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国民を守る政党を作りませんか [評論]



数多くのグラフを見てきましたが、投票率のグラフも、右肩下がりの、見慣れたグラフです。
統一地方選挙ではなく、個別の地方選挙の場合は30%を切る時もあります。
政権選択の選挙と言われる衆議院選挙でも、50%台です。
今回の衆議院選挙では、コロナ禍で苦しんだ国民が、貧困化で苦しむ国民が、大挙して投票所へ足を運んでもおかしくない状況であったのに、55.93%という投票率でした。国民の皆さんが、非常時であっても、既存の政治に期待していないことを、国民に選択肢がない事を、示したことになります。
国民の半分の方が、選挙に参加していないのです。
どうして、投票率が、ここまで下がってしまったのでしょう。
答は簡単です。
投票しても、しなくても、自分の生活には何の影響もないのです。
では、逆に、なぜ、50%もの人が投票所に行っているのでしょう。
組織票と大量の老人が、投票所に行くからです。
組織票は、自分の組織の利益のために、足を運びます。
パブロフの犬になった老人は、惰性で、投票所に足を運びます。
若者の投票率が低いと非難する方がいますが、私には、若者の行動のほうが、素直で、理に適っているように見えます。
国民は政治に期待していないのです。
政治家は期待されていないから、好き勝手をする。
これ、悪循環じゃないのでしょうか。
かつて、好き勝手をしている自民党を見て、「自民党政治は、何とかしなければならない」と思って、多くの国民が民主党に投票しました。しかし、「消費税の増税はしません」と公約して、政権を取った民主党は、消費税増税という、国民に痛みを強要する置き土産を残して瓦解しました。
国民は、「なんだ、誰がやったって一緒なんだ」と思いました。
これも、悪循環です。
誰も、根っ子に視線を向けません。
国には、国民生活を守る責務があります。
しかし、この国に、「国民」はいません。いるのは「下々」です。守るべき「国民」が存在していないのですから、守る必要はないのです。
これで、政治に期待しろ、と言うほうが無理です。
「お上」は「下々」に向かって「国民」になってくれ、と言いましたか。いや、「下々」は「下々」のままでいて欲しいと願っていたと思います。
組織のために投票所に行く人にとっては、自分の組織に属していない人のことは、どうなっても、別に構いません。「自分さえよければ」いいのです。
では、それ以外の人の、老人の、目的は明確なのでしょうか。「何となく、保守」「何となく、革新」「その時の気分で」という方がほとんどだと思います。「何となく」投票している人は、失礼ですが、何も考えていないと思います。いや、多分、自己満足のために、投票所に行くのだと思います。「俺は投票したぞ」だけです。
「自分さえよければ」「今さえよければ」「何となく」で、ほんとに、いいのですか。
「何のために投票するのですか」と質問した時、どんな答が返って来るのでしょう。私の勝手な想像ですが、「上からの指示だから」と「選挙があるから」と答える人がほとんどだと思います。よく「投票は国民の義務」だと言われることがあります。基準のない義務なんてあるのでしょうか。もしも、基準を持てば、白票という選択肢しかなくなります。選挙制度を変えろ、と言えば、「まあ、まあ、そんな硬いこと言わずに」と言われます。
この国は、誰が守るのですか。この国の未来は、どうするのですか。
多分、「俺には関係ねぇ」と言うのでしょう。
内心で、「だって、皆、好き勝手をやってるじゃん」「俺のせいじゃねぇよな」と思っているのではないでしょうか。
どうして、こうなっているのでしょう。
それは、この国に、目的がないからです。
目的のない組織なんて存在しないはずです。
目的がないために、組織体として機能していないということだと思います。
もちろん、国は、百人百様の人間の集合体なのですから、一枚岩になるなんてことはありません。
それでも、自分の身を守るためには、子供達の未来を守るためには、それに相応しい目的を持つしかないのではないでしょうか。
今の状態は、烏合の衆と呼ばれるに相応しい集合体だと思います。
多分、私達は、自分の身を守るという基本を、忘れているのだと思います。
と言うことは、いつか、自分の身を守れない日がやってくるということです。
目的もない烏合の衆が好き勝手をやっていれば、国が衰退するのは当然です。
特に、最終責任者である国民が、好き勝手をやっているのですから、救われません。
日本崩壊は、約束されているようなものです。
だから、「国力衰退」が進んでいるのです。
もう、壊れ始めています。
これ、皆さんの生活が壊れるということです。
どうして、この現実を「見て見ぬふり」するのでしょう。
私には、理解できません。
自分の身の安全のことなのに、どうして「へら、へら」笑っているのですか。
ほんと、不思議です。
国民の皆さんは、棚から牡丹餅が落ちてくるのを待っています。
「誰かが、何とかしてくれる」日を待っています。
そんな日は来ませんし、牡丹餅も落ちてきません。
そんなこと、知っていますよね。
それでも、皆さんのDNAが、「じっとしていろ」と言います。
それは、皆さんが「下々」根性に支配されているからです。
確かに、「下々」が「国民」になるのは至難の業かもしれません。
それでも、このままだと、皆さんの安全は保てません。
1億2000万人が貧しくなっても、あなただけは貧しくならないという自信はありますか。もしも、そう思っているのであれば、それは、勘違いですから。
DNAに逆らってでも、行動する必要があると思います。
では、行動って何でしょう。
武器を持って、竹槍や鍬を持って、政府を倒せば、私達の安全は守れるのですか。
そうではありません。
武力革命なんてやれば、更に、貧しくなるだけです。
欠けているものを補うしかないと思います。
私達に欠けているものは、目的です。
だったら、目的を作るしかないのではありませんか。
もちろん、目的さえあれば何とかなるわけではありません。
その目的を達成するための責務が必要になります。
国民一人一人が、目的を達成するために力を注ぐ必要があります。
誰かが何とかしてくれる、なんて都合のいいことは起きないのです。
自分の力で自分を守る。
これが、生き物の宿命だと思います。
自分一人で守れない時は、仲間で守るのです。
サバンナで群れを作っている動物は、偶然、群れを作ったわけではありません。
自分の身を守るために、群れを作ることを知っているのです。
彼等は、群れを作ることで、永続を手に入れたいと思っているのです。
目的は、生き延びることです。
それが、生き物の本能なのです。
私達は、サバンナの牛達よりも、永続を守ろうとしていません。

