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海の果て 第1部の 6 [海の果て]


14

結局、銃器訓練は半年かかった。もっとも、最後の一か月は殺気を消すためのクーリング期間として、藤沢の庭にある畑で働いてもらった。チーム本間の三人は、個人差はあるが、それぞれにおおきく変わって帰ってきた。直人には、幼さの片鱗もなくなっている。やんちゃな言葉づかいはしないし、怒りを仕舞いこむことも身につけた。
前久保健治の調査を再開した。チーム本間はあせることもなく、地道な調査を続けて、大銀行の相談役になっている上西保という老人に辿りついた。上西は博打好きだけではなく、ロリ嗜好がある。目黒のマンションに個人のプレイルームを持ち、幼い少女たちを連れてくるのは三宅組の組員と思われる男だった。近くのマンションを借りて、チーム本間が張りついた。証拠写真を撮る。二週間かけて、それなりに鮮明な写真が撮れたと直人から報告があった。
浩平は、後藤祐樹との取引の時に、三宅組とクラブ「まこと」のことを聞いた。
「調べましょうか」
「面倒なことになるかもしれんぞ」
「ばれるようなことはしませんよ」
「無理しない程度でいい」
浩平は、写真を手に上西老人に接触した。上西は半端ではない大金持ちのようだ。大邸宅の上西の部屋に菅原の助けを借りて忍び込んだ。今日は変装している。歯科技工士に頼んで入歯を作ってもらい、それを自分で加工して変装用の入歯にしている。頬を膨らませたり、くちびるを前に出すだけで人相はがらっと変わる。ただ、少し喋り難い。
「何者だ」
「佐藤といいます」
「警察を呼ぶぞ」
「いいですよ。でも、死んでしまっては意味ないでしょう」
浩平はサイレンサーのついた拳銃を取り出して見せた。
「これ、持っててください」
近くにあった分厚い本を上西に渡した。その本に向けて無造作に銃弾を撃ち込んだ。本が老人の手を離れて部屋の壁まで飛んだ。浩平は部屋の隅から本を拾って、銃弾がめりこんだ部分を老人に見せた。
「少しだけ、私の頼みをきいてください」
老人の膝の上に写真を置いた。
「何だね」
「この子の名前は知ってますか。本名を」
「わわわ」
「上西さんは、友山銀行の相談役でしたよね。この写真、銀行へ持って行ってもいいんですが、あなたに買っていただいた方が、いいでしょう」
「これは、恐喝かね」
「そうです」
「いくら、いるんだ」
「金はいりません。一日だけ、あなたの甥にしていただきたい」
「甥」
「そうです。上西さんは、クラブまことの会員ですよね」
「ああ」
「連れて行ってもらいたいんです」
「警察関係者かね」
「いいえ。警察がこんな面倒なことしますか。あなたには迷惑かけません」
「あそこは、簡単には入れん」
「あなたの甥でもですか」
「んんん」
「甥の社会勉強だと言えば問題ないでしょう」
「まあ」
「どうします。一日で済みます。それとも、銀行や雑誌社に持っていきましょうか。今は社会的にも、こういうロリは糾弾されていますが、大銀行の相談役がこんな破廉恥な行為の常習者だとわかると、雑誌社は喜びますよ」
「考えさせてくれ」
「何を考えるんです」
「だって、そうだろう。危険がいっぱいなんだ。よく考えないと」
「駄目です。明日、行きます。時間は追って連絡します。余計な事をすれば、あなたの人生はお終いです。銀行のダメージもかなりのものになるでしょう。この家の中もね」
浩平は机の上に置いてあった上西の携帯電話から番号を移した。菅原も盗聴器の取り付けを終わっているだろう。チーム本間は上西邸を監視している。
翌日の夜八時に、芝公園の近くで上西の車に乗り込んだ浩平はスーツにネクタイの真面目なサラリーマンにみえた。盗聴器のデータでも、訪問者にも不審な様子はないと直人から報告をもらっている。
クラブ「まこと」のドアを上西の後から入る。その部屋は受付とクロークがあるだけの静かな部屋だった。
「上西さま」
「ん」
「お連れ様ですか」
「ん。甥の正人だ。社会勉強にな」
ヤクザ者とは思えない男が笑顔でうなずいた。
「念のために、身体検査させていただきますが、よろしいでしょうか」
「もちろんだ」
受付の男が浩平の背後にまわり、身体検査を始めた。
「お客さま。携帯はクロークで預かりますが、よろしいでしょか」
浩平は頷いて、腰のベルトにつけている携帯を外して男に渡した。だが、そのベルトの下にある小型のカメラには気づかなかった。カメラは改造してシャッター音が鳴らないようにしてある。
「今日は、いろいろなお客様が来られていますので、少し混みあいます。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」
クロークの番号札を持ってきた女性が、二人を案内して奥のドアを開けた。数メートルの廊下の奥に別のドアがあり、そのドアを入ると、広々とした賭博場になっていた。
上西はいろいろな人物と挨拶をして、ルーレットやトランプを見て回る。浩平はつつましく上西の後ろについて歩いた。十分もすると、二人はその場に溶け込んでいる。いろんな人の会話を聴いていると、どうも、右翼の大物が来ているらしい。小さいものではあったが、北方領土や共産主義や中国の文字の入った横断幕があった。そんな中で、ひときわ大声で話している男が厚労省の前久保健治だった。写真でしか見たことはないが、隣にいるのは今の事務次官で斎藤という男だろう。浩平は上西から離れ、興味深そうにテーブルを回りながら、写真を思い切り撮った。その賭博場に入って一時間。上西に声をかけて一緒に部屋を出た。さすがに、今日は博打に手を出すゆとりはなかったようだ。何か言われたら、体調が悪いということになっている。
「上西さま。もうお帰りですか」
「ん、一寸、体調がな」
「そうですか、どうぞ、お大事にしてください」
上西は本当に体調が悪いように見えた。クロークで二人分の携帯電話を受け取り、クラブを後にした。上西のプレイルームを盗撮したカードを上西に渡して浩平は車を降りた。
部屋に戻った浩平は賭博場にいる前久保健治の写真を十枚プリントアウトした。どう見てもキャリア官僚には見えない。チーム本間の三人も戻ってきた。
