時に、この仕事は終わりにすればいいと思う。そうすれば、自決する必要はない。知っていることを全部話せばいい」
「片山さん。それは違う」
阿南が沈痛な面持ちで言った。阿南は何を感じているのだろう。
「昔、片山さんが言ってたが、どんな罪状で逮捕されても、我々は、裁判を受けることはできない。わかるよね。我々の罪状を証明するためには、国がやっていた不正を公表することにつながっている。逮捕されて、裁判が開かれないとしたら、逮捕された人間をどうする。無罪放免にするのか。それは、ないだろう。殺されるかどうかはわからないが、戻ってくることはないと思わないか。自分には、詳しいことはわからんが、公表するぞ、と言う脅しで、奴等は大金を出した。防衛省は二千五百億だぞ。どうしてなんだ。それだけ出しても守りたいものがあるんだろ。五人のテロリストの命など、奴等は躊躇しない」
戦士としての直感が、阿南に危険を知らせているようだ。
「自分は、仲間を危険に曝すより、自決を選ぶ」
「待ってください、阿南さん」
「誰かが、捕まって、仕事は中止、それでは終わりませんよ、片山さん」
「交渉するんです。生き残ってくれたら、交渉します。死んでしまっては、交渉できません。必ず、取り戻します。彼等にとって、一番の問題は、体制の崩壊なんです。交渉の余地はあると思っています。自決は駄目です」
「奴等、交渉には乗りませんよ。自分が逆の立場なら、証拠もろとも、ふっ飛ばします。生かしておいたら、何が起きるかわからない」
「阿南さん。その証拠ですけど、今、どこにあるのか知ってますか」
「藤沢でしょう」
「もう、藤沢にはありません。ここにいる誰もが知らないのに、警察にわかりますか」
「そのぐらい、調べるでしょう」
「なら、証拠を見つけるまでは、時間があります。その間に、交渉します」
「自分は、難しいと思いますがね」
「ともかく、自決は禁止です。ギリギリのところまで生きてください。僕が取り戻します。勝手に死に場所を決めてもらっては困ります」
「命令ですか」
「そうです」
「わかりましたよ」
「ただ、皆、住所不定になってもらう。誰がどこに住んでいるのかを知らなければ、捕まった人間も吐きようがない」
「藤沢は、どうするんですか」
「藤沢には、僕と阿南さんが住む。警察が押し寄せてきても、あそこなら、持ちこたえることができる」
「わかりました。あの家を要塞にします」
「それと、藤沢の固定電話からのワン切りは、危険信号。姿を消して欲しい。危険が一杯だけど、皆、やってもらえるだろうか」
「もちろん、です」
全員が同意してくれた。交渉して救い出すと言ったが、救いだせるという確信はない。仲間を失うことも覚悟しなければならないが、危険があってもやるつもりだった。
「何をすれば」
「先ず、保田さん。池崎さんのチームはどうしてますか」
「変わりありません」
「人数、増やせませんか」
「何人にするんです」
「多ければ多いほど、いいですね」
「一度、話してみます」
「各省庁と外郭団体、全ての経理データを集めたい。歳入と歳出の全てです。今までは、歳出に関する部分が多かったんだけど、歳入も調査したい。膨大な量になりますので、池崎さんたち三人では大変でしょう」
「わかりました」
「直人と保田さん。調査対象のリストアップと、池崎さんたちの仕事を助ける情報の収集。菅原さんの協力もいります。阿南さんは、待機です。僕は、経理屋さんを捜して、志保と二人で勉強する。いいな、志保」
「はい」
「直人」
「はい」
「中規模の会計事務所を捜して、履歴書を撮影してきて欲しい。そして、浜中調査事務所に素行調査を頼んでくれ」
「わかりました」
「あと、携帯が大量にいる。継続して手に入るようにしてくれ」
「はい」
「志保は、明日から僕の秘書だ。朝九時にここに来てくれ」
「はい」
「アパートを探したい」
その日から、新しいチーム片山が行動を開始した。翌日、浩平と志保は本郷界隈で小さなアパートを探した。上野商事の社員寮にすると言うと、不動産屋が戸建ての貸家を勧めたので、それを契約した。車も二台は楽に駐車できるし、洋風の二階建の家には一階と二階に台所とバストイレがあって、不動産屋が言ったように社員寮としては最適だった。同じ不動産屋で上野商事の本郷別室としての事務所も契約した。その不動産屋の二代目は商売熱心な若い男で、事務機器の手配をさせてくれと言われ、全てを任せた。
「片山さん。私も、あの家に住んでもいいですか」
「いいけど、生活は別だよ」
「はい」
「じゃあ、志保が二階だ」
二人は秋葉原で家電と家具を買った。全て二セットなので、店員は大喜びだった。
保田に呼び出されて、浩平は志保と別れた。
「どうしました」
「池崎さんが、片山さんに会わせてくれ、と言ってきかないんです」
「わかりました」
浩平と保田は、チーム池崎のマンションに行った。池崎たちの部屋は、いつ行っても不思議な臭いがする。
「池崎さん。久しぶりです」
「片山さん」
「僕、歳取りましたか」
