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海の果て 第1部の 2 [海の果て]




品物の確認のために、清水が書いてくれたイラストを頭に叩き込んで、浩平は指定された蒲田の倉庫へ車を走らせた。浩平たちの心配は杞憂に終わり、清水が作ってくれた片山商事名義の注文書を送り、取引は成立した。一億の現金が車の中にある。友人に違法行為をさせたくなかったので、清水の同行は断った。
吉村の探偵社に調査を依頼して、すでに一か月になるが、予想通り進展の望みはなくなっているのが現状だ。
カーナビのおかげで、目的地には迷うことなく行き着いた。
「うちの、取扱商品ではありませんから、商品説明はできませんよ」
東洋貿易の戸田という若い社員が愛想のない様子で言った。
「大丈夫です。向こうで説明してもらってますから。現物の確認さえできれば」
「いいですよ」
明るくて大きな倉庫だったので、違法な取引をしているという印象はなかった。清水の書いたイラストと同じ品物があり、浩平は数の確認をするだけだった。浩平はキャリングケースを戸田に渡した。銀行の帯封があるので、戸田は面倒くさい顔つきで札束の数だけをチェックした。
「これが、納品書と領収書です」
「お世話かけました」
品物の積み込みには、戸田は参加してくれなかった。余計な仕事をさせられて、ウンザリしている様子だ。
電子機器の素人である浩平には、とても一億円の価値がある品物には見えないが、戸田の無関心ぶりから想像すると、外見から判断してはいけないのかもしれない。それにしても、あっけない取引だった。
アパートの自分の部屋に荷物を入れて、レンタカーの返却に行った。品物があっても、清水がいなければ、ただの物にすぎない。
六時過ぎになって、清水と吉村が相次いで浩平の部屋にやってきた。
「急いで帰って来ましたよ」
「片山さん。何か問題ありました」
「いえ。あっけないぐらい、でした」
「よかった」
清水が段ボール箱の中から品物を取りだし始めた。
「これって、パソコン」
「ええ。改造パソコンみたいなもんです」
「こっちは、携帯」
「外見は携帯、中身は別物です。電話はかけられませんから」
吉村が言ったように、親機はパソコンと携帯電話にみえる。
「これが、固定型のセンサー、子機です。実験してみますね」
パソコンの電源を立ち上げてから、清水が子機を持って部屋を見渡した。
「ここにセットします」
清水がテレビの電源ケーブルに子機を巻きつけるようにして取り付けた。
「さっき、ここで操作した時に、あの子機にIDを送ってあります」
清水がパソコンの画面を指さして説明してくれた。
「KYS0001としました」
画面にそのIDが表示されている。
「録音開始のコマンドを送ります」
清水はパソコンのキーをいくつか叩いた。
「開始しました。子機は人間の音声に反応するように設計されていますが、人間の音声だけしか録音しないかというと、実際には雑音にも反応してしまいます。こいつのすごいところは、多くの周波数パターンをメモリーに持っていて、最適なパターンを選べることです。それと、機械的な音も選別します。たとえば、モーター音のように一定のパターンを持つノイズなどです。データとして保持できるのは五時間分ですから、ノイズを拾っていたら、すぐにメモリーが一杯になってしまいます。それと、最初にIDをセットした時に時計データのセットもされていますので、一時間ごとにタイムスタンプが記録されます。だから、いつの会話かの判別が可能です。データ送信のコマンドを送ると、最新の五時間分のデータを送ってきます。データは暗号化されると同時に指定された方式で圧縮されていて、五時間分のデータの送信時間は六秒です」
「すごい」
「たとえば、銀行の内部に仕掛けたとして、通信距離はどの位ですか」
「建物の構造によっても違うそうですが、最大で一キロと言っていましたが、実際にどの位なのかはやってみなくてはなりません」
「どう言う場所にセットするんですか」
「どんな建物でも電気系統の開口部があります。修理点検や増設のためです。天井部であったり床下だったりします。何らかの電源ケーブルのある場所です。あれは、テレビのケーブルから電力を盗んでいます」
「ますます、すごい」
