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価値基準をもう一歩先に [評論]



新宿駅前で、一部の若者のグループが「石炭火力発電の中止」を訴える呼びかけをした、というニュースがありました。
私達、日本国民にとっての最重要課題は、地球温暖化対策なのでしょうか。
どなたも声には出さないと思いますが、違う、と思います。
これは、COP26で石炭火力発電が議題になった影響だと思います。
では、一般市民が集まり、「そうだ、そうだ」と連呼したのでしょうか。
いいえ、1000人中999人は「俺には関係ねぇ」と通り過ぎたと思います。
問題意識を持った若者の行動は称賛します。
しかし、後進国の仲間入りをしようとしている日本では、一般市民の共感は得られません。
極端な言い方をすれば、スーダンで「地球温暖化対策」を求めるようなものです。
一般市民は、「いつまでも楽にならない生活を何とかして欲しい」と思っています。
これは、スーダンでも日本でも同じです。
この国の国民にとって、「石炭火力発電の中止」や「地球温暖化対策」は、自分の問題ではありません。
彼等は「命を優先しろというシンプルな問題です」と訴えましたが、地球温暖化で命が脅かされる前に、貧困で命が脅かされる日がやって来ることを、一般市民は知っています。
今のところ、地球温暖化問題は、生活に余裕のある人たちの問題でしかありません。この問題を牽引しているのが欧州であることも、その事を裏付けています。かつて、難民問題で揺れていた欧州では、ボートピープルの難民の子供の死を映像で見せられ、人道が前面に出たことがあります。しかし、受け入れた難民が事件を起こしたことで、人道が引っ込みました。自分の身に危害が及ばない範囲でしか、人道は機能しません。欧州の人達が悪いのではありません。人間とは、そういう生き物なのです。生活の中での問題と、余裕の中の問題は別物なのです。
中豪貿易摩擦で石炭が不足した中国が、電力供給に支障を来しているだけではなく、石炭を原料とする尿素水の輸出を制限しました。その結果、7割以上、中国産尿素水に頼っていた韓国が大混乱しました。韓国ではディーゼル車が多く、尿素水が必需品だったからです。
ディーゼル車にはSCR(排ガス浄化技術)という技術が使われています。そのSCRを稼働させるためには尿素水が必要なのです。今後、どのような展開が待っているのかはわかりませんが、SCRを遮断し、CO2を排出しようという案も出ています。CO2削減の世界世論に逆らいますが、生活防衛のためなら止むを得ないという考え方です。物流を麻痺させてでも、CO2を削減するというのは国民の同意が得られません。韓国の例でも見られるように、生活の中での問題と、余裕の中の問題は別物なのです。
もちろん、地球温暖化問題なんて無視しろとは言いません。
でも、私には、「地球温暖化対策」は無謀な試みにしか見えません。例えば、富士山麓に住んでいる蟻が、富士山を貫通する通路を作って餌を確保しようと試みているように見えます。自然は、余りにも巨大です。しかし、人間には、どうすることもできません。CO2排出を減らしたら、温暖化が止まるという保障もありません。だからと言って、何もしなくてもいいとは言いません。余裕の範囲内で、できることはすべきだと思います。それでも、自然には勝てません。温暖化が進み、地球上に人類が住めなくなる日がやって来るかもしれません。多分、人間がどう足掻こうとも、地球は変化します。人類は、それを宿命として受け入れるしかないのではないでしょうか。
私達がやらねばならないことは、他に山ほどあります。
「地球温暖化対策」の前に、国を立て直しませんか、という問題だと思います。
COP26に出席した岸田総理は、100億ドルの支援金を出すと表明しました。既に600億ドルを支援すると約束していますので、合計で700億ドルの支援です。700億ドルは、約7兆円です。先進国としての責務だと言われれば、仕方のないことですが、日本は、もう、先進国ではありません。日本は、満足に食事も摂れない児童が山のようにいる国です。給食制度の拡充と無償化をしなければならない国です。狭量だと批判されても、自国の国民を助けるほうが先だと思います。
いや、そうではありません。
700億ドルの支援金を出せる国にならなければならないのではないでしょうか。
日本の総理大臣が海外へ行くと、例外なく支援金を出します。
総理大臣が海外でバラ撒いているカネは、総理大臣の資産から出しているのではなく、全て、税金です。皆さんが納めた税金です。
しかも、国内にカネはなく、火の車で、世界に類を見ない借金王です。
こんな国家運営をやっていて、いいのですか。
昭和後期の豊かな日本の真似をしていて、いいのですか。
私達は、総理大臣を筆頭に昭和から抜け出せていません。
国力が衰退し、年々、貧困層の国民が増えている国です。
国が、国民生活を守っていない国です。
国民の皆さんは、どうして、平然としているのでしょう。
理解に苦しみます。
先ず、自国を豊かにしましょうよ。その上で、貧しい国々を助けましょうよ。
自民党はトリクルダウンを推奨している政党です。大企業を豊かにすることが目的の政党です。その理念は、どこへ行ってしまったのですか。
理屈に合わないことばかりが横行しています。
その根っ子にあるのは、理念の欠如であり、「国力衰退」です。