パソコンに取り込んだ写真を驚きの声を出しながら三人が見ている。浩平は写真撮影がうまくいって胸をなでおろしていた。もう、探偵としては三人の足元にもおよばないだろう。「片山さん。上手に撮れてますよ」
「ありがとう」
「明日からは前久保ですね」
「頼む」
浩平は、犯罪では大先輩にあたる菅原の助言を守っている。事前の調査が充分でない山はやってはいけない、という鉄則だ。だから、前久保健治の行動をじっくりと調査する。
翌日は後藤祐樹の話を聞くために外出した。
「少し前に、東西対決がありましてね。関西の真崎組と東京の花村会です。花村会が潰れそうになって、仲裁が入りました。政界の大物が乗り出したという噂です。その結果、花村会の縄張りの中に真崎組のシマができたそうです。あのビルが真崎組の飛び地みたいなものです。そこで、真崎組の武闘派と言われる横浜の三宅組が、あのビルの管理をしているそうです」
「三宅組は武闘派」
「多分、日本で一番荒っぽい組でしょう」
「そうか」
「先輩、三宅組となんかあるんですか」
「いや、あのクラブの客に用事がある」
「あそこは、さわらない方がいいです」
「そうみたいだな」
一か月近くの調査をして、前久保の自宅を交渉場所にすることに決めた。厚労省を出た後は、交友関係が広く車で動きまわる。その車の運転手は、どうみても三宅組からの出向者だと思えた。前久保は妻と死別していて、田園調布の自宅には家政婦がいるだけだった。
金曜日、夜中の十時過ぎに帰宅した前久保を確認して、浩平は塀を乗り越えた。前久保の家を見渡せる場所に車を停めて、阿南がバックアップに入っている。大きな庭に面した居間で、前久保は郵便物に目を通していた。
「前久保さんですね」
突然のことで、前久保の体がビクッと動いた。
「なんだ。おまえ」
「佐藤と言います」
「どこから、入ってきた」
「むこうからです」
「なめたこと。まっ、いい。怪我しないうちに帰れ」
前久保は浩平を無視して郵便物に目を戻した。
「今日は、前久保さんに買っていただきたい物があって、お邪魔しました」
「人違いだろう」
「いいえ。厚労省大臣官房人事課の前久保健治さんに、ぜひ買っていただきたいものなんです」
「若いの。悪いことは言わん。このまま帰れ。浜さん」
浜さんと呼ばれた五十過ぎの家政婦が部屋に入ってきた。
「お客さんがお帰りだ。お見送りしろ」
「はい」
「浜さん。まだ話が終わってませんので。でも、じきに帰りますから」
家政婦は困った顔で二人を見比べた。前久保が、仕方無いという様子で家政婦に出て行くよう手を振った。
「何を売りに来たのか、見せてみろ」
「ありがとうございます」
浩平は写真を前久保の前に並べた。
「これがどぅした」
「賭博場であることはわかりますよね」
「で」
「国の高級官僚の方が、行くところではありませんよね」
「どうして」
「国は、この手の賭博は禁止してます」
「賭博というのは、金をかける場所だ。どうやって証明するんだね」
「会員制のクラブで、このような施設があれば、常識的には賭博でしょう」
「俺が買わない場合は、マスコミに持って行くのか。誰も記事にはしないだろう」
「どうしてです」
「裏が取れない」
「なるほど。賭博ではない。単なるゲームだということですね」
「そうとしか思えんよ」
「では、この写真は、どうです」
「一緒だな」
「この写真はマスコミではなく、中国に流します」
「中国」
「共産主義や中国を非難する横断幕があります。こんな集会に官僚が出席している。しかも事務次官と人事課長が、です。これは、カードになりませんか。日本叩きの」
「あんな連中、言わせとけばいい」
「でも、政府は困りますよね」
「この程度のことは、いくらでも起きているんだ。誰も取り上げたりはせん」
「そうですか。一度やってみましょう。私の方には失うものはない。どんな結果になるか、楽しみです。それと、もう一つ。日本厚生振興会という外郭団体の職員に三宅美津子さんという方がいますよね」
「それが、どうした」
「所管部所は人事課になってます。そして、この三宅さんは、横浜の三宅組の組長夫人です。暴力団に資金を流しちゃまずいでしょう」
「お前。死にたいのか」
「いや。抹殺されるのは、あなたですよ。これだけ出れば、上はあなたを切るしかない」
「何者なんだ、お前」
「佐藤と言いました。一市民です」
「で、これは、誰の差し金なんだ」
「それは、言えません」
「いくら、欲しい」
「五百億円、いただきます」
前久保が大声で笑い出した。
「好きにしたらいい」
「では、そうさせていただきます」
「五百億、取れると思ったのか」
「一千億でも、よかったんですが、初回ですから、五百ぐらいかなと思って」
浩平は笑顔を残して、出口に向かった。
「待て」
「はあ」
「五億なら、払ってもいい」
「結構です。はした金はいりません」
浩平のポケットの中で、携帯が動いた。阿南からの連絡で、男が二人門をくぐったことと、三人が外の車で待機しているという情報だった。
「前久保さん。お待ちかねの人が来たようですよ」
浩平はドアから少し離れて、二人を待った。部屋に入ってきたのは、どこから見ても暴力団構成員という二人だった。前久保は、家政婦が三宅組を呼んだことを浩平が知っていること、そして、この家が監視されていることにも気がついたようだった。その辺のチンピラがやっていることではない。組織的な動きがあるとすれば、それは、どこの組織なのかと疑心暗鬼になっているのだろう。
「どうしました」
「・・・」
「前久保さん」
「こいつが、恐喝をしに来た」
「恐喝」
部屋には、コンビニの店員のような若者が一人いるだけなので、男は前久保の言葉が腑に落ちない様子だった。だが、前久保の様子は普通ではない。連れの男が浩平に近づいて来る。
「怪我しないうちに、帰ったほうがいいですよ」
「なに」
男と浩平が何気なくすれ違ったように見えたが、男はその場に崩れ落ちていた。位の高い方の男が身構える。
「外の三人も呼んでください。手が省けますから」
「お前、なにもんじゃ」
「兄さん、びびってます」
「てめえ」
