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残り10年 [評論]



毎年のことですが、今年も暗い話を書きます。

日本崩壊まで、残り10年となりました。
15年後と予測してから、既に、5年が経過したことになります。
何一つ好転していません。
10年なんて、あっと言う間です。

経済評論にも「長期金利」という言葉が増えてきています。
私は「いよいよ、近づいてきた」と実感していますが、そんな実感を持っているのは、ごくごく、少数の、石田のような半端者だけということなのでしょう。想像力を失ったために、自分の、そして家族の将来にも無関心になってしまった国民の皆さんの無神経には脱帽するしかありません。長期金利が皆さんの生活に大打撃を与えることは、絵空事ではありません。現実に起きることなのです。
でも、私の力では、それを伝えることはできませんでした。
最早、じたばたする時期は過ぎたと思わねばなりません。
昨年までは、国民の皆さんに「目を覚ましてくれ」ということを主題にして書いてきましたが、もう、その時期は過ぎたと思います。
今年からは、崩壊後の日本で、生き残った人達へのメッセージという文章を増やさなければならないと思っています。それは、今以上に奇跡を信じるしかありませんが、それでも、信じるしかないと思います。
崩壊後の日本の混沌が、どのくらい続くのかわかりませんが、100年後でも500年後でも、新生日本の建国の時には、ぜひ、私達平成の大人が犯した過ちを分析し、役立てていただきたいと思います。

専門家と呼ばれる方や、準専門家の皆さんの知識は、私のような庶民には手の届かない高度なものだと思います。
しかし、目的や使命が見失われていたり、違う目的や使命に照準を合わしていたとすると、知識は、単に知識にすぎないものになってしまいます。知識は、生かされて、初めて、その価値が生まれるものと思います。そのためには、私達の目的と使命が明確になっている必要があります。
私達の目的は、「生き延びる」ことだと思っています。
「何を、当たり前なことを言っているのだ」と思われる方が大半です。でも、「生き延びる」という言葉を目にすることがないという現実は、「生き延びる」という言葉が私達の意識下に押し込まれたままであり、知識として持っているだけなのではないでしょうか。
「生きる」ことと「生き延びる」ことは別物です。
「生きる」ことの時間軸が100年だとすると、「生き延びる」ことの時間軸は無限です。
いつの頃からか、「生きる」が目的になり、「自分さえよければ」が当たり前になってしまいました。もちろん、10年後に地球そのものが消滅するのであれば、「生きる」ことも「自分さえよければ」も非難するようなことではありません。しかし、まだまだ、地球が存在するのであれば、次世代のことを考えることは私達の責務なのではないでしょうか。
私達は、「生き延びる」使命を持って生まれてきた生物なのです。これは、動かし難い現実です。
そして、願わくば、より良き環境で「生き延びる」ことを目指すべきです。
そのためには、私達がより良き環境を次世代に引き継ぐ必要があります。
それが「生き延びる」ということであり、知識は、そのために使われなくてはなりません。
私達は、今、その目的を、見失っています。ですから、折角の知識が役に立っていません。こんなことは、少し冷静になれば誰にでも理解できることですが、そのことに気付かなければ、コップの中で騒ぐことしかできないのです。国内の出来事に目を奪われていると見えてきませんが、私達は、利害関係のない、冷静に現状分析ができる国外の警告を真摯に受け止める必要があります。それは、日本の少子高齢化と債務残高です。共に、世界一なのですから、当たり前の警告です。
私は、財政破綻で国家崩壊が起きると予測していますが、それは、切っ掛けに過ぎません。あらゆる側面で、この国は壊れようとしています。その兆候は至る所で見えています。しかし、崩壊という予測がないと、その兆候が見えません。
より良き環境を次世代に引き継ぐ、ということは簡単なことではありません。
自分の利益よりも、他者や次世代の利益を優先させるのは至難の業です。
東日本大震災の時、日本人はストイックだと世界に称賛されましたが、あれは、東北地方のお年寄りの皆さんがいたから出来たことです。ストイックな日本人という種族は、既に、絶滅危惧種になっています。
この困難な「より良き環境を次世代に引き継ぐ」という仕事をするために、国家運営者は存在しているはずでしたが、そんな使命を担った人達が「いの一番」に自分の利益確保に狂奔しているのですから、今は、その仕事をしている人はいません。努力もせずに「より良き環境を次世代に引き継ぐ」という難事業が出来るはずがありません。私達は、目的を見失ってしまったのですから、崩壊することは避けられないのです。
ごく小さな事例ですが、国家公務員の給与引き上げが2年連続で実現します。
公務員の平均給与を600万円とします。一般勤労者の平均給与は400万円で、非正規労働者の平均給与を200万円とすると、公務員の給与を引き上げる必然性がどこにあるのか不思議に思いますが、彼等は勝ち組の中での比較しかしません。政治家、公務員、大企業の正規社員だけが勝ち組です。大企業がベースアップしたのだから、公務員だって給与を引き上げて当然だという論理です。一握りの勝ち組のために、国家運営が行われているのが現状です。
国会議員が育休宣言をしたそうですが、これも勝ち組の驕りに見えます。残業をしてでも、稼ぎたいと思っている貧困層が育休を取ることなどありません。「国会議員である私が、率先して育休を取れば、下々にも良い影響がある」と思っているようですが、それは、驕りに過ぎません。勝ち組だけが国民ではないのです。国会議員の先生方は、自分達は選ばれしものであり、他より抜きんでた存在なのだから尊敬されるのが当然であり、その処遇も下々の者とは異なるのである、と思っているようですが、一つだけ忘れているものがあります。それは、国会議員は、国民のために働き、国民を幸せにするために、その仕事を請け負っていることです。その仕事は、ご自分のために、やることではありません。
利益を出している大企業の税金を減らし、赤字続きの中小企業の課税強化を図っていることも、国家運営の実情です。
税金を上げ、物価を上げ、庶民の可処分所得が減少している状態を経済対策だと嘯いている政府は、盲目状態だと言うしかありません。国民から購買力を奪って、経済が発展することなどあり得ません。
増税や円安で税収が増えたから、と言って使い道を探していていいのでしょうか。この国は巨額の借金を抱えているのですよ。
国家運営者は、今の、目先の、自分の、利益を増やすことしか考えていません。
国家崩壊の原因は、「自分さえよければ」にあるのです。
一番「自分さえよければ」をやってはいけない人達が、率先して「自分さえよければ」をやっているのですから、そこに救いはありません。これこそ、末期症状です。いつの時代でも、末期症状は似たものになります。歴史の転換時には、必ず、「自分さえよければ」が横行します。
壊れるように、壊れるように行動しているのですから、壊れるのです。何の不思議もありません。
大半の方が「より良き環境を次世代に引き継ぐ」という知識は持っていますが、それは持っているだけに過ぎません。やっていることは、真逆のことをやっているのです。
私達は、あの高度経済成長期の日本が、一瞬だけ咲き誇ったように見えただけの日本史の中の徒花だと認識すべきです。

残念ながら、打つ手はありません。
私達、平成の大人達は、目を覚ますことがありませんでした。
何度も、何度も、お願いはしてみましたが、無駄でした。
崩壊後、生き残った皆さんが、私達の愚行を、その根っ子を学習してくれることを願うだけです。今度こそ、目的を忘れないようにしてください。


2016-01-01



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