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俺ではない、誰かのせい [評論]



国に、子供家庭庁という組織が出来ました。
新設の省庁ですから、ワードでの一発変換ができませんでした。
「子供」で変換、「家庭」で変換、「庁」で変換が必要でした。二度目は変換できました。
さて、子供家庭庁は、「子供達の未来と現在を守る」ことができるのでしょうか。
もちろん、何もしないよりは、ましだと思いますが、子供家庭庁の新設で、子供達の未来と現在が薔薇色になることはありません。
なぜなら、衰退する国の子供に未来はないからです。
根っ子を変えないと、無理だと思います。
政治家も学者も、識者と呼ばれる人達も、そのことに気付いていません。
子供の幸福度という調査がありますが、日本は、38カ国の中で37位です。
子供の「いじめ」も「自殺」も「虐待」も後を絶ちません。
子供達は、直感で「ヤバイ」ことを知っています。
子供達は、不安だと思います。
大人は、形を整えれば、何とかなると思ってしまいます。
でも、国に専門機関があれば、「何とかなる」と思うのは間違いです。
現に、経済産業省という省がありますが、日本経済は衰退しています。
「形」を整えても、意味はないということだと思います。
それは、なぜ、なのでしょう。
答は簡単です。
国民の協力がないからです。
例えば、子供家庭庁の予算ですが、数兆円必要だと言われていますが、カネは天から降ってきません。国民が負担するのです。今の国民に負担できるのでしょうか。
借金をする、という案があります。
子供保険を創設するという案もあります。
まだ、増税という案は出ていません。
たかが、予算ですが、簡単ではありません。
健康保険、失業保険、介護保険、があるのだから、子供保険を創設するという案が有力だそうですが、これは、皆さんの手取り額が減るということです。
増税は、選挙に影響しますので、まだ俎上には上がっていません。
増税でも、子供保険新設でも、国民は、その支出に耐えられるでしょうか。
また、借金するしかないのでしょうか。
ただでさえ、購買力が衰えているこの国で、新しい保険料を新設すれば、国民のやる気は、今よりも失われます。子供保険だけではありません。防衛保険、温暖化防止保険、生活保護保険は、いつ創設されても不思議ではありません。
支払いに耐えられる国民が必要なのです。どの局面でも、原因は、国力衰退に行き着くのです。この国力衰退を止めなければ、何をやっても無駄です。
もちろん、カネは必要です。
でも、もう、カネで何とかなる状況ではないと思います。
衰退国家が、子供達に、「夢を持て」なんて言えるのでしょうか。
予算を確保して、破れた場所を繕えば、子供は夢を持てるのでしょうか。
この国は、あれもこれも、ボロボロなのです。
弥縫策で何とかなる状況ではありません。
根っ子を変えなければ、子供達を救えません。いや、国民を救えません。

