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日本の常識は世界の非常識 [評論]



世界秩序は、変動期の真っ只中にあると思います。もっとも、世界が平穏だった時代なんて存在しないのでしょうが、今の変動期は、危険な空気を持った変動期なのではないかと思います。特に、日本にとっては、この2000年の歴史の中で、特に危険な時代になるのではないかと思います。
米ソ冷戦が終結した時期が、新たな変動期の始まりだったとすると、この30年で、方向性が見えてきました。今は、米中対立の真っ只中です。
その30年間、日本は、独立独歩、衰退のトレンドにあります。
米ソ対立は核戦争に発展することなく、ソ連の自滅で終結しましたが、米中対立が戦争を回避して終結に向かうかどうかは、まだ、わかりません。
米中のどちらかが自滅しなければ、この変動期は、必然的に激動期へと向かいます。それが、いつになるのかは、まだ、誰にもわかっていません。もちろん、オセロのように、突然、白が黒に変わるわけではなく、試行錯誤、紆余曲折、行ったり来たりして、行き場を失うまで変動期は続きますが、最終決着は力による決着しか残らない場所へ向かいます。それは、それほど遠い未来ではないように思います。
アメリカと中国だけではなく、どこの国にとっても、この時期の国家運営は、とても難しいものになると思います。
特に、価値判断が曖昧な日本にとっては、試練の時代になると思います。
今は、国際収支という一本足で立っている状態です。いつ、ガラガラと壊れても不思議ではありません。と言うことは、その時期と理由は確定していませんが、いつか、何らかの理由で、国民生活が決定的な崩壊を迎える可能性は、非常に高いということです。
多分、後から振り返って見なければわからないのだと思いますが、21世紀初頭というこの時代は、その分岐点に立っているのだと思います。
しかし、日本政府に、その危機感はないようです。
「一事が万事」と言われるように、多くの局面で、「一事が万事」の一事が現象として表面化しています。私達は、その現象を見ているのですが、危機に直面しているという認識がないために、日常として見ています。
そんな現象の一つを書いてみたいと思います。

