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共和党 [評論]



大阪府知事と大阪市長の選挙があり、維新候補が、知事、市長に当選しました。
これは、地方マターなので、大阪以外では大事件ではありませんが、国単位で見た時も「もしかしたら」という希望があるのかもしれないと思いますので、取り上げました。
全国ニュースでも、今回の選挙が維新対非維新の選挙であったことは伝えられていました。公明党は自主投票だったようですが、投票結果からは多くの公明党支持者が自民党の候補者に投票したようですから、自民、公明、民主、共産の4党と維新1党の選挙戦だったのです。普通であれば、1地方政党が与党を含む4党連合に勝てる訳がありません。それが、勝ってしまったのです。
今年の5月に大阪都構想の是非を問う住民投票があり、大阪市民は維新の都構想に反対をしました。私は、そのことで、6/3に「ずるずる」という評論で、大阪市民を糞味噌に貶しました。
「ブルータス、お前もか」と書きました。
しかし、今回は、違ったのです。
流石、大阪人。
その柔軟な思考回路は失われていなかったのです。
私は、非礼を詫びるしかありません。
でも、喜んで、頭を下げたいと思います。
多分、あの住民投票の時は、都構想の賛成票が勝つと思っていた人が多かったと思います。一寸したブレーキをかけるつもりが、急停車をしてしまって、驚いたのかもしれません。その反省も今回の選挙では棄権という形で維新側に有利に働きました。
何よりも、大きな原因は、自民党が共産党と共闘したことです。自民党は、助平根性で墓穴を掘ったことになります。確かに、共産党の組織票は自民党候補者に集まりました。しかし、自民党支持者の票が大量に維新候補に流れる結果となったのです。自民党支持者の良識が、この選挙戦を決めたと言っても過言ではありません。このことは、国政レベルでみても、自民党支持者の中には良識派の人達がいるということを示しています。橋下徹は嫌いだとしても、「衰退する大阪」という現状を止めるためには、何か行動しなければならないことがわかっているとすると、維新の方がやってくれるかもしれないと考えたのではないでしょうか。共産党と共闘するようでは、大阪自民党は利権擁護しか考えていないと見破ったのです。
無党派層の人達も、自民と共産が共闘したことで、利権の温存のための選挙に過ぎないことに気付きました。街の声を聞いているテレビでも、そう答えている人がいるのですから、大阪では常識になっていたのでしょう。
自民党は、維新の党に負けたのではありません。大阪自民党と共産党に負けたのです。
世間では、大阪自民が選挙に負けた原因は共産党だという見方はほぼ常識になったようですが、私もその意見に賛成です。ただ、良し悪しや好き嫌いは別にして、共産党の存在感は立派だと思います。もしかすると、大阪共産党には、中央からの指示による別の動機があったのかもしれません。
「勝手に応援しますから、気にしないでください」と言われ、それを断れなかった大阪自民党の失敗ですが、そのことは、きっと、自民党の東京では、分析がされていたのでしょう。だから、安倍総理が応援演説に来なかったのです。地味な谷垣さんと人相の悪い石破さんを派遣したことをみると、東京は大阪自民党を見限っていたと思います。安倍さんや小泉進次郎さんが応援演説に来ていれば、どうなっていたかわかりません。客寄せパンダの力は、侮れません。
安倍さんとしては、維新の橋下氏や松井氏とは良好な関係を築いているのですから、「どちらが勝っても、失うものはない」と、二股をかけたのでしょう。それに、共産党を受けいれてしまうほどの、形振りをかまわない大阪自民党の姿勢と同じように思われるのも心外だったのではないかと思います。大阪自民党の助平根性が、ただただ利権を守りたいという近視眼が、敗因の根っ子にあり、大阪市民は、それに気づいたのです。
政党や政治家の論理ではなく、市民が選択した道です。私は、大阪市民の皆さんに敬意を表します。簡単なようで簡単ではありません。なぜなら、常識に逆らうことであり、住民投票で犯した自分の過ちをさらりと水に流せる柔軟性が必要とされるからです。他の地域の住民で、ここまでやった住民はいないと思います。
ただ。
維新府政、維新市政の先行きは楽観できません。
大阪に、薔薇色の未来が約束された訳でもありません。
しかし、希望だけは繋ぎ止めました。
私は奈良に住んでいますが、奈良には至る所に鹿がいると思っている方もいます。いいえ、鹿は奈良公園にしかいません。でも、大阪は、ワーストワンの宝庫です。ワーストワンが至る所にあります。やらねばならないことは山のようにあります。中でも、最大の課題は財政破綻です。どこまで切り込めるか、大変難しい課題です。利権の剥奪だけではなく、市民や府民にとって、痛みを伴う施策を進めなければ、乗り切れません。どうやって市民と対話するのか、どうやって市民の賛同を得るのか。これは、難題です。でも、これを成功させなければ、大阪の明日はありません。
大阪都構想は魔法の杖ではありません。制度面で「都」にしても、東京と大阪では環境が違います。首都機能と、企業集中の恩恵は東京にしかありません。大阪都で出来ることには限界があります。自民党が言うように「大阪都にしても、何も出来ない」という見方は正しいと思います。もっとも、自民党の主張する大阪会議では、もっと酷いことになります。今回の選挙が、大阪を三流都市にするか、四流都市にするかの選択だったと考えれば、答えが出ます。四流よりも三流を選んだ市民の判断は正しかったのです。
既存政党が大阪を支配すれば、借金は膨らむだけです。だからと言って、維新がやれば借金から解放されて、大阪が発展するという訳でもありません。出来ることと言えば、借金を増やさないことか、少しでも借金を返せるか、というものです。衰退する大阪を、これ以上衰退させないようにするだけでも並大抵のことではありません。トレンドというものは、そういうものです。企業であればV字回復も夢ではありませんが、自治体にはそんな離れ業はできません。
情報発信の天才と言われた橋下氏が辞めたことは、今後、大きく影響するものと思います。橋下氏が好きな人も、嫌いな人も、彼の発信力は認めています。新知事と新市長に、同じことが出来る訳ではありませんので、別の強みを出していかねばなりません。それが、課題になります。
新知事と新市長に想像力があるかどうか、わかりません。二人に想像力がなかったとしても、想像力から生まれた施策を取り入れるだけの度量があるかどうかが試されます。松井氏は、暴れん坊の橋下氏を受けいれた実績がありますので、別の才能を受けいれる素地は持っていると思いたいです。吉村氏は、調整型の政治が自分流だと言っていますので、大変心配しています。彼は、それが地方政治の王道だと信じています。しかし、時代認識や環境認識が誤っていれば、王道は簡単に王道ではなくなるのです。吉村氏には、若さがありますので、変貌を期待します。時代認識を持てば、難しいことではありません。
利権集団の抵抗を排除することは至難の業です。それは、「欲」と二人連れですから、最強の抵抗勢力になります。これまで、改善・改革という言葉で成功した例は多くありません。人間の本性が相手なのですから、当然です。既存政党は、折角獲得した利権を守らなければなりません。守れなければ、支持団体から見離されます。それは、自分の政治生命を脅かすことになります。必死になります。海千山千の猛者相手に、話し合いや調整で折り合いがつくと思っていたら大間違いです。子供扱いされて、結果的に、何の調整も出来ていなかったことに唖然とする日を迎えます。早くそのことに気付き、方向転換をすることをお勧めします。
前にも書きましたが、橋下氏の人選眼を信頼してはいけません。優秀な方ですが、人を見る目はありません。もう、吉村氏は市長になってしまったのだから「頑張ってくれ」としか言えませんが、なぜ、吉村氏だったのか。そこが、謎です。私はよく知りませんが、きっと、吉村氏は、優秀なのでしょう。でも、全天候型の優秀さだとは思えません。改革を成し遂げ、後は時間をかけて地道に成果を拾っていく段階であれば、吉村氏は適任なのかもしれません。でも、改革は道半ば、いや、始まったばかりです。吉村氏には荷が重いと思います。橋下氏も、最初から喧嘩腰ではありませんでした。埒が明かないとわかると、迷わずに正面突破をする無謀さを持ち合わせていました。彼の実績は、ほとんど、この無謀さがもたらしたものです。吉村氏が同じことをやれば、そうするしか方法はないと思いますが、吉村氏自身が壊れてしまうと思います。私には、吉村氏が優等生にしか見えませんので、大変危惧しています。なぜ、彼を後継者に指名したのでしょう。橋下氏は何度も人選で失敗しているのですから、もう少し学習すべきだと思います。

