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無力-16 [「無力」の本文]

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 町村は教会にある事務室で、金明進と明哲の親子と向き合っていた。党の政治局員と日本人協力者の制圧は、昨日の十時までに完了し、西警察署と文化公園体育館に監禁されていた。
「方向は決まりました。行動に移る時だと思いますが」
金美姫が通訳し、金明進が頷いた。昨夜遅くまで続いたテレビ放送を、美姫の通訳で見たと言っていた。
「あなたの計画を教えて欲しいと言っています」
「共和国軍の統率力を前提にしますが、先ず、一般の人の武装解除をしていただきたい。完了後に自衛隊が展開します。そして、軍の武装解除をしていただきます。海上自衛隊の施設内に二万人分のテントを設営しますので、全員移ってください。しばらくは、そこの生活になると思いますが、我々を信用していただくしかありません。自衛隊が展開して武力制圧しますが、それは共和国の皆さんの安全確保が目的です。この地域が落ち着くには時間が必要だと思っています」
美姫の通訳を聞いて、親子の間で議論が始まった。共和国語は全くわからなかったが、何を議論しているのかは町村にもわかった。軍人にとっての武装解除は、特別の意味がある。不安は当然のことだろう。しかも、戦闘で自軍の負けを認めざるを得ないような環境にはない。部下を無駄死にさせないためには、致し方のないことではあるが、受け入れるには抵抗があるのだろう。二人の議論は、父親が息子を説得している様子になってきている。町村は二人の議論が終わるまで待つことにした。
稲本幕僚長は、和平後の展開部隊であるにもかかわらず、重装備の過剰とも思える部隊派遣を命じた。戦えば負けたであろうと、共和国の軍人に思ってもらいたいのだ。
「了解したそうです」
「テレビ局に依頼して、昨日の放送を字幕付きで作ってもらっています。自衛隊が展開した後に、その放送をこの地域に流したいと思います。そして、少将の声明と、日本の防衛庁長官の声明を放送して、両国の人たちに事態の把握をしてもらいます。皆さんにも我慢をしてもらわなければなりませんが、日本人も今の施設で、しばらく我慢してもらいます」
日本人と共和国人を合わせると五万人、そこに一万人規模の陸上自衛隊が展開すれば、舞鶴市街地に約六万人の人々がひしめき合うことになり、充分な計画がなければ、不測の事態が起きる可能性さえある。一刻も早く日本人人質を解放したいが、必要な時間はかけるつもりだった。統合参謀本部では部隊の展開だけでなく、和平実施のタイムスケジュールも計画されていた。
「今日中には、その具体的な計画案が提示できると思いますので、検討をお願いしたいと思います」
「お待ちしています」
金美姫が無言の父親の気持ちを代弁して答えた。
教会を後にした町村を金美姫が追ってきた。
「どうしました」
「兄のことで」
「心配ですか」
「はい」
町村は待機している小山曹長と三人の隊員に、先に戻るように手で合図を送った。
「座りましょうか」
町村は、少し先にある岩を指差した。この和平交渉の鍵は、この若い女性とその母親にあると思っている。充分に話し合っておかなければならない。
「お兄さんは、まだ」
美姫が座るのを待って、町村は深刻な声にならないように注意して言った。
「兄は、父のことを心配しています。父を、一人で死なせたくないと思っています。戦うべきだと」
「そうですか。で、あなたは」
「私は、戦わずに済むことを願っています」
「少将が、お父上の生命がかかっていても、ですか」
「わかりません」
「将官は兵の生命を預かります。兵士が死ぬとわかっていても、命令は出さなければなりません。将官は自分の生命を投げ出すことでしか、その責任を取れないのです。それが、軍人の宿命なのでしょう。自分は少将のご意向に敬意を持っています。逆の立場になったとしても、そうでありたいと思います。これは、仮の話として聞いてください。少将が、仮に責任を取ろうとせずに、部下の誰かが責任を取らされたとしたら、お兄さんは、どうするでしょうか」
「だから、戦うと」
「大勢の戦友や部下の生命をかけて、ですか」
「・・・・」
「双方の犠牲者は、数万人になります。しかも、その八割は民間人です。少将は、その数万人の生命を救うつもりなのです。お兄さんにも、その事はよくわかっているでしょう。そんな重大な決断をしたのに、なぜ、死ななければならないのか。それは、お父上が将だから、司令官だからです。このことは、誰にも、どうすることも、できないのです」
「母も同じことを言いました」