「いえ、少し違うかなと」
「片山ですよ」
「ですよね」
「何か、話があると」
「あっ、はい。保田さんから言われたんですけど」
「人数ですね」
「はい。どうしても、でしょうか」
「と言うと」
「自分で言うのも変ですが、こんなことをやってる奴は変な奴ばかりなんです。ここの三人は長い付き合いだし、折り合いはついているんですけど、新しいのが来ると、たぶん潰れると思うんです。つまり、パフォーマンスと言う意味では、かなり低下しますし、下手すると空中分解してしまいます。だから、このままで、やらせてもらえたらと思っているんです。どうしても、と言うなら、仕方ありませんけど」
「でも、膨大な仕事量ですよ」
「はい。聞きました。必死にやります」
「それじゃあ、ミス出ませんか」
「そのことは、大前提でやります。お願いします」
「そうですか。保田さんは、どう思います」
「池崎さんたちのことは、僕ではわかりません。でも、専門家がこれだけ言うのですから、ここは池崎さんの言うことが当たっていると思います」
「わかりました。では、そうしましょう」
「ありがとうございます」
「でも、体を壊さない程度にしてください。元も子も無くすのは困ります」
「はい」




再出発から二か月が過ぎ、計画は軌道に乗った。データも集まってきた。浩平は、五人の子持ちの畑山志郎という会計士にアルバイトを持ちかけた。時給一万円なので、畑山は二つ返事だった。五人の子供たちに、存分に食べさせたい。不正の片棒を担ぐことになることにも、腹をくくったようだった。上野商事本郷分室で、畑山を先生とする分析チームが動き始めた。畑山は決算月の財務諸表と預金口座の入出金記録を見て、諸勘定元帳が必要だと言った。チーム池崎は、勘定元帳を収集のために二度目のハッキングをやった。
「これは、変だということでいいですか。証拠は難しいと思います」
「難しい、ですか」
「どうにでも、言い逃れを考えられます。国税庁の調査のような方法であれば、可能かもしれませんが」
「わかりました」
「たとえば、ここは、人件費に見合った費用が発生していません。つまり、架空の人件費が計上されている可能性があります」
「なるほど」
「それと、この仮受金は、飛ばしだと思います。年間の歳入に比べて金額が多いいのは、剰余金ではなく、ここがダミーに使われているのでしょう」
「どういうことです」
「決算月には、仮勘定は消えます。省庁も独立行政法人も決算月は三月です。表に出せない勘定は、決算月の違うところに付け替えればいいんです」
「ということは、決算月だけ外して、ぐるぐる回せば、表に出ない」
「税金を納める必要のない公益法人であれば、可能でしょう。ここにあるのは、厚労省の外郭団体ですよね。国税庁と話はついているのでしょう。監査はないと思います。会計基準に基づいた資料さえ揃えておけば問題はないでしょう。その中身までは調べないと思います。こんな桁違いの仮受金が存在するということが、普通ではありえません。しかも、決算月にはきれいになってる。会計検査院が監査する立場にありますが、片山さんの話では、この不正は厚労省主導でされているんでしょう。であれば、表には出ません」
「どうしてですか」
「会計検査院ですか」
「ええ」
「あれは、行政上のポーズです。検査してますから、皆さん安心してくださいという形だけのものです。各省庁から、お土産を貰ってきて、発表しているだけです。各省庁は検査院用の案件を作ります。国民に安心感を持ってもらうためには必要なんでしょう」
「では、省庁の監査はどこがするんですか」
「そんなものありません」
「やりたい放題」
「国のトップに立つ中央官庁が、悪いことをするはずがない。これが、基本ですから」
「でも、実際にやってますよね。不祥事という形で。でも、取り締まれない」
「無理でしょう。そんな法律を作る訳がない。法律を作っていると言われる国会議員は、それなりに法律で縛られていますが、省庁を縛る法律はありません。だから、会計検査院が必要だったのでしょう。自浄能力に期待するしかない。そんなものありませんけどね」
「畑山さんは、それを、どう思います」
「どうって。私はそう言う体制の中にいますからね。考えてもね」
「ですよね」
「片山さん。この調査で、あなたが何をするつもりなのかは聞きません。いえ、聞きたくありません。私は、経理データの矛盾点を発見するだけのアルバイトでいいんですよね」
「もちろんです」
「確かに、矛盾を感じたり、義憤を感じたりしますよ。でも、私には、子供たちの方が大事なんです。わかってください」
「わかってますよ。だから、あなたにこの仕事をお願いしているんです」
分析チームは資料に埋もれた三か月を過ごした。どこの省庁も特別会計を持っている。その歳入額を監査する機関がないので、数字は作り放題になっている。その剰余金が、隠し金として存在している。隠し金を使っている様子はないので、不正とは言えないのかもしれないが、隠していること自体が不正とすることにした。全省庁の隠し金の合計は八十兆円にもなり、年間の国家予算に匹敵する。
