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これは天誅である [評論]



先月、安倍元総理が選挙演説中に銃で殺害されました。
権力の中枢にいる人物を銃で殺すという行為は、明らかに暗殺ですが、「暗殺」という言葉を使う人は少ないと感じます。それは、殺害動機が思想信条によるものではないことに起因しているようです。では、犯人が言っているように「恨み」なのでしょうか。それだけではないように思います。私には、この国の現状に対する「苛立ち」が大きな要因になっているように思えてなりません。
私達は、この事件の原因の原因の原因に辿り着けるのでしょうか。
やはり、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で済ましてしまうのでしょうか。
「あの時、気付いていれば」ということは、よく起こります。この事件も、そんな結末を迎えるのではないかと心配しています。

存在感という点では、安倍元総理は、現職の総理大臣よりも大きかったかもしれません。岸田さんと比べられたら、安倍さんが怒るかもしれませんが、岸田さんや麻生さんや鳩山さんに比べれば、優秀な総理大臣だったと思います。
一方、野党からも、メディアからも嫌われました。安倍さんを嫌っていた人が多かったという点でも、それだけ重要な存在だったということだと思います。
安全保障政策では成果を出しましたが、経済政策では大失敗をしましたので、業績としてはマイナスなのではないかと思っています。もちろん、100点満点の政治家なんて存在しないのでしょうから、安倍さん個人を非難しても始まりません。
それだけ大きな存在感を持っていた安倍元総理ですから、全ての政治家を代表する形で、「この国、間違ってるぞ」という凶弾に倒れたと思っています。犯人は意識していないかもしれませんが、この事件は、そういう象徴的な事件だと思います。
ですから、安倍さんの死を無駄にしてはいけないと思います。

安倍さんを失ったことで、自民党内は混乱します。自民党が混乱すれば、日本の政治も混乱します。その上に、民主主義を理解していない野党は、ただ、ヒステリックに騒ぐだけで、政治の混乱をより増長させます。
国としての原則を持っていませんので、皆で協力して問題を矮小化します。
「肥溜め」のような日本政治ですから、混乱は歓迎すべきことなのですが、混乱を契機に新しい政治風土が生まれるのかというと、その期待は持てません。「肥溜め」が、更に、腐った「肥溜め」になると予測するほうが妥当だとすると、国民にとっては、最悪です。
安倍さんは、国内での評価よりも、海外での評価が高かった総理大臣です。その、安倍さんがいなくなった日本は、世界から舐められることになると予測できます。岸田さんでは、とても、世界で存在感を示すことは難しいと思います。それは、日本抜きで世界が変わっていくということであり、日本は、ますます、窮地に立つということです。
岸田さんは、「安倍元総理の意志を継承し、憲法改正に尽力する」と言っています。参議院選挙の結果も改憲勢力が2/3を越えています。私には、岸田さんに改憲意欲があるようには見えません。しかし、図らずも、お膳立てが整ってしまいました。これも、日本政治を、更に混乱させる要因になると思います。
今回の銃撃事件は、「混乱」というスイッチを押してしまったのかもしれません。
私が犯人だったら、大喜びです。