それでも、この大阪での2勝は、中央にも影響があると思います。
維新の党は、東京組と大阪組の裁判沙汰になっていますが、東京組の劣勢は強まります。来年の参議院選挙までは、まだ時間がありますが、じり貧状態になると、1年で劣勢を挽回するのは難しくなります。もしも、安倍さんが憲法改正で勝負に出れば、衆参同時選挙も視野に入ってきます。落ち着いている場合ではなくなります。特に、比例で当選している議員にとっては死活問題になります。民主党は、総括もせずに、解党もせずに、ひたすら、嵐が通り過ぎるのを待っていますが、国民のトラウマは簡単には解消しません。民主党が左方向へと傾くことは、民主党の存在感を、ただでさえなくなった存在感を、更に希薄にさせていきます。左系の有権者は、共産党でも社民党でもいいのですから、民主党が浮上する場所はなくなります。保守の自民党、中間派の公明党と大阪維新、左系の共産、社民、民主という3つのくくりが出来ます。左系の民主に籍を置きたくない政治家は、大阪維新に拾ってもらうか、新たな中間派を作るしかありません。来年の参議院選挙へ向けて、政界再編ではなく、野党再編が始まると思います。選挙後の自民、公明、大阪維新の勢力次第では憲法改正も可能になります。こんなチャンスは、100年に一度かもしれません。
安倍さんは、勝負に出ると思います。政界引退と言っていた橋下氏も、引きずり出されるでしょう。あの発信力を放っておくとは思えません。既に、密約があるのかもしれません。自民、公明、大阪維新の選挙協力や選挙区調整もあるかもしれません。自民主導の選挙協力と、共産主導の野党選挙協力が実現すれば、勝ち負けは歴然としています。「おおさか維新の会」という政党名を「共和党」という名前に変更すれば、全国展開だって視野に入ってきます。道州制を目指すのであれば、「共和党」でも違和感はないでしょう。
ま、政治の世界は何が起きても不思議ではありませんから、1年後の予測をしても当たらない確率は高いと思いますが、大阪の2勝は何らかの形で中央政界にも波及するのではないかと思っています。