ただ、恐喝の材料はない。チーム片山は恐喝集団ではなく、窃盗集団にならなくてはならない。省庁は盗難届を出すのだろうか。
浩平は、チーム池崎のマンションを訪問した。
「池崎さん。この金を盗み出す方法はありませんか」
「全額ですか」
「いえ。三十兆でいいです」
「考えます」
「お願いします」
畑山は三ヶ月間、土日返上で働き続けた。月額四十万のアルバイトは畑山にとって最重要事項だったと思われる。畑山の本気に、浩平たちが引っ張られていた時もあった。
「私の名前は出ませんよね」
「ええ。あなたさえ、黙っていれば」
「はい」
「御苦労さまでした」
畑山のアルバイトは終わったが、浩平と志保は資料の整理に没頭した。証拠品にならないかもしれないが、省庁の隠蔽を明らかにする資料にはなるだろう。
上野商事本郷分室の役目も終わるだろう。志保が夜食を買って来てくれた。
「大変な作業だったな」
「はい。こんな仕事初めてでした」
「志保は、よくやった」
「そうですか。限界ギリギリでした」
「もう一つ、頼めるか」
「はい。なんでしょう」
「スイスに行って欲しい」
「は」
「スイス」
「片山さん。もう少し、前振りしてください。大変だぞ、大変だぞ、実はこういうことだと言ってください。いつも、突然で、頭がついていきません」
「すまん」
「もう」
「大変だぞ、これは」
「もう、いいです。本題に入ってください」
「料理、好きだよな」
「はい」
「スイス料理の修業に行ってみないか」
「どうして、スイスなんですか」
「今度の窃盗は、金額が大きい。少し、時間を置く必要があると思っている。向こうも必死だろう。資金凍結の荒技を使ってくるかもしれん。だから、資金はスイスに置いておきたい。志保は、その送金役をやって欲しい」
「送金」
「子供基金への送金。五年とか十年かけて送金したい」
「そうですね。五年で三十兆を送金すると、年間では六兆円の送金になりますね。毎月、五千億になります。これは、異常です」
「志保が現地にいなくても、送金できる方法を作ってくれたら、早く帰れる」
「うわあ。たいへん」
「現地に行っても、すぐに送金する必要はない。言葉とか就職先が先だ。ただし、口座開設だけはやってもらう必要はある。事情がわからないから、銀行は筒井さん経由で紹介してもらう。初めての事ばかりだな」
「ほんと」
「考えておいてくれ」
「はい」
当初の目標は、年間一兆円を三十年としていたが、実際にやってみると大きく変わる。問題はその金額の大きさだった。わけのわからない人間の口座に、何兆もの資金が入ってくれば、銀行から警報が鳴りだすだろう。時間との戦いになることは予想できた。細部にわたるシュミィレーションが必要だ。浩平は再び池崎のマンションに行った。
「何か、方法ありますか」
「まあ」
「また、池崎さんの選択肢を狭くしてしまいますが、三日間で、できますか」
「三日」
「すみません。それと、実行は数か月先にしたいと思っています」
「今、考えているのは、フィシィングです」
「それは」
「銀行に繋ぐと、こちらが作ったホームページに飛ぶようにします。そこで、送金処理をしてもらいます。実際には送金処理は出来ていませんので、我々が送金先を変えて送金処理をすることになります。いずれ、調べればバレますが、暫くは気がつかないと思います。それを、何か所もの場所でやりますので、張り付かなければなりません。ここも、バレる可能性があります」
「そうですか」
「これって、かなり危険ですよね」
「ええ。池崎さんたちも、どこかに隠れてもらわなくてはなりません。東京を離れる必要もあります。警視庁管内では、厳しいかもしれません」
「そうですね」
「保田さんに頼んでおきます」
「はい」
打ち合わせはホテルと決まっていた。別個に宿泊し、浩平の部屋に集まって打ち合わせをする。その都度、ホテルは変わったが、やり方は同じだった。
「昨日、池崎さんに会ってきた。ほぼ、やり方は決まっているようだった。ただ、今回は池崎さんも危険を感じている。皆も、同じだと思う。これが、最後の仕事にしょう」
誰にも異論はなさそうだった。
「先ず、退路をはっきりしておきたい。保田さん。池崎さんたちの新しいねぐらを確保してほしい。それと、僕たちがバラバラになったとしても、あの三人が生活できるようにしてほしい」
「はい」
「それと、志保。どうする」
「はい。行きます」
「すまん。志保にはスイスに行ってもらう。資金管理をやってもらう」
「阿南さん。筒井さんに、スイスの銀行を紹介してもらえないか、聞いてみてくれ」
「はい」
「直人。この仕事が終われば、上野商事は使えなくなる。池崎さんには、三日でやってくれるように頼んだ。金は直接上野商事に入れる。すぐに、ルートに乗せてくれ」
「はい」
「今回の、洗浄ルートの最終地点は、スイスの銀行にしたい」
「はい」