この事件の背景にあるのは、何でしょう。
国民が、社会が、国が、壊れているという現実が反映された事件だと思います。
銃撃犯の山上容疑者は、「無職」の41歳と報道されています。
非正規社員は、「無職」という扱いになるようです。
昔は、「無職」「住所不定」は悪人の代名詞だった時代があります。「無職」だけだと半悪人という評価になるのかもしれませんが、普通の人とはみられない空気があります。
この風評は、多分、平安時代から続くレッテルだったのではないかと思います。その観点から見ると、現在は、国民の3割は悪人ということになります。
これは、この国が、既に、壊れていることを証明しています。しかし、残念ですが、ここで終わりではありません。もっと、もっと、壊れます。
山上容疑者の41歳という年齢は、就職氷河期と言われた時代の人です。
山上容疑者は、郡山高校、同志社大学(中退だそうですが)という学歴を持っています。
私も、奈良に住んでいたことがありますが、郡山高校は、学力優秀という点では有名校です。もしも、私が中学生だとすると、郡山高校は受験の対象ではなかったと思います。
大阪大学の受験に失敗して、同志社大学へ進学したようですが、同志社大学だって有名校です。彼は、優秀な若者だったのです。
そんな山上容疑者が、非正規社員になり、社会から疎外され、犯行へ向かってしまったのには、いろいろな不幸が重なったからではないかと思います。ここでも、「不幸が不幸を呼ぶ」という現象が起きたのだと思います。その1つが、統一教会という名の某宗教団体への母親の入信であり、全財産を騙し取られたという不幸だったと思います。
人間は、追い詰められると、無茶を無茶とも思わなくなりますし、世界中が自分を阻害しているように感じるものです。彼は、窮鼠になってしまったのかもしれません。「猫に噛み付いてやりたい」と思っても不思議ではありません。
当初、爆発物で統一教会を爆破することを考えたようですが、熟考の末に、某宗教団体と関係の深い政治家を標的にするという結論になったのではないでしょうか。
多分、彼の犯行動機は「現状を否定したい」という意識だったのではないでしょうか。そのためには、標的は大きなほうがいいと判断しても不思議ではありません。
最適な標的がいました。左翼やメディアに蛇蝎のように嫌われている元総理大臣です。
しかも、選挙の季節がやってきました。
私は大和西大寺の事件現場から数百メートルの場所に住んでいましたが、大和西大寺のあの場所は、選挙になると、色々な人がやってきます。元総理大臣も来るかもしれません。
初めて、幸運の女神がやってきたように感じたかもしれません。
安倍元総理が応援演説をしている岡山にも、下見にも行きました。
多分、背後から近づけば、チャンスはあると判断したのでしょう。
そして、成功しました。
淡々と供述しているようですが、それは、彼が結果に満足しているからだと思います。
梅田の放火事件の時も書きましたが、私は「自分が、犯人の立場にいたら、どうしていただろう」と考えます。私であれば、「同じことはしない」という自信がありません。
「日本で、なんで、こんなことが起きるのだ」と言う方がいます。
それは、違います。
日本は、そういう事件が起きても不思議ではない国になったのです。
逆に、「貧困層に落とされた」皆さんは、どうして、黙っているのか、そのほうが不思議だと何度も書きました。暴動を起こすべきだと書いたこともあります。

事件が起きた時、政治家は、口を揃えて「民主主義への攻撃だ」と言いました。
驚きました。民主主義って、何ですか。
政治家の皆さんは、民主主義の定義を持っていますか。
持っているとして、皆さんの定義は、国民の理解を得ていますか。
独りよがりの民主主義は、民主主義ではありません。それは、独裁主義と同じものです。
そもそも、日本では、主権者であるはずの国民も、民主主義の定義を持っていません。
先ず、国民に、議論をしてもらう仕組みを作り、国民が議論し、その上で、国民の賛同を得て、民主主義を皆で共有して、初めて、民主国家になるのです。
私達の国は、そんなプロセスは何一つやっていません。全部、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で決まってしまうのです。
一体、この国のどこに民主主義があるのでしょう。
民主主義という土台もなく、「民主主義への攻撃だ」「民主主義への挑戦だ」「民主主義の冒涜だ」などと言うのは間違っています。
「なんちゃって民主主義」しか知らない政治家に「民主主義」を語る資格はないと思いますが、彼等はそんなことには気付いていません。
もしも、仮に、私の勝手な定義が多くの皆さんの定義になったと仮定しましょう。
民主主義とは、国民生活を守るシステムだとします。もちろん、国民生活を守る責務を負っているのは、国だけではありません。国民もその責務を負っています。しかし、今は、誰も責務を持っていない状態にあるのです。これは、民主主義ではありません。
先ず、言葉の定義をして、責務と目的を明確にすることから始めなければなりません。
皆で、「俺には関係ねぇ」と言っているのですから、現に、国民生活は守られていません。これが、現実です。
政治家は、自分は数千万円の報酬を手にしています。山上容疑者の年収は、100万円か、200万円だったと思います。これで、国は責務を果たしていると言えるのでしょうか。
1年365日、選挙のことしか考えていない政治家は、宗教団体からカネと票を貰います。
なぜ、宗教団体は、そんなカネを持っているのでしょう。
宗教団体は、信者から多額の寄付という名目のカネを搾取しています。私には詐欺にしか見えませんが、宗教を信じる人は後を絶ちません。
宗教団体にとって、政治家へのカネと票は、必要経費なのです。いや、それで、肥え太ってきたのです。宗教団体にとっては、政治との距離を縮めることが成功モデルです。「宗教と権力は癒着する」というセオリーは、人類誕生の頃から存在していました。
この約35年で、弁護士や消費生活センターが受けた統一教会に関する相談は3万4537件、被害総額は約1237億円で、昨年までの5年間に限っても約580件、約54億円という数字です。これは、表に出ている数字ですから、実際には、この何倍も、何十倍もの搾取が存在しているということです。
しかし、政治は、自民党は、信仰の自由を盾にとって宗教団体を野放しにしています。選挙のことしか頭にない政治家は、カネと票をくれる宗教団体に手は出せません。
統一教会との関係を持っていた議員が多すぎたことで、自民党は、「開き直り」ました。総務会長が、統一教会に選挙応援してもらうことの「何が問題なのか、わからない」と言っています。選挙目的であれば、何でも許される。それは、政治家の「自分さえよければ」であり、民主主義ではありません。
これが、民主主義なのでしょうか。国民生活は守られているのでしょうか。
彼等に民主主義を語る資格はないと思います。
確かに、暴力で他人の命を奪うことは許されません。
では、暴力を使わなければ、法律をすり抜けたら、何をやってもいいのですか。
この国のシステムを何とかしなければならないことは確かです。私は、銃ではなく、言葉の定義を推奨していますが、銃という選択肢もあると思います。
私が山上容疑者と同じ境遇にあったら、もしかすると、私も同じことをしていたかもしれません。私は、裁判で「これは天誅である。貧乏人よ、立て。我に続け」と言いたいです。
もちろん、こんなことを言えば反逆罪で死刑になりますので、山上容疑者にはお勧めしません。