蛇足になりますが、今回の選挙について「ポピュリズム」や「衆愚政治」という批判が一部にあります。いつも思うのですが、衆愚政治の反対語は何という言葉なのでしょう。衆賢政治という言葉は耳にしません。「お上に任せておけばいい」という政治のことを封建政治と呼ぶのであれば、封建政治がベストだということなのでしょうか。それとも、この国には一度も存在したことのない間接民主主義が理想形なのでしょうか。
大衆は愚か者であるという定義は、それほど的を外していません。もしも、間接民主主義が理想形なのだとしたら、それを機能させることが先決です。間接民主主義を機能させるためには条件が必要です。それは、国民を一定のレベルにすることです。その証拠に、この国の偽物の「間接民主主義もどき」は、見事に機能していません。選挙さえすれば、間接民主主義が機能すると思っているようですが、それは違います。選挙は、今のところ、愚か者が愚か者を選ぶ行為に過ぎません。選ばれた愚か者は、選んだ愚か者のことを忘れ、「自分さえよければ」に走ります。つまり、選挙で選ばれた「お上」も、愚か者の集団なのです。そんな「お上」に任せた方が良いという根拠はどこにあるのでしょう。他国のことは別にして、少なくとも、間接民主主義の前提条件が無視されているこの国で、「衆愚政治」という言葉を使うことは、最初から論理破綻をしていることになります。
衆は賢者にはなれませんので、少しでもレベルを上げて、そこそこの未来を勝ち取るしかないように思います。それを、衆愚政治とは呼ばないと思います。
衆愚政治だと非難する人達は、大阪市民は扇動されて踊った愚か者だと言っているようです。東京からみれば、異様に見えるのかもしれません。常識で考えれば、地方政党が自民党主導の4党連合に勝ってしまったのですから、理由が見つけにくいのでしょう。きっと、大阪人は、愚か者の集団に見えてしまったのかもしれませんが、そうではないと思います。大阪人だって、政治には期待をしていないと思います。でも、ほんの少しでも、良い方向を目指すのであれば、大阪自民党に任せる訳にはいかない、と現実的な判断をしたのです。彼等は、主権者としての最低限の仕事をしたのです。残念ですが、大阪市民以外で、このような仕事をした市民を私は知りません。市民意識という意味では、大阪市民が先頭を走っているように私には見えます。
私は、衆愚政治の方が好きです。先ず、人間は愚か者だという前提を忘れるべきでありません。多くの方が勘違いをしていますが、国家運営者も国民も、多くの失敗を積み重ねています。それは、国家運営者も国民も、人間だからです。愚かな国家運営者の失敗の尻拭いをさせられるくらいなら、自分の愚かさが原因で死を迎える方が、よほど納得がいきます。しかし、残念なことに、国民は主権者にされているのですから、そこに安住してはいけないという責務を負っています。
民主主義という体制では、国民に、失敗を減らす努力が求められているのです。自分のためにも、他者のためにも最善を尽くす義務を負っています。国民は主権者であり、最終責任者なのですから、当然のことです。国家運営者は、国民の外注先に過ぎません。ですから、国民は外注先の管理もしなくてはなりません。それが、私達国民の仕事です。
国民が、努力をすれば、国家運営者のレベルも、評論家のレベルも向上します。それは、国家運営者も評論家も国民の中の一人なのですから、当然です。
ここにも「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義の不在があります。



今年1年、お付き合いしていただいた皆様。
ありがとうございました。
皆さんの忍耐力には脱帽します。
もし、気が向けば、来年も覗いてください。
今年の評論は、今日で終わります。
覆面作家企画が始まり、懲りもせずに参加していますので、ブログの更新はあるかもしれませんが、文学系ですから、興味の無い方は無視してください。
では、皆さま、よいお年を。


2015-12-07



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