「こんな大金は、初めてのことだから、何が起こるか見当もつかない。危険と判断したら、その時点で中止する。国の金が三十兆円無くなり、子供基金に三十兆の寄付があったんではバレバレだから、志保はしばらくスイスに滞在してもらうつもりだ。皆も地下に潜ってもらわなければならない。念のため、菅原さんも電気工事士を辞めてほしい」
「わかった」
「実行は数か月後になると思うので、今のうちに辞めた方が無難でしょう」
「ん」
「阿南さんは、本気でアメリカに行ってください」
「片山さんは」
「僕も、地下に潜ります」
「つまり、今度こそ、チーム片山は解散なんだ」
「そうです。誰がどこにいるかもわからない。自分の力で生き伸びてください。もう、再結集はありません」
「ま、いい夢をみさせてもらったな」
菅原が、しんみりとした声で言った。
「今、残金はどのぐらいある」
「約二千億です」
「半分はスイスの銀行口座の資金にして、残りは七人で分けよう」
「七人ですか」
「ここには、いないけど、池崎さんの分だ」
「わかりました」
「ただし、預金では駄目だ。現金でないと、追われることになる。現金を作るのは僕がやる」
「でも、百億もの金、現金では持てませんよ」
「それもそうだな」
「一人、十億にして、残りは寄付するのは、どうです」
「どうする」
「私は、いらない。スイスには持って行けないから」
「スイスの金は、志保の自由に使っていいから、志保は外そう」
全員が同意した。
「じゃあ、決行する月までプールしておいて、それを寄付しよう」
「了解」
「他に、何かあるか」
「僕も、スイスに行ってもいいですか」
「ん」
「保田さん」
志保が驚いた顔で保田を見た。
「志保。どういうことだ」
「ええ」
「結婚を申し込みました。断られましたけど。何年も帰ってこないんでしょう。それに、チーム片山も解散だし」
「いい話じゃないか、なんで断る」
「ええ」
「志保は片山さんのことが好きなんです」
「はあ」
「違います。私は結婚しないと決めてるだけです」
「僕も片山さんのこと好きだから、志保が好きになっても当然だと思う。でも、結婚は別だと言ったんです。違いますか」
「いや。違わない。それに、僕は心に決めた人がいる。その人が、うん、と言ってくれなかったら、一生独身のつもりでいる」
「でしょう。そのことも言ったんです。信じてもらえませんでしたけど」
「誰なんですか」
「勘弁してくれよ」
「志保が、オーケーしてくれたら、僕の十億もいりません」
「志保、もう一度、考えてやってくれ。保田さんは本気だ」
志保はうつむいてしまった。
「どちらにせよ、二人でよく話してくれ。他には」
「もう、辞めるから、いいんだけど、担当が変わった。今は財務省だ」
「何かあったんですか」
「わからん。総替え。ぐるりとローテーションした。国交省の担当だった人間が、一度に三人退職して、後が大変だったからかもしれんが」
「そうですか」
「藤沢の家、要塞にしたけど、無駄だったかな」
「そうなりますね。それより、横浜の倉庫。解約した方がいいのかな。これも、筒井さんに確認しておいてください」
「わかった」
「他には」
いい仲間に恵まれていたんだと思った。
「直人と相談がある」
直人だけを残して、一人ずつ廊下を確認して出て行った。
「すまん。おまえと地獄まで一緒だと言ったけど、これで終わりにしなければならん」
「わかってます」
「どうする」
「どこかで、施設の仕事をしようと思ってます。大検も受けます」
「光園じゃないのか」
「身元が割れた時、迷惑かけますから」
「そうか。紹介しょうか」
「迷惑、かからなければ」
「京都に、のぞみ園という施設がある。いい先生だと思う。僕が紹介すると問題あるかもしれないので、別の人に紹介してもらう」
「はい」
「相馬保育園という施設がある。名前は保育園だが、立派な養護施設だ。そこの先生は頼りになる。頼んでおく。決行日までは時間があるから、行ってきたら」
「はい」
「垢の付いていない戸籍で、向こうに部屋も確保してこいよ」
「はい」
「連絡はしないけど、僕も京都に潜るかもしれない」
「そうなんですか」
「ああ。名前を教えてくれ」
「井岡にします。名前が一緒なんです」
「井岡直人」
「そうです」
「連絡しとく」
「来週の月曜日に行きます」
直人は大人になった。後藤祐樹が生きていたら、どう言うだろう。昔がどんどん遠くなる。
浩平は一人になって、事前準備に漏れはないかを考えた。保田と志保があのような関係になっていることに気がつかなかった。本郷の貸家に志保が浩平と一緒に住んでいた時の、保田の気持ちはどんなものだったのだろう。知っていれば、別々の部屋を借りていた。
一ヶ月後に保田と志保がスイスに旅立った。保田も志保も新しい名前でパスポートを取り、現地でも別々に生活をするという。頑固な女だが、保田が同行することは認めたらしい。阿南は現地調査でアメリカに行った。直人は京都での生活拠点を作って戻ってきている。浩平と直人は、池崎たちの引っ越しを手伝った。