国民の皆さんの積極的な協力がなければ、何をやっても無駄です。
国民が、「俺には関係ねぇ」と言っている今の状態では、この窮地は救えません。
「子供達の未来を守る」ためには、子供達の現在を守らねばなりません。子供達の現在を守るためには、大人を守らなければなりません。大人を守るためには、国力衰退を止めなくてはなりません。これ、当たり前の話ですが、私達は何もしていません。
では、誰が、国力衰退を止め、大人を守り、子供を守るのでしょう。
総理大臣ですか。
国ですか。
自治体ですか。
違います。
それが出来るのは、国民だけです。
総理大臣も国も自治体も、国民の外注先にすぎません。
民主国家の主権者は、国民です。
国民が主権者になっているのは、どうしてなのでしょう。
伊達や酔狂で主権者の名前が付けられているのではありません。
民主国家では、子供を守るのも、大人を守るのも、国民の仕事だからです。
こんな認識を持っている国民が、何人いるのでしょう。
だから、言葉の定義をすることから始める必要があるのです。
それも、「お上」がやるのではなく、国民が、自ら定義しなければなりません。
「民主主義とは」を定義すれば、歴史と伝統に培われた「お上」と「下々」というシステムが、いかに時代錯誤であるかに気付きます。
子供達の未来を守ることも出来ていない大人達が、上から目線で子供達に「ああしろ、こうしろ」と言うのは、間違っています。
それなのに、大人達は、特に「お上」に所属する大人達は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で自分の利益を守ることに汲々としています。
責務を果たしている大人がいません。
なぜなら、責務がないからです。
誰もが、「俺は、悪くない」と思っています。
国民の皆さんは、国が、「お上」が、悪いと言っています。
そうではありません。
一番、責務を果たしていないのは、国民の皆さんです。
あの禄でもない政治家を野放しにしているのは国民の皆さんです。「だったら、誰を選べばいいんだ」と言うでしょう。その通りです。皆さんは、国民のために働く政治家を作るしかないのです。それが、皆さんの責務です。そのために、色々な立場の人の責務を明確にする必要があるのです。
「お前に、そんなこと、言われるいわれはない」、「だったら、お前は、何をやったと言うんだ」と言うのではないでしょうか。
その通りです。
こんなことは、私が言うのではなく、皆さんが気付かなければならないことです。
でも、皆さんは、言葉の定義に気付いていません。
ほんとに、国の主権者である皆さんには、責任はないのですか。
主権者の意味も理解していないのではありませんか。
私は、いくらでも、皆さんの罵詈雑言を受けます。
テロの標的にしてもらっても構いません。
でも、どうか、皆さんの責務を明確にするために、言葉の定義をしてください。
言葉の定義をすれば、皆さんの責務が明確になるだけではありません。国の責務も、総理大臣の責務も、お偉い先生方の責務も、政党の責務も明確になります。
国民が自分の責務を果たせば、国力衰退も止まりますし、子供達の窮地を救うこともできます。いや、他に方法はないと思います。もちろん、私が提唱している言葉の定義をして目的や責務を明確にする方法だけが唯一の方法ではないかもしれません。でも、方法の如何を問わず、国民がやるしかないのです。この国を、子供達を、救えるのは、国民しかいないと思います。
新しい省庁の新設は、弥縫策にすぎません。
やらないよりは、やったほうがいい、程度のものです。
この国は、根っ子が腐っているのです。根っ子を治さずに、あれやこれをやっても効果は期待できません。
子供達の未来も、子供達の現在も、大人の現在も、全て、国民の皆さんの双肩にかかっているのです。大臣や官僚が、いくら頑張っても、子供達を救うことはできません。なぜなら、彼等は、総務とか経理という事務作業を担当している外注先の社員にすぎないからです。親会社である国民が、富を生み出すことが出来る国民が、子供達の夢を創り出すことが出来る国民が、やるしかないのです。
でも、国民の皆さんは、「俺には関係ねぇ」「俺のせいじゃねぇ」と思っています。
では、皆さんは、一体、何者なんですか。
何もかも、「俺ではない、誰かのせい」なのでしょうか。
そうではありません。
国民の皆さんが、このことに気付かなければ、ずるずると、この国は朽ちていきます。
実際に、壊れ始めているのは、皆さんも、日々、見ていると思います。
だから、皆さんは、不安なのです。
「なんか、他に、いい手があるはずだ」と思っていませんか。
そんなものは、ありません。いや、ないから、誰も提示できていないのです。
国民の皆さんが、「別に、俺が頑張らなくても、いいんじゃないの」と考えていたら、一体、この国を、子供達を、誰が守るのですか。
私の提案は、無理難題なのでしょうか。
誰にも解けない高等数学のような難問なのでしょうか。
そうではないと思います。
国民の皆さんの知力にとっては、朝飯前の簡単なものです。
皆さんは、今の不安を、何とかしたいと思っていますよね。
子供達の未来も守りたいと思っていますよね。
皆さんは、正真正銘、「いい人」なのです。
国民の皆さんが揃って、「こんな国、壊れてしまえ」「子供達の未来なんて、知るか」なんて考えていないと思います。だったら、行動して欲しいと思います。行動と言っても、テロや暴動を起こせと言っているのではありません。言葉の定義をするだけです。
長いこと、日本を守り育ててきた「曖昧文化」が、時代に対応できずに、賞味期限を越えてしまっているのが現在です。ほんとに、長いこと、「曖昧文化」にはお世話になりました。でも、もう、これ以上続けると破滅を迎えます。「曖昧」の良さは数多くあります。でも、国民生活が破綻し、子供達の未来を失ってしまえば、元も子もありません。私達の目的は、「曖昧文化」を守ることでもなければ、「歴史と伝統」を守ることでもありません。国民生活を守り、子供達の未来を守ることが目的です。これまでは、「曖昧文化」がその役割を果たしてきました。でも、もう、限界なのです。どうか、そのことに気付いて欲しいと思います。
「曖昧」の対極にあるのが「定義」です。
確かに、「定義する文化」は四角四面でやりにくいことが多いと思います。でも、「なあ、なあ」「まあ、まあ」をこれ以上続ければ、この国は壊れます。生き辛いかもしれませんが、国民生活を守り、子供達を守るためには、致し方のないことだと思います。


2022-08-04



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