飛びかかろうとした男は、浩平の蹴りで吹っ飛んだ。起き上がろうとした男の顔面に浩平の蹴りが入り、男はその場に沈んだ。
「前久保さん。これは、まずいことしましたね」
「・・・」
「一緒に来ていただきますよ。素直について来るか、痛めつけられて引きずられていくか、どちらにします」
前久保は顔を横に何度も振った。どちらも嫌だと意思表示したつもりなのだろうが、浩平は前久保が痛めつけられる方を選んだと解釈することにした。
「そうですか。素直には来れませんか」
その時、男が三人部屋になだれ込んできた。家政婦の浜さん、なかなかやるな。
だが、三人の男はその部屋で気を失うために入ってくる結果になった。
「浜さーん」
浩平は大声で家政婦を呼んだ。
「これ以上、ジタバタすると、あなたも痛い目に遭いますよ」
浩平は、ドアから目だけ出している家政婦に言った。すると、浜さんの目がすばやく引っ込んだ。
「前久保さん。死ぬ気ですか」
「あわわわわ」
「行きますよ」
腰を抜かして動けない前久保の首を両手で挟み、一瞬の絞め技で落としておいて、その体を肩にかけて運んだ。二人を乗せた阿南の車はNシステムのない道を選んで、横浜に向かった。途中で車のナンバープレートを付け替え、前久保を拘束し直し、目隠しをした。浜さんは警察に通報するのだろうか。浩平は直人に前久保の家を遠くから監視するように言った。
「すみません。阿南さんの警告、聞かずに、二度手間になってしまいました」
阿南は、最初から拉致を主張していた。
横浜の地下に前久保を監禁したが、手詰まりであることには違いがない。前久保を自由にしても、三宅組をバックにして厚労省に居座るだろう。三宅組にしても、資金源としては手放せない。こちらは、恐喝と誘拐の犯人なのだから、善意の市民の通報とは言えないので、官僚と暴力団の結びつきを糾弾するマスコミもないと思わなければならない。最終的には前久保を殺害するしか方法はないのだろうか。殺人罪はいずれ犯すことになるとは思っていたが、現実にその必要性に直面すると、躊躇がある。三宅組の組員五人に顔を見られているし、家政婦の浜さんにも見られている。マウスピースをしていたので人相の特定は困難と思われたが、藤沢の家で浩平は髪型を変えた。阿南の理髪の技術はプロ級だった。
「しばらく、考えます。死なない程度に食べ物と水をお願いします」
「わかった」
一週間が過ぎたが、前久保の誘拐事件は表沙汰になっていない。警察が発表していないのか、浜さんが通報していないのか。前久保邸を監視している直人からは、三宅組の動きはあるものの、警察が動いている様子はないという報告しかない。普段はテレビを見ないが、誘拐事件の速報が出るかもしれないので、ニュースだけは見るようにしている。だが、そのニュース番組で見たのは別のニュースだった。後藤祐樹が死体で発見されたというニュースで、暴力団の抗争事件か、と報道された。浩平は、三宅組のやったことだと直感した。浩平は、この事案が前久保との戦いではなく、三宅組との戦いになっていることに気がついた。後藤祐樹が殺害された状況は不明だが、浩平との関係をしゃべっていれば、既にこのアパートに襲い掛かって来てもおかしくはない。ただ、三宅組にとって難しいのは、前久保の救出が優先事項にならざるをえないことだ。前久保あっての資金源なので、誘拐犯を殺したところで何の利益もない。前久保の処分を決める前に、三宅組を潰す。
浩平は電車やタクシーを乗り継いで、藤沢に向かった。チーム本間の三人にも、部屋に戻らず、尾行をまくつもりで藤沢に集合するように伝えた。
浩平が到着後、三人が次々に集まった。アパートを出る前に阿南に頼んでおいたニュースの録画を見た。
「祐樹さん、この件に絡んでたんですか」
「僕が、情報収集を頼んだ」
「そうだったんですか」
「この人は」
「後藤組の組長の息子で、直人が後藤組にいた時の直属の兄貴分。僕の学生時代の後輩だった。祐樹から話を聞いてから少し時間があいてる。でも、三宅組にやられたと思ってる」
「どうして、そう思うんですか」
「根拠はない。でも、間違っていないと思う」
直人は動揺しているようにみえた。
「そこで、祐樹が僕のことをしゃべったとすると、あのアパートに近付くのは危険だということになる。わざわざ、藤沢まで来てもらったのは、そのためだ。しばらく不便するけど、皆、新しい部屋を借りてもらいたい。普通に生活できるように、買うものは買ってもらわなくてはならない。この件が落ち着いて自分の部屋に戻ったとしても、アジトとして使うつもりだから、そういうことも考慮に入れて選んでほしい。住民票は移さない方がいいな」
「打ち合わせは、いつも、ここですか」
「いや。その場所は僕が確保する。祐樹は何もしゃべってないかもしれない。だから、これは念のため」
皆が緊張するのも無理はない。
「直人。プリペイドの携帯、すこし余分に買っといてくれ。三宅組が電波盗聴するとも思えないが、これも念のためだ」
「はい」
「ここからが、本題になる。前久保邸の監視はやめる。今日から、我々の敵は三宅組だ。だから、調査の対象も三宅組。かなり、危険な仕事になる。どうする」
「どうするって」
「降りてもいいってことだ」
「片山さん。まだ私たちのこと、なめてます」
志保が厳しい口調で言った。
「・・・」
「今の、片山さんの発言、僕も気に入りません」
保田も志保に同調した。
「すまん」
「三宅組を監視して、どうするんです」
「祐樹を殺したのが三宅組なら、三宅組をつぶす」
「潰すって」
「言葉通り、全滅させる。相手は暴力団なんだ。中途半端なことをすれば、こっちが潰される。だから、文字どおり潰すんだ。阿南さん、爆薬の手配をしてください。時限装置もいります」
「わかった」
「暴力団の組事務所に盗聴器を仕掛けるのは危険すぎる。いつも、盗聴器を取り付けてくれる人に死んでくれとは言えない。我々だけでやる。これが、まだ使えるかどうかわからんが、盗聴器はこれしかない」
浩平は、バックパックからワンタイムの盗聴器と親機を取り出した。購入時に使用期限を聞かなかったので、自信はなかった。親機の充電もしなければならない。
「充電するまで、少し待ってくれ」
