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海の果て 第1部の 8 [海の果て]


20

菅原は仕事を終えて、何事もなかったように帰って行き、阿南は浩平のアパートに一泊して帰ることになった。
「片山さん。あの借用書、いつ用意したんです」
「昨日です」
「最初から、あのシナリオあったんですか」
「いいえ。成り行きです」
「思うんですよ。片山さんって、いつも理解不能なんです。天使なのか悪魔なのか」
「自分でも、わかってませんから」
「あの男を殺す気、あったんですか」
「まさか。でもあの議員は恐怖でしかコントロールできないと思いませんか」
「それは、そうですが、一瞬、殺すのかと思いましたよ」
「阿南さんならわかると思いますが、殺るか、殺られるかの時には仕方ないです。それ以外では、殺したりしませんよ。こちらが殺される危険のある相手は暴力団とか警察とか、自衛隊とかです」
「自衛隊ですか」
「僕が潰されるのは、自衛隊が出てきた時だと思ってます。軍隊を相手にしては勝てません。接近戦なら、それなりに戦えますが、砲弾を撃ち込まれればお終いでしょう」
「そんな想定をしてるんですか」
「ええ。考えてしまいますね。だから、いつ、この仕事をやめるのかを考えてしまいます。こんな危ない仕事はいつまでも続かないでしょう」
「そうですか」
「僕達が掴んでる秘密は、これからも増え続けます。国が国家機密にしている情報も、手にしてしまうことになります。そうなれば、国は僕を逮捕して裁判にかけるという選択肢を失います。公になっては困る情報ばかりですからね。最後は力でねじ伏せるしか方法がなくなるんです。特殊部隊を投入して、僕を抹殺することができなければ、どうします」
「戦争ですね」
「僕がいる地域を確定して、その地域ごと爆破することになる」
「片山さんが悩んでる訳がわかりましたよ。道連れにしたくないんでしょう、仲間を」
「それも、あります。でも、わからない。ずっと、何か違うんじゃないかと感じてるんです。その何かが何なのかもわかりません」
「大将って、大変なんだ」
「そんな立派なもんでもないでしょう。情けない悩みですよ」
「俺は、あんたの下で働いていて、納得してる。自衛隊の爆撃がある時は、ぜひ一緒にいたい」
「馬鹿なこと言わないでくださいよ」
「一度、あの世に送った命です。惜しくないと言ったはずですよ」
「想定で思い出しました。いつの時点かはわかりませんが、真崎組の本部を殲滅する必要が出てくると想定してます。阿南さんも考えておいてください」
「俺に、作戦を作れと言っても無理です。でも、今度仲間にしようと思ってる奴は、そういうことが好きなんです。やらせてみますよ」
「お願いします」
その後、農林水産省と経済産業省の作戦が完了した。大槻メモが役に立って大槻にボーナスを出し、大槻が泣いて喜んだ。それでも二年の歳月が必要だった。浜中調査事務所は防衛省の調査にかかっている。防衛省に着手するかどうか、まだ決めていないが、防衛省の秘密を手にすることも必要だと思っている。
年に数回、京都の白石から電話があり、時間を作って会っていた。白石と会っていると気持ちが落ち着く。浩平も一度京都に行って、白石に無理を頼んだことがある。直人や志保の真似がしたかったのかもしれないが、自分自身のガス抜きがしたかったのかもしれない。一億の現金を持って行って、匿名の寄付をしてくれと頼んだ。簡単なことではないのに、白石は簡単に引き受けてくれた。
久しぶりに白石からの電話があり、銀座の中華料理をごちそうすることにした。中華料理というより中華風の和食に近い。
「今日は、紹介したい人がいる」
「はい」
「片山さんに初めて会った時に言いましたが、僕は後継者を捜していました。君には断られたけど」
「すみません」
「まだ高校生なんだけど、君と同じようなオーラを持ってて、結婚したいと思っている。まだ、本人には言ってないから、内緒だけど」
「それは、おめでとうございます」
「こんなオヤジと結婚してくれるか、心配でね」
「はあ」
いつもの白石と違って見える。白石はその高校生がいかに素晴らしいかを話し続けた。本物の恋をしたことのない浩平には、相槌を打つのが精いっぱいだった。そして、噂の女子高校生が浩平たちの部屋に入ってきた。ただ、その女子高校生は殺気を持って入ってきて、浩平は思わず構えた。すると、女子高校生が後ろに飛んだ。普通の人では感じることのない殺気だったはずだが、その子は防御した。二人目だ。一人目は阿南だから仕方がない。浩平は平謝りに謝った。それよりも、その美しさに打ちのめされた。だが、白石が結婚しようとしている相手なのだから、自分の気持ちの高ぶりが出ないことを祈った。女装の時の鳥居の魅力が色あせて見える。名前は沢井亜紀と言った。白石が言っていたとおり沢井亜紀の魅力は、その美しさではなかった。凛とした気概と包み込む柔らかさが、その子の魅力だった。その存在感は際立っている。白石の伴侶としては、最適な女性だと思う。
その後、二人が結婚したという連絡をもらい、浩平は心から祝福した。
だが、その沢井亜紀から、白石が死んだという電話がきた。交通事故だが、白石は殺されたと言い、浩平に相談しろと言い残したと沢井亜紀が言った。電話で話すような内容ではない。浩平は、念のために変装をして、すぐに新幹線に乗った。京都の病院に着いて、習慣になっているのか、調査をした。沢井亜紀は流産の危険があって入院しているらしい。夜になるのを待って病室に入った。白い顔の沢井亜紀がベッドで横になっていた。浩平が変装しているので、警戒している。浩平が銀座の中華飯店での話をすると納得してくれた。
「おかげんは」
「あまりよくないそうです。それより、わざわざ、ごめんなさい」
沢井亜紀と目を合わせて、守りたい、と浩平は強く感じた。
「白石さんは僕の命の恩人だって言いましたよね。僕にできることは、何でもやりますから」
工藤開発という会社が倒産寸前の状態で、そこの社長の工藤高広に殺されたと白石が言ったらしい。
「私の想像ですが、陣内組という暴力団が、係わっていると思います」
沢井亜紀は工藤高広が白石不動産に来た時の話や、銀行の話をした。
「奥さん。あなたは病気を治すことだけを考えてください。工藤開発や陣内組のことは僕がやります。暴力団が係わっているので、今日明日に結果はでません。でも、必ず結果は出しますので、時間をください」
「はい。お願いします」
「自分で、動いてはいけませんよ。絶対に」
「はい」
浩平は仲間を京都に呼んだ。すでに五十人近い仲間がいるが、最初は主力の五人に来てもらった。チーム片山の全ての力を投入してでも真相の解明をする。陣内組と工藤開発の監視を始め、盗聴器も取りつけるつもりだ。京都のホテルにも拠点を持ったが、主要な拠点は大阪においた。何度か京都に来ていて感じたのは、京都は村社会だということである。観光客でもない他所者が動きまわると目立ちすぎ、東京では感じた事のない不便を感じる。監視用のアパートを借りるのにも苦労した。だから、使用する車両の数が増えるのは仕方のないことだった。準備に万全を期すことが、チーム片山の鉄則なので、その基本は守る。
京都の探偵社も使い、あらゆることを調べた。陣内組と工藤開発だけではない。白石不動産も関連の会社も、そして沢井亜紀のことも調べた。参加しているチーム片山の人数は三十人を超えているだろう。
調査に着手して約一か月が過ぎた。工藤開発は個人資産も使い果たし、明日にも倒産するような状態で、抱き込んでいる白石不動産の内藤という営業部長に矢のような督促をしていた。どうしても、白石不動産の資力が必要なのだ。浩平は陣内組の組長を拉致してトラックに監禁した。六十を過ぎた痩せた老人だが、暴力団の組長をやっているのは、それなりの資質があると思われる。変装はしているが、目だし帽はかぶらなかった。
「陣内さん、ですね」
「そうだが。何ものなんだ。陣内組の組長と知ってやってるように思うが」
「はい。その陣内組組長さんに、どうしてもお聞きしたいことがありまして」
「京都の人間じゃないな」
「あなたも、京都の人ではないように見えますけど」
「俺はれっきとした京都人よ」
「そうなんですか」
「京都は好きだけど、京都弁は好きじゃない」
「ところで、陣内さんは、真崎組の下働きをしてるんですか」
「けっ。あんな組とつるんでどうする」
「ほう、嫌いですか、真崎組」
「真崎組の回し者か」
「違います。僕も嫌いです」
「じゃあ、何ものなんだ」
「僕は、恩義のある人の、事故死を調べています」
「ん」
「白石さん、知ってますよね」
