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システムの老朽化 [評論]



4月に統一地方選挙がありました。
マスコミの一部で、課題だと指摘されたのが、無投票選挙区の増加と低投票率です。
ただ、ほとんどの国民の皆さんは、今に始まったことではないので、「俺には関係ねぇ」と思っています。無投票選挙区の増加と低投票率も、右肩下がりのトレンドになっていて、今年も、最低の数値を更新する地区が続出したのは事実です。
でも、これが日本の課題だと考えている人は、ほとんど、いません。マスコミは、適度に、理想を語らねばなりませんので、いつもの対応をしているだけです。
でも、この些細なことに見える現象は、この国に衰退を招いている原因と同根のものであり、国家破綻へと向かっている国に出ている一つの症状です。
その原因は、現行システムの老朽化だと思います。
このまま、古いシステムを使い続ければ、壊れる日を迎えることになります。
これは、地方自治に限定された課題ではなく、統一地方選挙は「一事が万事」の「一事」に過ぎません。
現行システムは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」「曖昧統治」という国家を運営するために作られたシステムですが、もう、そのやり方では運営できない時代になったのです。だから、いたる所で機能不全が起きているのです。

無投票選挙区の増加の原因は、過疎化によるものです。
過疎化地区の特徴は、平均年齢の高齢化です。年寄りばかりなのです。
年寄りの価値判断基準は、「邪魔くせー」が、結構、上位にあります。立候補するのも、投票に行くのも、「邪魔くせー」のです。
50歳の若者も立候補しません。小さな自治体の場合は、議員報酬が低く、議員業だけでは食べていけません。例えば、人口1000人未満の自治体の議員報酬は15万円で、議員を専業としている人の割合は10%だと言われています。
無投票選挙区の増加という課題は、仕組みを変えるしかないと思います。2040年までに、自治体の半数が消滅すると言われていますので、今の対応では、まだ、無投票選挙区の増加は続くものと思います。人口減少、国力衰退の国では、止むを得ません。