「それと、子機には自爆装置があって、コマンドを送ると、溶けてしまいます。回収されて分析されることもありません」
「子機の集音能力というか、音声を拾える範囲は」
「これも、実際にやってみないとわかりませんが、実験データでは最大で五十メートルだそうです。初期設定で集音範囲の設定が可能です。これは、範囲を狭める目的です。高範囲の音声を拾ってしまうと、解析できなくなりますから」
「今も、この部屋の会話を拾ってるんでしょう」
「ええ、一度、聞いてみましょうか」
清水がコマンドを送るために、キーを叩いた。
「データが来ました。普通の音声データに変換します」
黒い画面で点滅していたカーソルの場所に日時データが現れた。
「再生しますよ」
カーソルを日時データの上に移動して、清水がリターンキーを押した。音量マークが画面に表示されて、音量「5」を指定するとパソコン内臓のスピーカーから話声が聞こえてきた。清水の声だ。明らかに、吉村の声も浩平の声も判別できる。
「どうです。優れものでしょう」
「ほんとに、すごいです」
「この親機ですけども、最初に電源を立ち上げた時は、普通のパソコンのようにウインドゥズが立ち上がります。アプリを起動して、IDとパスワードを入力するとコントローラになります。そして、この外付けの黒いボックスが通信端末になります」
「もう一つの方は」
「やってみましょう」
古い携帯電話にしか見えない親機にケーブルをつなぎ、コンセントに差し込む。
「充電します」
ちいさなケースから、プラスチックの切れ端のような部品を取り出して、親機の画面の上にあるスペースに部品をセットして、清水がキーを操作した。
「番号をセットしました」
子機から薄紙を剥がして、その子機を吉村の時計に張り付けた。
「動作開始のコマンドを送ります。この子機は動作開始から、約三十分の録音が可能です。音声だけに反応する訳ではなく、あらゆる音を拾います。集音範囲は、一メートル前後。親機との通信距離も、最大で五メートル。できるだけ近いほうがいいそうです。これにも、自爆装置はありますが、内部が破壊されるだけで、溶けたりはしません。できれば、回収した方がいいと思います。データを回収してみますね」
清水がコマンドを打ち込んだ。
「来ました」
吉村は、子機の変化を見ようと目をこらしている。
「もう、壊れたのかな」
「と、思います。僕らでは分析できませんけどね」
「変わった様子はないよ」
清水が親機を耳に当てて確認してから、浩平に渡した。浩平の耳に先ほどの清水の声が聞こえた。吉村に渡して聴いてもらう。
「なるほど」
「セットは簡単だけど、運用は難しそう。コマンド送るの、数メートルでしょう。データ回収のタイミングもあるし」
「タイマー機能はありますが、子機番号を設定してからの動作可能時間は、二十四時間しかありません。これも実際にやってみないとわかりません」
「いろいろテストしてみましょうよ」
「そうですね」
「一番の問題は、どうやって猫の首に鈴をつけるか、ですね」
「そう。僕もそう思う」
「それも、いろいろやってみましょう。僕も吉村さんと一緒に張り付きますよ」

一つ一つ問題を解決しながら、いや、問題を避けながら前に進んでいるが、時間ばかりが過ぎて行くように思える。そして、また難問にぶつかっていた。盗聴器がセットできない。固定型のセットには、銀行内部に侵入する必要があり、石山と安岡の自宅にセットするにはセキュリティーを突破しなければならない。使い切り型の子機を監視対象の二人にセットするためには、至近距離に近づかなければならない。人ごみの中で、安岡のバッグに取り付けたが、満足な結果は得られなかった。
捜査権もない、素人集団が無茶なことをしているという暗雲に覆われている。浩平は石山の拉致を選択肢にいれるようになった。暴力で石山の口を割らせる。だが、非常手段を取って成功するという確信も持てない。
「吉村さん。銀行の出入り業者を調べてくれませんか」
「いいですよ」
「僕、就職します。内部に入らなくては何もできません」
「そうですね」
「僕は、諦めません」
「わかりました」
浩平が、吉村に諦めないと宣言したのは、自分自身に宣告するためでもあった。もう、引き下がれない。
浩平は上野原旅館に向かった。返済用の資金送金はしているが、調査の進捗状況は報告していない。報告できる成果がないのだから、どうしても足が遠のく。