「白石不動産の白石か」
「そうです。僕はあの人に、命にかかわる窮地を救ってもらいました。でも、あの交通事故には納得がいきません。陣内さんが、やったと考えてます」
「どうして、うちが白石さんを殺すんだ」
「工藤に頼まれたからです」
「工藤に」
「はい。工藤開発の工藤社長です」
「どうして、そう思う」
「警察じゃないんですから、証拠を出せなどと言わないでくださいよ。僕がそう考えているんです」
「ほう」
「陣内組がやったんですか」
「もし、そうだとしたら、どうする」
「そうなんですか」
「若いの。ここから先は、いわゆる黙秘ってやつだ。ヤクザにも守秘義務があるからな」
「困りましたね」
「工藤が頼んだと思っているなら、工藤に聞けばいい」
「もちろん、工藤さんにも聞きます」
「脅してるつもりかもしれんが、脅しにはなっとらん。わかるか」
「どうしてです」
「どうして。ま、いいか。先ず、お前さんの脅してる相手はやくざだろう。脅しをかける仕事はわしらの仕事で、あんたらの仕事じゃない。次に、老いぼれのやくざが、命を惜しがっていては様にならん。こんな命、いつでもくれてやる。だから、脅しにはならんのよ」
「僕は組長の命をくれ、とは言ってません。陣内組の命を脅しの材料にしてます」
「どう言うことだ」
「陣内組は昔ながらのやくざで、身内の結束は固いと聞いています。組長にとっては、みんな子供や孫みたいなもんでしょう」
「それがどうした」
「子供や孫を死なせてまで、守りますか。あの工藤という男を」
「なに」
「横浜に三宅組という暴力団がありました。真崎組の下働きです。三宅組は組事務所ごと潰れました」
「ああ」
「陣内組の事務所にも、爆薬が仕掛けられてます。組長が行方不明になり、総動員で捜しているところでしょう。誰ひとり生き残りませんよ」
「待て」
「若僧だからと、なめてかかってはいけません」
「そうか、あれは、あんたか。最初から、あんたの落ち着きは何なのか、それがわからなかった。組をひとつ吹っ飛ばすことができるんなら、当然か。組長を掻っ攫うことぐらい、どうってことないんだな」
「わかっていただけましたか」
「だがな、素人衆に脅されて、はいわかりましたじゃ組長失格だ」
「素人ではありませんよ」
「わしから見れば、あんたは素人だよ。十年前、何してた」
「学生でした」
「わしが、時代を読めなかったってことか」
「そんなことありません」
「慰めてるのか」
組長が力なくうつむいた。浩平は陣内のことが好きになりかけていた。
「教えていただけますか」
「確かに、工藤に頼まれた。やくざのもう一つ裏に殺しを請け負う組織がある。なぜか、工藤はそれを知っとった。やくざ同士の抗争には噛んでこん。決まった事務所があるわけでもない。交通事故しかやらん。中国系だと言われているだけで、誰も知らんだろう。ただ、仲介するだけで一千万だから、楽なしのぎになる。わしの趣味には反するが、一千万は大きかった」
「そうですか」
「危険運転致死罪にならなければ、楽なもんらしい。警察も事故か殺人かは区別できん」
「このことを、工藤に話してもいいですか」
「しゃあない」
「一番の責任は工藤にありますが、陣内さんにも責任があります」
「たしかに」
「責任取ってもらわなければなりません」
「ん」
「陣内組の責任で、工藤を殺してもらいます」
「殺すのか」
「白石さんは、死んでます」
「ん」
「工藤からも話は聞きますが、その後、死んでもらいます。その殺しをビデオに撮ってください。死体の処理はまかせます。表に出す必要はないでしょう」
「ビデオ」
「そうです。死亡が確認できるビデオです。細工をすれば、陣内組に責任とってもらいます」
「あんた、素人とは思えんな」
「すみません。僕、本気ですから」
「らしいな」
別のトラックの中で、拉致した工藤社長に話を聞いた。惨めなほどに狼狽し、最後は何もかも話すことになった。そして、陣内と工藤を一緒にして解放した。工藤は命拾いをしたと思っただろう。
三日後に、陣内を呼び出して結果を聞いた。陣内は黙ってDVDを浩平に渡した。
「あんた、地獄に落ちるぞ」
「覚悟してます」
陣内と別れた浩平はDVDを確認してから、陣内組に仕掛けた爆薬を取り外した。
白石亜紀を殺人犯にさせるわけにはいかない。そして、凄惨すぎてDVDの中身も見せるわけにいかない。我慢してもらうしかないだろう。白石亜紀は退院して、自宅で療養している。監視班とは別に、浩平も二度忍び込んで様子を確認しているが、元気になったとは言えない。まだまだ時間が必要だ。陣内と工藤の録音だけを渡して、無理に納得してもらった。しばらく、様子をみよう。白石家に取り付けた盗聴器と監視用に借りている部屋を残して、チーム全員に帰ってもらった。監視用部屋は少し遠いので望遠鏡を必要としたが、東京とは環境が違うので贅沢は言えない。
盗聴器のデータを回収して、その中身に驚いた。陣内が白石亜紀を訪ねてくる、それを亜紀も了解しているのだ。二人とも何をする気なのだ。昼間なので危険だったが、浩平は白石家に忍び込んだ。古風な日本家屋なので屋根裏にはスペースがある。忍者の気分だった。
病み上がりとは思えない亜紀の姿が見えた。その凛とした亜紀の前に頭を下げた陣内老人がいる。陣内は証拠となるDVDとCDを返してほしいと頼み、浩平が四つに折って持って帰ったと亜紀が返事をした。DVDは渡していないし、CDも持ち帰ったりはしていないが、亜紀は平然と嘘をついた。
亜紀が短刀を手にして陣内に近づく。出て行くべきか。浩平は悩んだ。ここで、殺人を犯してどうすると叫びたい。だが、亜紀の殺気が緩やかなものなので待った。刺した後に出て行って自分の仕業だと言うしかない。亜紀は短刀を陣内の首に当てただけで止めた。
翌日、浩平は監視部屋の契約を解除して、東京に戻ることにした。陣内は白石亜紀に手を出すことはない。後は時が過ぎるのを待つだけだ。いつか、傷は癒える。そう信じたい。


21

官僚は省庁という縦社会に生きていると言われるが、不正に関しては横並びだった。防衛省は制服組がいるから、他の省庁と違うのかと思ったが、同じだった。省にとっては自衛隊という制服は無いに等しい。官僚は官僚の本分を全うするべく、一心不乱に不正を積み上げている。国土防衛の意識もシビリアンコントロールの目的も単なるお題目にすぎないようだ。省内にも自衛官にも、そのことに疑問を持っている人間はいるはずなのに、お家大事の縦社会だけは機能していた。
「阿南さん。市場価格ってあるんですか」
「兵器に、ですか」
「ええ」
「難しいでしょうね。デパートでは売ってませんからね」
「装備は米軍と一緒だと考えればいいんでしょう。だったら、米軍がいくらで購入してるのかを調べればいい。筒井さんでも難しいでしょうか」
「一度、聞いてみましょう」
「お願いします。軍事機密でしょうから、簡単には出てこないでしょう。いくら出せば教えてくれるのかを聞いてみても面白いですね」
「了解」
「保田さん。池崎さんたちに防衛省のコンピューターに潜入してもらわなければなりません。先ず、装備品の購入価格です。それと開発費用の支出」
「はい」
「他の皆は、従来通り、キャリアの素行調査と外郭団体の調査の詰めをやってもらう」
チーム片山の陣容は大幅に膨れ上がったが、打ち合わせは五人でやった。直人は浩平の副官に専念し、調査に関するチームは保田がまとめている。志保はチーム保田の中で広岡探偵事務所を指揮していた。女性だけの探偵社は珍しいが、重要な役割を担っている。本間探偵事務所の責任者は保田がやっていて、小規模の探偵社ながら広岡探偵事務所を含めて五つの探偵社の指揮をとっている。直人も保田も頼りになる大人になった。変われるというのは若さなのだろうか。やっていることの大半は不法行為だが、チーム片山は情報産業と言える。調査チームが増えることはやむを得ない。新しい仕事として、上野商事という会社が表の会社として貿易業務をやっている。電子機器と電子部品を取り扱う会社だが、実際の業務はマネーロンダリングをすることだった。実際の取引価格が百万円のものを一億円で売り買いして、世界を一周する。世界の裏組織が参加しているといってもいい。ただし、上野商事の役員は買い入れた戸籍の人間がやっている幽霊会社だった。
「十億だそうです」
「直人。筒井さんのとこへ送金できるか」
「大丈夫です」
米軍の装備購入価格調査に必要な金額が十億円。その金額が妥当かどうかはわからない。でも必要な情報は手に入れる。