「安倍は、殺されても当然の人間だ」と言っていた人達が大勢います。
彼等は、どうして、「安倍を殺してくれた」山上容疑者を守ろうとしないのでしょう。
一部で減刑嘆願署名が始まったという話がありますが、野党の皆さんが「山上容疑者を救う会」を結成したという話は聞きません。事件後、彼等は、掌を返して、「暴力反対」「民主主義を守れ」と叫んでいます。ここは、左翼の皆さんが結束する場面だと思います。
ある記事から、その一端を転記しておきます。

「法政大学のある政治学教授は、国会前デモの公の場で「安倍は人間ではない。叩き切ってやる」と喚いていた」
「日本共産党とその関連団体は安倍氏をファシストと呼ぶデモを行い、そこでは安倍氏の生首人形が棒の先に掲げられ、その人形をブルドーザーで踏みつける写真を撮影、主催者らが流していた。国会議員もこのデモに参加していた」
「社会民主党党首は、満面の笑みを浮かべながら、「安倍は嘘つき」という垂れ幕を掲げて左派文化人と行進していた」
「れいわ新選組党首と候補者は選挙演説で、タレントの「安倍首相の乗った飛行機が落ちた。助かったのは。日本国民」というつまらない冗談に対して、支持者と一緒に大笑いしていた」
「人権を語る左派の文化人は「あべしね」とTwitterに投稿。今回の事故で「暴力を認めない」と書き、数千件の批判を受け、炎上が続いている」

政権与党が好き勝手をやっていることは事実です。では、左翼の皆さんは何をしているのでしょうか。「安倍は、あんな悪いことも、こんな悪いことも、している悪党だ」と言っているだけです。どうして、「私達なら、こうやって、この国を立て直します。そのためには、国民の皆さんにも責務を果たしてもらわねばなりません」と言えないのでしょう。それは、誰も、自分の責務を知らないからです。その上、国民も「俺には関係ねぇ」と言っているのです。誰もが「自分さえよければ」をやっているのですから、国は衰えます。
これが、日本の「なんちゃって民主主義」です。
山上容疑者の出現は、遅かったくらいだと思います。
国民のことを、国民生活のことを、誰一人考えていないのです。総理大臣だけではなく、全ての国民が、国民生活を守るために、この世に存在しているのです。どうして、そのことに気付かないのか不思議でなりません。
この国には、国民が共有する民主主義は存在していませんでした。自分にとって都合の良い民主主義が民主主義だと思い込んでいたし、今も、そう思っています。国民の半分は投票していません。投票所に足を運んでいる人も、惰性で行っているだけです。皆さん、「俺には関係ねぇ」のです。そこには、責務の欠片も見えません。
その事を、誰も、変だと思わない。これが、この事件の原因です。


2022-08-01



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