「そうでしたか。お二人でお兄さんを説得してください。少将にとっては、自分の息子も部下の一人にすぎないかもしれませんが、死なせたくはないと思っている筈です」
「すみません」
「いいえ。お役にたてなくて、申し訳ないと思います」
すでに、千五百人以上の日本人が犠牲になっているこの事態は、どこかで、辻褄を合わせる必要に迫られるだろう。いずれ、町村の手の届かない場所で、いろいろなことが決められていくことになる。金明進少将と、その家族には、厳しい覚悟を持っていてもらうしかなかった。
「町村さん」
「はい」
「いえ。なんでもありません。ありがとうございます」
美姫が複雑な笑顔を見せて、去っていった。美姫の兄だけではなく、戦闘を主張する軍人は多くいるだろう。圧倒的な力を見せることで、和平へのふんぎりをつけて欲しかった。

65
 前線本部となっている峠のレストランに戻ってきた町村を待っていたのは、陸上自衛隊の野戦服を着用した加代だった。あまりにも話したいことがありすぎて、二人には言葉が見つからなかった。加代の様子は一変していた。今は、日本で一番の有名人と言っても過言ではない。危機管理室での自動小銃の乱射は、全ての国民の目に焼きついている。前線本部を警護している自衛隊員の視線にも敬意があった。地獄を潜り抜けてきた人間の持つ不敵なオーラがあって、少し気おされるようなものを感じるのは町村だけではない。
「あの教会に行きたいの」
加代のまっすぐな視線に、町村は狼狽を憶えた。
「あの人たちに会って、ちゃんと、お礼を言いたい。今、ここにいるのは、私が、ここにいれるのは、あの人たちのおかげだから」
「そう」
「いろいろ、思い出したけど、わたし、もう大丈夫だから」
「そのようだな。すぐに行くのか」
「できれば」
「わかった。一緒に行こう」
町村は小山曹長を探した。クーデターを機に陸上部隊が展開したが、町村の警護だけは陸上自衛隊に引き継がず、倉持のグループがその任務に当たっていた。海上自衛隊の倉持グループは私服だったので、武器を持つとゲリラに見えたが、共和国側に刺激を与えないという意味ではよかった。
「着替えは」
「ええ」
「普段着の方がいいと思う」
「着替える。それと、何か武器が欲しい」
「武器」
「もう、二度と暴力に負けたくない」
「わかった」
危機管理室の中継を見たかぎり、銃器の取り扱いは無理だと思ったが、加代の暴力に負けたくないという言葉には反論できなかった。
小山曹長は陸上自衛隊から短機関銃を調達してきてくれたので、着替えてきた加代を連れて教会へ向かった。共和国軍のパトロールは中止されていたし、人の動きは極端に少なくなっていたので、誰に出会うこともなく待機地点まで行く。教会が共和国軍の前線指令本部になっている。教会の周辺には警備兵がいるが、町村に銃を向ける兵も、声をかける兵もいない。待機地点に小山曹長たちを残して、町村と加代は銃を持ったまま、教会の裏手の建物へ行った。
ドアをノックすると、すぐに金美姫が顔を出した。
「町村さん」
「突然で申し訳ありません。北山さんが、お母さんとあなたに会いたいというので来ました。よろしいでしょうか」
「もちろんです。母も喜びます」
何度も来た事のある居間に入ると、美姫の母親が流し台から近づいて来て、何も言わずに加代を抱き寄せた。加代の方がはるかに背丈はあるが、美姫の母親の方が大きく見えた。加代の背中が震えている。何度会っても不思議な人だった。
「今日は、お礼が言いたくて来ました。あの時、お二人に助けていただけなければ、私は、ここには、いなかったと思います。学校にいる人たちも解放されると聞いています。全ては、お二人の気持ちから始まっているのです。あの時は、私、自分がどうなっているのか、何がおきたのか、わかりませんでした。でも、今は、よくわかります。言葉にすると、気持ちが伝わらないかも知れませんが、本当に感謝しています。ありがとうございました」
テーブルに座った加代が、ゆっくりと感謝の気持ちを伝え、美姫が小さな声で、加代の気持ちを通訳してくれた。母親が熱心に美姫に何かを話している。その表情は子供のようだった。
「私たちがお手伝いできたことを、感謝しています。この和平は、あなたから始まりました。私たちが日本に来た日に、あなたに会いましたが、無意識のうちにあなたを失ってはいけないと感じていたのだと思います。あなたには大勢の人を救う力があるそうです。あなたがここに来たのも、辛い思いをしたことも、全てこの和平に繋がっていたのです。その流れの中で、私たちも少しだけお手伝いができたことを嬉しく思っているのです」
「そんな」
「私は、あのテレビを見ました。何か台本があって、あの演技をしたのですか」
「いいえ。演技をしたつもりはありません」
