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普通の我慢か最悪の我慢か [評論]



山梨県市川三郷町の町長は、財政が危機的な状況に陥っているとして、「財政非常事態宣言」を出した、というニュースがありました。
財政破綻が目前に迫っている地方自治体は、市川三郷町だけではありません。全国のランキングでは、市川三郷町は、1768市町村中、上から1057位ですから、市川三郷町よりも下位にある危険な市町村は、約700市町村も存在していることになります。もし、巨大地震が起きたら、多くの自治体が「アウト」になります。危険信号が灯っていない市町村がどれほどあるのか心配です。
原因は、国力衰退と過疎化です。
過疎化による税収の減少と高齢化による福祉費用の増大が原因です。
ほんとに多くの自治体が、このダブルパンチに見舞われています。
しかし、有効な対策がないまま、今に至っています。
国がやった対策は、市町村合併です。
この市川三郷町も、山梨県西八代郡の市川大門町と三珠町と六郷町が合併して生まれた町です。
過疎化の原因は、若者が都会へ移り住むことで生まれた社会現象です。若者が都会へ行くのは地元に仕事がないからです。地元に仕事を作ることが、過疎化対策ですが、その対策はされていません。いろいろな方が挑戦しましたが成功していません。なぜなら、社会構造を変える仕事は、個人や団体や自治体に出来る仕事ではないからです。
先月、青森県の若者の減少が著しいという話題を取り上げましたが、山梨県でも、いや、多くの地方都市で起きている現象です。
過疎化の原因(若者の流出)を放置したまま、自治体の規模を大きくすることで、破綻を先送りすることが、市町村合併の目的です。過疎化の原因には対応されていませんので、市町村合併をしても、過疎化は止まりません。
では、過疎化を阻止する方法があるのか、と言えば、今は、ありません。
過疎化の原因である若者の流出を止めるためには、地方都市に仕事がなくてはなりませんが、地方都市に仕事を作るのは簡単なことではありません。ほぼ不可能ですから、いや、多くの皆さんがそう思っていますから、過疎化が進んでいるのです。
と言うことは、従来の思考では、方法は見つからないということだと思います。
新しい思考方法で、新しい方法を見つけるしかありません。
その方法が見つからなければ、このまま、衰退するだけです。
確かに、国力衰退競争では、日本が世界の先頭を走っていますが、この先、国力衰退病で苦しむ国は増え続けると思います。
ですから、これは、人類に対する試練なのだと思います。つまり、今は、人類に大きな知恵が求められている時代だと言うことです。人類は、これまでも、幾多の試練を、知恵を出して、乗り越えてきました。今は、世界が、そういう時代にあるのだと思います。
従来の考え方に固執していては、この時代を乗り越えられません。
私達が直面しているのは、そういう大きな波なのだと思います。
市川三郷町の発表を見れば、過疎化は、従来思考から生まれた市町村合併などという手法で、「何とかなる」時代ではない、と言うことを証明しています。
だとすると、一番の問題は、私達が時代を認識していないことだと思います。
これまでの手法で対処できる課題かどうかを識別しなければなりません。
この場合は、「市町村合併で過疎化は阻止できるのか」を識別しなければなりません。
そんなことは、頭脳明晰な官僚の皆さんなら、当初から、「市町村合併で過疎化は阻止できない」ことはわかっていたはずです。しかし、硬直化した頭脳では、過疎化対応でも、従来手法の「先送り」と「なし崩し」を使うしかなかったのです。
先は見えているのに、いつまで、こんなこと、続けるのですか。
市町村合併では、過疎化は阻止できません。これは、誰が見ても、明白な事実です。ただ、小さな自治体が財政破綻する時期を、市町村合併によるスケールメリットを利用して、「先延ばし」することは可能です。国は、そんなこと、百も承知でやっているのです。
でも、延命は「死」を先延ばししているだけですから、この先にあるのは「死」です。地方自治体にとっての「死」とは、国から財政再生団体の指定を受けることです。
国は、地方自治体に対して財政再生団体の判定を下すことで、責任を逃れます。
悪いのは自治体であり、国ではない、というやり方も「なし崩し」です。
「お殿様」と「お代官様」と「百姓」という構図は、今も健在です。この国の時間は、100年、いや、200年、止まっています。ですから、相変わらず、責任を取らされるのは、いつも住民です。また、この国では、「我慢」が美徳とされています。確かに、美徳と呼ぶに相応しい「我慢」もありますが、全ての「我慢」が美徳ではないと思います。

