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不安感と閉塞感と焦燥感 [評論]



4月に、現職の総理大臣を襲撃する事件が起きました。
安倍襲撃事件から1年も経たないこの時期に、同じような、新たな事件が起きたことに、驚きがあります。実害はなかったものの、潮流は健在であることが証明されました。
もちろん、潮流とは、滅びゆく国を静かに押し続けている目には見えない大きな時流のことです。このことに気付いている方が何人いるのか、とても心配です。
まだ、事件の背景はわかっていません。
ただ、日本という国を知らない人が、これらの事件を知れば、毎年、政府要人が狙われるような政情不安の国だと思うかもしれません。
でも、日本に政情不安はありません。逆に、自民党政権の安定度は群を抜いています。
なぜなら、日本には、2000年の歴史と伝統に培われた「お上」と「下々」という盤石の体制があるからです。
そんな国で、なぜ、このような事件が起きているのかは、検証するべきだと思います。
紛争国のような民族紛争はありません。
思想信条による闘争もありません。
武力を行使するような権力闘争もありません。
あるのは、ただただ、個人的な恨みと模倣です。
一体、そこには、何があるのでしょう。
その根底にあるのは、不安感と閉塞感と焦燥感だと思います。
少し、歴史を遡ってみましょう。
テロ事件の最近の例を見てみると。
桜田門外の変が起きたのが1860年で、明治維新が1868年。
226事件が起きたのが1936年で、終戦が1945年。
テロ事件と共に時代は変わっているのです。
私は、当時、生存していませんでしたが、当時の社会は、やはり、不安感と閉塞感と焦燥感が大きかったのではないかと想像します。
最近では、秋葉原事件を始め、いろいろな無差別殺傷事件が流行った時期がありましたが、その根底にあったのも不安感と閉塞感と焦燥感です。
時代が変わる時には、このような事件が起きやすくなる、ということなのだと思います。
それは、社会に不安感と閉塞感と焦燥感が充満し、不安定だからだと思います。
今、皆さんは、何も感じていませんか。
そうじゃありませんよね。
何となく不安ですよね。
何となく窮屈ですよね。
何とかして欲しいと思っていますよね。
時代が変わる時に共通するものが、不安感と閉塞感と焦燥感だとすると、今も、時代が変わろうとしているのかもしれません。

今回の事件について、いろいろな方が、いろいろなことを言い始めていますが、さて、日本社会に満ちている不安感と閉塞感と焦燥感に気付き、その原因を見つけ、対処法を提言できる人が何人いるのでしょう。
余り、いや、ほとんど、期待できないと思います。
対処法として言われるのは、警備の強化くらいしか出てこないのかもしれません。
国民は、安倍元総理が統一教会とズブズブだったことを知ったことで、安倍襲撃事件の犯人に同情が集まり、暴力を容認するような発言があったと言う人もいます。相手がどれほどクズ人間であっても、暴力は容認できないという正論を主張し、言論の自由を制限しろ、と言わんばかりの国会議員もいます。こんなサル共には、時代の空気は見えないのだと思います。目の前の出来事に惑わされず、せめて、国家運営に携わる者は、広くて大きな視点を持って欲しいと思います。
ほんとに、視野の狭さには困ったものです。
個々の事件に囚われずに、時代がどの方向へと動こうとしているのかを知り、悪しき方向へと向かっているなら、そのベクトルを変える努力が求められる時代なのだと思います。
そのためには、今、この国に充満している不安感と閉塞感と焦燥感の存在を知らねばなりません。
これまでもそうであったように、この先も、いや、いつの時代でも、不安感と閉塞感と焦燥感が時代を変えるのではないでしょうか。もしかすると、潮流とは、民の怨念が集まって出来ているのかもしれません。
しかも、私達が向かっている先は、国家崩壊という悪しき未来です。
気付いてくれる人はいるのでしょうか。
誰一人、気付かないとは思いません。
いいえ、この国の将来が「ヤバイ」ことは、漠然とではありますが、ほとんどの方が知っています。それでも、「下々」の人間は、そんなことを口にしてはいけないと思っています。ただ、ただ、じっと我慢することが、自分の役割だと信じています。自分の生活が破綻するというのに、じっと我慢です。ほんとに、歴史と伝統は強力です。
どんな新しい時代であっても、時の経過とともに歪んでいきます。それは、「自分さえよければ」が積み重なっていくからです。これは、どんな社会でもあることです。しかし、それを是正し修正するためには、根拠が必要になります。「なあ、なあ」「まあ、まあ」では、根拠になれません。原理原則になり得る責務の明確化が必要なのです。
ところが、今あるのは、強力な「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。
どうして、なんですか。
文化が創り出している空気に、私達は、がんじがらめに縛られているからです。
皆さんは、どうして、この空気を見ようとしないのですか。
総理大臣を筆頭に、市井の老人・子供まで、曖昧という空気の中で「なあ、なあ」「まあ、まあ」「ふむ、ふむ」で自分を誤魔化しているのです。なぜなら、責務を知り、責務を果たすより、はるかに楽だからです。これを、生活の知恵だと言う人もいるでしょう。
そんな社会では、誰も、声を出しません。誰も、村八分になりたいとは思いません。
しかし、表には出しませんが、厳しい現実とは直面しなければなりませんので、怨念だけはあります。それが、不安感と閉塞感と焦燥感を育てるのかもしれません。
もちろん、「お上」だって、不安感と閉塞感と焦燥感が最大の問題だという方向へは動きません。そんなことをすれば、社会不安を認めてしまうことになります。ですから、「お上」は、社会不安をなかったことにします。それが、自分の利益を守ることになるからです。社会不安を「お上」が認めてしまえば、「下々」は「お上」が言っているのであれば、「俺達は、ほんとに、ヤバイんだ」と思ってしまいます。そんな社会になれば、いとも簡単に、社会崩壊が起きます。
ですから、不安感と閉塞感と焦燥感という言葉は、口にチャックをします。
でも、実際の問題は、不安感と閉塞感と焦燥感なのです。