日本の総理大臣がNATO首脳会議に出席しました。
その事を不思議だと言う人はいません。
もちろん、日本は、NATOの一員になろうとしているわけではありません。
それでも、NATOは軍事同盟です。軍事同盟とは、相互防衛を義務付けられている同盟であり、日米同盟とは別物です。
岸田総理は「ほい、ほい」と出席してもいいのでしょうか。
たとえ、オブザーバーだとしても、参加資格はあるのでしょうか。
日本がウクライナ状態になった時に、「支援してくださいね」とお願いするために参加したのだと思います。岸田さんも、そのような演説をしました。でも、NATO各国が、日本がウクライナに支援したように、ヘルメットと防弾チョッキを送ってくれたらどうするのでしょう。ヘルメット用の倉庫が必要になります。日本で不足するのは、銃弾であり、砲弾であり、ミサイルです。いや、一番不足するのは兵士なのかもしれません。
軍事面で、今の日本が他国と協力できることはありません。同盟国が攻撃されていても、日本は何も出来ないのです。日本は、軍事同盟を結ぶ資格を持っていません。
多分、「日本の特殊事情は理解してもらえるだろう」という甘い考えがあると思いますが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が通用するのは日本国内だけです。
同じ会議に招待された、オーストラリア、ニュージーランド、韓国は、海外派兵の実績を持っています。日本がやったのは、PKOであり、戦闘地域ではない場所での平和活動です。戦闘に参加したことはなく、戦死者も出ていません。
岸田総理は、「自国の国防力を増強する」と発言しましたが、同盟とは、自国を守るだけではなく、他国を守る責務を負うということです。
「他国の戦争には参加しませんが、日本だけは助けてください」と言っているようなものです。
これでは、世界に通用しません。
戦争が悪だということは、誰でも知っています。プーチンだって、習近平だって、知っています。しかし、人間は「欲」には勝てないのです。これが人間です。
人間にとっての最大・最強の価値基準は「欲」です。
特に、専制国家の指導者は、自分の名前が歴史に残ることを切望します。これは、「欲」を通り越して、病気です。「自分さえよければ」を追い求めれば、こうなります。
「欲」と「欲」が対立した時に、解決する手段は「力」しかありません。だから、政争が絶えませんし、どんな小国でも軍隊を持っているのです。
国際紛争は、「話し合いで」「外交で」と言う方がいます。
特に、日本では、そう言う方が多いと思います。
でも、話し合いで解決するということは、自分の「欲」を犠牲にするということです。
しかし、「犠牲」を容認した国は、更なる「犠牲」を受け入れろ、と強要されることになります。
人間がやることは、世界共通です。
日本のヤクザが常用している手法も、同じです。「脅し」が一度で済むなんて法則は、どんな社会でも、ないのです。
「この前は、俺が譲歩した。今度は、お前が譲歩しろ」と言っても、相手が「俺は譲歩しない」と言えば、弱者は、新たな譲歩を受け入れるしかありません。
これが、現実なのです。
人間の行動原理を無視した行動は、長続きしません。
諄いようですが、日本はアメリカ本土を守る義務を負っていませんし、その能力も意志も持っていませんので、日米同盟は軍事同盟ではありません。
もちろん、軍事同盟に参加していない国は、日本だけではありません。
軍事同盟という仲間を持っていなかったウクライナは、「ウクライナの次は、ボーランドだぞ。ポーランドの次はドイツだぞ。それが嫌なら武器をくれ」と言っているのです。これは、弱者の脅しです。ウクライナは、国家運営を間違った結果と向き合っているのです。
ヘルメットや防弾チョッキを山ほど送ってくれても、身を守れません。ヘルメットを10個被って、防弾チョッキを10枚重ね着していても、命は守れません。一発の砲弾で吹き飛ばされます。だから、「大砲をくれ、砲弾をくれ」と言っているのです。
日本は。
「戦争はしません」
「武器も輸出しません」
「集団的自衛権は、自衛権の範囲でしか使いません」
「海外への派兵は、決してしません」
これが、日本の安全保障基本戦略です。
でも、多くの国には、守ってもらいたい。
他国から見れば、ご都合主義です。
日本の安全保障戦略は、世界では通用しません。
もちろん、世界に通用しなくても構わない、という理屈は成り立ちます。
この安全保障戦略で、国民が守れるのであれば、その戦略に基づいた行動をしなければなりません。独立独歩でも、唯我独尊でも、鎖国政策でも、やってはいけないという国際条約は存在していません。自由です。ただ、国民生活を守ることが国の責務だとすると、唯我独尊で自国を守れないことは、ウクライナが証明しています。
世界に対して「なあ、なあ」「まあ、まあ」と言っていたのでは世界の信頼を失います。
この現象の元にあるのは、日本独自の安全保障戦略です。
明らかに、世界に通用しません。
もしも、NATOと対等に向き合うのであれば、首脳会議にオブザーバーとして参加するのであれば、それに相応しい戦略が必要になります。
安全保障戦略を変える必要があります。今年は、安全保障戦略を変えるそうですが、それは、あくまでも、憲法の解釈変更という姑息な手段で出来る範囲に限られます。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」で、誰か、ほんとに、日本を助けてくれるのでしょうか。
アメリカですか。
信じていて、大丈夫なのですか。
トランプが言っていました。「あいつらは(日本は)、アメリカが攻撃されていても、ソニーのテレビで見ているだけだ。なんで、そんな奴等を守らなければならない」
会場は、割れんばかりの拍手でした。
日米安保の第5条が発動されたことはあるのですか。
「尖閣は、日本の施政下にあり、安保条約の下にある」というリップサービスを聞く度に、日本では「万歳、万歳」と喜んでいました。
日本政府は、「基地を提供しているのだから、守ってもらって当たり前」だと信じています。
それって、米軍が撤退すれば、米軍は日本を守る必要はないということです。
米軍の日本撤退オペレーションは、短期間で終了します。
確かに、アメリカ軍が駐留していましたから、日本を攻撃してくる国はありませんでした。
ところが、日本では、平和憲法で日本は守られていたと言っています。
何度も書いていますが、世界常識から乖離した国、それが日本です。夢見る乙女でも、もう少し真面な対応をすると思います。
高橋組という暴力団があったとしましょう。
最近は、少し、神通力は衰えましたが、それでも、高橋組の事務所に、神戸山口組が同居していたら、高橋組に殴り込みをかける暴力団はいるでしょうか。
そんな高橋組の組長の部屋に「魂」という額がかかっていたとしましょう。高橋組の組員は「魂」と書かれた額のおかげで、誰も襲ってこないと言うのでしょうか。
アメリカは、自国の国益にならないと判断すれば、在日米軍を撤退させればいいだけの話です。「基地は借りていない。だから、守る義務もない」のです。
大陸の国々は、他国による侵略は当たり前だと思っています。だから、仲間を集めて守ろうとするのです。
徳川時代までは、島国の日本は、海のおかげで、他国の侵略から守られてきました。
しかし、今は、日本を侵略しようとする国にとって、海は何の障害にもなりません。ミサイルで海を飛び越えてしまえばいいのです。