「片山さん。筒井さんから、葉書が来てます」
「おお」
絵葉書に、元気だということが書いてある簡単なものだったが、住所と電話番号が書いてあったので、安心した。アメリカでの格闘訓練センターの仕事は始まったのだろうか。
「阿南さん、一度電話して、筒井さんの近況を聞いておいてください。できれば、こことコンタクト取ってもらえると助かる」
盗聴器の簡単な取扱説明書に書いてある社名を示した。
「前は、片山商事という名前で取引しました」
「やってみます」
浩平は、皆に盗聴器の説明をし、何の変哲もない小さなプラスチック片を渡した。
「これが」
「収録時間と電波の距離に問題がある。充分にテストしないと」
盗聴器が使用可能であることを確認して、浩平は取扱いの説明をした。
「何度も言うけど、あせっちゃいけない。むこうも神経質になってる。相手が相手だ。祐樹の二の舞になってもらっては困る」


15

後藤祐樹殺害の男が自首してきたというニュースがあった。三宅組の組員で、単純な喧嘩だという。三宅組のビルが見えるマンションを二か所借りて、チーム本間の監視が始まり、地道な調査が始まった。浩平は何度も監視用の部屋に行った。
「毎日、いろんな店の出前があります。鮨屋の店で配達を募集してますから、応募してみようかと思ってるんですが」
「危険、あるな」
「多少、無理しないと」
浩平は変装用に作った入れ歯の話をして、直人を歯医者に行かせることにした。直人だけではなく、三人とも入れ歯を手に入れておいた方がいいという結論になった。
鮨屋の配達人になった直人は、寿司桶の改造に取りかかった。盗聴器を張り付けた板を桶の底に張り付ける。店で使っている桶と同じ大きさのものを捜すのに苦労したが、擬装用の底板ができて、盗聴が開始された。一日分として四十八枚の盗聴シートを貼り付け、タイマー機能を利用してデータ収集する方法が軌道にのり、内部情報が手に入った。
データ解析には浩平も参加した。三宅組は臨戦態勢にある。各地の暴力団からの情報収集が行われていて、電話による会話が数多くあった。三日目のデータ解析をしている時に、会話の様子に何か違和感を感じて、浩平は何度も聞き直した。
「直人。これ、どう思う」
「これが、何か」
「三宅さんと呼びかけてる部分がある。三宅さんと呼ばれる人間は組長だろう。じゃあ、三宅さんと呼んでるのは誰だ」
「えっ」
「組員が組長に三宅さん、とは言わないだろう」
「それは、ありません」
「真崎組の幹部が来てたら、三宅さんと呼んでも不思議じゃないな」
「はい」
「僕たちの敵は、真崎組だった、ということなのか」
「そうなりますね」
「天下の真崎組が相手だったんだ。どう思う」
「身が引き締まるというか、相手に不足はないというか。一寸、笑えますね」
「笑えるか」
「小さな組の落ちこぼれヤクザが、真崎組に喧嘩売ってるんですよ。笑えます」
「そうだな。こっちも、性根入れないと」
「はい」
「監視の二人に、この男が特定できないものか聞いてみてくれ。多分、三宅組にとっては上部組織からのお客さんだ。態度が違うと思う。このビルに泊っているとも思えない。写真が欲しい」
「わかりました。どうするんです」
「まだ、わからん」
二週間連続で盗聴器をしかけて、大体のことがわかった。後藤祐樹殺害は、本当に喧嘩が原因だったようだ。今回のことと関係あるんじゃないかという人間もいたが、その意見は一顧だにされなかった。上野の弱小組織にできるようなことではない、という意見が大勢を占めていた。三宅組がチーム片山の尻尾も掴んでいないことが原因だと思われる。真崎組の情報網にかからない組織などあるはずがないという過信が目を曇らせている。国の秘密機関か、国外の組織という方向へ向かっていた。代議士や警察庁からも情報を取っている。確かに優秀な情報網だ。大物議員も真崎組の情報源の一人にすぎない。
浩平の気持ちは固まっていた。この件を終結させるためには、劇的な幕引きが必要となる。真崎組は継続して、チーム片山を追うことになるだろうが、それを避ける方法はないと覚悟するしかない。全員藤沢に集まり打ち合わせを行った。菅原にも参加してもらった。爆薬の取り付けは、阿南と菅原が担当し、残りの四人は二人を援護する。三階建の三宅ビルを爆破し、ビル内の人間を全滅させる。ビルは角地にあり、隣は駐車場と歯科や内科の入った医療ビル。夜間は無人になるが、三宅ビルだけを爆破するつもりだった。爆薬の取り付け場所と四人の援護範囲。さらに、その範囲が重なる部分の正副の役割。逃走経路。潜伏場所。異常事態が起きた時の対処方法。綿密な打ち合わせを重ねた。拉致監禁している前久保は三宅ビルの玄関に放置する予定だった。運がよければ、命を拾うこともある。だが官僚としての命を永らえることは無理になると思われる。警察の鑑識は使用された爆薬がプラスチック爆弾だとすぐに判別するだろう。その情報は真崎組に伝わり、チーム片山が国外組織だと確信することになる。当然、警察組織も謎のチーム片山を追うことになるが、てがかりになるのは変装した浩平の似顔絵ぐらいしかない。真崎組から派遣されてきている男はホテルに泊っているので、難を逃れるが、諦めることにした。また、いつかどこかで出会うことになるのだろう。
「実行は二日後にします。いいですか」
浩平は、その夜、前久保邸に侵入した。警察の監視もなく、三宅組の人間も来ていなかった。浩平は帽子をかぶり、マスクをして、寝ている家政婦の浜さんを起こした。
「浜さん。僕が誰か、わかりますよね」
「・・・」
「そうです。あの時の犯人です」
浜さんは、首を左右に激しく振って、知らないという意思表示をしている。
「モンタージュに協力しましたね」
さらに激しく首を振る浜さん。
「今日から、この件については、一切協力しないでください。僕はあなたを殺したくないんです。あの日と今日。あなたを殺すチャンスを二回見送りました。三回目はありません。誰にも知られないとこに身を隠してください。ここのご主人はもう帰って来ません」
横に振っていた首を、浜さんは縦に変更した。
