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高齢者にも責務はある [評論]



精神科医の和田秀樹さんの「日本の高齢者3600万人がいまリアルに後悔している意外な事」という文章から、袋小路で動きが取れない私達の姿を見てみましょう。

老人の6つの後悔。
1.もっと好きなことをしておけばよかった。
2.いろいろ経験しておけばよかった。
3.自分を殺して他人に尽くしすぎなければよかった。
4.周りにもっと自分の気持ちを伝えておけばよかった。
5.お金の心配をしすぎなければよかった。
6.医者の言うことを聞きすぎなければよかった。

もちろん、3600万人の高齢者が一人残らず後悔しているというわけではありません。ただ、1割の高齢者が、感じている後悔だとしても、数百万人の老人が臍を噛んでいることになり、決して、見過ごしていいことだとは思えません。
この6つの後悔に共通するものが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」であり、「ふむ、ふむ」であり、「いい人」を演じてきた自分に対する後悔なのではないかと思います。
そういう生き方をしてきたのは、高齢者の皆さんの個人的な嗜好で選択したものではなく、社会通念とか常識とか世間の空気という無形の圧力により、止むを得ず、良かれと思って、流されてきた結果だと思います。これは、巨大な文化の力ですが、そのことに気付いている方が、まだ、いません。
高齢者の皆さん、皆さんは、嘆いて、後悔して、それでお終いなんですか。
このまま「なあ、なあ」「まあ、まあ」を続ければ、後輩も子供達も孫達も、同じ後悔をすることになりますが、「俺には関係ねぇ」でいいのでしょうか。
皆さんには、後輩や子供達や孫達に対して果たすべき責務はないのでしょうか。
いいえ、高齢者には高齢者の責務があると思います。
昔は、この責務を「大人の責任」と呼んでいたと思います。もちろん、これは、高齢者だけの責務ではありません。後輩や子供達や孫達だけではなく、自分ではない誰かのために、考え、行動することを「大人の責任」と呼んでいたと思います。「自分さえよければ」の対極にある考え方かもしれません。
もう、「大人の責任」なんてものは存在しないのでしょうか。
せっかく、後悔したのです。
高齢者の皆さんには、次の世代のために、やれることはあると思います。
誰かのために、何かが出来たら、それは、きっと、自分のためにもなるのではないでしょうか。後悔したままではなく、死ぬことが出来れば、それも価値のあることだと思います。

この国では、皆で責任を分かつことが暗黙の了解です。
それは、誰も責任を取らなくていい、ということでもあります。
危険な交差点は、皆で、一緒に渡ろうよ、というものです。
しかも、強い同調圧力があります。
出る釘は、皆で叩きます。村八分は、今でも、生きています。
敢えて、大きな不幸や大きな幸福という視野を閉ざし、「とりあえず」とか「そこそこ」とか「分相応」でいいと思っています。世間では、これを処世術と呼び、ほとんどの方が慣れ親しんできました。
確かに、これまでは、そのやり方で「何とか」なってきました。
ただ、この「何とか」というのが厄介です。現実として、「何ともならない人」が増えてきたことで、その神話にも陰りが見えてきています。
大きな不幸や大きな幸福を視野に入れる必要がある時もあるということです。

高齢者になるということは、年金以外の収入がなくなるということです。
自分が何歳まで生きるのかわかりませんので、これは、大変、不安なことです。貯金が毎月減っていく恐怖は、結構、恐ろしいことです。体験したことがある人にしかわからないのかもしれませんが、背中が寒くなると言われる恐怖です。その寒さは、実際に、物理的に感じるのです。
現役世代の人達の中にも、収入の少ない非正規労働者やシングルマザーは不安を抱えています。老後資金のない高齢者も、不安で一杯だとすると、半数の国民が大きな不安を抱えているということになります。しかも、そういう方が、年々、増加していて、今後も、増え続けます。
しかし、誰も手を打ちません。
だらだらと、ずるずると、このまま、地獄へと滑り落ちて行く感覚は恐ろしいと思います。夢も希望もない世界は、かなり、生き辛いと思います。