朝鮮半島の国は、北朝鮮だって、中国が嫌いです。いや、恐ろしいと思っています。
それは、彼等が、中国に支配されていた時代という歴史を持っているからです。
でも、日本は、20世紀の半ばまで、一度も他国の支配下に置かれたことはありませんでした。
第二次大戦で敗戦国になり、初めて、アメリカに占領統治されましたが、アメリカではなく、ソ連だったら、日本はどうなっていたでしょう。
西ドイツと東ドイツを見れば、歴然としています。
日本は、たまたま、アメリカが民主主義の国だったという幸運に恵まれただけです。
私達は、島国であるからこそ、もっと、世界史に関心を持つべきだと思います。
13世紀、モンゴル帝国は、東ヨーロッパやトルコ、シリア、アフガニスタン、チベット、ミャンマー、朝鮮半島に至るまで、その支配権は、ユーラシア大陸の4分の1を占めていたと言われています。13世紀の機動力でも、これだけの行動ができたのです。現在の機動力と兵器があれば、地球の制覇も不可能ではありません。多分、習近平も、そう考えていると思います。そして、中国には、その力があります。それは、ここ数十年でここまで国力を増大させたことでも証明されています。一帯一路構想も、地球規模で、着実に進められています。中国の意図に気付いたNATOは、新戦略に「中国」という国名を出しました。戦争は兵站の闘いだと言われます。一帯一路は、その兵站を整備するためのものです。陸上では鉄道と道路の、海上では補給基地の、整備が欠かせません。西方への一帯一路の終着点は、目的地は、欧州なのです。欧州は、やっと、そのことに気付きました。
そんな中国から、国を守るためには、仲間を増やし、集団で戦うしか方法がありません。
集団安全保障が不可欠の時代を迎えているのです。
集団安全保障は、力を合わせて、他国を守ることであり、自国を守ってもらうことです。
「戦争をしない」「海外派兵をしない」という戦略では、集団安全保障の仲間にはなれません。アメリカが撤退したら、日本は、単独で、中国に対峙しなければならないのです。
もしも、あくまでも、「もしも」ですが、日本政府が国民生活を守りたいと考えているのであれば、そんなことは考えていないと思いますが、やらねばならないことは山積みです。
憲法に自衛隊という言葉を追加すれば、何とかなるのでしょうか。
そうではありません。
必要なのは、国民との対話、いや、国民との議論です。国民的議論という誤魔化しではありません。国民の意識を変えなければ、この国を、国民生活を守ることは出来ないのです。それが、21世紀という時代です。
かつて、「日本の常識は世界の非常識」という言葉が使われたことがありました。
その代表的な常識が、「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。

もちろん、中国のポチになるという選択肢もあります。
「下々」にとっては、「お上」が自民党から中国共産党に変わるだけですから、大きな混乱もなく実現できる可能性がある選択肢です。日本人が大好きな「なあ、なあ」「まあ、まあ」も、新しい「お上」になる中国共産党に逆らわないという条件はありますが、そこそこ、維持できると思います。日本人にとっては、「お上」になった中国共産党に土下座することなんて、簡単なことです。私達は、この2000年間、そうやって生きてきたのです。
独立独歩では、生きていけません。
平和国家日本でも、生きていけません。
軍国主義日本でも、生きていけません。
日本は、どこかのポチになるしかないと思います。
これが、現実です。


2022-08-03



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