更に一か月が過ぎ、スイスの銀行に子供基金と言う名前の口座ができた。上野商事のルートに乗せて、スイスに一千億を送金した。
決行の日は九月十二日と決まった。九月を見送ると十二月になる。
浩平は、真崎組の松木に電話をした。
「中野ですが」
「中野さん」
「変わりありませんか」
「なんとか」
「お願いしたいことがあるんですが」
「私にできることですか」
「現金がいるんです」
「いくらですか」
「五十億です」
「大変な額ですね」
「百億送金します。残りの五十億は手数料です」
「五十億ですか」
「検討してみてください」
「はい。時間は」
「十日」
「わかりました。明日、電話してください」
「頼みます」
「中野さんの電話は、いつも驚かされる」
「念のためですが、足のつくような金は駄目ですよ」
「わかってます」
送金もせずに、五十億の現金を用意しろ、と言っても松木は応じるだろうが、商売にしてしまった方が問題が少ないだろうと判断した。
十日後に、トラックごと五十億の現金を受け取った。本郷の貸家でワゴン車に乗せ替えて、藤沢へ向かう。もう、この貸家に来ることはないだろう。一年分の家賃が引き落とせる残高は残してあるので、問題が発生するとしても、まだまだ先のことになる。直人と菅原には、藤沢で現金を渡して、池崎の分は浩平が運んだ。チーム池崎の作業は横浜の新しいマンションでやっている。当日だけ、古い部屋に戻って、決行する予定になっている。浩平と阿南は、その古い方のマンションの清掃に力を入れた。もちろん、家主に対する礼儀などではなく、池崎たちの証拠を消すことが目的だった。
スイスチームを除いたチーム片山が藤沢に集合した。
「これが、チーム片山の最後の打ち合わせだな」
「はい」
「菅原さんは、もうやることがないから、明日から消えてください」
「わかった」
「直人は、上野商事の資金操作が完了するまで。最後の送金が確認できたら、消えてくれ」
「はい」
「僕と阿南さんは、池崎さんたちの送迎と、盗聴器のデータ収集をやります。二人も、最後の送金が確認できたら、消えます」
「了解」
「トラブルが発生した時は、その時点で終了。絶対に助平根性は出さない。いいな」
阿南とは最後まで一緒だが、菅原と直人には、もう会うこともない。四人は無言で強い握手をした。
九月十二日になった。チーム池崎の三人と浩平と阿南の五人がビニールの敷き詰められた部屋に集まって、六台のパソコンを並べた。十二日からの三日間に振り込みが実行されるだろうと予測しているだけで、確証はない。部屋は緊張感に満ちていた。チーム池崎の三人は交替でトイレに行っている。相手にとっても大きな仕事だから、朝一番に反応があると思っていたが、十時になっても反応はなかった。
「間違ってるんでしょうか」
池崎は、自分の予測に自信を持っていただけに、その不安は大きいようだ。
「気長に待ちましょうよ。三日間ありますから」
阿南が昼食を買ってきたが、誰も箸をつけなかった。
六時を回り、植田と平井の二人を阿南が送って行った。池崎と浩平は、この部屋で一夜を明かすことになっている。直人に電話を入れて、簡単な報告をした。
「池崎さん。一人で大丈夫ですか」
「はあ」
「盗聴データを取りに行ってきますが」
「ああ、はい」
浩平は戻ってきた阿南の運転で、六か所のデータを収録に行った。部屋に戻って三人で確認したが、なんら変わったことはないように思える。
「池崎さん。寝ておいてください」
「とても、眠れません」
三人は、昼食に買ってきたつめたい弁当を少しだけ食べた。
明け方の三時に、阿南が二人を迎えに行った。
平井が、鞄に薬を詰め込んで持ってきていた。胃薬、頭痛薬、安定剤が入っている。池崎は胃薬を飲んだ。
九時を過ぎ二日目が始まった。だが、なにも起きない。池崎は何度も何度もテストを繰り返した。こちらのソフトに欠陥があるように感じているようだった。




二日目も空振りに終わったようだった。
植田と平井も泊まり込みを希望した。池崎はこの仕事が失敗に終わることを心配していたが、二人は池崎と離れていることに不安を感じているようだったので、池崎も承知せざるをえなかった。池崎はそれよりも二日間の空振りがこたえていた。
「どうしましょう」
「心配いりませんよ。一件もなかったことが救いです。まだ、三日間あります」
「そうですね」
浩平と阿南はデータを取りに行って、五人で聞いてみたが、違和感はどこにもない。
「池崎さん。明日は、六件全部来ますよ。眠っておいてください」
「はい」
三人が一緒にいることで、チーム池崎は落ち着きを見せた。仮眠ではあったが、三人は熟睡しているように見える。浩平と阿南も眠ることができた。
九月十四日になった。阿南が食糧の調達に行き、三人が並んで歯を磨いている。この三人を引き離したら、生き伸びることができないかもしれない。ほんとに、世の中には色々な結びつきがある。
熟睡したことで、五人の窃盗集団には落ち着きがあった。
「きた」
平井が大声を出した。
「こっちも、来た」