二日後の0330時に爆破作戦は実行に移された。新聞配達のバイクが動き出す前には終了しておきたい。人通りもなく、作戦を阻害するようなことは何もなく、十五分で爆薬の取り付けは完了した。睡眠薬で眠り込んでいる前久保を玄関の前に横たえ、ダンボールをかぶせて放置した。0405時にタイマーがセットされているので、退避行動には余裕がある。三人づつに分かれて二か所の監視部屋に戻る。翌日の通勤時間帯に合わせて、浩平と直人を残して現場離脱する予定になっていた。
浩平、阿南、菅原の三人は、部屋の電気を消したままカーテンの隙間から三宅ビルを見守った。幹線道路ではないので、車の通行はない。人通りもなく、爆破時間がきた。
浩平が予測していた音と全く違っていた。震動と音が同時に来て、浩平は窓から身を避けた。天と地がひっくり返ったような音と感じた。どこかでガラスの割れる音もした。三宅組以外に被害が出ないことを祈るしかない。阿南以外の人間にとって、爆破は初体験だから、菅原の驚きようもひどいものだった。
「成功です」
落ち着いた声で阿南が浩平に報告した。三宅ビルは瓦礫と化し、建物があったという印象すらかった。隣の医療ビルにも若干の被害はありそうだが、建物自体は残っている。五分後には、遠くでサイレンの音がし始めた。あと五分もすれば、消防車、救急車、パトカーで埋め尽くされるだろう。
次々に緊急車両が到着し、緊急用のバトライトで周囲が赤く染まる。ビルの破損状況から、生存者がいる可能性は無い。臨戦態勢をとっていたので、ビルで寝泊まりしていた組員が三十人はいると思われる。警察の現場検証は困難を極めることになるだろう。東京ガスの車両も到着。破損した水道管から漏れ出した水が流れを作り始めた。監視部屋に使っているマンションは老朽マンションなので防犯カメラはない。周囲の防犯カメラには写らないように行動したが、三宅ビルの防犯カメラには黒づくめの覆面男が写っていると思われるが、この爆破で再生不能になっていて欲しいと願っていた。ヤジウマが集まり始めた。いずれテレビ局の中継車も来るだろう。日本で初めて発生した爆発物によるテロを見ようと、大勢の人が集まるはずだ。警察の規制線がどこに引かれるのかにもよるが、人出は多い方が現場離脱に有利となる。二か所の監視部屋は、望遠レンズで監視しなければならないぐらい離れているので、すぐには警察の聞き込みは来ないと予測している。
七時半を過ぎて、阿南と菅原が部屋を後にした。問題が発生しなかった場合は浩平の携帯にワン切りの連絡を入れる約束になっている。八時半までに四人からの着信があった。浩平は直人の携帯にワン切りの電話をした。警察が電波盗聴体制を取っているかどうか不明なので、原則携帯電話の使用は禁止にしてある。浩平と直人の二人は、最低一か月はそれぞれの部屋で生活する。直人は鮨屋のバイトを続けるが、浩平は寝るときだけ帰ってくる契約社員ということになっている。勤務先は浜中調査事務所。どんな細かなことも対応しておく、と言う菅原の教訓を守り続ける。それが、チーム片山の鉄則だった。
二週間が過ぎ、死者の数は推定二十五人となった。その中には前久保の名前もあった。三宅組の全員が死んだわけではないが、組長と幹部組員は全滅した。真崎組は縄張りを維持するために代替の組織を作らなくてはならない。日本暴力団史でも初めての出来事だろう。一瞬で組が壊滅し、報復する相手も不明なまま、途方にくれることなどありえない事態だったが、手の打ちようがなかった。警察は特別捜査本部を東京に設置した。神奈川での事件で東京に捜査本部が置かれることは異常事態だったが、爆発物によるテロで二十五人の犠牲者を出したのだから、国としての対応になることも仕方がない。神奈川県警が異議を申し立てる余地はなかった。
浩平はスーツを着て上野に向かった。この重い気持ちは墓場まで持っていかなければならない、と覚悟している。
直人を引き取りに行った時に一度行っただけの後藤組の事務所のドアを開けた。
「後藤祐樹君のご霊前に、線香をあげさせていただけませんか」
しばらく待つと、幹部組員と思われる男が出てきた。
「たしか、片山さんでしたよね」
「はい。片山です。遅くなりましたが、祐樹君にお線香を」
「ありがとうございます。組長に伝えますんで、待ってください」
浩平は、お供えの果物を持ったまま、数分待たされた。
「どうぞ」
「はい」
三階が組長の自宅になっている。組長は、笑顔で迎えてくれたが、老いたように見えた。案内してくれた男が部屋を出て行ったので二人になった。浩平のことを信用してくれているようだ。
「遅くなりました」
「よく、来てくれた」
仏壇には祐樹のものと思われる位牌があった。浩平は全身で祐樹と向き合った。「すまない」と心の中で言った。「先輩」という祐樹の元気な声が聞こえてくる。意味はないけど「仇は討った」と報告した。生きていて欲しかった。善良な市民でも、不慮の死はある。生死の淵を歩いている極道にとっては運命なのだと言ってしまえばそれまでなのかもしれない。
「お悔やみ申し上げます」
浩平は組長に頭を下げた。
「ありがとよ。来てくれないのかと思ってたよ」
「すみません」
「あいつは、いつも、あんたのことを、言ってた。惚れたあんたに来てもらって、あいつも、やっと成仏できるだろう」
「ありがとうございます」
組長にとっては一人息子を亡くしたことになり、その心の痛みは想像すらできない。浩平は頭を下げることしかできなかった。
「あんたに極道の話をしても、何だけど、極道はどんなとこからでも、生きて帰ってこんとな。それが修羅場というやつよ。あいつは、最後まで極道には、なれんかった。自分では、いっぱしの極道のつもりだったが、なれんかった」
浩平には、言う言葉がなかった。
「俺は、いい親父じゃなかった。組長の顔ばかりで、辛い思いもしたろう。あっちに行ったら謝ろうと思っとる」
「・・・」
「ところで、あんたは、何しとる」
「は」
「祐樹もわからんと言っとったが、堅気の商売じゃなかろう。親は健在か」
「いえ。二親とも亡くなりました」
「そうか。親より先に死ぬ、親不幸はせんでもすむか」
「はい」
「なら、思う存分やんなされ。俺にできることがあったら、いつでも、来たらいい」
「ありがとうございます」