話題は変わります。
作家の真山仁氏とジャーナリストの河合雅司氏の対談が、「衰退する日本」を心配する対談が、週刊朝日に載っていたそうです。私は、新聞も週刊誌も読みませんので、ネットの記事で読みました。「衰退する日本」をテーマにした珍しい記事です。
真山仁氏は「ハゲタカ」で有名になった作家です。河合雅司氏も「未来の年表」という人口問題を書いた本で有名になりました。
両氏は、国力が衰退した要因を列挙し、警鐘を鳴らしています。
その一部を抜粋してみます。

「昭和の後始末もできず、いたずらに費やされた30年だったと思います」
「戦後の高度経済成長の余勢を駆って進んでしまった」
「バブルがはじけて経済がおかしくなった時も、見て見ぬふりをしました」
「日本型経営モデルが崩れることは決まっていたのに、ほとんどの日本企業が対応しなかった」
「結果として我々より少し下の世代で非正規雇用が増え、正社員でも昇給しにくくなってしまった。いわゆる就職氷河期世代ですが、その時、我々の世代はもっと声を上げなきゃいけなかった。[気の毒に]と他人事のように過ごしてしまった」
「過渡期を見過ごしてきたツケを今払わされています。この30年、企業は、株価を上げることしか頭になくて、壊してはいけないものを壊してしまった。残念なのは、[それ、おかしくないですか]と声を上げる人を、日本社会は大事にしないんです」
「経営者は目先の利益を確保することしか考えていないし、政治家は次の選挙に当選することばかりを気にかけている。どうしたら自分だけ損をしないで得するかが価値基準になったような社会は、いつか破綻(はたん)します」
「現状を肯定するだけでは、想像力は湧き上がってこないんです」
「失敗しないことにこの30年を費やしてきたために、失敗を乗り越えて出てくるはずの天才が突出する可能性をつぶしてしまいました」
「若者はすごく冷静に見ていますよね。おかしいことをおかしいと言わない大人を見て冷めていく」
「学生には[こんな日本でがんばる意味があるのか]と言われてしまいます」
「昔は[非常識]と呼ばれていた“常識破り”が常識になっている状況を認め、その呪縛を解かなければならない時が来ていると思います」
「イギリスは議会制民主主義で小選挙区制です。イギリスの有権者は、自分たちが選んだ議員が地元の活動にかまけていると怒るんですよ。[国のためにがんばれ、国会議員だろう]って。選挙で投票して終わりではなく、当選した議員が国をよくするための政治活動をしているかどうかチェックしている。ところが日本では、政治はお上(かみ)がやるものという考えが根強く、この人に投票したら未来の政治がどうなるかという想像力を持って選ぶ人は少ない。好青年だから投票してあげようという態度で臨みがちです」
「過去の成功パターンを踏襲することにどれほどの意味があるでしょうか」
「立ち止まる勇気が必要です」
「うまくいかなかった事象をきちんと検証して、未来に備えることができるかどうか。済んだことは振り返りたくない、きれいごとは聞きたくないと耳をふさいでいる人たちにも届くよう」


