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公職とは [評論]



国民の皆さん。
皆さんの生活は、年々、楽になっていますか。
将来に希望は見えていますか。
老後の心配はありませんか。
こんな質問に、国民の皆さんの何パーセントの人が「YES」と答えるのでしょう。
想像に過ぎませんが、1桁の数値だと思います。
9割以上の皆さんが、生活は苦しくなっている、将来に希望はない、老後が心配だ、と思っているのではないでしょうか。
もっとも、その9割以上の国民の皆さんは、口には出しません。
「言ってみたってどうにもならない」と思っていて、我慢を選びます。
ほんと、「いい人」ばかりです。
口には出しませんが、皆さんの感じている不安は、正しい不安だと思います。
それは、この国の国力が、あらゆる分野で衰退しているからです。具体的に指摘できなくても、皆さんは、それを肌で感じています。だから、不安なのです。
では、この国は、なぜ、こんな国になってしまったのでしょう。
国の姿は、国民次第で、決まります。
国力が衰えているということは、私達の行動が、そういう結果を招いているということだと思います。自民党が、岸田総理が、悪いのではありません。自民党に、岸田総理に、好き勝手をさせているのは、国民の皆さんです。皆さんは、主権者の責務を果たしていません。残念ながら、この国を衰退させているのは、皆さんなのです。
国民が変わらなければ、この国は変わりません。
人間の行動は、その人の思考で決まります。
ここ50年で、多くの方の考え方が変わりました。
「自分さえよければ」と「俺には関係ねぇ」が当たり前になってしまったのです。
今でも、「誰かのために」とか「俺がやらねば」と思っている人もいますが、ほんとに、少ないと思います。もちろん、全員が「誰かのために」と「俺がやらねば」なんて思うことはありません。いつの世でも、「自分さえよければ」と「俺には関係ねぇ」の人はいるものです。ただ、余りにも、その数が増えてしまいました。
なぜ、考え方が変化したのでしょう。
私は、「目的」の欠如が一番大きな要因だと思います。
個別の「目的」ではありません。欠けているのは、国の目的であり、国民共通の目的です。
私達は、この国が、どんな国であって欲しいと思っているのでしょう。
時々、そういう疑問を投げかける人はいますが、それが大きな、国を二分するような議論に発展したことは一度もありません。
ここでも、多くの方が、「俺には関係ねぇ」と思っているのです。
「目に見えない目的なんて、何か役に立つのか」と思うのでしょう。
「目的を持ったって、そんな国にはならないだろう」と諦めます。
でも、そうではありません。目には見えなくても、人間の意識は、自然と、目的に向かうものです。
目的は、人間の思考に影響を与え、行動様式を変えます。
国力衰退という現象は、100年とか200年の単位でやってくる大きな潮流なのだと思います。大きな潮流は、小手先の対応では対処できません。目には見えませんが、「目的を持つ」ような方法でしか対処できないのだと思います。そして、その効果は、参加してくれる国民の皆さんの数に比例するのではないかと思います。
でも、中身のない目的では、衰退を止められません。目的は、お題目ではありません。スローガンでは何も変えられません。
ですから、「言葉の定義」をして、責務を明確にし、その責務を果たす動機としての目的を作れば、行動力の伴った「目的」が生まれるのではないかと思います。
これは、私の個人的な意見に過ぎませんが、国の目的も、国民の目的も、「子供達の未来を守る」という目的にすればいいのではないかと思っています。「子供達の未来を守る」のは大人です。しかし、死亡しなければ、子供は例外なく大人になり、昔、子供だった大人が次の子供達の未来を守るために尽力すれば、目的を継続することができるからです。
もちろん、子供達の親を守らねば子供は守れませんので、「国民生活を守る」ことを目的にすることもできます。
ただ、責務を明確にすると、大変息苦しい世の中になります。四角四面は、どうしても角が立ちます。しかし、衰退を止めるためには、仕方ないのではないかと思います。衰退が止まり、国が豊かになれば、また、「なあ、なあ、まあ、まあ」を持ち出せばいいのではないかと思います。少なくとも、ずっと、「なあ、なあ、まあ、まあ」では、衰退は止まりません。

