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死を呼ぶ七公三民 [評論]



国民の皆さんは、岸田政権の「新しい資本主義」という名の政策が、当初から、「中身が見えない政策」という評価が高かったことはご存知だと思います。
日を追うごとに、「新しい資本主義」を覆っていた霧が濃くなり、岸田政権は、スローガンが霧に霞んでいることを奇貨として、ますます、「中身が見えない政策」に変化させています。それでも、これほどいい加減な政策を吹聴しているのに、まだ、「口先総理」というネーミングはされていません。不思議です。
岸田さんは、過去の懸案を解決するのが政権の使命だと言っていますが、懸案となっていた課題(防衛と少子化等)は解決策がないために先延ばししていただけなのに、新たな解決策もないまま、将来の国民負担を増やす約束ばかりしています。
それでも、国民の皆さんは「ふむ、ふむ」と頷いています。
ほんとに、皆さんは優しい国民です。
この国は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」を続けるしか能がなく、何も変わらない。
このことが、何を意味するのかを指摘する方がいません。
これまでの日本が、何も変わらないまま、進んで行けば、衰退の先にある崩壊へと進むしかないのです。国民の皆さんが、その事を理解しているようには見えません。
それでも、皆さんは「ふむ、ふむ」と頷いています。
皆さんは、どこまで「いい人」を演じるのですか。
この国が崩壊すれば、いや、間違いなく崩壊しますが、皆さんの生活は根底から崩れます。
これ、誰のせいですか。
岸田総理ですか、自民党ですか、政治家ですか、官僚ですか。
そうではありません。
この国の責任者は、皆さんです。
皆さんは、自分を守るために、彼等の「自分さえよければ」を糺す責務があるのです。皆さんは、その責務を果たしていません。皆さんは地獄の苦しみを味わうことになりますが、それは、皆さんの自業自得なのです。
自分の生活を、自分の家族の生活を、守るのは皆さん自身です。岸田さんではありません。
確かに、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の世界では、そのことに気付けません。でも、気付かなくても、責務はあるのです。
現実を知るために、今日は、造語に挑戦してみたいと思います。
国民負担率を、パーセントではなく、日本語で表現してみましょう。
どんな国でも、どんな社会でも、その国を、社会を、維持していくためには費用が必要です。それを負担するのは、その国に住む人達です。それは、国や社会が壊れれば、多くの方が困るからです。だからと言って、国民負担率を重くして、国が壊れれば、本末転倒です。

国民負担率3割 三公七民 良政 最良の政治
国民負担率4割 四公六民 善政 善き政治
国民負担率5割 五公五民 悪政 悪しき政治
国民負担率6割 六公四民 苛政 苛烈な政治
国民負担率7割 七公三民 滅政 絶滅の政治

善政、悪政、苛政という言葉は存在していました。良政、滅政は私の造語です。
国家運営者に許されているのは、四公六民の善政までです。
例外はあります。北欧の国のように、国民生活を守るために国民負担率を高くしている国が存在しています。100年、200年という時間軸で、北欧方式が成り立つのかどうかは、まだわかりません。実験の結果が成功することを祈りますが、どうなるのかはわかりません。
少なくとも、社会保障、医療、教育、をこれまでと同じ水準にしたままでの五公五民は、既に、悪政です。
現在の日本は、五公五民の悪政の時代です。
悪政は、国民にとって厳しい環境ですが、いつの時代でも悪政はあります。それほど珍しいことではありません。
しかし、この先、岸田総理のおかげで、六公四民の苛政の時代を迎えることになります。
苛烈の「苛」ですから、かなり厳しい環境になます。
それでも、六公四民の時代は、過去に何度もありました。
問題は、その先です。
苛政の先にあるのは、滅政です。
滅政では、民族絶滅の可能性があります。