深雪に電話をして、帰宅時間に合わせて訪問することを伝えてある。旅館の前で、学校帰りのままの深雪と、相変わらず暗い様子の菅原が待っていた。浩平の姿を見つけて、深雪が大きく手を振っている。浩平は小さく手を挙げて答えた。持って生まれた性分なのだろうが、苦況の中でも明るく振る舞える深雪が眩しかった。
仏壇の女将に線香をあげてから、現状報告をした。盗聴器に一億払ったとは言えないので、たまたま手に入った盗聴器と説明した。
「そんな訳で、あの銀行の建物に入れる業者に就職しようと思っている。まだまだ、時間はかかると思うけど、必ず真相を明らかにするから」
「おにいちゃん。私にできること、ほんとにないの」
「ん。今はね」
「申し訳なくて、私、何かしたい」
「そうだな、そのうち、頼むことになるよ」
「ほんと」
「ああ」
待つだけの深雪も、つらい毎日だろう。他に用事があると言って、浩平は早々に引き揚げた。
自分のアパートに戻った直後にドアがノックされた。吉村と清水が来るにはまだ早い。後暗いことが増えているので、どうしても慎重になってしまう。だが、のぞき穴には菅原が立っていた。
「菅原さん」
「ん」
菅原の声を聞くのは何回目だろう。そのことが、先ず頭に浮かんだ。
「どうぞ」
1DKの狭い部屋だから、部屋と台所の間にあるガラス戸は外してあって、ワンルームボロアパートになっている。そのガラス戸のあった場所をまたいで置いてある、少し大きめの食卓が浩平の生活空間だった。
「座ってください」
浩平は椅子を勧めた。
「何か飲みます」
「いえ」
椅子に浅く腰かけた菅原が背筋を伸ばして、正面を睨んでいる。
「何か」
「盗聴器」
「はい」
「苦労してる」
「はい」
「自分が」
「菅原さんが、取りつけてくれる、ということですか」
「ん」
「深雪ちゃんが言ってた、泥棒さんの話、マジなんですか」
「ん」
「永いことやってて、一度も捕まったことがない」
「ん」
「驚いたな。協力していただける」
「ん」
「捕まるかもしれませんよ」
菅原は首を横に振った。
「そうか。プロなんだ」
菅原がニヤリと笑った。初めて見る菅原の笑顔は可愛かった。
「自宅」
「あの二人の自宅に仕掛けてくれるんですか」
「ん」
「菅原さんなら、やってくれそうですね」
「住所と盗聴器」
「一寸、待ってください。盗聴器と言っても、少し変わりものなんです。この件は吉村さんと清水さんと僕の三人でやってます。菅原さんも仲間に入ってもらえませんか。盗聴器は取り付けに少しだけ技術が必要なんです。清水さんの講習を受けないとできません。二人を紹介しますので、帰ってくるまで待って欲しいんです」
「ん。住所」
「場所を見ておきたい、と言うことですか」
菅原が、またニヤリと笑った。
「わかりました。今、書きます」
この調査を始めた時に購入したパソコンを立ち上げ、石山と安岡の住所をメモ紙に書き出した。
菅原はメモを一読して立ち上がった。
「菅原さん。夜に、もう一度来てくれますか」
「ん」
「九時以降なら、清水さんは帰ってると思います」
「ん」
菅原が部屋を出て行った。遅遅とした動きだったが、壁に突き当たると、思わぬ事態が起きて調査を前に進めていく。自分の想像力が役に立たないことを痛感する。浩平は伝言メモを清水と吉村の郵便受に投入して、駅前の書店に向かった。電気工事の勉強をするつもりだ。電気工事の業者として、銀行の建物に入り込めたら、盗聴器取り付けのチャンスは飛躍的に増えるだろう。銀行内部は防犯カメラの山だと思わなくてはならない。夜間の侵入は菅原の逮捕につながりかねない。業者であれば、作業のふりをして隠すことも可能になると思えた。
「美美亭」で一緒になった清水と吉村が、そのまま浩平の部屋に来てくれた。
「新情報って、なんです」
吉村が目を輝かせた。
浩平は今日一日の出来事を話した。
「で、仲間になってくれそうですか」
「大丈夫だと思います。それとは別に、僕は電気工事の勉強をします。参考書も買って来ました。清水さん。電気のこと教えてください」
「さあ。僕のやってる電子の仕事と電気工事の仕事は違います。でも、片山さんよりは知識あると思いますので、その範囲でなら」
「もちろん、それでいいです」
「その菅原さんが、やってくれれば、前に進みそうですね」
「ええ」