いろいろな意見はあると思いますが、目的が必要だと仮定してみます。
そして、その目的は「国民生活を守る」ことだと仮定してみます。
目的というものは、達成するためにあります。
達成するためには、多くの皆さんの尽力が必要です。
何に尽力するのか、が明確でなければ、尽力のしようがありません。
尽力の中身が、責務です。
責務は、一律ではありません。
共通する責務もありますが、立場によって、その責務の中身は変わります。国にとって、国民にとって重要な仕事を担う人は、より重い責務を担ってもらわねばなりません。
例えば、国家運営に携わる国会議員や官僚は、企業を経営する経営者は、司法や国防を担う人の責務は、重いものになります。これは、容認してもらわねばなりません。
ここで、国家運営という仕事を例にして、目的と責務について見てみます。
全ての国民が、それぞれの立場で、「国民生活を守る」という目的のために仕事をするとした場合、今の国家運営は、どう変わればいいのでしょう。
国家運営の仕事をしているのは、国会議員と公務員です。
ここで、国会議員が集合している政党の、今の目的を見てみます。
自民党の目的は、政権の維持です。
立憲民主党の目的は、自民党を批判することです。
維新の会の目的は、自民党に代わり、利権を手に入れることです。
公明党の目的は、創価学会を守ることです。
共産党の目的は、共産主義の国を作り、権力を手にすることです。
その他に、国民民主党、れいわ新撰組、参政党、社民党、その他にも訳の分からい党がありますが、どの党も国民の不満の受け皿になり、国会議員という利権を手に入れることが目的なのではないかと思います。
もちろん、どの党も綱領には、もっともらしい理屈をつけていますが、中身に具体性はありませんので、少し下品な表現ですが、各党の本音を列挙してみました。
既に、死語になってしまった感のある「公職」という言葉があります。勝手に定義をすると、「私欲を捨て、民のために働く職業」なのではないかと思いますが、今では「民の富を収奪し、肥え太る職業」になっています。
人間は、本来、自分の「欲」を実現しようとします。だから「公職」という言葉が生まれたのです。国会議員も政党も、国民生活を守るために存在しているはずですが、そうなっていません。それは、言葉が、どの言葉も、曖昧なままだからです。
国民の皆さんは、そんな現実を見ているのに「ふむ、ふむ」「へら、へら」と「見て見ぬふり」をしています。ほんと、不思議な国民です。
国会議員の、国会議員による、国会議員のための政治構造。
彼等の目的は、どの政党も、「国民生活を守る」ことではありません。
政党だけではなく、所属する国会議員の目的は、どの政党の議員であっても、自分の利権を守ることが目的です。公職に従事している筈の彼等にとって、選挙以外のことは、国民生活のことは、二の次三の次です。
これが日本の国家運営の姿だと思います。ですから、どの党も、どの政治家も、選挙より重要なイベントは存在しません。本来、選挙も国会議員も手段だったと思いますが、今は、手段が目的になっているのです。
彼等にとっては、選挙が命です。
そのためなら、何でもします。統一協会とも協力し、利用します。統一教会の教義を見れば、一目瞭然ですが、保守派が好きな「民族の誇り」でさえ売ってしまいます。選挙で有利になるのであれば、魂でも売る、それが政治家です。
最近の傾向としては、コロナのおかげで、どの党も「ばら撒き」を優先するようになりました。少し中長期の視点に立てば、「ばら撒き」は国力衰退の背中を押す要因になりますが、とりあえず、目の前の選挙に勝つことが優先事項になりますので、与党も野党も「ばら撒き」に頼ります。
こうやって、各党の目的を見ると。
「国民生活を守る」ことが目的になっている政党は存在しません。
もちろん、政治家は、口では「国民、国民」と言いますが、その行動を見れば、国民から見れば、それが口先だけのものだとわかる程度のものでしかありません。
では、「国民生活を守る」ために、国家運営者がやらねばならない課題とは何でしょう。
特定の誰か(経団連や労働組合やその他諸々の支援団体)のためではなく、全ての国民を対象として仕事をしなければならないのが国家運営の仕事だと思います。公職ですから。
貧困化、人口の減少、少子化、過疎化、中小企業の賃金、社会インフラの老朽化、経済活動の低迷、数えれば山のような課題が出てくると思います。
一番の課題は、国民意識を変えることですが、目的と責務が明確になれば、国民だって「俺には関係ねぇ」と言っていれなくなります。
仮に、選挙が目的になるのではなく、「国民生活を守る」ことが目的になれば、党派を超えて協議することも不可能ではありません。

国民が言葉の定義をして、目的と責務を明確にすれば、既存政党は大慌てになります。必死になって、何とか、それらしき目的を作ると思いますが、その時点では国民意識は変わっていますので、口先や誤魔化しでは一票を手に入れることができなくなります。「選挙命」の彼等にとっては地獄です。そうなれば、国民の意識に沿った政治集団が誕生すると思います。そうなれば、与党も野党も雪崩を打ったように、目的と責務に擦り寄ってきます。それ以外に国会議員という身分を守る方法がないのです。
ここで必要になるのが、政党と国会議員の評価システムです。
彼等は、平気で噓をつきます。それを前提にしなければなりません。
「事務的な・・・」「秘書が・・・」「誤解を与えたのなら・・・」等々、言い訳は用意されています。今、国民は、彼等の言い訳を聞くことしかできません。国民には、何の手段もありません。なぜなら、システムを作るのは、国家運営者だからです。彼等は、自分が不利になるシステムは作りません。
必要とされるシステムは、とても多く、個人に出来るような仕事ではありません。ただ、国会議員を守るためのシステムではなく、国民生活を守るためのシステムが必要であることは確かだと思います。私は、具体的に、そのシステムのことは考えていませんが、皆さんで知恵を絞って生み出せば、きっと、いいシステムが生まれると思います。

ここで、10月に誕生した新党「日本保守党」に触れておきたいと思います。
今の日本のあり様が具体化された事例であり、これが、現実なのだと痛感します。役立たずの政党が何百何千と誕生しても、何の役にも立ちません。
発起人の百田さんが言っているように、この新党は「LGBT反対党」のようです。
LGBT問題は、この国の一大事なのでしょうか。議論しなければならない課題だとは思いますが、この国には、優先度の高い一大事の課題が山積みです。
新党結成の意味が分かりません。
いや、彼等は、国家運営という言葉や概念を「自分さえよければ」というフィルターをかけて見ているので、自分達は正しいと信じているのでしょう。
また、参政、維新、自民、国民民主の保守層の受け皿になると言っています。不満の受け皿になって、利権を得る目的としか思えません。これまでの新党結成の流れそのままです。
百田さんと言えば、数々のベストセラー小説を書いた小説家です。想像力は得意の分野だと思いますが、こんな貧弱な想像力で小説を書いていたのでしょうか。
私は、これまで、想像力を取り戻してくださいとお願いしてきました。
私は、間違っていたのかもしれません。
想像力では、問題は解決しないという現実に、とても、落胆しています。


2023-11-03



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