チーム池崎は画面に釘付けになった。六台のパソコンが、全て反応している。しばらくすると、三人の男がキーボードを叩き始める。普段は頼りなさそうに見える三人の男からアドレナリンが噴出しているのが見えるようだった。
浩平は、直人に連絡を入れた。
「全部で、六件。金額は合計で、三十八兆」
「了解」
浩平は電話を切って、池崎の顔を見た。
「やりましたね」
「はい」
「これで、池崎さんたちの仕事は、全て終わりました。ありがとうございます」
「よかった。一時はどうなるかと思いました」
「阿南さん。送って行ってください。僕はここの片づけをします。また、戻ってきてください」
「了解です」
四人が部屋を出て行き、浩平は丁寧に一部屋づつ磨き始めた。もしも、警察がこの部屋に踏み込んで来ても、指紋の一つも出ない部屋にしておきたい。池崎たちを犠牲者にするわけにはいかない。あの三人は限られた場所でしか生活をしないので、発見することは難しいだろう。手袋と足袋をつけて、家中に敷き詰めたビニールを巻きとり、掃除器をかけた。できれば、髪の毛の一本も残したくない。ビニールを入れたダンボールと掃除器を玄関の土間に置いて、阿南の到着を待った。警察の捜査が入る前に、別の人間が引っ越ししてきてくれるとありがたい。
「データ収集に行きます」
「了解」
二人は六か所のデータを集めた。イヤホーンで聞いたかぎりでは、異変は起きていない。上野商事から洗浄ルートに乗せるためには、銀行間の決済が終了しないと送金できないので、一日必要になる。上野商事から洗浄ルートの銀行に送金すると、その決済のために、さらに一日必要になる。後は洗浄ルートを回るために、およそ八日がかかる。だから、スイスの銀行で使える金になるためには約十日必要になる。それまでは事件になって欲しくなかった。
「警察庁の盗聴器は、まだ生きてるのかな」
「さあ。直人に聞いてみないと」
「行ってみればわかるか」
「行きますか」
「お願いします」
警察庁の盗聴器は、まだ生きていた。警察庁の三つのデータを取って、藤沢に向かった。
藤沢の家で阿南が料理を作ってくれている間に録音データの確認を始めた。五時間分のデータが九つあるので、阿南と二人で聞いても一日掛りの仕事になる。飛ばしながら聴く技も上達しているので、徹夜をすれば何とかなりそうだ。三日間はデータ収集するつもりだから、しばらくは寝る時間を削ることになる。
翌日の九時三十分に直人から、送金完了の連絡があった。
「直人の仕事は終わった。お疲れ。そこを引き上げてくれ」
「はい」
「じゃあな」
「はい」
直人は、自分の気持ちにケリをつけたようだった。
「コーヒーです」
「阿南さんのコーヒーも、もう飲めませんね」
「まあ」
「もう、阿南さんも離脱してください」
「でも、まだデータ取りに行くんでしょう」
「一人で大丈夫ですよ」
「聴くだけでも、大変ですよ」
「あと、一日だけですから」
「じゃあ、あと一日だけ付き合います」
「わかりました。あと一日だけ、ですね」
夕方に、二人で都心の七か所からデータ収集をしてきた。車の中で飛び飛びに聴いたかぎりでは、まだ発覚していないようだった。明日の朝の銀行間交換決済が済めば一安心できる。あと数日は録音データの確認をするつもりだったが、阿南にはそのことを言っていない。明日は浩平も藤沢を離れようと思っていた。
夕食はコンビニのパンで済ませていた。
「最後のコーヒーです」
「すみません」
「自分は、どれを聴きましょう」
「これを、頼みます」
今日も徹夜になる。
十二時を過ぎた時に、浩平の肌に神経が浮き上がってきた。それは、危険信号だった。
「阿南さん。敵だ」
「は」
イヤホーンを外すと、すでに、殺気は家の周囲に満ちていた。
「囲まれた」
阿南の行動は早かった。先ず、窓を閉じた。ガラス戸の内側にある板を落とす。本棚を動かして、武器を持ち、中二階の階段を駆け上がって、板戸を外すとモニターが並んでいる。阿南が、モニターの電源を入れると、監視カメラの映像が現れた。
「囲まれてますね」
街灯の明かりだけだったが、機動隊の楯がある。
「片山さん。ここに来てください」
中二階は物置のような部屋だったが、阿南が改造したようだった。浩平は階段を昇った。
「ここは、補強してあります。ロケット砲に耐えられるかどうかはわかりませんが、小銃なら大丈夫です」
「要塞にする、と言ってたのは、このことですか」
「ここだけではありません。庭には地雷が埋めてありますし、ロケット砲も、手りゅう弾もここに置いてあります。敵が警察なら、催涙弾ですよね。マスクはここです」
板戸を外すと、棚の上に武器が整然と並べられていた。
「あと、銃と弾薬を運びます」
「手伝います」
浩平と阿南は小銃と弾薬を五回にわたって運び上げた。
「水だけは、上げておきましょう」
阿南は、ペットボトルをまとめて持ってきた。
「どうしましょう」
「ん」
「こちらから、仕掛けますか」
「いや」
「はい」
「どうして、ここがわかったんだろう」