浩平は深々と頭を下げて、部屋を後にした。二階に降りる階段の踊り場で、案内してくれた男が待っていた。
「少し、お時間いただいても、よろしいでしょうか」
「はい」
浩平は応接間に通された。若い男がお茶を持って、すぐに現れた。
「もう、いい。みんな下に行っててくれ」
組員が数人部屋を出て行った。
「藤枝と言います」
「片山です。祐樹から藤枝さんのことは聞いてます」
「祐樹さんから」
「次の組長だと」
「そんなこと、言ってましたか。祐樹さん、自分でやるつもりだと思ってました」
「自分は、そんな器じゃない。藤枝さんしかいないと」
「そうですか。ところで、片山さん。三宅組、知ってますよね」
「えっ」
咄嗟のことで、動揺を見せてしまった。
「あなた、だったんですね」
「何が、です」
「あの爆破です」
「違います。僕に、そんな力はありません。ただ、祐樹の仇を討ってくれたことには感謝してます」
「そうですか、そういうことにしときます。もう一つ、聞いてもいいですか」
「はい」
「祐樹さんは、どこからかヤクを引いてました。どうしても、教えてはもらえませんでしたが、片山さんじゃないんですか」
祐樹が秘密裏にそんなルートを作ったとは、誰も思わないだろう。
「僕が仲に入ってました」
「やはり、そうでしたか」
「藤枝さんが窓口になってくれるのであれば、継続しますが」
「ありがたい」
「多分、祐樹も、そうしてくれと言うでしょう」
「うちにとっては、死活問題ですから、ぜひ、お願いします」
「条件は一つだけです。当然のことですが、入手先は不問。もちろん、仲に入っている僕のことも他言無用です。藤枝さんの胸の内に仕舞ってください」
「わかりました。約束します」
「すぐに、必要ですか」
「できれば、お願いします」
「わかりました」
「ところで、直人は元気にやってますか」
「はい。なくてはならない、僕の右腕です」
「よかった。片山さん。自分にできることあったら、声かけてください」
「組長にも、言われましたが、気持ちだけいただきます。今日以降、僕と後藤組の関係は何もないことにしてください。祐樹の古い友達が、たまたま焼香に来ただけです。取引は藤枝さんと僕の個人的な付き合いとしてください。二度とここには来ませんから」
「片山さんの心づかい、ありがたくいただきます。でも、自分は個人として、片山さんと付き合わせてもらいます。断っても駄目ですよ」
「藤枝さん。ご存じだとは思いますが、覚せい剤のルートは、いつ消えるかわかりません。取引量が減ってもかまいませんから、安全策を考えておいてください」
「はい。そうします」
浩平は後藤組の事務所を後にした。後藤祐樹との友情も終わった。流れを作ったのは自分に違いないが、そろそろ自分の手に負えない流れになっている。考える時が来たのかもしれない。


16

三宅組爆破事件の騒ぎが少しだけ落着きをみせた。直人は、アルバイトを辞め、浩平は監視部屋を引き払った。そして、藤沢に集合してもらった。六人のチーム片山。
「しばらく、休みにしたいと思ってる」
「休みって、どういうことですか」
「言葉通り、休み」
「何もしない」
「そう。何もしない」
「どのくらいですか」
「二か月、かな」
「はあ」
「時間があったら、したいこと、とかあるだろう」
「自分は、筒井さんのとこ、行ってみたいと思っています」
「阿南さん。それじゃ、仕事になってしまいますよ」
「この仕事、いつか潰されると思ってます。筒井さんの仕事が軌道に乗るようだったら、アメリカでもいいかな、と思ってます。生き残ればの話ですがね」
「そうですか」
「片山さんも、どうですか」
「僕は、日本の方がいい」
「そうですか」
「費用は全額出します」
「そうですか。助かります。少しは仕事もしてきます」
「私、千葉でボランティアします」
「あそこでか」
「はい、光園です」
「俺は変わらずだ。電気工事の試験もあるし」
「俺はやることないから、探偵仕事します。浜中さんから仕事もらって」
「僕もそうする」
「片山さんは、どうするんです」
「僕は、しばらく、山に戻るつもりだ」
「携帯とか、圏外ですか」
「僕から、直人に電話する」
浩平は鞄から現金を取り出した。
「五千万ある。これを直人に預ける。お前が必要だと思ったら、使っていい」
「片山さん」
「お前、片山浩平の右腕なんだろ」
次の集合日を決めて、解散した。浩平は山に入って、静かに考えてみるつもりだった。

以前使っていた洞窟は、そのままの状態で残っていた。一週間かけて、食糧を運び入れる。山はまだ寒い。故郷に帰ってきたという心地よさに浸った。見慣れた木々や岩、その一つ一つに思い出がある。旧友に会うように、山を歩き回った。
二週間ほど経って、浩平は自分が気道の練習をしていないことに驚いた。武道を極めようと一心不乱に修行していた時のような魂の震えはない。武道への夢も、武道家の魂もなくしている。生ける屍。この言葉が一番自分にふさわしい言葉になっている。では、街に行けば、東京に行けば、何かあるのか。街にあるのは閉塞感だけ。何のために生きるのか、という陳腐な問いかけはしたくない。人類がいまだに見つけ得ないことに拘っても、得るものは何もない。人間は、ある限られた条件の中でしか生きられない。そうだとすれば、自分の条件とは何か。犯罪者として金字塔を建てることなのか。答えのないまま、鬱々とした日々が続いた。人生の半分を過ごした自然の中にいても、自分の居場所を見つけられない。浩平は浮遊した気持ちをかかえたまま、東京に戻った。

藤沢に六人の犯罪者が集まった。庭の畑にいた阿南が迎えてくれた。
「片山さん。元気ないですね」
「そう、見えますか」
「見えます」
「すみません」
家の中では、若者に混じって菅原もトランプに興じていた。
「片山さん」
「よお」
休暇中に変わったことは何一つなかった。そのことは直人からの電話で聞いていた。
「みんな。休みはどうだった。志保は」
「休みって、必要なんだなと思いました。結構、自分が煮詰まってたみたいで、休めてよかった」
「俺も、そう思った。よかった、です」
皆、志保の意見に同感だった。
「今日から、再開ですか」
「ん。結論出なかった。皆は、どう思う。このまま、続けていいのかな」