「あなたの、あの行動で状況は大きく動きました。母はまだあのテレビを見ていませんが、あなたが事態を動かしたことをわかっています。自分でも意外な行動だと思っているでしょう」
「ええ」
「そういうものなのだ、そうです。流れを作る人は、自分では気づかずに、ただ自分の感性で行動するそうです。そうでない人が、流れを作ろうとしても出来ません。和平への流れを作りたかった私たちに出来ることは、あなたを守ることだったのです。あなたがいなければ、もっともっと悪いことが起きていたでしょう」
「よくわかりません」
「それで、いいのです。あなたが感謝してくれて、私たちも感謝している。それで、いいのです」
「ありがとうございます」
母と娘が、共和国語で熱心に話し始めた。時々、視線が加代に注がれることを見れば、加代のことを話題にしているのだろう。
「町村さん」
美姫が町村に言った。
「あのことを、話した方がいいと思いますが、いいでしょうか」
町村にはそれが二人の子供のことだとすぐにわかった。気にはなっていたが、まだ話す自信がなかったので黙っていた。
「すぐにわかると思いますが」
情報開示に努めている現状をみれば、いろいろな事実が明らかになるのは時間の問題だろう。それでも、町村には躊躇があった。自分を取り戻したように見えたが、加代がまだ崖っぷちにいるように思える。だが、この四人がこのようにして集まることができる時がいつになるのか。今が一番いい時なのかも知れないとも思えた。町村は黙って頷いて、同意を示した。
「私たちは、あなたに嘘をついていることがあります」
「うそ」
「二人の子供たちのことです」
加代の表情に狼狽はなかった。
「二度目の公開処刑で死んだと言いましたが、そうではありません。二人は、あの佐藤という男のスパイ役をやっていた日本人に殺されました」
「私のせいですね」
「そうは思って欲しくないのです。あなたに何ができたというのです。あなたのせいではありません。絶対に違います」
「しゅう、と、めぐ。あんなに、いい子だったのに」
「お願い。自分のせいだと思わないで」
「ありがとう」
加代は、大きな笑顔を返した。
「私、頭のどこかで、このことはわかってました。あの男が、そうすることはわかっていたのだと思います。大丈夫です、私。でも、あの子達のために、本当のことを知っておきたい。私は、自分の生涯をかけて、あの子達を弔っていかなければなりません。あの、佐藤という男に会えませんか」
「会ってどうするのです」
「本人の口から聞いておきたいのです。あの男なら、平気で本当のことを言いそうですから」
「それだけですか」
「それだけです。誰かの説明を聞いたのでは、あの子達に説明ができません。お願いします」
美姫は町村に目で問いかけた。
「今日でなくても、いいだろう」
「おねがい。すぐに引き渡されるのでしょう。本当のことは言わなくなると思う。あの男は歪んでる。私が聞けば、本当のことを言うわ。おねがい」
「わかった」
日本人協力者の大半は、舞鶴西警察署に収監されていると、美姫が言った。不穏な様子を感じたが、被害者である加代を説得する言葉がなかった。
母親だけを残して、小銃を持った美姫を追って二人は玄関を出た。美姫が警護に当たっている兵士に近づき、言葉をかけると、兵士が教会の中へ入っていった。すぐに、兄の金明哲と部下の申浩基が出てきて話を始めた。金明哲は終始難しい表情だったが、許可は出たらしく申浩基に命令を出して教会へ戻っていった。金明哲は一度も、町村と加代の方を見なかった。
「町村さんは、まだ行かない方がいいそうです。和平交渉の当事者に何かあれば、取り返しがつきません。北山さんは、私と彼で守ります。大丈夫です」
「わかりました」
和平交渉が成功に近づいているとは言っても、町村が行くことで全てを無駄にする可能性が皆無とは限らない。今の町村は責任を伴う立場にいたし、共和国側の意向に個人的理由で逆らうこともできない。
「一人でも、行くのか」
「行かせて欲しい。私が話を聞ける最後のチャンスだから」
「そうか」
無言の申浩基に従って、加代と美姫が小型トラックの荷台に乗って出発していった。

66
国道27号線に出て北上すると、すぐに警察署に着いた。左手に城門を見ながら、駐車場へと向かう。軍服こそ着ていないが、共和国軍の兵士が群れていた。司令部の金明哲から連絡があったらしく、迎えに出てきた兵士は申浩基に敬礼をすると、三人を三階の道場へ案内した。
道場の入り口に二人の兵士がいて、道場の中央に置かれた椅子に、一人の男が拘束されていた。加代には、その男があの佐藤という男だとすぐわかった。不気味な笑みを浮かべている。自分の気持ちが萎えそうな感覚があった。加代は銃を持つ手に力を入れ、町村に教えてもらった発砲準備をする。金属音が静かな道場に響き、佐藤にも、一瞬緊張の様子があった。
「私、一人で話してもいいですか」