防衛省と防衛省装備施設本部だけの調査だけでも大変な気苦労と時間を必要とした。公表されている外郭団体以外の団体を調査して内容を把握するだけでも大変なのに、民間会社まがいのものもあり、民間会社の形態の組織もあった。膨大な利権の影が見え隠れしていたが、その全容がつかめない。装備品調達価格の調査も難航した。装備品の種類は多岐に亘り、全てを調べることは断念せざるをえない。陸上、海上、航空各自衛隊の全ての装備品の価格の調査などできるものではないと思い知らされた。しかも、全てが軍事機密という御旗を立てて守られていた。チーム池崎のハッカーたちは民間会社への侵入も開始している。軍需産業の会社は一般の会社よりもセキュリティーが確立しているだけでなく、ここにも軍事機密の壁があった。
数兆円の装備品の調達を装備施設本部がやっているのに、五百人程度の人員しかいないことに気がついた。役所の仕事なのだから、書類や書式は山のようにあるだろう。いわゆる書類仕事だけで五百人は必要になると思われる。では、どこで価格が決められているのか。米国から買い入れる物。純国産品と言われる物。ライセンス生産をしている物。民間よりもモデルチェンジが少ないとは言っても、これだけの種類があれば、毎年どれかが移行期を迎えるだろう。新機種の開発もどこかで行われている。誰が、その価格を決めているのか。少なくとも防衛省にその力はないと思わなくてはならない。だからと言って、民間の会社が決められることでもない。価格決定の機能を持つ組織がどこかに存在している。その組織が表に出ていないということは、そこに不正が潜んでいるということだろう。時間がかかってもいい、気長にやっていこうということになった。
そんなある日、官僚を尾行していた探偵事務所の社員が三人、同じ場所に集まる結果となった。個々の官僚が同じ場所に集まったということらしい。その日本会館という場所には国会議員の姿もあり、高級乗用車が何台も集結しているという。会館の中には入れないので、保田の指示を仰いできた。
「写真を撮りまくってくれ。どこかに警備があるかもしれないから、周辺も撮りまくれ。気付かれるなよ」
保田はフィルムを抱えた応援部隊を送り、自分も社員をかき集めて赤坂に駆け付けた。
「どうだ」
「まだ出てきません」
二時間近く過ぎて、送迎用の車両が集まり始めた。警護要員と思われる集団もいた。その中には公務員とは思えない者もいる。保田は、官僚と国会議員らしき人物を除き、できるだけ多くの出席者を尾行するつもりだった。探偵としてもベテランになった保田は、直感で相手の背景を見分ける力をつけている。官僚なのか議員なのか、民間人でもトップなのか中堅社員なのかを判別する。次々に尾行の車を発進させた。最後に国会議員と得体の知れない男が出てきた。保田にはその男がやくざ以外の何物でもないように見えた。外で待っていた警護の人間がその男を見ている。明らかに私設警備集団だ。保田はその男を尾行した。
「驚きました。大手企業の役員です。しかも、防衛省に納入している会社です」
「ここで、何かがあったと言うわけだ」
「はい。でも、中には入れませんでした」
「警護があったと」
「はい。明らかに暴力団ですが、何組かはわかりません。新橋のビルに入りました」
チーム片山の五人が集まり、日本会館で撮った写真の分析をしている。
「このビルは、あの三宅組の賭場があったとこじゃないですか」
直人がビルの写真を取り上げた。
「また、真崎組らしいな」
「ここのビル、探りましょうか」
「準備万端でないとできない。真崎組は日本一のやくざだからな、なめてかかれる相手じゃない」
「あの」
保田が言いにくそうな様子で発言した。
「ん」
「片山さんに怒られるかもしれない、と言ってましたが。志保があの日本会館に潜入してはどうかと」
「潜入」
「ウエイトレスとか、接客係とかで就職すれば、内部の情報も取れると」
「うんんん」
「危険ですよね」
「募集してるんですか」
「はい」
「男は」
「いえ、女だけです」
「少し、考えさせてくれ」
「はい」
日本会館で行われていると思われる会合の中身がわからなければ前には進めそうにないが、女子の調査潜入は危険が多い。建物の様子から見ても部屋数はかなりのものだと思われる。どこに盗聴器を取り付けるのか、全室に取り付けるのか。ワンタイムの盗聴器を現場に忍び込ませるには、どうすればいいのか。出席した官僚の一人を拉致して内容を聞きだしたとしても、そのことが漏れれば相手の警戒を強くするだけに終わるかもしれない。
「他に方法はないのかな。皆も考えてほしい」
相槌をうってくれたが、誰も自信はなさそうだった。日本会館の監視と新橋のMKビルの監視をする体制を作った。監視をするだけで、それ以上のことはやらないように念を押した。特に新橋の監視班は直人か保田が直接指揮することとした。
進展のないまま時間が過ぎて行く。筒井から米軍の情報が届いた。十億の成果としては少ないものだったが、池崎たちの調査も進んでいない。その調査状況からすれば米軍の情報は妥当なのかもしれない。情報の付け合わせをしてみると、やはり日本の価格は世界の常識から外れているとしか言いようがない。極端な物は倍以上の開きがある。アメリカから購入している物だけではなく、国産品も五割は高い。アメリカの国益という観点からすれば、これほどアメリカの国益に寄与しているものはないだろう。巨大なアメリカの軍需産業を支えるために、日本という国は不可欠な存在になっている。日本の独立を認めたのも、日米同盟が存在するのも、武器輸出という一点だけでも妥当なものだと判断したアメリカが正しいということだ。軍事費という側面からみれば、日本は世界のトップクラスにいるが、その軍事費に見合った軍備になっていないという側面からは二流国家となる。今までに数十兆の金が闇に消えている。何度も軍備の国産化が騒がれたが、アメリカはそのことに同意したことはない。輸入品で戦う軍隊が戦えるのは、せいぜい数か月だろう。戦闘能力のない軍隊に仕立てて、そこに大量の税金をつぎ込むことが是認されているのだから、不正が起きないわけがない。憲法で不戦を謳っているからではなく、戦争をすれば負けるから、しないと考えた方が妥当なのだ。不正行為を理由にして国家機関を恐喝し、国から金を取ることが浩平たちの仕事だとすれば、この巨額な防衛費を避けて通ることはできない。真崎組がこの軍事費に係わっていることは正しい。やくざという固定概念から抜け出す発想が今日の真崎組を作ったと言える。一流の証なのだ。
浩平は大阪の松木組に電話を入れた。
「組長はおられますか」
「おたくは」
「品川埠頭で会った男だと言ってもらえればわかります」
しばらく待たされたが、松木が電話に出てくれた。
「何の用」
「今は、大阪ですか」
「ずっと、大阪だが」
「そうですか」
「あんたのせいだぞ」
「すみません。ところで、僕、提案しましたよね。話してくれました」
「まさか」
「そうですか。僕も少し認識が甘かったと反省しているんです」
「ほう」
「個別の案件で話し合いをするということでお願いしたいのですが。全部、手を引けというのは乱暴だと思いました」
「どう話をつける」
「真崎組の取り分も認めるということです」
「取り分」
「案件にもよりますが、一割とか二割とか」
「話にならんな」
「でも、一度、話してくれませんか」
「無駄だ」
「そうですか。松木さんが真崎組のトップだったら、どうします。やはり、相手にしませんか」
「しないだろうな」
「そうですか。残念です」
「そんなことで電話してきたのか」
「はい。近いうちに会うことになるかもしれません。次は手加減しませんから」
「待て」
「はい」
「何かあるのか」
「別に」
「俺にどんな返事をしろと言うんだ」
「気にするな」
「わかった。話してみる」
「はあ」
「話す」
「もう、いい」
「待ってくれ」
浩平は電話を切った。誰が考えても通る話ではない。全面戦争を覚悟するきっかけが欲しかったのかもしれない。松木にもう少し動物的な勘があれば、変わっていたかもしれないが、それは期待のし過ぎというものだ。
「阿南さん。あの発信機の話を進めてください」
「わかりました」
浩平が最初に購入した、あの盗聴器メーカーが開発したという発信機の話を筒井が持ってきていた。現状を打開するために、志保の提案を受け入れるしかない。ならば、可能な限りの安全策を考える。それが浩平にできることだ。
送ってきた発信機は、付爪の形をしている。大きさは爪を削るようにして整えることができて、マニキュアを塗れば、どこから見ても爪だった。志保は両足の親指の爪に仕込んで、何度もテストを繰り返した。爪の上から一定の圧力をかけると、GPSで自分の位置を確認して発信することができる。志保が日本会館の中にいる時間は、浩平も必ず監視用の部屋にいることにした。