「国力衰退」を正面から捉えていることも、的確な個々の要因分析も拝読する価値のあるものだと思います。
ただ、「価値基準」に気付いているのに、どうして、「言葉の定義」を提唱しないのか、そこが不思議です。両氏が心配している事象の根っ子にあるのは、「価値基準」です。「価値基準」という言葉を使っているのですから、そこに課題があることには気付いているようですが、まだ、漠然とした「価値基準」しか念頭にないように見えます。価値基準の構築に必要なのは、目的と責務だと思いますが、そのことに気付いていません。両氏以外の専門家の先生方の中にも、「価値基準」に気付いている方はいます。しかし、皆さん、そこで「回れ右」をしてしまいます。もう一歩踏み込めば、「言葉の定義」に気付くのでしょうが、とても、残念です。
しかし、問題提起と問題分析と現状認識を示して、警鐘を鳴らしても、誰も行動しなければ意味がありません。
行動が伴わなければ、何を言っても無駄です。
どうすれば、行動に移せるのか、私も見つけていませんが、そのメカニズムを見つけなければ、無駄になってしまうのです。
両氏の問題提起は、誰もが知っていることですから、多くの方が「ふむ、ふむ」と頷くと思いますが、頷くだけです。
それは、問題提起に終始し、具体的な行動指針がないからです。
では、行動指針があれば、国民は行動してくれるのかと言うと、それだけでは、行動を生み出せません。
それは、具体的な行動指針(言葉の定義)を提案している私の提案でも、「ふむ、ふむ」で終ってしまうことを見れば明らかです。
もっとも、週刊朝日と私のブログは比較にもなりませんが、国民の皆さんの心に届くような仕掛けがあれば、発信者の大小は関係ないものと思います。私にも、その仕掛けが見えていないから、国民の皆さんの行動は起きないのです。
この国の国民の皆さんは、自分で、無意識に、自分は「下々」だと思っていますので、自発的に動くことはしません。どうすれば国民が行動してくれるのか、そのメカニズムを見つけなければ、どんなことを提案しても、猫に小判なのです。
ほんとに、難しいです。
真山仁氏も河合雅司氏も、個人の利益のために問題提起をしているのではありません。言葉にはなっていませんが「子供達の未来を守りたい」という意識は感じられます。
このような問題提起や意見や対策が、もっともっと、多くの人達から発信されるようになれば、国民は行動を起こすのでしょうか。いいえ、行動はしないと思います。10年前に比べると、随分増えたと思いますが、国民は、まだ動きません。この先も、多分、いや、間違いなく、行動に移すことはないと思います。
行動メカニズムは、何なのでしょう。
行動がなければ、何も変わりません。
日本社会に、そんな兆しはあるのでしょうか。
皆無だと思います。
ですから、この国が崩壊するのは必然であり、これまでも何度も指摘したように、残り時間がどのくらいあるのかだけが問題なのかもしれません。
とても、残念です。
今日は、真山仁氏と河合雅司氏の主張を紹介しましたが、両氏以外にも、この国の将来を心配している方は、それなりにいると思います。
私が提案する「目的と責務の明確化」も、新しい価値基準を作ることです。
誰も言及しませんが、これが、根っ子だと思います。
両氏が必要だと主張する「価値基準」と私の「価値基準」が同じものではないとしても、両氏は根っ子の近くに来ていると思います。是非、見つけて欲しいと思います。
人口問題、経済問題、政治問題、社会問題、個々の事象の対策を作っても、国は変われません。逆に、価値基準を変えれば、多くの事象が変わります。
必要なのは、手法ではなく、理念だと思います。
いや、理念を生み出すための行動だと思います。
どうすれば、多くの国民の皆さんが「言葉の定義」に挑戦してくれるようになるのか、そのメカニズムを見つけない限り、全てが、無駄であり、崩壊は必然なのです。


2021-12-03



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