少し、住民の立場から見てみます。
市川三郷町の町長は、なぜ、「財政非常事態宣言」を出したのでしょう。
その地域に住む住人に対して、「これまでのような市民サービスはしませんよ」という宣言だと思います。更に延命するために、「市民サービスを犠牲にしますよ」という宣言です。
その裏にあるのは、「おたくの息子や娘が都会に出て行ってしまったから、ここは過疎地になってしまった。これは、皆さんの責任だから、仕方ないでしょう」という意味が含まれています。町長も住民も、地域に仕事がないことを承知していますので、誰もが「我慢するしかない」と思ってしまうのです。「仕方ない」で終わります。
でも、これ、何か変です。
国は、市町村合併をすれば責務を果たしたことになるのでしょうか。
国の責務は、何ですか。
国民生活を守ることです。
国民生活は、これで、守られているのでしょうか。
そうは思えません。国は責任を果たしていないと思います。
ただ、国民も責務を果たしていませんので、国だけを責めることはできません。
国民の責務とは、国を繁栄させることです。
もちろん、国民の努力だけでは、国は繁栄しません。
国を繁栄させることを可能とする国家運営を、国民が自分の意志で、本気で、選択することが必要です。主権者には、その権利と責務があります。
そうです。私達には、国民生活を守るための政治集団が必要なのです。2000年間、「先送り」と「なし崩し」で、「なあ、なあ、まあ、まあ」で、やってきた国家運営を、根本から変える政治集団が必要です。
国と国民は運命共同体です。どちらかだけが生き残るなんてことはありません。
まだ、今は、誰も答えを見つけていませんが、私達は、当事者として、過疎化を乗り越える答を見つける必要があります。
しかし、そのことよりも問題なのは、答を得ようとしていないことです。
皆で、示し合わせたように、「仕方ない」で終わっています。
誰もが、「俺には関係ねぇ」と思っていることが問題なのです。
それほど遠い未来ではなく、皆さんの生活は破綻します。
その時、皆さんは「あちゃー」と言うだけですか。
破綻後に、破綻と向き合っても何も出来ません。
破綻に向き合うのは、将来の破綻が見えている、今です。
私も、今、過疎化に対する具体的な提案を持っているわけではありません。
でも、過疎化は、先延ばしするのではなく、対応が必要です。
これは、紛れもない現実です。
言葉の定義をし、国と国民の責務を明確にし、国の、国民の、目的を創れば、私にも見えていませんが、そこから何かが生まれる可能性はあると思います。もちろん、可能性に過ぎませんので、確約はできませんが、可能性はないよりあったほうがいいです。少なくとも、今のままなら可能性はゼロだということを、自治体の現状が証明しています。
15年前に、夕張市が財政再生団体に指定されたのは有名な話ですが、夕張市の後を追っている自治体は、今や、雲霞のように増えています。夕張市の運営苦労話を読むと、心が痛みます。そして、15年経っても再建されていませんし、再建の目途もありません。
どの自治体も夕張市にはなりたくないと思っています。
しかし、第2第3の夕張市は、必ず、生まれます。多分、雪崩が起きるように、次々と、財政再生団体が生まれる時がやってきます。皆で赤信号を渡る時です。
もしも、仮に、何割かの地方自治体が財政再生団体になったら、その割合が1割なのか2割なのかはわかりませんが、この国は、国として機能していると言えるのでしょうか。
市川三郷町の町長が言っているのは「夕張市のような財政再生団体になったら、この程度では収まりませんよ。だから、我慢してね」ということです。
でも、この思考も、変です。
「普通の我慢と最悪の我慢の、どちらを選択しますか」というやり方は間違っています。
国民に我慢を強いるのではなく、国民に努力を促すことが、国と自治体の仕事だと思います。でも、日本人は、我慢慣れしていますので、そのことに気付きません。
そうです、文化と歴史と伝統が、今の日本を「ジリ貧」状態にしているのです。

「たかが、過疎化だろ」、「俺には関係ねぇ」と思っている方もいると思います。でも、それ、違います。財政再生団体に指定される自治体が、次々と出てくる国は、皆さんには未来がない事を示してくれているのです。東京だけは生き残れると思いますか。いいえ、東京も同じ道を辿ります。
最初に、「社会構造を変える仕事は、個人や団体や自治体に出来る仕事ではない」と書きました。では、国なら出来るのでしょうか。いいえ、無理です。国民と自治体と国が、総掛かりで取り組まなければ成功しません。
そのためには、文化を変え、新しい歴史を作るしかないのです。
それが出来なければ、この国は破綻します。
もう、国民生活は、既に、かなり、壊れていますが、更に壊れます。
最終的には、食糧難に遭遇することになります。
どうか、時代を認識して欲しいと思います。
もう、従来の思考では、この新しい時代に対応できません。
私達の思考を根底から変える革命を起こさなければ、時代に対応できないことが、過疎化だけではなくあらゆる場面で顕著になっているのです。皆さん、気付いていますよね。皆さんは、薄々とですが「ヤバイ」と思っていますよね。それなのに、何故、過去にしがみ付くのですか。どうして、自分を守ろうとしないのですか。ほんとに、不思議です。
思考を変えるためには、文化を変えなければなりません。
文化を変えると言うことは、天と地をひっくり返すほどの革命が求められていると言うことです。どうか、そのことに気付いてください。
そして、実際に、文化を変えてください。
「なあ、なあ、まあ、まあ」文化に出来ることは、市町村合併くらいです。
「言葉の定義をする」文化に、どれほどのことが出来るのかは、まだ未知数ですが、挑戦してみる価値はあると思います。
もちろん、「言葉の定義をする」文化以外に、現状を、過疎化を、解消する方法があるのであれば、それでも構いません。
でも、そんな方法、誰も持っていません。
だから、過疎化が進んでいるのです。
私達には、今のところ、「言葉の定義をする」文化を、新しく生み出すという一択しかないのです。確かに、一択ですが、これは、選択肢があるということです。お手上げではありません。
もう、間に合わないのかもしれませんが、過疎化を解消する可能性はゼロではないと思いますので、是非、挑戦して欲しいです。子供達の未来のために。


2023-11-01



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