志保が就職した。大人しくて地味なウエィトレスを目指したのに、小柄で童顔の志保にウエィトレスの制服は似合っていた。クラブではないのに指名する客が出てきた。その一人が防衛省事務次官の増岡修司だった。防衛省はいろいろな会合で日本会館を利用していて、増岡修司は常連客のようだ。
新橋政策研究会という名前を見つけたのは直人だった。MKビルの監視部屋にいてもやることのない直人は池崎が収集したデータに目を通すことを仕事としていた。五菱重工のコンピユーターから収集した資金移動報告の中にその政治団体と思われる名前を見つけた。大企業の五菱重工だから資金移動の金額も回数も大きいが、直人は丹念に調べた。政治献金だと思えば、それまでだが、直人は新橋という名前に引っかかった。
「直人。これはビンゴだな」
「はい」
新橋政策研究会の所在地が新橋のMKビルだったのだ。MKビルは雑居ビルのように見えるが、本当は真崎組の持ちビルなのかもしれない。志保の休日に合わせて、武器を持った直人とチーム阿南を周囲に配置し、浩平とチーム菅原が内部に侵入し盗聴器の取り付けと、新橋政策研究会から情報を盗み出す作戦を実行した。チーム菅原に参加している栗原俊和は警報装置に関するプロだった。配線を変更したりバイパスしたりして、無力化してしまう凄腕の持ち主なので、仕事は安心してできる。栗原は、まだ若いが末恐ろしい泥棒だった。MKビルは細長いビルで一つの階にテナントはひとつだけなので、盗聴器は一階から八階までの各階に取り付けて、全てをカバーした。ただ、以前賭博場のあった地下だけは侵入できなかった。
新橋政策研究会は法人ではないらしい。年間数千億の金が動いているのに、経理資料を見た限りでは納税をしていない。国税庁の査察は入らないのだろうか。取引銀行と口座番号、そしてネットバンキングのIDを使って預金の出入りを調べた。
「これ、見憶えありませんか」
ジャパントレードという会社から多額の入金がある。浩平たちがマネーロンダリングのシステムで見かける名前だった。真崎組が係わっている理由が見えてきた。議員、官僚、そして大企業が直接資金洗浄に係ることはない。資金洗浄と私的警護に暴力団を使う。長年の日本的慣習がここにも生きていた。金額が大きいことと係わっている人間が多いことで、不正のシステムも大掛かりにならざるをえない。検察庁、警察庁、国税庁という機関の協力がなければ作りえないシステムでもある。これは、政治家主導で行われなければできないことで、防衛省は協力の一機関に過ぎないのかもしれない。これは役人相手の交渉ではなく、政治家と暴力団という最も暗い場所にいる集団との交渉になる。大槻メモにも防衛利権をめぐる不正は書かれていなかった。とても書けなかったのだろう。大きな闇が、大きな力を持って政界を牛耳っている。そこに一枚噛んでいる真崎組が、はいそうですかと降りるはずもないということか。
防衛産業に係る企業が業界団体を作っていて、そこでは、公然と談合が行われていると思われる。さらに、アメリカの軍需産業との調整も行われていると考えなければならない。浩平たちの行動がアメリカの国益を損なう結果になれば、あの国はなりふり構わずに介入してくることになり、浩平は世界を相手に戦争をしなければならなくなる。日本国を相手にするだけでも勝ち目はないと思っているのに、アメリカが参戦をしてくれば、手も足も出ない。どうする、浩平。
やはり、MKビルは真崎組の塊だった。盗聴データから十日後にあの会合が行われる予定になっていることが判明した。志保が調べた予約表からも確認がとれ、会合が行われる部屋もわかった。議員、官僚、民間企業の三つのグループは別々の会合を同じ日本会館で行う。そして、会館内で合流して本来の会合を持つこともわかった。チーム菅原はその四つの部屋に盗聴器を取り付けた。
やはり、その会合は収益金の分配に関する打ち合わせだった。国家予算の実行には多少のずれが生じる。換金の時間も必要になり、確定金額と出金可能な時期が報告される。さらに、次年度の予算に絡んだ防衛省調達価格の調整も行われた。事実上の防衛予算はこの日本会館で決められているのだ。
浩平は志保の仕事は終わったと判断して、退職させた。勿論、偽名で就職していたので、追跡調査に引っかかることもないだろう。浩平の肩の荷が一つ下りた。日本会館の監視チームも引き上げ、新橋も引き揚げた。
浩平は四人を集めて会合を持った。
「先ず、僕の感想を言うと、我々の手には負えないというのが実感だ。皆はどう思う」
「俺も同感だ」
菅原が同意した。
「危険だな」
阿南も同じ意見のようだ。
「ここで、手を引くんですか」
直人が、ありえないという表情で反論した。
「やりましょうよ。連中、ひどすぎる」
保田は中止には反対のようだった。
「今までと違うのは、アメリカが絡んでいることだと思う。あのマネーロンダリングのルートは当然掴んでる。筒井さんや上野商事にも気が付くだろう。時間はかかるが、我々の存在も突き止めると思う。我々がアメリカの国益を損なうような意思がないとしても、そのことを知らせる方法がない。あったとしても、納得させる自信はない。つまり、これ以上は全員の命にかかわることになる。自分の命だけではない。仲間の命も危険になる。だから、僕はアメリカに宣戦布告をしたくない」
「ここにいる五人は、すでに命を捨ててる。他の人たちには辞めてもらいましょうよ。規模を縮小したって、やる価値はあると思う。最悪、金にならなくったっていいじゃないですか」
クールな保田にしては珍しい発言だった。
「僕も、保田さんに賛成」
「待てよ。片山さんは、誰の命も失いたくないんだ。保田さんの命も直人さんの命も。自分は片山さんにもらった命だから、勝手に預けている。でも、それは自分が勝手に思っているだけで、片山さんは、俺の命も失いたくないんだ。ここから先は本物の戦場になる。片山さんには、そのことがわかってるんだ。戦って、それで、俺が命を落としたとする、片山さんは、落とした俺の命を、動かない命を、ずっと背負っていくことになる。それが、上官の宿命だと、最近、気づいた。たとえ、こっちが承知の上で死んだとしても、それでいいってものでもない。俺が甘えているだけだってことに、気がついた。だから、俺は片山さんが決めたことに従う」
阿南は浩平が後藤祐樹の死を背負っていることを知っている。
「阿南さん」
「俺は、どっちでもいい。片山さんなら、俺の命、背負っていってくれそうだし」
菅原はニヤリと笑った。
「僕は、この辺が潮時だと思う。保田さんも直人もわかって欲しい。残金は皆で分ける。社員を抱えてる場合は、その退職金も払う。できれば、土地も名前も変えて新しい生活を始めてもらいたい。それだけの金はあると思う」
「確かに、最初は金のためにやってました。でも、金さえもらえばいいってもんでもないんですよね。片山さんから離れて、どうやって生きていけばいいのか」
確かに保田の表情は途方に暮れていた。
「片山さん。俺は」
「直人は、もう昔の直人と違う。一人で立派にやっていける」
「そんな」
「チーム片山の基本は菅原さんに教えてもらった。それは、安全第一だ。ここまでやってこれたのは、皆がその基本を守ったからだと思ってる。素人集団にしてはよくやった。敵は僕たちをプロ集団だと思ってる。そこで、これからのことだが、チーム片山を解散しても、しばらくはこの基本を守らなければならない。警察の捜査本部が解散したわけではない。警察の素晴らしさは、そのねばりだと思う。真崎組の情報網も無視できない。だから、新しい戸籍で新しい人生を作り上げてもらいたい。できることなら、土地も替えて欲しい。地方が無理なら近隣でもいい。チーム片山は煙のように消えてしまいたい」
「片山さんは、どうするんです」
直人が暗い表情で言った。直人は納得しているわけではない。
「僕は、やりかけになっている道場回りをやろうと思ってる」
「俺も一緒に行っちゃいけませんか」
「すまんな。直人」
「これが、片山さんの結論なんですか」
「そうです。保田さんを引きずり込んで、申し訳ないと思ってます」
「なら、仕方ないです。片山さん抜きでは、この仕事できませんから」
「申し訳ない」
浩平は四人を前にして、頭を下げた。
「大変だけど、直人には残金整理をしてもらいたい。分配は、次の打ち合わせでやる。その時は志保にも入ってもらう。それと、藤沢の家は僕が引き継ぎます。いいですか、阿南さん」
「もちろんです。自分は筒井さんのとこへ行きます」
直人と保田の落胆はそうとうなものだった。