では、一体、何が問題なのでしょう。
先程、「危険な交差点は、皆で、一緒に渡ろうよ」と書きましたが、危険な交差点がなければ、問題ありません。
しかし、朧気ながら、その危険が少しずつ見え始めています。国力衰退もその1つです。
だから、「ヤバイ」とも思いますし、後悔もするのです。
でも、ボンヤリとした危険であり、曖昧な心配ですから、手の付けようがありません。
「何となく、ヤバそうだよな」が実感だと思います。
つまり、何が問題なのかがわかっていないのです。
どうか、気付いてください。
問題は、危険なのは、国力衰退であり、国家崩壊です。
こんなことを書くとヨタ話だと思うかもしれませんが、そうではありません。
これは、今、皆さんの目の前にある実現確率の高い未来であり、明日、皆さんが直面する現実です。その実現確率は90%以上だと思います。
国家崩壊という危険な交差点に、全員で突っ込んで行って何とかなるものでしょうか。
いいえ、ズタズタに引き裂かれるだけだと思います。
常識とか空気とか忖度とか「なあ、なあ」「まあ、まあ」は、経験則です。しかし、直感は違います。本能です。その直感が、危険を感じるから、皆さんは不安なのです。
皆さんは、正しく、不安しているのです。
では、どうすれば、いいのでしょう。
危険を除去すればいいのです。
なんて書くと、いとも簡単なことのように思えますが、これが簡単ではありません。いや、とてつもなく、難しいことです。どのくらい難しいかと言うと、天地がひっくり返るほどの難しさです。ただ、その方法がないわけではありません。
先ず、国民が目の前の危険を具体的に知ることです。
漠然としたものではなく、国民の皆さんに、自分の生活と結びつけて考えられる危険の実態を知ってもらう必要があります。例えば、第二次世界大戦時に経験した食料配給制度の復活とその中身を具体的に示すことで、国民の理解は得られると思います。
課題だらけですが、ここにも、大きな課題があります。
誰が、国民にその危険の実態を示すのか。
今は、その役を果たす人が見当たりません。
官僚や専門家が知っていても、意味はありません。なぜなら、ずっと、知っていたのに、彼等には何も出来なかったからです。
次に、その危険な交差点は、なぜ、危険なのか。
どこに原因があるのかを、見つけなくてはなりません。
国力衰退とその先に待ち構えている崩壊の原因は、山のようにあります。ですから、単一の原因を見つけても、この危険は除去できません。
原因の原因を見つけ、更に、その原因の原因の原因を見つける必要があります。
この原因の原因の原因に対処し、個々の原因を根気よく1つずつ無くしていかねばなりません。その時に、最も必要とされるのが、国民の皆さんの意識です。国民が変わらなければ、国民が「俺には関係ねぇ」と言っていたら、失敗することになります。危険を除去するためには、国を豊かにしなければなりませんが、国を豊かに出来るのは国民しかいないからです。危険を除去するのは、国を豊かにするのは、総理大臣や事務次官や教授ではありません。国民なんです。国民の皆さんの意識次第ですが、危険を除去するまでには、5年か10年か20年かはわかりませんが、長い時間が必要です。
時間切れで国家崩壊がやってくるかもしれません。
その時は、大声で叫んでください。叫んでも、どうにもなりませんが、多少の気晴らしにはなるかもしれません。

先程、後悔している人を1割と仮定しましたが、それほど多くはないかもしれません。
ある世論調査の結果を見て、そう感じました。
「解散するぞ、解散するぞ」と大騒ぎをして、「負けそうだから、止めとくわ」と言った岸田政権のお粗末な顛末は、取り上げませんが、選挙風は吹きました。世論調査も行われました。その中の1つに、比例代表の投票先、というデータがあります。私が驚いたのは、電話調査とネット調査の差の大きさです。

     電話調査   ネット調査(%)  差(倍)
自民   28.5   12.8    2.2
公明    6.4    3.6    1.8
立憲   14.3    4.3    3.3
維新   16.2   11.5    1.4
共産    8.1    1.1    7.4
未定   16.9   58.7   -3.5 

この数字を見ると、同じ質問をしたとは思えないほどの差があります。
いろいろな要因があると推測されますが、中でも年齢差が大きいと思います。
電話調査の対象者は、ランダムに抽出しますので、高齢者の数が多くなり、ネット調査では、ネットとの親和性が低い高齢者の数は少ないと思います。
また、未来に変化が期待できない高齢者は、変革を好みません。先の長い若者は、少しでも良い未来を求めます。
この差は、高齢者のほうが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」と親和性が高いということです。「なあ、なあ」「まあ、まあ」に毒され、後悔している筈の高齢者のほうが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」に拠り所を見出しているようです。
もしも、後悔している高齢者が多いのであれば、こんな結果は出ないと思います。
いや、仮に、後悔していても、惰性のほうが優先するのかもしれません。老人は、波風を立てたくありませんから、したり顔で「ふむ、ふむ」と頷くことが好きです。多分、自分を誤魔化すために、後悔しているふりをしているだけなのでしょう。私には、ただの、マスターベーションにしか見えません。「老人が立ち上がった」などという報道はありません。
ただ、行動するには体力が必要です。デモ行進で何時間も歩けませんし、手製銃を作って総理大臣を襲撃することも出来ません。でも、言葉の定義であれば、高齢者でも可能です。それを広めるためにネットに挑戦することも不可能ではありません。しかし、高齢者の行動が報道されることはありません。ほんとに、もったいないことだと思います。人口の1/3もいる高齢者が、現役世代が納めた保険料を当てにし、毎日、飯を食って、糞をしているだけです。後輩や子供達や孫達のために働いても罰は当たらないと思いますが。
余談ですが、共産党の7.4倍には時代を感じます。戦後に流行した社会主義思想や安保騒動での学生運動は、遠い昔話になったようです。社会党が消えたように、共産党も消える運命にあるのでしょう。ただ、正しいかどうかは別にして、社会主義運動や学生運動には、熱気がありました。でも、今は、社会全体に熱気を感じません。皆で、「俺には関係ねぇ」と合唱しているように見えてなりません。
何度も書きますが、人口の1/3は高齢者です。
人口の1/3ということは、数千万人の高齢者が、ただ、ただ、死を待つ日々を送っているということです。もったいない、と思います。「へら、へら」や「ふむ、ふむ」が「大人の対応」だと誤解しているようですが、それは違います。棺桶に入るまで、後輩や次世代の子供達や孫達のために、誰かのために、最善を尽くすことが「大人の対応」だと思います。
しかし、そんな風潮は、全く、感じることができません。とても、悲しいことだと思います。


2023-07-04



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