「さあ。でも退路は無くなったようです」
「少し、様子を見ましょう。退路はありませんか」
「この方向なんですけど」
阿南がモニターの一つを指差した。そこにも楯が街灯に光っていた。
「窓を閉めたから、相手も気づいてるでしょう。向こうの接触を待ちましょう」
「了解」
「阿南さんだけでも、離脱できませんか」
「もう、無理でしょう」
「数で押し寄せて来ても、僕一人なら、なんとかなりますが、僕の気道は敵と味方の区別はできないんですよ。阿南さんを殺してしまうんです」
「いいですよ」
「そうはいきません」
「気道から逃れる方法はないんですか」
「岩の中とか、シェルターの中とかですね」
「あそこに、地下壕があるんですけど」
「地下壕」
「ブロックとセメントなんで、機密性があるとは言えませんが」
「どこです」
一階の西端の床を持ち上げると、マンホールの蓋があり、それを外すと、中には小さな空間があった。
「二人入ると、一杯ですけど」
「どうして」
「前に、片山さんが、やられる時は爆弾だと言ってましたから。直撃弾なら無理ですが、多少は役に立つかもしれないと思って」
「自信はないけど、最後はここに退避してください」
「了解」
「それにしても、いろいろとやりましたね」
「これが、えらく、楽しかったんです。畑より、楽しかった」
二人は中二階に戻った。モニターを見る限りでは変化はなかった。
「近づけるのは、正面だけです。地雷を抜けて近づくのは難しいと思います」
「爆薬を扱えるテロリストだと思われてますから、簡単には近づいて来ないとは思いますが、わかってない人もいますからね」
「地雷を踏んで死ぬ奴が出る前に、あの車を爆破しましょうか」
「積んであるんですか」
「いえ。ロケット砲で」
「待ちましょう。それより、狙撃隊ですね。もう、何か所かで銃を構えてます」
「わかるんですか」
「銃口を向けると、どうしても殺気がでますから」
「そうなんですか」
「阿南さん、今のうちに寝ておきましょう。明日は厳しくなりそうです」
「はあ」
「僕が先に寝ます。三時間したら起してください」
「はい」
浩平は床に横たわって、目をつぶった。ここまできたら、先のことを考えても意味がない。出たとこ勝負しかない。阿南を昨日のうちに離脱させておくべきだった。
「片山さん」
「おう」
三時間経って、阿南の声で浩平は起きた。
「阿南さん。寝てください」
「はい」
横になった阿南は寝返りを打ち続けた。眠れなくても、目をつぶっていれば休息にはなるだろう。
空が明るくなってきて、モニターの画像も鮮明になってきている。阿南が二時間で起き上がった。
「無理」
「相手は動きません。阿南さん朝食をお願いしますよ」
「了解」
「コーヒーも」
「了解」
朝食が出来上がった時には、朝になっていた。二人はモニターの前で食事をした。
「どこから、ここのことがわかったのか、心配です。上野商事からの送金ができないと、残念なことになる」
「そうですね」
包囲網の最前線は機動隊だが、その後方にどの位の部隊がいるのかはわからない。
「近所の人たちは避難したんでしょうか」
住民になって時間が経っているので、近所には顔見知りの人もいるだろう。阿南はその人たちのことを心配していた。
「どこまで避難したかはわかりませんが、昨日は、それらしき動きがありましたよ」
「そうですか」
「警察にしても、浅間山荘以来のことで、困っているんでしょう」
「迷惑かけちゃったな。懇意にしてくれてた人もいますからね」
「阿南さん。退路はこのカメラだけですか」
「そうです」
「ここを突破したら、可能性はありますか」
浩平はモニターの機動隊を指で差した。
「難しいですね。多分、藤沢だけではなく、湘南全域に非常線は張られてるでしょう」
「ですよね」
「途中に廃屋の地下室がありますが、警察犬がくればお終いです」
「あとは、正面だけですか」
「正面」
「交渉して、一般市民に戻るんです」
「逮捕もされずに、ですか」
「ええ」
「片山さん。俺だけを助けようとしてませんか。それは、無理ですよ。自分は、片山さんに生き残って欲しいと思ってますから」
「でも、二人とも生き残ることが厳しいわけですから、僕が人質になります。阿南さんでは人質の価値を認めてくれませんよ」
「たとえ、そうでも、駄目です」
「困った人だ」
「自分はいくらでも、囮になりますよ。その間に脱出してください。片山さんなら逃げ切れるでしょう」
「それが、できればね」
「片山さんには、できないか」
「最後まで、諦めないことにします。二人とも生き残りましょう」
「了解」
「もう一杯、コーヒーもらえますか」
「了解」
警察の立場に立てば、包囲はできても、突入は難しいのだろう。プラスチック爆薬を使うテロ集団のアジトに突入する決断は重すぎる。軍と軍が戦っているのなら、犠牲覚悟での突入はありえるが、警察にはできない。当分、睨み合いが続くことになる。
「どうぞ」
できたてのコーヒーは、一段と美味しかった。
「阿南さん。兵糧はどうなんですか」