浩平が買ってきた本を手にして、清水が勉強会を始めたが、すぐに菅原がやってきた。全員を紹介した。
「菅原さんは、寡黙な人だから、気にしないで」
菅原は姿勢を正して、前を見ていた。
「ところで、場所はわかりましたか」
「ん」
「可能性はどうですか」
「大丈夫」
「よかった。清水さん。子機の説明をお願いできますか」
「わかりました」
講習会は十分とかからなかった。




十日後に、菅原が浩平のアパートの部屋の前で待っていた。前回、三人で携帯電話を持つことを勧めたが、菅原は拒否した。
「菅原さん。電話持ってくださいよ」
「いらん」
「どうぞ」
やはり、携帯電話を持つ気はないらしい。椅子に座ってもらい、お茶の用意をするために、やかんをガスにかけた。
「お茶で、いいですよね」
「ん」
「すぐですから」
「つけてきた」
「はい」
「ふたつ」
「は」
「盗聴器」
「えっ、あれをつけてきてくれたんですか」
「ん」
「ええええ、いつです」
「三日前と今日」
「わわわ」
言葉にならなかった。菅原は姿勢正しく、正面を向いている。
「菅原さん」
「ん」
「僕たち、苦労して苦労して、それでもできなくて、完全にどんづまりにいたんです。まだ、十日も経ってませんよね。驚いたな」
「ガス」
「あっ、すみません」
やかんが沸騰していた。
「何か、問題は」
「ない」
「そうですか。ありがとうございます。ほんとに」
「ん」
「菅原さん。深雪ちゃんのことですが」
「ん」
「随分、時間が経って、大丈夫でしょうか。明るく振る舞ってますが、ほんとは、一番つらい筈です。僕がモタモタしてるからです。でも、もう少し、頑張ってもらわなくては。何とか支えてやってくれませんか」
「わかってる」
「真相究明が目先の目的ですけど、旅館が取り戻せなければ意味ありません。女将さんは深雪ちゃんのこれからを一番心配してると思います。丸裸で叩き出される訳にはいきません。あいつらをさらって、力づくで、口割らせようかとも思ったんですが、うまくいかないと、ひどいことになるし、できませんでした」
「ん」
「まだまだ、一山も二山もあるでしょうが、これからも協力していただけますか」
「これ、ほんとは、自分の仕事なのに、片山さんには感謝してます。深雪も」
「ありがとうございます」
簡単な返事しかしない菅原が、自分の気持ちを口にしてくれたことが嬉しかった。
電気工事の学科と実技を清水から教わりながら、盗聴器の親機の使い方も練習した。親機を持って、菅原と一緒にアパートを出た。石山のマンションと安岡のマンションにデータを取りに行くためにレンタカーを借りることになったが、菅原も念のため同行すると言ってくれた。
二葉銀行上野西支店貸付係主任、石山隆志は大塚駅近くのマンションに住んでいる。浩平が運転して大塚へむかった。
「片山さんのこと聞かせてもらえませんか」
「えっ。何を、ですか」
「今までのことです」
「今まで、ですか」
「どんな、生き方してきたのか」
「あああ」
菅原の質問は、当然のものだった。上野原旅館の女将は、浩平の過去を全く詮索しなかったので、行きずりの旅人にすぎない。長逗留して、支払の心配のない上客の一人だった。組んで仕事をする相手の素性を心配するのは、菅原の職業上不可欠のことだ。
浩平の人生には武道しかない。浩平は、過去の武道経歴を話した。
「仕事は」
「今は、ありません。まだ親父の遺産で食えますから」
「どうして、ここまで」
「というと」
「今度のことで、どうして」
「ああ、そのことですか。さっきも言いましたが、僕には、母親の記憶がありません。母親が欲しいと思った記憶もないんですが、女将さんに接して、母親って、いいな、と思ったんです。で、勝手におふくろになってもらったんです。もちろん、女将さんには何も言ってませんよ。勝手に僕が思ってるだけですから。でも、もしも、僕が実の息子だったら、こうするでしょう」
「ん」
「あなただって、お姉さんのために、何かがしたいんでしょう」
「ん」
「だから、心配しないでください。僕の勝手でやってることです」
「深雪のことを頼めないか」
「はあ。どういうことです。深雪ちゃんのために、やってますよ」
「そぅじゃなくて、深雪を、もらってくれないか、ということだ」
「結婚しろ、と」
「深雪は片山さんのことを、一番信頼してる。俺よりもな。心配なんだ」