実際の解散までには、一か月近い時間がかかった。探偵事務所は廃業し、上野商事も休眠会社になった。覚せい剤の在庫もなくなり、後藤組との取引も終わっている。浜中調査事務所は普通の探偵社としてやっていける。名実共に浜中の会社になった。保田は浦和に、菅原は市川、直人は船橋、志保は千葉に行き、新しい名前で生活を始めた。阿南は、渡米するまでに会話のレッスンを受けると言って都内のマンションに転居した。浩平も田端のアパートを引き払って、藤沢に移った。
浩平は、庭の畑の世話と海岸の散歩、それと、家の改造に一日を使った。筒井が作った武器庫を参考にして、盗聴器と各種データの収納庫にする予定だ。
一か月後、浩平は衆議院議員の権田栄一と三人の人間の行動を調べた。権田議員は愛人のマンションからの帰路に隙ができる。目立たないマンションに愛人を住まわせていることが、裏目にでることもあると認識はしていないのだろう。浩平は無言で権田議員を拉致して、横浜の地下に監禁した。そして、翌日には防衛省事務次官の増岡修司、五菱重工株式会社常務取締役の山内正、五菱商事株式会社常務取締役の安達敬一郎の三人も強引に拉致した。日本の重要人物が四人も消えてしまったことになる。警察は大騒ぎになっているだろう。当然、三宅組爆破の捜査本部にも激震が走っている。
浩平は目だし帽をかぶって、地面に繋がれた四人の前に椅子を置いて座った。
「顔ぶれを見れば、どんな用件か、わかりますよね」
「お前が、あのテロの犯人か」
「僕の要求は、防衛予算の裏金を半分だけ、いただきたいだけです。念書にサインをお願いします」
権田が大声で笑い出した。
「そんなにおかしいですか」
「お前、誰と話してるつもりだ」
「権田栄一だと思いますが。人違いなんですか」
「なに。この若僧が。俺はな、日本を動かしとる男だぞ。お前のような小僧、どうにでもできるんだ。悪いことは言わん、とっととここから出せ。今なら見逃してやる」
「僕には、負け犬の遠吠えに聞こえますが」
権田は顔を紅潮させて、体を震わせた。
「増岡さんは、いかがです。サインしますか」
増岡は権田の顔色を窺うだけで返事をしなかった。
「山内さんと安達さんは、民間会社の方ですから、適切な判断ができますよね」
二人は顔を伏せたままだった。
「誰もそんなもんにはサインなどせん」
「話し合いでは、駄目だということですか」
「当たり前だ」
「話し合いで駄目だとすると、拷問になりますが、それで、いいんですか」
「そんな脅しが通用するとでも思っとるのか」
「さあ、通用するかどうかは、やってみないとわかりません」
その時、地下室の分厚いドアの鍵穴に鍵が入る、かすかな音がした。静かな地下室では大きな音に聞こえた。この地下室の鍵は浩平しか持っていないはずだが。浩平はドアの近くへ移動した。静かにドアが動いて、目だし帽が出てきた。浩平には、その目だし帽が阿南だとすぐにわかった。
「やっぱり」
浩平はドアの外へ出た。
「阿南さん。どうして」
「片山さんが、一人でやる気なのは、わかってましたから」
「僕、そんなに下手くそでしたか」
「他の人は知りませんが、自分には、ピンときてましたから。現場を押さえたんですから、これ以上の騙しは駄目ですよ」
「まいったな」
浩平の後ろから重そうなバックパックを抱えた阿南が付いてきた。
「そこで、射撃訓練でもしててください」
「了解」
静かな地下室に、阿南の小銃の音が響いた。
「すみません。どこまでお話しました」
「・・・」
「そうだ、話し合いより、拷問の方がいいというところまででした」
「なぜだ」
「なぜ」
「なぜ、お前に半分渡さなければならないんだ」
「ああ、そうでしたね。僕があなたたちの秘密を知ってしまったからです」
「それが、どうした」
「公表されたら、困るでしょう」
「公表だと。そんなもん、公表する場所があるとでも思っとるのかね」
「えっ」
「どこのメディアも相手にはせん」
「どうしてです」
「当たり前だ。どうやって、裏をとる。裏も取れない記事を、誰も相手にはせん」
「ああ、その点なら大丈夫です。そのシナリオを知りたいですか」
「ああ」
「あなた方四人の死体を晒しものにします。そして、犯行声明をアルジャジーラに送ります。CNNでもいい。貧困撲滅団という新しいテロ集団が世界にデヒューするんです。世界から貧困を無くすことが目的のテロ集団です。世界中のテロ組織が拍手で迎えてくれるでしょう。そうすれば、日本のメディアは裏を取る必要がありません。アルジャジーラでこういう報道がありましたというニュースが流せるんです。実名も公表します。年間五千億の裏金がこんな人物や団体に流れているという内容です。日本政府には、その五千億の金を世界の貧困対策に当てること、という要求をします。新橋政策研究会の資金の動きも表に出てきます。もちろん、真崎組の関与も、です。なぜ、司法がなにもできなかったのかも話題になるでしょう。要するに日本の政治システムの崩壊が起こるということです。その引き金をあなたたち四人が引くことになるんです。わかりますか、そんな事態を考えれば、裏金の半分は安いものだと思いますよ」
権田も声が出なかった。
「安達さん。あなたの会社は、不正にまみれた武器商人として世界中から叩かれます。どこの国の商社も不正に手を出してるでしょうが、表沙汰になると取引を控えるところが増えますよね。武器部門だけではありません。五菱商事の商売全体が大きな影響を受けることになります。会社の存続にも係る大事件になります。そう思いませんか」
安達の顔は青ざめていた。
「話し合いが拒否され、拷問でもサインしていただけない場合には、皆さんは死体になって世界に名を売ることになります。説明はこれ位でいいですか」
「お前はアメリカも敵にする気か」
「仕方ありません」
三人が権田の顔を見た。その表情は、負けを認めてくれと言っていた。
「わかった。お前に半分くれてやる。さっさと、ここから出せ」
「ありがとうございます。では、次に移らせてもらいます」
四人の前に机を動かして、椅子を用意した。足は鎖で拘束されているが、手は自由になっている。
「座ってください」
四人が椅子に座るのを待って、浩平は書類とボールペンを鞄から取り出した。
「ここに、見本があります。これを参考にして、念書を書いてもらいます」
四人は、目の前に置かれた見本だと言われた書類を読み始めた。四人の様子に戸惑いが出ている。最初に見本の紙を投げ捨てたのは権田だった。
「こんなもんが、書けるか」
「書けませんか」
他の三人の表情も硬かった。浩平は念書だと言ったが、その中身は自白調書そのものだったから、抵抗するのも当然だった。
「権田さんは拒絶するそうです。増岡さんは、どうされますか」
増岡は首を横に振った。
「ここで、拒否すると、もう、引き返せませんよ。拷問に耐えきれずに書くより、今、書かれることをお勧めします。皆さんでは、拷問には耐えられないと思います。それでも、よろしいですか、増岡さん」
「こんな奴の言うこと、聞くな。こんなもん、書いたら、お前は終わりだぞ、増岡」
権田が迫力のある声で増岡に迫った。
「増岡さん。ご自分で判断してください。後で後悔の度合いが違います。権田さんの脅しに屈して、その上、僕の脅しにも負けることになるんです。生き残った時に、ご自分を支えることに苦労します」
増岡は首を横に振らなかった。
「山内さんは、どうします」
「書きます」
「安達さん」
「書きます」
「そうですか。では、三人の方は、書き始めてください。権田さんは、どうしても拷問を受けてみたいようですから、この端で始めます」
阿南が近寄ってきて、権田を椅子に縛り付けた。足も椅子に固定する。浩平は細い鉄棒を手にした。
「権田さん。説明します。今から片足づつ潰していきます。両足が終わった時点で、一度目のチャンスがあります。次は左腕です。権田さんは右利きですから、右腕は残します。これが二度目のチャンスです。その次は、両耳です。ここが、最後のチャンスです。次に目が潰され、最後は、体の皮膚を全て剥ぎ取ります。その途中で息を引き取ることになるでしょう。では、いきます」
「ま、待ってくれ」
「権田さん。説明しましたよね。最初のチャンスは両足が終わった後だと」
浩平は権田の左足の脛を鉄棒で叩き始めた。罵詈雑言と阿鼻叫喚。権田はエネルギッシュな男だ。しかし、五分も経たずに権田の体が飛び跳ね出した。一回の衝撃は、それほどの痛みではないが、回数が耐えきれなくなる。しかも、いつまで続くのか読めないことが精神的重圧になり、権田の叫び声が地下室を震わせる。浩平は数を数えながら、無心に鉄棒を振り続けた。
「やめてくれ」
念書を書いていた山内が叫んだ。浩平は手を停めた。