「大丈夫ですよ。要塞にすると言ったでしょう。二人で二か月はいけます」
「コーヒー豆も」
「それだけが、残念なんです」
「大事にしましょう」
「向こうは動きませんか」
「動けないでしょう。警察ですから」
「こちらからも、動きませんか」
「ええ。動きようがありません」
「睨みあいですね」
「阿南さん。次はしっかりと寝てくださいよ。長期戦ですから」
「了解」
「テレビをつけておいてください。ここのことがニュースになるかもしれない」
「了解」
テレビがニュースで流してくれれば、直人に連絡しなくても済む。阿南が居間の大型テレビの電源を入れて、小型のテレビを中二階に持ってきた。
「今、アンテナを引きますから」
テレビでは朝のニュース番組をやっていたが、藤沢の事件はまだ報道されていないようだ。警察は報道制限をかけたのだろうか。浩平は居間のテーブルからパソコンを持って上がった。
「このケーブルも伸ばせますか」
「了解」
藤沢の住人に避難指示が出ていると思われる。誰かが、ネットに書き込みをするかもしれない。
その時、居間にある固定電話が鳴りだした。阿南が中二階に置いたままの自分の小銃の方を見た。
「僕が出ます」
阿南は作業を中断して、中二階の銃を取りに行った。
「はい」
「私は、警視庁の町村と言います。あなたとの交渉を担当します。お名前を教えていただけませんか」
「中野です」
「中野さん。もうご存じだとは思いますが、あなたは包囲されています。投降をお勧めしようと思ってます」
「町村さんは、刑事ですか、公安ですか」
「公安です」
「住民の方の避難は、どうですか」
「近隣の方には、避難してもらいました」
「範囲は」
「五百メートルほどになります」
「そうですか。せめて二キロ、できれば五キロにしてもらえませんか。市民を巻き添えにするわけにはいきません」
「五キロですか」
「それと、機動隊の方には下がってもらいます。装備は拳銃ですよね。こちらの武器と差がありすぎます。無駄死にする必要はないでしょう」
「どんな武器なんですか」
「我々は、拳銃は使いません。小銃以上だと考えてください」
「投降はしない、とうことですか」
「交渉はしますが、町村さんとではありません。最終的には総理との交渉になるでしょう」
「私が代表だと思っていますが」
「いいですよ。当面は、そうしましょう」
「何か、要求があるんですか」
「いや、そういうことではないんですよ。機動隊の前線を後退させることと、住民の避難を急いでやってください」
浩平は受話器を下ろした。
「何と」
「投降を勧めたい、と」
阿南は銃を背負って、ケーブルの延長作業に戻った。
「これも、伸ばせますか」
浩平は電話機を持ち上げて、阿南に示した。
「やってみます」
浩平はモニターの場所に戻った。町村には言ったが、機動隊は前線を動かさないだろう。職務についているだけの警官を殺すことには躊躇があるが、仕方がない。
一時間で阿南の作業は完了した。
「非常電源はありませんよね」
「そこまでは、できませんでした」
「ま、当分は無茶しないでしょう」
「すみません」
「ここまでやってくれて、感謝ですよ」
阿南のコーヒーは冷めてからでも美味しい。腰を落ち着けてモニター画面を見たが、機動隊には動きがなかった。電話のベルが鳴ったが、浩平は無視した。機動隊が後退するまで、次の話し合いをするつもりはない。
浩平は監視用に開いている隙間から、外を見た。
「阿南さん。あそこに車が三台ありますよね」
「はい」
「無人だと思いますか」
阿南は棚にあった双眼鏡を手にした。
「座席に寝てる奴がいたら、わかりませんね」
「窓ガラスを割ってみましょうか」
「了解」
「三台の後部ガラスです」
三発の銃声が響き、三台の車の後部ガラスが破壊された。
モニターの中の機動隊員が楯のなかに身を隠す様子が見えた。それから、五分で前線が後退した。警察も危険だと思ったのだろう。そして、電話のベルが鳴った。
「町村です」
「町村さん。行動が遅い。死人が出ますよ」
「すぐには、動けません」
「動くんです。住民の避難は」
「やってます」
「指揮車の中ですか」
「はい」
「そこから、うちの正面にある三台の車両が見えてますか」
「ええ」
「誰も乗ってませんか」
「はい」
浩平は棚に載っている自動小銃を指して、三台の車を撃つように指示した。阿南が銃を持ちかえて、フルオートで弾丸を送り出した。
「町村さん、見ましたか」
「はい」
「機動隊をもっと、後退させてください」
機動隊の後方にある車両が銃弾でズタズタにされたのを見れば、機動隊が今の場所にいる意味はないことに気づくはずだ。それよりも、警察はいつまで踏ん張れるのか。警察の特殊部隊や機動隊で制圧できないことがわかれば、自衛隊に場所を渡さなければならない。面子を大事にしたい警察にとっては、苦しい判断になるだろう。


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