「菅原さん」
「ん」
「あなたは、結婚してますか」
「ばかな」
「どうして」
「俺なんかが、できる訳ないだろう」
「仕事が仕事だからですか」
「そうだ」
「僕も、ですよ」
「えっ」
「菅原さんには、言ってませんが、この盗聴システム、いくらすると思いますか」
「さあ」
「一億です」
「いちおく」
「ええ。一般市民が個人で、そんな金出しますか。出さない、と言うより、出せないでしょう。中身は言いませんが、菅原さんより、ひどい、悪事を働いて手にしたものなんです。だから、あなたと一緒です。結婚など考えてもいません」
「待てよ」
「そんな金で、やっちゃいけませんか」
「いや。あんたら、三人は普通の人だと思ってた」
「あの二人は、本物の善良な市民です。僕の裏は知りません。教えるつもりもありません」
「じゃあ、俺は、なんで」
「あなたは、信用できると、思ったからです。いけませんか」
「いや」
石山の住まいは、大塚駅近辺では、かなり高級感のある低層マンションでセキュリティーも万全なものに見えた。
「ここですよね」
マンションの前に停車して、菅原に確認した。
「ん」
「カーナビを操作しててください」
「えっ」
「触っている振りです」
「ああ」
浩平は親機を立ち上げて、データ収集の操作をした。暗証番号を入力。解凍と変換を実行して、タイムスタンプの中でデータ量の多いものを選んで再生した。音量を上げると、明らかにテレビの音声と思われる声が聞こえてきた。テレビの音声は分別できない、と清水が言っていた。だが、録音されていることは確認できた。
「次に、行きます」
浩平は発進した。安岡の住まいは北千住にある。
「さっきの話、それとなく深雪には言っとく」
「すみません」
「恨まれるかもしれんな」
「仕方ないでしょう。深雪ちゃんのためです」
「だな」
信号停止の間にカーナビを安岡の住所に変えた。
「今まで、組んで仕事したことはないけど、あんたとなら」
「光栄です。プロにそう言ってもらえると」
安岡の部屋に仕掛けた盗聴器には、まだデータはなかった。




浩平は一人でデータ収集の担当をした。吉村と清水には、自分の本職を大事にしてもらいたい。
録音されていたのはテレビの音声だけで、石山と安岡の肉声はなかった。一人暮らしだから、会話はないのだが、電話もかかってこないということは、友達もいない、ということなのか。一週間経っても、肉声を聞くことはなかった。電話の会話が録音されていたのは、十日目のことだった。しかも、安岡から石山にかけた電話なので、両方の音声がきれいに収録されていた。
「安岡です」
「どうした」
「今日、山中に行ったんですが、なんか変な貸付だな、と言われたんです」
「どうしてだ」
「入金が遅れた話、しましたよね」
「ああ」
「僕が連絡したのが、五日後でしたから」
「大丈夫。適当に言っとけ」
「はあ」
「まだ、なにか言ってきたら、全額返済してくれてもいい、と言ってやれよ」
「はい」
「神経質になるな。大丈夫だから」
「わかりました」
二人の会話はそれだけで、その意味はよくわからない。会社で報告するような話を個人の電話にしてくること以外には、普通の会話だった。
二人の友人ができて、訪問者がある部屋になったが、それまでの浩平の生活を考えると、会話がないことが当たり前の生活だった。他人の部屋の盗聴をしてみて、家族がいない人間の部屋には会話がなくても不思議ではない、ということに気がついた。
電話の会話があってから、さらに二週間が過ぎて、核心に迫るかもかもしれない会話が録音されていた。
安岡の部屋に石山がやってきた時の会話だった。テレビがついていなかったようで、突然会話が始まった。
「どうしたんです」
「一寸、頼みごとがあってな」
「びっくりするじゃないですか。まあ、上がってください」
二人が居間に移動する時間の会話はなかった。
「実は、かみさんが帰ってくるかもしれん」
「えっ。復縁ですか」
「まだ、わからん。だが帰ってくると、やっかいなことでな」
「何が、です」
「おまえは、独身だからわからんだろうが、女はやっかいなんだ。家中、隅から隅まで自分の領地として管理したがる。隠し事を捜す能力は警察犬なみ。だから、これを預かっておいて欲しい」
「待ってください。この部屋に、ですか」
「そうだ」