「やめてくれ」
「これは、山内さんの問題ではありません。権田さんが自分の責任で選択したことです」
「わかってる。だが、私の心臓は限界なんだ」
「心臓に持病があるんですか」
「そうだ。この叫び声には耐えられない。私の心臓が停まって、この書類が書けなくなったら、君も困るだろう」
「そのことは、あなたが心配することではありません。あなたの替わりはいくらでもいるんです。五菱重工で、このことを知っているのが山内さんだけというわけではありませんから、次の人を拉致するだけです」
「だが、私の心臓は、これ以上、耐えられそうにない」
「そうですか。では、議員の方のナンバーツーはどなたです。この権田さんの次に力を持っている人です」
「川口議員でしょう」
浩平は阿南の近くに行って、阿南の鞄から短銃を取り出した。マガジンの銃弾を確認して権田のところへ戻った。
「権田さん。あなた、騒ぎ過ぎです。山内さんが、あなたの叫び声を止めろ、と言ってます。僕も、あなたには期待が持てないなと思っています。だから、山内さんの指示があれば、あなたを楽に死なせてあげます。後は川口議員にお願いすることにします」
浩平は権田の顎を左手で制して、銃を口の中へ捻じ込んだ。
「山内さん。指示を出してください。あなたの指示で引き金を引きます」
権田の顔は涙と鼻水で無茶苦茶になっている。やめろ、と言っているのか、ただ泣いているだけなのか判然としないが、嗚咽のような言葉が聞こえる。ズボンの前に染みが広がり、権田は失禁したようだった。
「山内さん」
浩平は山内の決断をうながした。山内は権田の叫び声をやめさせてくれと願っただけで、権田の死に対して責任を背負う予定はなかった。「殺せ」という指示など出せるはずもない。
「権田さん。書いてくれ。念書を書いてくれ」
安達が叫んだ。
「お願いします。チヤンスを」
増岡も机に頭を押しつけた。
「なかなかのチームプレイですね」
増岡にならって、二人の民間人も机に額をつけた。浩平は銃口を権田の口から引き抜いた。権田の嗚咽が止まり、地下室に静けさが戻った。
浩平は四人を置いて、阿南のいる場所で射撃訓練を始めた。締め切られた空間での銃声は、重低音のドルビー付きだ。薬莢が転がる音も、なぜか重々しい。約十分、射撃練習を続けて、浩平は四人の所へ戻った。
「山内さん」
「できません」
「殺人の片棒を担ぐのは、嫌ですか」
「はい」
「嫌なことはしない。でも、美味しいものは欲しい。そういうことですか」
「・・・」
「自分だけは安全な場所にいたい。あなたたちは、不正なことをやり続けた。それでも、自分のことだけは守りたい。それって、卑怯者だと思いませんか」
「はい」
山内は蚊の泣くような小声で答えた。自分が卑怯者だということは知っているようだ。
「特に、この権田議員は最低な男だ。こんな男の命を助ける必要があるんですか。それとも、ただ、責任を負いたくないということですか」
「・・・」
「こんな不正をしていることに、反省はないんですか、山内さん」
「あります」
「じゃあ、どうして、続けたんです。内部告発だってできたでしょう。本当は、いやいややってたんですか」
「そうです」
「きれい事、言わないでください」
「えっ」
「日本会館での、皆さんの様子を知っていますが、山内さん、いやいややっているようには思えませんがね」
「・・・」
「まあ、いいでしょう。僕もその不正に加担しようとしてるんですから。今回は特別チャンスを作りましょう。権田さんが、全て僕の指示に従うのなら、あなた達の希望を入れることにします。それで、いいですか。権田さんが拒否した場合は、拷問を最後まで続けます。途中で意見の変更は認めません。拷問の中にある三回のチャンスをまとめて、この特別チャンスとします。これからは、山内さんの心臓にも配慮はしません。よろしいですね」
「お願いします」
三人が頭を下げた。
「さて、権田さん。次はあなたの覚悟を聞きましょう」
「書く」
「か、く」
「いえ。書きます」
浩平は机の前に座っている三人を見た。
「やはり、権田さんは、おわかりではないようです」
地下室に緊張が走った。
「僕は、なんと言いました。権田さんが僕の指示に従うなら、と言いましたよね。それは、書いてやる、という精神状態でできることではないと思います。状況が悪いから、書いてやってもいい、などという高慢な態度では、駄目でしょう。どうです、山内さん」
山内が、がっくりと首を落とした。
「この人には、所詮、無理なんです。命を危険にさらしているのに、傲慢から抜け出せない。あなた達の努力もここまでですね。山内さんも、この男の悲鳴は無視して念書を書いてください。心臓がもたなければ、そこまでです。いいですね」
三人が一斉にボールペンを走らせ始める。浩平が地面から鉄棒を取り上げた。
「あわわわわわ」
浩平は権田の横の椅子に腰を降ろした。権田は椅子ごと飛び跳ねて、横倒しに倒れた。その不自由な姿勢では暴れようもない。鉄棒が振り下ろされていなくても、先ほどの痛みが戻ってきているのだろう。左足が震えている。
それからも、小さなやりとりがあり、大騒ぎをした権田が、子供のように従順な権田に変貌した。政治家の能力をもっと建設的な場所でふるわせる方法はないものだろうか。その粘り強さ、変幻自在の変わり身の術、そして厚顔無恥は一級品だと思う。
四人の人質は浩平の思い通りに動いてくれた。念書という自白調書を書き、自筆のサインをして、親指で捺印までしてくれた。権田は暴れた罰として、裏金を渡した議員の名前を列挙してもらった。
「さて、権田さん。真崎組を管理しているのは、あなたですか」
「はい」
「真崎組の介入は、これを機に控えてください。マネーロンダリングは僕がやります。新橋政策研究会の管理もやります。よろしいですね」
「はい」
「先ず、二千五百億を用意してください。その後は月額二百億をいただきます。安達さんがその指揮を取ってください。邪魔をする者がいれば、僕が排除します」
「はい」
「最後に皆さんの身の振り方です。行方不明で、捜索願も出てるでしょう。今日のことが表沙汰になれば、大勢の方が困ることになります。世間を騒がせない方法を考えてください。協力します」


22

「一時はどうなるかと思いましたよ」
「阿南さんなら、わかってるでしょう。我慢比べですから」
「いつも、勉強になります」
「阿南さん、いつですか」
「アメリカですか。行きませんよ」
「最初から」
「ええ」
「騙されましたね」
「片山さんは、それ、言えないでしょう」
「これからが、本当の戦争です。アメリカに行ってくれた方がよかった」
「迷惑でも、くっついて行きますよ」
「困りました」
それからの阿南は上官の世話をする兵士のように、浩平の影に徹したようだった。迷惑だが、断る方法が見つからない。仕方なく、浩平は藤沢の家を阿南に明け渡して、都内のマンションに移ることにした。
藤沢での最後の日に、直人が現れた。
「阿南さん。どうしてここにいるんです」
「いや。ちょっと、予定が変わった」
「片山さん」
「ん」
「どういうことです」
「阿南さんに聞いてくれ」
「阿南さん」
「ほんとに、予定が変わっただけだから」
「俺、騙されてるんですか」
「だから」
「片山さん」
「阿南さんは、予定が変わったと言ってる」
「違いますね。何があったんです」
「何もない」
「へえ、そうですか。何もないんですか。24時間の監視体制をとってでも、調べますよ」
「無茶言うな」
「必要なら全員呼び戻してでも、監視しますよ。俺たち探偵業ではプロですからね」
「直人」
「監視されたらまずいことでもあるんですか」
「脅してるのか」
「はい。恐喝が飯のタネですから」
「僕を、怒らしても、か」
「冗談じゃない。怒ってるのは、俺の方ですから」
勝手にしろ、とは言えなかった。直人は本気で監視チームを作ってしまう。それでは、解散した意味がなくなってしまう。直人の脅しに屈するしかないのか。
「わかった。僕は犠牲者を出したくなかった。それは今でも変わらない。本物の戦争に突入する。しかも、最後には負けるとわかっている戦争だ。そんな戦場に連れて行く訳にはいかない。祐樹の命を背負っているだけでも、息切れしてるんだ。これ以上は背負いきれん。勘弁してくれ」
「いいえ。片山さんなら、背負えます。片山さんは、何人もの命を背負って生きていく宿命を持ってるんです。その宿命からは、逃げられません。それも、覚悟でしょうに」
「・・・」
「いいですか、犠牲は出ない方がいい。そんなこと、当たり前です。でも、犠牲が出る時は、少ない方がいい。これが現実です。今なら、犠牲は阿南さんと俺の二人で済みます。この二人は認めてください。これを断れば、犠牲者はもっともっと出ます。それでも、いいんですか」
