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無力-17(完) [「無力」の本文]

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半時間もせずに、榊原が引きずられるようにしてやって来た。申浩基の機嫌が悪いせいかもしれないが、榊原の表情は引きつっていた。加代を見て、不審な表情を見せたが、申浩基が榊原の襟首をつかんで、力まかせに道場の中へ引きずりこんでいった。
日本人の人質は、和平が進んでいることを知らない。佐藤が椅子に拘束されている状況も、北山加代が銃を持ってここにいることも、榊原には理解できない事だった。佐藤の横に放り出すようにして、申浩基は窓際へ行った。教会の司令部に寄って許可を求めた筈で、そこで何か厳しいことを言われたのかもしれない。美姫が近づいて行っても、その視線を避けて外を見ていた。
汚れた服と、長く伸びた髪、そして貧弱にみえる薄い髭が伸びている様子は、誰が見てもホームレスのおじさんだった。救出された時の加代も、そうだったのだろうと思った。
「私を憶えてますか」
横座りをして、落ち着きの無い目をしながら、必死に頭を回転させているのがよくわかる。
「北山さんですよね」
「そうです。あなたに確認したいことがあります」
榊原の目が泳いでいる。
「しゅうとめぐのことです」
頭の良い榊原は不利な状況に気が付いているらしい。榊原に欠けているのは、度胸だった。
「二人を殺したのは、あなたですね」
榊原は大きく首を横に振った。
「榊原さん。あなたの立場はよくわかっています。この佐藤に命令されて、そうするしか方法がなかった。そうでしょう。正直に言っていただかないと、あなたが困ったことになりますよ」
「わ、わたしは、なにも、してません」
加代は、榊原の横の畳に向けて、引き金を引いた。すぐに指を離したので、銃弾は五発で済んだ。入り口にいる二人の兵士と、申浩基と、美姫の銃が一斉に三人の方へ向けられた。榊原は、驚愕の表情のまま固まっていた。
「死にたいですか」
「う。う。う」
「共和国軍と日本は和平交渉をして、日本人の人質は数日中に全員解放されます。この戦争に協力した日本人は全て捕らえられて、拘束されています。ここにいる佐藤は、もう、あなたに命令することはできません。佐藤たち日本人協力者は、日本の警察が調査尋問して、日本の法律で裁かれることになります。いいですか、あなたが正直に話していただかないと、あなたの罪になります。当然、死刑ですよね。わかりますか。あなたに選択の余地はなかったのでしょう。悪いのは、この男です。こんな男の罪を背負って死刑になりたいのですか」
さすがのエリート官僚の頭脳も、行き詰まりをみせていた。
「すこし、考える時間をあげましょう」
加代は美姫の方へ合図して出口へ向かった。榊原の態度と表情から、二人の子供の生命を奪ったのが榊原だと確信した。二人の子供たちは、どんな思いで死んでいったのだろう。きっと、怖かっただろう。修は恵を守ろうとして、先に殺されたと思う。いつも守ってくれていた兄が動かなくなって、恵はどうしたのだろう。今、加代にできることは、古すぎる想念ではあるが、二人の仇討ちしかなかった。日本の刑法に委ねるつもりはない。佐藤と榊原が死刑になるとは限らないのが日本の刑法だった。
「二人を残して、大丈夫かしら」
美姫が心配な声で言ったが、加代は笑顔だけを返した。申浩基は「勝手にしろ」という態度で二人から離れた。
扉を閉めたので、中の様子がわからない三十分が過ぎ、加代は扉を開けた。正座している榊原に話かけていた佐藤が、加代の方を見て口を閉じて、視線を逸らした。榊原はどこを見ればいいのかわからずに、宙を見ている。加代と美姫が道場に入っていった。申浩基は、本気で機嫌を悪くしたのか、入ってくる気配がなかった。美姫は加代の左手の窓際に進み、加代は二人の正面に立った。
「考えはまとまりましたか」
榊原は答えが見つからずに、佐藤の方を見た。
「僕からも聞いてみましたが、彼はやっていないそうです」
不気味な目を輝かせて、佐藤が答えた。
「あなたには、きいていません」
加代は榊原に銃口を向けて、トリガーに指を伸ばした。
「榊原さん」
「あ、う」
「あなたが正直に言ってくれないと、あなただけが死ぬことになるのですよ」
「あ、あ」
加代が銃の狙いを定めるような仕草をすると、榊原は悲鳴を上げて後ろへのけぞった。その時、佐藤が動いた。拘束されていたロープは外されていて、加代の持っている銃に向かって佐藤が飛んだ。榊原に照準を向けていた加代の銃は、佐藤の動きについていけなかった。
佐藤の頭が、目の前で弾け、脳漿が畳に飛び散った。加代は硬直したまま、立っていた。
「きゃあああ」
女の悲鳴のような声を出したのは榊原だった。二度目の銃声がして、榊原の体が弾かれて横倒しになった。
入り口の扉から、申浩基と二人の兵士が飛び込んできたが、美姫の落ち着いた声が三人の動きを止めた。美姫と申浩基が母国語で話していたが、加代の頭の中は真っ白だった。
                           完

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