今のままなら、この先、どこかで、大崩壊に遭遇します。
その大崩壊の原因は、戦争、地震、デフォルト、ハイパーインフレ等という引き金によるものかもしれませんが、根本原因は、皆さんが、自分の身を守ろうとしなかったことです。
自分の身を守るためには、集団を守らなければなりません。ここで言う集団とは、属している組織のことではありません。自分が属する組織さえ守っていれば生き残れるなんてことはありえません。国が潰れてしまえば、一緒に潰れるのです。ですから、集団とは、国民の皆さん全員のことです。「自分さえよければ」「今さえよければ」を優先させ、集団を、国民を、守るための行動を放棄すれば、自分を守れなくなるのです。
私達は、生き物は、生き延びるために、生きているのです。
これは、理屈ではありません。
生きる意味なんて、どこを探しても見つかりません。
それでも、私達は生きようとするのです。
大崩壊が起きて、世界の最貧国になれば、嫌でも、その現実に遭遇します。
しかし、最貧国の国で生き延びるのは大変です。
だったら、最貧国になんてなってはいけないのです。
「言葉の定義」という私の提案が、正しいのかどうかはわかりません。
でも、目的も責務もないままで、何とかなるとは思えません。
現に、この国は、壊れ始めているじゃないですか。
縄文時代の人達にとって、死は、集落の絶滅は、常に、身近にあったと思います。
10日食糧が手に入らなければ、30日、食べなければ、死ぬのです。だから、必死に、皆で力を合わせて、食糧の確保をしたのです。理屈抜きで、集落を守ろうとしたのです。
今、貧困家庭の子供が、まともな食事を食べられるのは給食だけだと言われています。
どうして、「この国、何か、変だぞ」と思わないのでしょう。
どうして、皆で、「俺には関係ねぇ」と言っているのですか。
国が崩壊すれば、給食もなくなります。
どうするのですか。

国民の多くが、政治に期待していません。
投票率が低いということは、そういうことです。
国民は、政治ではこの国を救えないことを直感で知っているのです。
それなのに、国民は、「俺には関係ねぇ」と言って、逃げているのです。
もちろん、国民の皆さんの気持ちは痛いほどわかります。誰に投票しても、何党に投票しても変わらないのですから、投票することそのものに意味がないのです。
でも、逃げているだけだと、ドツボにはまるのは皆さんなのです。
皆さんが、自分を守るためには、自分の生活を守ってくれる政治集団が必要なのです。
どうか、その事に気付いてください。
皆さんの心の奥深くには「生き延びたい」という気持ちがあります。これは、生き物であれば、どんな生き物でも持っている本能です。
だったら、生き延びるための行動を起こすしか方法はないのではありませんか。
国民が「言葉の定義」をし、目的と責務を明確にすれば、その目的と責務を実現しようとする政治集団が勝手に生まれます。なぜなら、投票権は国民が持っているからです。
今の、禄でもない政党は、私達には不要な集団なのです。そんな連中を税金で食わせる必要はありません。
与党第1党の政党は「自由民主党」で、野党第1党の政党は「立憲民主党」です。どちらも、「民主党」です。「民(たみ)」が「主(あるじ)」であることを宣言している政党です。
でも、どちらも、自分を支持してくれる「民」の利益を守り、それ以外の「民」を犠牲にして、「自分」が権力を得たいと思っているのです。これでは、封建時代の思考と同じです。これは、民主主義国家ではありません。
「民主」を掲げる政党の人達が、真っ先に、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をしてもおかしくはないと思いますが、そんなことはしていません。
ですから、私達は、右の国民や左の国民だけではなく、無党派の国民生活を守ってくれる政党を生み出す必要があるのです。無党派層は最大の集団でありながら、残念ながら、最弱の集団なのです。それは、国民の皆さんが逃げているからです。
もしも、生き延びたいと思うのであれば、私達国民が、最低でも、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をするしかないと思います。


2021-11-02



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