七公三民は、過去に例がなかったわけではありません。
過去の七公三民は、江戸時代の津山藩で実施され、山中一揆に向かいました。
当時、税率は江戸で決められていたのではなく、各藩が決めていました。ですから、七公三民は一地方政府で起きたことであり、日本全土の問題ではありませんでした。
それでも、限定された地方での事であったとしても、百姓は塗炭の苦しみを味わいました。
しかし、百姓を本当に苦しめたのは、自然災害です。
私は、度々書いていますが、「不幸は不幸を呼ぶ」という法則は存在しているのです。
津山藩でも、度々、自然災害で不作が続きました。地震が起き、大雪に見舞われ、洪水・旱魃が百姓を苦しめました。当時の餓死者は1万2000人と言われています。
当時の津山藩の百姓が平和ボケしていたかどうかは知りません。
しかし、今の日本国民は、立派に平和ボケをしています。きっと、津山藩の百姓よりも、私達のほうが軟弱だと思います。七公三民と自然災害の組み合わせに耐える力はないと思います。しかも、税率は地域限定ではなく、全国規模です。
そんな環境の日本で、人口の半数が被災者になると予測されている巨大地震がやってくるのです。
先日、巨大地震のことを書きましたが、あの被害が、七公三民と同時期に起きたら、日本民族は絶滅の危機を迎える可能性があります。
岸田政権だけではなく、これまでの政権がやってきた国家運営方式では、この危機には対応できません。国家運営方式そのものを、劇的に変えるしか道はないと思います。
しかし、その危機感を持っている方がいません。
私達が、どこへ向かっているのか。そのことを理解している方がいません。
お手上げです。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」「何とかなる」ではなく、現状を正しく理解し、将来を予測し、危機感を持ち、原因を究明し、原因の原因の原因を見つけ、対応策を考え、実行する、というプロセスが必要ですが、何一つ始まっていません。どのフェーズを取ってみても簡単なものはありません。実行が実を結ぶまでには多くの時間が必要なんです。
その貴重な時間が、何もしないままに、過ぎていきます。
では、一体、誰が、この国を、国民を、救うのですか。
「自分さえよければ」をやっている政治家や官僚や有識者には、出来ません。
もしも、やれるとしたら、国民しかいないと思います。
しかし、国民は「俺には関係ねぇ」と言う人や、「自分さえよければ」をやっている人達の言葉に、「いい人」のふりをして「ふむ、ふむ」と頷くだけです。
どこにも光が見えません。
確かに「なるようにしか、ならない」と言われればその通りなのでしょうが、人間として、大人として、いかがなものかと思います。
このことに関しては、私は、ヨタ話をしているわけではありません。
高い確率で、90%を超える確率で、現実になる切実な話をしています。
過去の延長線上に、そこそこの生活が可能な社会という未来はありません。
そこにあるのは、地獄です。
実際に地獄になってしまってから、「石田の言っていたことは本当だったんだ」なんて言われても嬉しくありません。
津山藩で起きたように、七公三民と自然災害の組み合わせは、実際にあるんです。当時と違うのは、今は、他国による侵略だってあります。
当時の津山藩の人口が何人だったのか知りませんが、1万2000人の餓死者は半端ではなかったと思います。当時は、「貧しさ」も「ひもじさ」も日常だったと思いますので、耐え抜く人は多かったと思いますが、令和の私達にそれが出来るとは思えません。

4月に国民負担率の推移を書きました。
1970年に24.3% だった国民負担率は、2022年には47.5%になっています。
これをグラフにしてもらうと、右肩上がりの線が引けます。
これをトレンドと呼びます。
時間が経過すれば、このトレンドは、更に、右肩上がりで進みます。六公四民も七公三民もこのトレンドを示す線上にありますので、六公四民も七公三民も現実になります。
ただ、グラフは、意味なく右肩上がりになっているわけではありません。必要に迫られて国家運営を進めた結果が数字になっているだけです。中でも、最も影響を与えたのが少子高齢化です。年々、高齢者が増えます。しかし、GDPは横這いです。社会保障費は増加するのに、税収は横這いのままなのですから、国民負担を増やすしかありません。
では、これは、突然、予告なしに、出現した環境なのでしょうか。
違います。
多くの方が、政府でさえ、ずっと心配していたことが現実になっただけです。
少子高齢化は、予定された環境変化です。
しかし、ずっと、先送りを続けてきた結果が数字になっているのです。
「まさか」「そんな」なんて言っていても、トレンドは勝手に進むのです。
そんなトレンドの中、六公四民のレールを、岸田さんが敷き、見え始めています。
六公四民は、もう、皆さんの目の前にある現実です。
それが、七公三民になることに不思議はありません。
六公四民、七公三民は、国家運営失敗の結果です。
では、私達には、国民には、どうすることも出来なかったのでしょうか。
そうではありません。
何度も書きますが、皆さんが「お上」だと信じている国会議員や官僚は、「お上」ではなく、国民生活を守るという仕事を、私達が委託している外注先です。自民党株式会社だと思ってください。岸田さんは、自民党株式会社の現在の社長です。岸田さんは、外注先の社長に過ぎません。皆さんが土下座をする必要はないのです。
普通、外注管理もせずに、外注先の好き勝手にやらせる会社はありません。
そして、今の外注先に、業務を委託したのは、国民の皆さんです。
と言うことは、国民の皆さんが、業務を委託した会社であり、管理責任者なのです。
皆さんは、外注先を管理してきましたか。
してきませんでした。
ですから、外注先は、自分の利益だけを増やすために、国家を運営してきたのです。
国民の皆さんは、なぜか、外注先の利益を守るために、税や社会保険を納めてきたのです。
理屈に合いません。
主権者である皆さんが、業務を発注している皆さんが、どうして、外注先の利益を守ろうとするのでしょう。
それは、皆さんが、主権者ではないからです。
皆さんは、今でも土下座をしている「下々」なのです。
多分、自分でも「何か、変だな」と思いながら、「へらへら」と笑い、分かったような顔をして「ふむ、ふむ」と頷き、何百年も前から「いい人」を演じてきたのです。
もちろん、責務を果たさなくてもいいのですから、「下々」のほうが楽だから、そうしてきたのですが、それを助平根性と呼ぶのです。
ですから、六公四民になっても、七公三民になっても、それは、自業自得です。
もっとも、皆さんには「あるべき姿」が見えていません。
なし崩しに、ぐずぐずと、何となく、悪化の一途を進んでいるのが今のトレンドです。
何を、どう変えればいいのか、さっぱり、分かりません。
ですよね。
先ず、「あるべき姿」を見つけてください。
そのためには、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をすることから始めてください。


2023-07-03



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