「片山さん。どういう意味です」
直人が膝を乗り出すように言った。
「僕がこんなことじゃ、いけないとは思うが、正直、わからない」
「俺は、いや、僕はこのまま続けたい」
直人が浩平を睨みつけるように、言葉を吐き出した。
「俺みたいな馬鹿でも、役に立ちたい。俺はあいつらをぶっ潰して、世直ししたい」
「世直し」
「はい」
「直人。勘違いするな。チーム片山は、もう二十五人の人間を殺した犯罪者だぞ。殺人の責任は百パーセント僕にあるけど、お前にも多少の責任はある。そんな悪党に世直しなんて、似会わない」
「直人さんの言い方は、少し違うかもしれないけど、僕も続けたい」
保田には珍しく、はっきりとした言い方だった。
「僕は、仕返しだと思う。為政者が私腹を肥やし民が苦しむ。今の日本は、そういう状態だと思います。そんなあいつらに仕返しをする馬鹿がいても、いいと思います。世の中、変わらないかもしれないけど、仕返しはしたい」
「仕返しか」
「私も、賛成。ひどすぎるよ。あいつらのポケットに入る金のひとかけらだけでもあれば、施設の子供は助かるし、あんなところに来なくても済んだかもしれない。私も、仕返ししたい」
「悪党になりきろう、ってことか」
「俺も、世直し、やめて、仕返しにします」
「阿南さん。どう思う」
「自分は、片山さんが決めたことに従う」
「菅原さん」
「年寄りが口出すことじゃない。俺は若者に付き合う」
「仕返しか」
浩平は目を閉じた。
「保田さんと志保は、金が目的だったよな」
「もちろん、金も欲しいです。この仕事、両立しますよね」
「私も」
「悪党なら悪党らしくか。正直言うと、祐樹のことが、こたえた。これほどとは思わなかった。もう、これ以上死んでほしくない。他人を殺しておいて、勝手な話だとは思うが、これが本音なんだ」
「終りにするんですか」
「すまん。自分でも、決まらないことに、うんざりしてる」
祐樹の死を理由にしたが、自分にもわからないという方が本音なのかもしれない。それと、三宅組を潰したことに関して、自責の念はない。殺らなければ、殺られる。戦争とはそういうものだと思っている。
「もうしばらく、時間をくれないか」
全員、消化不良のまま解散することになった。
三日後に直人が浩平のアパートにやってきた。駅の反対側に借りたアパートは、それまでいたアパートより少しだけましなアパートだったが、見る人によれば大差ないのかもしれない。
「振込がありません」
「木谷の方か」
「はい。この前、厚労省のホームページ確認しましたが、木谷は局長になってました。何か関係あるでしょうか」
「確認してみよう」
浩平は木谷の携帯電話の番号を押した。「現在使われていません」というアナウンスが流れてきた。振込を止めて、電話番号を変更する、ということは、これで終わりだ、と宣言したつもりなのだろう。
「木谷の自宅を確認してくれ。多分、替ってる」
「わかりました」
翌日、事態が変わっていることが判明した。浩平が予想したように木谷は、官舎を出て成城へ引っ越ししていた。それよりも大きな変化は、警護がついていることだった。木谷が強気に出ている理由は、そのことがあるのだろう。
「通勤時は警護の車両が並走しますし、自宅にも人数が配置されています」
「そうか」
「拉致しましょう」
「強硬策か」
「はい。なめられていては、恐喝になりません」
「ま、一寸待て。保田さんはどこにいる」
「自分の部屋にいると思いますが」
「電話して、今から行ってもいいか、と聞いてくれ」
「はい」
浩平は直人を連れて保田の部屋へ行った。保田の部屋に入るのは初めてだった。
「保田さん。扶養家族の方たちに会わせてくれませんか」
「は」
「お友達のパソコンおたくの人です」
「ああ。いいですけど」
「ハッキングもできるんでしょう」
「ええ。かなりのもの、らしいですけど」
「犯罪になる仕事ですけど、やってくれますかね」
「やってることは、毎日、犯罪の連続でしょう。二つ返事でやると思います」
「報酬を出します」
「喜びます。初めて自分の手で稼げる。プライドは高いんです」
保田が連れて行ってくれたところは、3Kのマンションだが、どの部屋も狭く面積なら小さめの2DKといったところだ。そこで、三人の男が共同生活をしているという。
暗い顔の三人が狭い台所に集合した。三人の目には浩平も直人も邪魔者と見えているようだった。
「僕のボスで、片山さんと本間さん」
三人が聞きとり難い声で自分の名前を言った。リーダー格は、池崎竜生という男らしい。保田の友達としては、かなり若く見える。
「仕事の依頼です」
「仕事」
「そうです。成功報酬、百万出します」
「百万」
「ただし、これは犯罪行為になります」
「ふん」
「池崎さんに侵入できない場所はどこですか」
「ハッキングですか」
「そうです」
「国内であれば、どこでも」
「侵入するだけですか」
「いや、なんでも」
「そうですか。部屋、見せてもらっていいですか」
「どうして」
「仕事の環境を確認したいんです」
「・・・」
「最初に言いましたよね。これは、仕事なんです。失敗しました、出来ませんでした、捕まりましたでは困るんです。言い訳も聞きたくありません。道具が悪かったとか、環境が、という言い訳はなくしておきたい。仕事ですから、池崎さんには責任が生じます」
「わかりました」
部屋は、予想していたより整然としていたが、狭い部屋は小さなベッドの上だけが空間だった。
「このシステムで、仕事できますか」
浩平はパソコンのプロではないので、詳しいことがわかる訳ではない。ただ、ハッカーの部屋という感じがしなかっただけだ。
「そりゃあ、揃えたいものは、いろいろありますけど」
「池崎さんが、理想とするシステムにするには、どのぐらいの費用が必要ですか」
「理想ですか」
「夢でも、いいですよ」
「二百万、くらい」
「わかりました。三人分で六百万出します。それで、出張作業も可能ですか」
「はい」
「多分、この最初の仕事は皆さんにとっては簡単な仕事だと思います。この仕事に成功すれば、継続的に仕事を用意します。勿論、犯罪行為になる仕事です。あなた達が警察に拘束されたとしても、保田さんや僕の名前は出してはいけません。この約束を破れば、命にかかわる事態になると思ってください。いいですか」