「片山さん。あんたの負けだ。直人はほんとにやりかねません」
「わかった。二人とも、どうして、そう死にたがるんだ」
「片山さん。それは、違う。俺は生き返るんです。俺、この数か月、死んでました。だから、今から、生きるんです。わからないんですか」
「もう、怒るな、直人」
「はい」
阿南が死に場所を捜しているのは知っている。だから、阿南を道連れにすることに抵抗は少ない。だが、直人は、まだ自分の新しい生き方を見つけるチャンスがあると思っている。片山浩平に出会ったことが直人の不運だった、という結果になって欲しくなかった。浩平の手も阿南の手も血で汚れているが、直人はまだ一般人に戻れる。いや、戻してやりたい。直人は浩平の命を守ろうと、覚悟を決めているのだろうが、浩平が直人の命を守っていることには気づいていないと思えた。
「直人」
「はい」
「変装の技術を磨け。僕が見ても本間直人だと気付かないぐらいになれ。これが、宿題だ。それができたら、一緒にやってもいい」
「やります」
浩平が大きなため息をつき、直人と阿南がニヤリと笑った。
「阿南さん」
「はい」
「狙撃の練習、しといてください」
「はい」
「権田は、悪あがきをすると思う。何度か警告をしておかないと」
「はい」
浩平は防衛省事案の説明を直人にした。
「四人とも、百戦錬磨の老人だ。簡単にはいかない。このことを忘れるな。権田が今の力をどれだけ苦労して作り上げたか。増岡もそうだ。一口に事務次官というが、誰にでもできることじゃない。そして、大企業で役員になることも簡単なことではない。四人とも血のにじむような努力をして築き上げた地位なんだ。人生の全てがかかっている。僕たち若僧には想像もできない苦労があったと思う。そこのところを甘く見たら、僕たちの負けになる。権田には、真崎組と手を切るように言った。こうやって、口にすることは簡単だが、そんなに生易しいことではない。日本一の真崎組になるのに、どれだけの血が流れ、どれだけの金がかかり、どれだけの時間がかかったのか。つまり、目の前にいる敵だけでも、強敵ばかりだ。その先には、日本という国があり、アメリカを敵に回す可能性もある。これは、戦争なんだ。いつ、和平交渉をし、いつ手を引くか。タイミングを間違えば玉砕しかない。勝つ見込みはゼロ。僕たちは、踏み込んではいけないところに踏み込んでいる。覚悟だけで、何とかなるものではない。運が落ちれば、そこまでなんだ。よく、噛みしめておいてくれ」
翌日、浩平は目白にあるマンションに移った。マンションという名前はついているが、アパートと呼んだ方がふさわしい建物だからセキュリティーは何もない。住人は学生が多く、外国人も何人かいるようだ。浩平が溶け込める環境と言える。
浩平は、新宿から権田の携帯電話に電話をした。
「中野ですが」
「ああ」
「真崎組の方は、手を打ってもらいましたか」
「話した。あんたと、直接話したいそうだ」
「そうですか」
板谷という男の電話番号を聞いた。場所を移動して板谷という真崎組の男に電話をした。
「板谷」
「僕は、中野と言います。権田さんから、あなたの番号を聞きました。直接、話がしたいということですが、何を話すんですか」
「あんたか。松木から話は聞いた。真崎組に、手を引けと言ってるそうですね」
「はい」
松木は、ほんとに話をしたらしい。
「一度、話がしたい」
「あなたと、ですか」
「そうだ」
「あなたは、真崎組の代表になれますか」
「関東はまかされてる」
「では、真崎組を代表する人と話し合いができるように、取り計らってください」
「俺では、不足か」
「いいえ。二度手間を避けたいだけです」
「先ず、この板谷と話してからでは、いかんのか」
「すみません。できれば西宮と話したほうがいいと思ってます」
「どうしてもか」
「くどい。うちは、このまま戦争してもいいんです。板谷さんに話したことで、こっちの義理は通してる。本部と相談してください」
浩平は一方的に電話を切った。また、移動して、大阪の松木に電話を入れた。松木はすぐに電話口に出てきた。
「いま、板谷という男と話をした。あの男ではラチがあかない。松木さんは、今度の話、聞いてるか」
「大体は」
「直接、話したいと言ってるそうだが、本部の意向か。それとも板谷の希望なのか」
「それは、本部の意向ですよ。板谷は窓口にすぎません」
「そうか。だったら、松木さんが段取り組んでください」
「わかった」
「板谷にも言ったが、僕が話し合いをしたい訳じゃない。このまま、戦争でもかまわない。だから、四の五の条件つけるんなら、応じるつもりはない。それと、話し合いの相手は真崎組の頭でなくてはならない。大丈夫か」
「わかりました」
「また、電話する」
松木は三宅組の件で、関東地区の代表を板谷に奪われている。松木にとっては復権のチャンスでもある。どういう復権の仕方をするのか、興味深い。今度も先が読めないようなら、浩平のメガネ違いということだろう。
直人が同じマンションに引っ越ししてきた。
「何、考えてるんだ。別のマンションにしろ」
「そうも思いましたが、今の片山さんは、信用できない。ここしかありません」
「馬鹿なこと、やめろ」
「大丈夫です。赤の他人で通しますから」
直人は引き下がらなかった。騙したと言う負い目が浩平にはあるし、もう騙されないぞという強い決意が直人にはあった。
浩平は、松木に電話するために、池袋に向かった。直人はしっかり後をつけているようだ。
「どうだ」
「十五日でどうですか」
「三日後だな」
「はい。場所は西宮の本部でいいですか」
「わかった。ただし、変な小細工はするな。死人の山ができることになる。今度は手加減しない。そのことを、よく話しておくこと」
「はい」
三日後に、直人と阿南を連れて、新幹線で西へ向かった。直人と阿南はレンタカーを借りて、決めた場所で待機する。浩平は一人でタクシーに乗った。
真崎組の本部は立派な豪邸だった。下調べはしてあるが、建物の中まではわからなかった。真崎組本部の近くにはパトカーに乗った警官が警備している。タクシーで乗り付けた浩平の写真は撮られているだろう。また、危ない橋を一つ渡ったことになる。
門構えの豪邸の入口には、数人の男が待っていた。
「中野といいます。松木さんに取り次いでくたさい」
スロープの上から松木がゆっくりと歩いてきた。
「お待ちしてました」
「予定通りか」
「大丈夫です」
「行こうか」
坂道を上がって、左に曲がると、大きな建屋と大きな玄関が見えた。黒服の男たちが玄関の両脇に並んでいる。二十人はいるだろう。浩平と松木の方へ、三人の黒服が近づいてきた。一人は日本会館で見かけた男だから、板谷という関東地区の代表だろう。
「板谷です」
浩平の道を塞ぐように正面に立った黒服が挨拶した。
「中野です」
「身体検査をさせていただきます」
「身体検査」
「はい。そういう規則になってますから」
「どこの規則です」
「ここに入る人にはどなたにもお願いしています」
「それは、あなたたちの規則ですね。僕の規則にそういうものはありません」
「そこを、お願いします」
「断ります。どうしても、と言うなら、腕ずくでやればいい。ただし、警告しておきますが、死にますよ」
板谷の後ろには、ひときわ体格のいい男が二人並んでいる。
「松木」
「はい」
「もう、約束が守られていないようだな」
「すみません」
「あの並んでる連中も、僕を撃ち殺そうと待ち構えてるのか」
「いえ。違います」
「言ってあるんだろ、少しでも不審な行動をしたら、死ぬことになる、と」
「はい」
おおきな声で話しているので、その場にいるもの全員に聞こえているはずだ。
「いいでしょう。どうしても、と言うなら、腕ずくでやればいい」
いくつかの死体が転がることになるのは覚悟してきた。板谷が後ろにさがり、二人の男が前に出た。見上げるような大男だ。
二人の男が一歩前に出て、浩平も前に出た。何事もなくすれ違ったように見えたが、二人の男は切り倒された大木のように地面に倒れた。
「次は、あんただ」
板谷はまだ何が起きたのかわかっていない表情だった。
「身体検査、するんだろ」
板谷は二三歩後退した。
「下のもんがやられて、逃げたら、しめしがつかないだろう」
浩平が一歩前に出て、板谷が一歩退がった。
「どうした。ビビってんのか。やれよ」
我に帰った板谷が浩平に殴りかかってきたが、ぐしゃっという音がして、板谷の体が沈んだ。板谷の顔が変形していた。
「行こうか」
「・・・・」
「松木」
「あっ、はい」
「行くぞ」
「はい」