では、低投票率の課題は、どうでしょう。
システムの変更も必要ですが、これは、システムを変えただけでは、難しいと思います。
民主主義に欠かせないものが選挙です。
少なくとも、51%未満の投票率では、民主主義が機能しているとは思えません。
新聞の購読数やテレビの視聴数の減少に見られるように、これまで社会を支えてきた人が高齢になり、年々、老人が死に、昭和時代の惰性で投票所に行っていた人も減りました。
時代は、日々、年々、変化しているのです。
一方、若者は、自分の生活に政治が生きているという実感を持っていません。「政治。俺には関係ねぇ」と思っている若者が大勢います。
「投票に行きましょう」と宣伝をしても効果はありません。
投票率の低下は、責務を曖昧にしているために生まれた自然現象ですから、宣伝では改善しないと思います。
課題は、投票率だけではありません。
この低投票率を支えているのが組織票なのです。自分の所属する団体の利益になればと意図して投票している人達の助平根性が投票率を支えているのです。もしも、組織票を無効にする方法があれば、投票率は何パーセントになるのでしょう。
そんな選挙構図は、地方選挙の場合、特に顕著です。
組織票は民意ではない、と全面否定することはできませんが、偏った民意であることは否定できません。組織票は「自分さえよければ票」だと言っても過言ではないと思います。
国は、システムを変えませんし、国民は、意識を変えませんので、今の状態が続くものと思います。
ですから、今後は、組織票が地方政治を牛耳ることになり、一部の利益代表による地方自治が一般的になる時代を迎えるのだと思います。いくつかの組織が談合すれば、どんな自治も可能になります。
中には、民主主義の後退だと言う人もいますが、そもそも、日本には民主主義なるものは存在していませんでしたから、その意見は的を外しています。でも、風味は薄まったのかもしれません。日本は、今でも、民主主義風王政並立封建制度です。「下々」は「俺には関係ねぇ」と言えるのですから、このトレンドは、起きるべくして起きているトレンドです。
では、国民の皆さんは、それを「良し」としているのでしょうか。
そうではありません。
皆、一様に、背を低くして、何とか良き風が吹いてくれるのを待っています。
ただ、自分で風を起こすのではなく、どこかの誰かが風を起こしてくれるのを待っています。
そんな環境の中に存在するのは、「不安感」であり「閉塞感」であり「焦燥感」です。
主権者が他力本願なのですから、仕方ありません。
国民の皆さんは、これこそが「下々」の取るべき姿勢だと思っているようです。確かに、楽ですが、楽をしたツケを払うのは、皆さんです。
「下々」に徹することで、豊かで平穏で幸せな生活が実現するのであれば、日本の歴史と伝統は最強の思想になります。
しかし、そうはなりません。
生活が苦しくなり、先々は、もっと苦しい生活が待っていています。
日本の国民の皆さん。
私達のシステムは、どれも、もう、限界なのです。
どうか、その事に気付いてください。
皆さんが気付かなければ、この国は地獄になります。
いや、今でも、地獄を見ている人が増えています。
子供の自殺案件が増えていることも、その一例です。
無投票選挙区の増加と低投票率も「俺には関係ねぇ」と「自分さえよければ」の結果です。これは、あらゆる局面で支配的な考え方です。
当然、国力衰退へもつながっています。
しかし、国力の衰退は、何としても止めなければなりません。
国力の衰退を止められるのは、国民の皆さんしかいないのです。
お偉い政治家の先生方や頭脳明晰な官僚の皆さんが、「ああでもない、こうでもない」と口先で言い続けてきましたが、国力衰退は止まらず、ますます、衰退しています。彼等は、自分で、衰退を止められないことを、現在進行形で、証明してみせているのです。
当たり前のことです。
国を豊かにするのは、国民の仕事だからです。
GDPという言葉は、日本語で言えば、国民総生産です。政治家総生産でも官僚総生産でもありません。国民にしかできないのです。
国民に頑張ってもらうしか方法はありません。
しかし、国民は、国を豊かにするのは「お上」の仕事だと信じ切っています。
なぜ、こんな勘違いが起きるのでしょう。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をすれば一目瞭然なのに、誰も、定義をしてみようとしないからです。
投票率が低くても、「俺には関係ねぇ」で済んでしまいます。
組織票は助平根性が支配しています。彼等にとって、国も、国民も、関係ありません。ただ、ひたすら、自分の利益を追求します。昨日、多くの企業が自社を守るために、人件費削減を選択したと書きましたが、政治でも同じことが起きているのです。「自分さえよければ」が大手を振って闊歩しているのです。自分を守ることは必要です。でも、全体が守れなければ、結果的に自分は守れないのです。非正規労働者を増やし、組織票で政治を歪めている現状を見れば、この国が、国力衰退という病に冒されているのは、自明の理だと思います。
今は、その国力衰退が表面化し、多くの人の目に見えるようになりました。
人間だけではなく、生物の根源的な本能は「種の保存」です。
どうして本能が存在するのかというテーマは、ここでは考えません。
人間も、数十万年もの長い時間、この本能に従ってきました。
これからも、この本能は、存在し続けると思います。
選挙を支配している組織票と呼ばれるものには、宗教団体票、医師会票、農協票等々がありますが、宗教信者だけが、医者だけが、農民だけが生き残っても、人類は生き残れません。これは、自然の摂理に反することです。
私達は、全体として生き残らなければならないのです。「自分さえよければ」「俺には関係ねぇ」は絶滅の思想に過ぎません。
人間は、木の皮や草の根を食べてでも、時には、人肉を食してでも生き延びようとするのです。どんな事態に遭遇しても、私達は、「種の保存」という本能に従ってきたのです。これからも、そうなります。
だったら、木の皮や草の根や人肉を食するのではなく、美味しくて栄養のあるものが食べられる社会を実現するしかないのではないでしょうか。
そんな社会を作り、持続させるためには、あらゆる人が、各々の責務を果たさねば実現しません。もちろん、一人一人の責務は同じではありません。でも、一人一人に責務はあるのです。
しかし、今は、その責務が、何一つ明確になっていないのです。
責務が明確になれば、目的も生まれます。
目的が生まれれば、その目的を達成する動機が生まれます。
今は、国の目的も、国民の目的も、曖昧で、共有されたものが存在しません。私は、勝手に、「子供達の未来を守る」ことを目的にしてみませんか、と推奨しています。
それは、子供達は、必ず、大人になるからです。
昔、子供だった大人が、「子供達の未来を守る」ことを目的とすれば、次世代の子供達が守られます。これは、尽きることなく「子供達の未来を守る」大人が存在することになります。「種の保存」は、「子供達の未来を守る」ことで実現できるのです。

最初に、「一事が万事」と書きました。
その「一事」に過ぎない現行の選挙システムの変更は必要だと思います。
その通りなのですが、選挙制度だけを手直しすれば済む話ではありません。
変えなければならないシステムは山のようにあるのです。
冷蔵庫の中の食品が軒並み賞味期限切れになっていると考えてください。冷蔵庫は役に立っていません。それでも、使い続けるのですか、と問われているのです。
ただ、全く、何もしていないわけでありません。
しかし、追い詰められてシステムを変えていますので、効果が薄く、また、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で変えますので、中途半端な変更しか出来ず、いつまでも、課題は解決しません。それだけではなく、ここまで老朽化が進むと、個々のシステム変更の効果では、課題が改善することは期待できないと思います。私達の国は、小手先や口先でチョロチョロと対応していたのでは効果が得られないほど痛んでいることに気付いて下さい。
必要なのは「考え方」を変えることだと思います。
ただ、言葉にすれば「考え方を変えれば・・・」になりますが、これが至難の業なのです。考え方を変えるためには、私達の基盤にある「曖昧」「なあ、なあ」「まあ、まあ」を変える必要があり、そのためには、文化を変える必要があります。
ただ、そんな発想は、どこにもありません。
ですから、じわじわと、ずるずると、朽ちているのです。
今、私達のシステムは、壊れ続けています。
だから、皆さんは、不安でしようがないのです。
どうか、気付いてください。
このツケを払うのは、国民の皆さんです。
気付いていないと思いますが、今、国民の皆さんは、自業自得という名の道を歩んでいるのです。もちろん、そこに道路標識はありません。道路標識はありませんが、皆さんの直感は、その事を知っています。だから、何となく、不安なのです。


2023-05-02



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