「はい」
「成功するでしょうから、成功報酬は先払いします。設備費用込みで、お一人三百万です。やっていただけますか」
「やります。もちろん、やります」
設備の更新は、どんな「おたく」にも魅力のある条件となる。他の二人の顔色も明るいものになっていた。
「僕は、あなた達に九百万投資します。どうしてか、わかりますか」
「・・・」
「仕事だからです。遊びは卒業してください。できますか」
「はい」
「九百万は今日中に届けます」
「どこに、侵入すればいいんです」
「厚労省のホームページです」
「簡単じゃないですか」
「どこをクリックしても、我々が用意したページに飛ぶようにしてください。できれば、ホームページの閉鎖ができないようにしてください」
「うんんん。閉鎖の件は難しいです。ハードを切り離されたら、閉鎖になってしまいます」
「その時は仕方ありません。もう一つ。省内で誰もがアクセスするアプリケーションかデータベースにも同じ効果が出るようにしてください」
「わかりました」
「すぐに、プログラムの修復に動くでしょう。三日間ぐらいの修復時間がかかる仕掛けがいいですね」
「三日ですね」
「敵も侵入経路を追うでしょう。ここが突き止められる危険がある場合は、その対策をしなければなりません。ネットカフェは駄目ですよ。防犯カメラの山ですから。不可能と思われる方法でも、一度は検討させてください」
「はい」
「これは、手始めです。究極の目的はネットを支配することです」
「はい」
浩平と直人はパソコン部屋を後にした。自分の部屋に戻り、直人に九百万を持って行ってもらった。
夜になって保田が浩平の部屋にきた。
「ありがとうございます。みんな、別人になりました」
「犯罪に引き込んでしまった。いいのかな」
「あの三人は、いずれ自分自身を殺す危険がありました。犯罪ですけど、生きる場所を提供したんです。納得してると思います」
世間と折り合いがつけられない人間が犯罪を犯す。チーム片山のメンバーもそういう人間の集まりなのだろう。犯罪予備軍は日本中に溢れている。「自分族」の増殖が、いつか日本を食いつぶすことになるのだろう。直人は世直しと言い、保田は仕返しと言った。浩平も悪の金字塔を建てることしか残っていないのか。結論の出ないまま、動き始めた。
二週間後、準備ができたと池崎から連絡があった。侵入してプログラムを埋め込むと同時に、いろいろな掲示板に厚労省のホームページにレアな画像があという書き込みをする。その画像は木谷がSMプレイをしている画像で、木谷の役職、名前、そして自宅の住所も電話番号も記載されているものだった。協力してくれた古川美和の顔にはモザイクをかけてある。
通常の数十倍のアクセスがあり、厚労省はハードウェアの切り離しを行ったが、木谷の画像は大勢の個人にコピーされており、いろいろなサイトに溢れかえった。厚労省内でも、業務がストップし、プログラムの修復に徹夜の作業が続いていると橋本順也から聞いた。多分、木谷は自宅に戻ることはないだろう。家族の順風満帆な生活は終わっているはずで、子供たちは転校することになる。そんな家族のところへ帰れる訳がない。自宅は直人と志保が監視している。木谷が帰宅したという報告はない。
一週間後、浩平は橋本に電話して省内の様子を聞いた。橋本からもらっている排除リストには木谷の名前があり、これで競争相手が一人減ることになる。木谷は依願退職をしたと橋本は冷静な声で言った。問題を起こした官僚を雇ってくれる民間企業はなく、省としては外郭団体に天下りさせることもできない。木谷は自分で職探しをすることになる。厚労省の方を監視していた保田から、警護が外れているという報告があった。木谷はホテル住まいを余儀なくされていたが、自宅に戻らなければホテル代にも困るだろう。浩平は木谷の自宅の近くで張り込んだ。
午前零時を過ぎて、ぼんやりとした人影が見えた。浩平は木谷が通過するのを待って車を降りて、声をかけた。
「ひっ」
振り向いて、浩平の方を見たとたんに、木谷はその場にしゃがみこんだ。
「話があります。乗ってください」
「わわわわ」
木谷はイヤイヤをした。
「金がいるでしょう。奥さんは出してくれませんよ」
奥さんからどうやって金を引き出すか。そればかりを考えて、ここまで来たはずだ。奥さんは出してくれないと浩平に言われると、その通りだと自分でも思っている。木谷はわかりやすい性格だった。
浩平が車の方へ戻ると、木谷は起き上がってやってきた。
「どうしてですか」
「すみません」
「うまくいってたじゃないですか」
「すみません」
「もっと、うまく立ち回れるとおもったんですか」
「・・・」
「木谷さんには刑事罰もあるんですよ。理解できません」
「はい」
「依願退職だと聞きました。刑事罰を受ければ、懲戒免職もありますよ。退職金はなくなります。奥さんは、そのぐらい予想してます。それなのに金を出してくれると思いますか」
木谷は元気なく首を振った。
「ネットで、木谷さんの背任と横領の噂を流せば、警察は捜査を始めます。政治家がからめば東京地検も動きます。どうするつもりですか」
「あああ」
「木谷さん。外に漏れては困ることを、あなたはいろいろ知ってますよね。守秘義務などと言ってる場合じゃありません。洗いざらい吐き出してください。僕が役に立つと判断すれば、金を出します。このままだと、ホームレスですよ。金がいりますよね」
木谷は、コックリと頷いた。
「それと、もう一つ。これ以上、その悪い頭で考えをめぐらさないことです。また、ドジ踏みますよ」
浩平は木谷を乗せたまま、都心のホテルまで連れて行った。
「ここは、三日間予約をとってあります。料金は僕が払います。逃げだしてもかまいませんが、次はありませんよ。前久保さん、どうなりました」
「ひっ」
浩平はノートとボールペンを渡して、ホテルを出た。木谷が本気で書いて、最後にサインをさせれば、もう立派な内部告発書になる。


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