会議室のように広い応接間に大勢の人が入っていた。玄関で起こったことは、もうこの部屋に伝わっているらしい。くつろいでいる人は一人もいなかった。
「中野さんがおみえになりました」
松木の声もうわずっている。真崎組の組長である谷村武史の顔は写真で知っている。一番奥に座っている男がその谷村組長のようだ。浩平はまっすぐ谷村の方へ歩いた。呆然と見守るだけで、誰ひとり動く者はいなかった。
浩平は、谷村の横に近くの椅子を持って行き、座って挨拶した。
「中野です。谷村組長ですよね」
浩平は、人懐っこい少年のような表情だった。
「谷村です」
「話があるということなので、来ました」
「ああ」
「最初にお詫びします。組の方、三人を死なせてしまいました。謝ります。すみません」
浩平は深々と頭を下げた。
「ん」
「本題に入る前に、これだけ大勢の方に、この話を聞いていただく必要がありますか」
「いや」
「できれば、二人でお願いします」
部屋の中がざわついた。
「怖いのであれば、誰か一人、銃を持って護衛についてもらってもいいですよ。僕があなたを殺す気なら、何人いても役には立ちませんけど」
谷村が苦笑いをした。
「二人だけで話しましょう」
「はい。松木さん、全員出てもらってください」
大勢の人が口々に何か言っていた。二人は危険だと言っているようだ。
「しばらく、二人にしてくれ」
静かな声だが、説得力はある。ぐずぐずしながらも全員が出て行き、部屋は二人だけになった。
「防衛省の件ですが、谷村さんはどんなふうにお聞きになってますか」
「あんたに、脅されて、全部取られたから、うちには払えなくなった。そんなことを言われたらしい」
「それは、誰からですか」
「権田先生からです」
「それだけですか」
「資金の洗浄も、調整もやらなくていいとも、言ってたな」
「真崎組の取り分は、いくらあったんですか、年間で」
「五十億」
「まさか」
「・・・」
「それで資金洗浄もしてたんですか」
「いや。その手数料は別だ」
「それが、いくらです」
「一割だと思う」
「では、2パーセントですね。合計で百五十億」
「そのぐらいだろう」
「他には、何か言ってましたか」
「それだけだと思うが」
「で、谷村さんの話というのは」
「あんたに、手を引いてもらいたい」
「その見返りは、何なんです」
「見返りはない」
「つまり、戦争にするってことですか」
「あんたが、そう望むなら、仕方がない」
谷村は無表情だったが、強気だった。
「どんな奴か、顔でも見ておくか、ってことですか」
「ん」
「わかりました。では、そういうことにしましょう」
「それでいいのか」
「ええ。僕も、あなたの顔が見ておきたかった」
「いい度胸しとる。真崎組に戦争しかけるとはな」
「とんでもない。谷村さんこそ、いい度胸してますよ。せっかくここまで育てた真崎組を潰すとは」
「ほう」
「いい機会ですから、今から戦争にしましょう。幹部の方も来ているようだし、組長もここにいる。敵の大将の首が戦争の初日に取れたら楽になります。それぞれの組は時間をかけて潰していきます。今日はこの本部だけにしますよ」
「これだけの人数を、一人で潰す気なのか」
「はい。谷村さん、不思議だと思わないんですか」
「ん」
「僕は、敵地の真崎組本部に一人で来てるんです。普通、来ないでしょう。あなたなら、どうします」
「行かないな」
「なぜです」
「勝ち目はない」
「そうですよね。ところが、絶対に勝てるとしたら、どうします」
「ありえん」
「そこなんですよ。権田議員もそういう間違いを犯しました。過去の経験に頼り過ぎて、ありえないという判断をしてしまう。先が読めなくなったら、その組織は終わりますよ」
「それでも、ありえんだろう」
「じゃあ、ここに一人でやってきた僕は、究極の馬鹿だと思いますか」
「そうは思えんが、わからんな」
「僕は化物なんです。普通の人間だと思ってると大怪我します」
「まさか」
「皆さんを呼んでください。なぜ死ぬのか、その理由ぐらいは教えてあげましょうよ」
「武装してるんだぞ」
「かまいません。拳銃など、何の役にも立ちません」
「はったりかましてる場合じゃないだろう」
「やれば、わかります」
「んんん」
「そうそう、品川埠頭で三人、気を失ったこと、聞いてますか。殺してもよかったんですが、手加減しました。今日は手加減しないと松木さんにも言ってあります」
「あの三人は死んだ」
「えっ。いつです」
「一か月ぐらいだったか」
「駄目でしたか」
「何をしたんだ」
「そうですか。松木さんは何も言ってなかった。駄目でしたか」
浩平は動揺していた。
「死にましたか。自分では、武道のつもりでしたが、やっぱり、殺人の道具に過ぎなかった。駄目でしたか」
「武道なのか」
「いえ。もう、武道とは言いません。殺人道具です」
浩平の前にあるのは、修羅の一本道だった。そこにいるのは、人懐っこい表情の若者ではなく、まがまがしい殺人鬼の若者だった。自分の体内で凶暴な何かが暴れ出している。
浩平の様子が一変した。椅子に沈みこみ、顔つきも目つきも変わった。谷村は椅子の中で後ろへ退がった。
「なに、してる」
「・・・」
「呼べ、谷村」
「待ってくれ」
「戦争は、もう始まってる」
浩平の体から出る殺気が谷村の目にも見えるようだった。巨大な悪と極少の悪が対峙している。その差は明らかだった。何の害もないように見えていた男が、鬼に豹変していることを谷村は体中で感じていた。真崎組が全滅の危機にあることも理解できた。化物だ。
「たにむら」
浩平の怒声に谷村が椅子から飛びあがった。
「すみません」
谷村は浩平の足元に土下座をした。
「私の負けです。言うとおりにします。組のもんは助けてやってください」
「お前は、死んでも、か」
「はい。私の命だけで、勘弁してください」
「強気の谷村は、どこに行ったんだ」
「私の、間違いです」
「真崎組は俺の下でいいのか」
「はい」
「まつき」
浩平は大声で松木を呼んだ。ドアが開いて、松木を先頭にして大勢の幹部たちが顔を見せた。そして、浩平の足元に土下座している組長の姿に息を飲んだ。
「組長は、自分の命で、お前ら全部を助けてくれと言ってる。それでいいのか」
「組長」
男たちが口々に叫んでいる。
「静かにしろ」
谷村のドスのきいた声で静かになった。浩平の中では戦闘意欲が煮えたぎっている。谷村は平平凡凡の日常を生きてきたわけではない。危険な臭いを嗅ぎ分ける能力は持っている。
「中野さん。待ってくれ」
「あいつらの顔には、戦争したいと書いてある」
「私が、言い聞かせます。お願いです。待ってください」
「部屋に入れてやれ」
浩平の言葉にドアに群がっている男たちが反応しようとした。
「動くな」
谷村が怒鳴った。浩平の殺意が膨らんでいることに谷村は気付いているようだ。
「そのまま、聞いてくれ」
谷村は床に座ったまま、入口の方へ向き直った。
「一つ。今日から真崎組は中野さんの下に入る。二つ。今は全員ここから逃げろ。いいか、意地を張っても、無駄死になる。この二つが、俺の最後の命令だ。いいな」
男たちのざわめきが起きた。
「松木。お前の言うことを聞いときゃよかった。すまんな」
「組長」
「行け」
谷村の大声で男たちが動いた。松木だけが、入口の床に正坐している。
「中野さん。親父の最後を見届けさせてくれ」
「馬鹿野郎。お前を死なせるわけにはいかねえんだ。行け」
「中野さん」
「入れよ」
「はい」
「谷村さんも、そんなとこにいないで、座ってください」
「・・・」
「大丈夫だ。もう、治まった」
浩平の様子が変わっていた。もう、殺気も出ていない。
「松木さんも座ってくれ」
「はい」
「あの三人、駄目だったのか」
「はい」
「どうして、言わなかった」
「言っても」
「そうか。済まなかった」
「はあ」
「谷村さん。あんたは立派な親分だった。さすが、真崎組だ。真崎組が僕なんかの下にいちゃいけません。全部、取り消します。あんたの命もいりません。防衛省の件は、後日にしましょう。松木さんに連絡します」
「中野さん。あんたは、いったい、何者なんだ」
「化物なんでしょう」
浩平は立ち上がった。
真崎組までやってきた成果は何もなかったが、仕方がない。今日も三人の命を奪ってしまった。もう、修羅の道しか残されていないのか。
「送ります」
「ああ」
「馬鹿な奴がいたら、ぶち壊しになりますから」
谷村と松木に左右を守られて、浩平は真崎組本部を後にした。
浩平は、直人と阿南とは別行動で東京に戻った。
「しばらく、山に行く」
それだけ言い残して、浩平の姿は東京から消えた。


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