想像は出来ませんが、あり得ない設定ですが、仮に、「お上」も「下々」も、原因が不安感と閉塞感と焦燥感だと認めたとします。
では、その不安感と閉塞感と焦燥感に、どう対処するのですか。
対処法へ辿り着く人は、一人もいないのではないかと思います。それは、誰一人、原因の原因の原因に辿り着く人がいないからです。
ですから、これまでのように、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で一件落着するしか選択肢はありません。「なあ、なあ」「まあ、まあ」が原因の原因の原因なのに、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で対処するのです。まるで、ジョークですが、これが現実です。
国が壊れてしまってから、四の五の言っても何の役にも立ちません。
生活が苦しいと感じている国民の皆さん。
この先に遭遇する生活苦は、次元の違う生活苦です。餓死者が続出するような生活苦なんて想像もしていないかもしれませんが、それが、現実になります。
壊れる前に気付いて欲しいと思います。

ほんとに、文化は巨大です。刃が立ちません。
これまでこの国を支えてきた文化が、この国を潰します。
「そんな馬鹿な」と言う方がほとんどでしょう。
もちろん、未来のことですから、絶対はありません。でも、仮に、万が一であったとしても、潰れた時のダメージが大きすぎます。私達は、他の動物とは違い、想像力という力を持っているのですから、対応策を考えるべきだと思いますが、そうはなっていません。
ですから。
充分な資産をお持ちの方、能力のある方、へは海外移住を強くお勧めします。
そうではない方は、何の役にも立ちませんが、せめて、覚悟をお願いします。
次の日本は、皆さんの想像を超えるほどの悲惨な国になります。

1億2000万人の中には、原因の原因の原因が、確信は持てないけど、もしかすると、「なあ、なあ」「まあ、まあ」に代表される曖昧文化なのではないかと気付いている人は、いると思います。いや、いて欲しいと思います。
しかし、「文化って、なに」「曖昧文化って、なに」と問われると、なぜか、答が曖昧になります。当たり前です。定義をしないことが曖昧文化の本質です。「曖昧」という言葉の対極にある「定義」という言葉に気付く人もいません。だから、その対処法が「言葉の定義」だということに気付く人は、いません。
多分、私、一人だけだと思います。
いやいや、そんなことはないと思います。
ただ、そのことを多くの人に知ってもらい、納得してもらう方法を、私だけではなく、誰も見つけていないのだと思います。
困ったことです。
ほんとに、皆さんに知ってもらう方法が見つかりません。
途方にくれます。
でも、これが現実なのですから、仕方ありません。
地獄へ堕ちることがわかっているのに、指を咥えて見ている事しかできません。
とても、悲しいことです。


2023-05-03



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