美姫が申浩基に加代の希望を伝えた。
「私たちは、少しだけ離れた場所にいます」
加代は、美姫に頷いて、道場の中央に進んだ。佐藤の歪んだ笑顔に近づく。三メートルほど離れた場所で加代は止まった。
「やあ」
佐藤が声をかけてきたが、加代は無視した。
「やっぱり、あんたはきれいだ。また会えて嬉しい」
「あなたに、ききたいことがあります」
「いいですよ。もっと近くによって、きいてください。ゾクゾクしますね」
「あなたは、自分の立場がわかっていますか」
「もちろんです。この有様ですから。軍人が裏切ることは想定していませんでした。あの連中は民族の誇りを捨てたんです」
「あなたも、でしょう」
「そうかもしれませんが、僕には日本人の誇りはありませんでしたから、裏切りとは言えませんね」
「あの子達を殺させたのは、あなたですね」
「突然ですね。この状況で僕が、はい、そうですと答えると思いますか」
「どうすれば、答えてくれるのですか」
「そうですね。この最悪の状況から、僕を解放してください」
「ここから逃がせ、と」
「そうです。ここの生活は、僕の好みじゃありません」
「それは、できません」
「じゃあ、僕も答えません」
「でも、尋問が始まれば、そうはいかないでしょう」
「僕は、誰も傷つけていませんし、だれも殺してはいません。尋問のしようがないでしょう。それに彼らには、そんな力はありません。ただの軍人でしょう」
「いいえ。あなたを尋問するのは日本の警察です」
「日本の警察」
「そうです」
「どうしてです」
「共和国軍は、数日後に武装解除します。この舞鶴も日本の統治下に戻ります」
「そうだったんだ。変だと思っていたんですよ。日本にこんなことが出来たなんて、信じられませんが、どういうことなんです」
「和平が成立して、あなたたちは、日本の法律で裁かれることになります」
「そう。ま、その方がいいか。日本の法律では、この僕を裁くことはできません。すぐに、無罪放免です。僕は法に触れることは、なにもしていませんからね。そうでしょう」
「そうはいかないでしょう。今度のことで、国家反逆罪の法律が出来るそうです。それに、あなたの殺人教唆は立派な罪になりますよ」
国家反逆罪の法律が制定されると言う話はどこにもなかったが、佐藤の自信が一瞬揺らいだように見えた。
「榊原という人に聞けば、あなたのしたことがはっきりするでしょう」
「あの男はクズです。証言はしないでしょう。証言すれば、自分の罪を認めることになりますからね。それに、国家反逆罪があったとしても、証拠がなければ、日本の警察は何もできません。そこが、日本のいいところです」
「証言しないと思うの」
「しませんね」
「目撃者がいますよ。殺人の」
「それは噂ですよ。目撃者はいません」
「本人をここに呼んで、ききますよ」
「どうぞ。あの男は認めません。計算能力だけは一流です。東大出のキャリア官僚ですよ。どこかのお嬢さんがどうにかできるような男ではありません」
加代は、窓際にいる美姫の方へ歩いた。興奮しているせいか、雲の上を歩いているように足元が不安定だった。
申浩基は反対だったが、美姫の強い口調に負けたようだった。美姫がどう思っているのかはわからないが、申浩基は明らかに美姫に特別な感情を持っている。上官の妹に対する礼儀だけではないように思えた。申浩基は入り口に待機している二人の兵士に見張りを命じて、階段を下りていった。加代と美姫は、廊下にあった長椅子に座った。
「ごめんなさい。無理ばかり、言って」
「あなたは、大勢の同胞の命の恩人だもの」
「私は、何もしていない」
「そうだったわね。いいの。気にしないで」
「彼はよく承知してくれたわね」
「若いのに、頑固な男なの。子供の頃から、ずっとそうだった」
「幼友達」
「ええ。毎日、遊びに来ていて、食事も私の家族と一緒。今も兄の部下だけど、子供の頃からずっと部下だった。私も、かなり面倒みたのよ。同じ年齢だけど、弟みたいだった」
「あなたのことが、好きみたいね」
「ええ。結婚したいと言われたけど、弟だと思っていたから、断ってしまった。まだ、諦めた訳ではないと言っているわ」
「そのようね」
「日本に来る時は、誰も死を覚悟していたの。もし、このまま二人とも生き残れたら、結婚してもいいと思ってる」
「彼には」
「まだ、言っていない」
美姫は自分のことや、家族のことを話した。
「帰りたいでしょう」
「そうね。土地とか空気とか、それに景色。そういうものが懐かしい。でも、私たちが帰れば、間違いなく収容所だから。あの国が変われば、やはり、帰りたい」
「これからが、大変」
「ええ。でも、生きていれば、いつか」
「そうね

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