「勘弁してくださいよ。僕は主任に言われたことをやってるだけで、こんなの預かれませんよ」
「安岡。おまえな、他人ごとみたいなこと言うな。お前は、もう立派に共犯者なんだぜ。いいか、バレなきゃいいんだ」
「そんな」
「三億の横領。お前は、その三割を手にしてる。知りませんでは済まねえんだよ」
「勘弁してくださいよ。お金は返しますから」
「だったら、その金持って、警察にでも駆け込めよ」
しばらく、会話がとぎれた。
「わかりました。でも奥さんとの話が終わるまで、ですよね」
「ああ、それでいい」
また、会話が途切れた。
「頼んだぞ」
しばらく時間をおいて、安岡の声で「石山のくそったれが」という大声が入っていた。
やはり、上野原旅館が借りたという三億にはカラクリがあったようだ。その証拠は安岡の部屋にある。浩平は上野原旅館に電話した。
「片山ですが、菅原さんはいますか」
「はい。代わります」
深雪の声は明るかった。まだ、菅原は浩平の裏を話していないようだ。
「菅原です」
「また、相談、あるんですけど、こっちに来てくれます」
「ん」
菅原が来たのは、深夜の一時だった。この件に係わってから、浩平の部屋のドアには、鍵がかけられていない。菅原は音も立てずに部屋に入ってきた。
「すみません」
「ん」
「これ、聴いてください」
安岡の部屋の録音を聴いてもらった。
「出たね」
「はい。やはり、カラクリ、あったみたいです」
「ん」
「菅原さんに、この、安岡が預かっているものを、持ちだして欲しいんですが」
「ん」
「僕がコピーしたら、また、返してほしいんです」
「いつ」
「今日でも、明日でも」
「じゃあ、明日」
「わかりました。指図してください」
「ん」
「明日は、この携帯を使ってください」
「わからんよ」
「簡単です」
浩平は電話の使い方を説明した。
「わかった。部屋に入ったら、これで、連絡する。入口で安岡の部屋番号を押してくれ。部屋からドアを開ける」
「何時ですか」
「昼過ぎだな」

計算書と預金通帳が五冊あった。コンビニでコピーをとって安岡の部屋に戻した。四人が浩平の部屋に集合して、その証拠の分析を始めた。
「このタイトートチですが、台東土地開発という会社じゃないかと思うんです」
通帳の出金欄の名称を指して、吉村が言った。
「石山がよく会っていた大里組の上杉という男が、この台東土地開発の代表者なんです。たぶん、大里組のフロント企業でしょう」
「調べたんですか」
「ごめん。ついね」
暴力団の関係には、手を出さないように言っておいたが、吉村は独自に調べていたらしい。
「お願いしますよ。僕たちは素人なんですから、暴力団を相手にはできません」
「わかってる」
「で、吉村さんは、どんなカラクリだと思いますか」
「想像でいい」
「もちろん」
「わかんないことが多いいけど、銀行が旅館に貸し付けをしたようにしておいて、実際には、ここにある五つの会社に裏融資をする。この口座を返済口座として作り、この口座からは、自動引き落としで台東土地開発に口座振替になる。石山は台東土地開発から、その金を受け取る。もちろん、台東土地開発にも取り分がある。旅館が返済不能になったら、不良債権として、抵当の土地を取る。無理あるかな」
「旅館の女将さんが、承知しないだろう」
清水が簡単な疑問を口にした。
「そうなんだよな。女将さんが死んで、うまくいったけど、そんなの予測できないし」
「石山が、女将さんを殺した」
浩平が言ったことで、部屋が静まりかえった。
「だと、すると、殺人と詐欺と横領だ。銀行員がそこまでするかな」
「ううん」
誰もが、唸る。
「吉村さんの仮説をもとにして、考えると、これが裏融資でなくちゃならない。だったら、この五つの貸付が、裏融資かどうかを調べる方法はないかな」
「銀行の表の帳簿に、この融資がのっていないことを調べるわけでしょう。かなり、難しいでしょう」
浩平の問いかけに清水が答えた。
「あの女を使いましょう」
「女子行員の」
「そう。確か、堀内とか言う女子行員。うちの保田が担当してますが、女を落とすには時間がいるんです、なんて生意気言ってたけど、まだ何も仕事してない。やらせますよ」
「お願いします。全部とは言いません。二社だけでも」
「わかった」


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