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川面城 [短編]


 西暦二千六十六年八月一日。
あの大津波の年から二十年が過ぎていた。兵頭康平達は近畿刑務所の建物に住みつき、そこを川面城と呼んでいた。
康平は二人の子供の父親になっていた。上の男の子は守備隊員になっている。下の女の子は十四歳で、城の中ではまだ子供として生活できる歳だった。広い土地と豊富な水に恵まれて、川面城の食料事情は飛躍的によくなった。五年前に姫路の漁村と物々交換ができるようになり、魚介類も食べることが出来るようになった。それは、米や野菜を外部に出すことができるようになった頃と同じ時期だった。
川面城では、強盗団の襲撃は一度も受けていない。そもそも、外部の人間が川面に来たことがなかった。十年前から、守備隊も農作業に従事するようになり、守備だけを仕事にする人間はいなくなった。全員が予備役になったに等しい。ただし、守備隊の仕事や責任が無くなったのではないので、訓練や武器の手入れは続けていた。
午前中は畑で作業をしていたが、午後は査問会が開かれる予定なので、康平は会議室に座っていた。副官の三浦がやってきた。気が重くなることのない会議などなかったが、査問会は特に気の重い会議だった。トラブルを起こした住人の処分を決めるのだから、誰も喜んでいない。三浦の顔も暗かった。
出席者は六人だが、いつの間にか康平が最年長の隊長になっていた。平均寿命は年々低くなっているようだ。医療班はいるが、レントゲン等の検査手段はなく、手術もできない川面城ではそれも仕方がない。甲子園城にいた頃から、食べる物はその日を生き延びるための最低限のものしかなかった。誰も満足な栄養状態で生きてきたわけではなく、病気に対する抵抗力も弱かった。必死に毎日を生きてきて、気がついてみると同年代の隊長は誰もいなくなっていた。自分も予備役の人間になりたいと思っているが、それを周囲が認めてくれない。平然としているように見えるかもしれないが、自分の中では疲れを感じていて、できれば、隊長という責任を離れ、農作業をしながら死んでいきたいと思っていた。
出席者が揃い、会議を始めようとした時にサイレンが鳴った。康平は三浦の顔を見た。三浦は首を横に振り、訓練の予定はないと言っている。
「監視塔で確認してくれ。私は正門にいる」
「はい」
二人は走った。
農地が広くなった分、住民の行動範囲も広くなり、援助班が探してきた手回しのサイレンが必要になった。毎年、避難訓練は行われていたが、訓練の季節ではない。
康平は正門の外に出て、住民の避難状況を見た。まだ、サイレンは鳴り続けている。
「隊長」
もう一人の副官、細貝が走って来た。
「隊員を集めて、武装する。急げ」
「はい」
状況は把握できていないが、準備は不可欠だった。武器庫の鍵は康平と二人の副官しか持っていない。
守備隊の人間なら正門に集まってくる。内部から出てきた隊員にも、畑から駆け戻ってくる守備隊の班長にも、「武装しろ」と命じた。
まだ、多くの住民が必死で駆けている。城から飛び出して行く若者もいた。年配者の避難を助けるのは若者の仕事だった。
三浦が走って来た。
「約20名。武装しています」
「伝声管は」
「配置しました」
「避難の遅れている人はいないか、見張りに徹底させろ」
「言ってきました」
「細貝に武装の指示を出した。お前も武器庫に行け」
「はい」
正門の大戸は常時閉められていて、土嚢が積み上げられている。通用口へと住民が吸い込まれていく様子を見守った。誰もが緊張した表情をしている。甲子園城の誠心会との戦いを体験していない人間は多い。話しか聞いていない人間は不安が大きいと思われる。
先ほど出ていった若者の群れが、年寄りの手を引いたり腰を押したりして戻って来た。なだらかではあるが坂道になっているから、老人の足では駆け上ってくることは難しい。
一本道の向こうに黒い一団の群れが見えてきた。伝令が走ってきて、全員避難したという報告を受けて、康平も城に入った。
正門の前には武装した守備隊が並んでいた。既に監視塔と伝令に配置されている隊員がいるので、戦闘部隊として動けるのは、集まっている60人ほどしかいない。
「三浦は、一班から四班までを指揮して、北門を出て、正門右手の林で待機。五班は東側、六班は西側の銃眼で守備。残りは、正門横で待機。こちらに銃器があることは最後まで伏せておきたい。銃は見せないように。以上」
高い塀の内側は土盛りされていて、高さ3メートルほどの所に細い銃眼が開いている。援助隊が苦労した苦心の作品の一つだが、これまで役に立ったことがなかった。
康平も銃眼の一つから外の様子を見た。相手は武装しているが戦闘モードではない。先頭にいる二人の背広姿の男の警護をしているようだ。警護する人間の服装は迷彩服で統一され、ヘルメットを被っている様子からは強盗団には見えないが、武装しているのだから危険であることには変わりがない。
「我々は、日本政府の者です」
「ここの、責任者の方と話がしたい」
「門を開けてください」
若い方の背広男が、手をメガフォンにして大声で城へ呼び掛けてきた。
「危害は加えません。安心して、門を開けてください」
銃を持っている人間を引き連れていて、危害を加えないと言うのも勝手な言い草だが、若い男の顔には、自分自身でそう思い込んでいるような緩い表情があった。
放置しておけば、帰って行くかもしれないが、居座ってしまうと面倒になる。康平は階段を降りた。
「開けてくれ」
「隊長」
「大丈夫だ。話をしにきただけだろう」
「はい」
「ただし、私が出たら、その閂は閉めておけ」
「・・・」
「それと、私が撃たれたら、全員を殺せ。これは、命令だ」
「はい」
細貝は、まだ迷っていた。
「細貝」
「はい」
康平は一人で門を出た。
背広姿の男は、一人が康平と同年代ぐらいの痩せた男で、若い方の男は二十代の体格のいい男だった。警護の人間は銃口を下に向けてはいたが、目つきには厳しいものを感じた。
「あなたが、責任者の方ですか」
「いや」
「責任者の方をお願いできますか」
康平は、汚れた野良着に近いものを着ているから、使いの者だと思われても仕方がない。
「話は、聞きましょう」
「あの」
若い男を制して、年配の男が一歩前に出てきた。
「私は総務省の宮部と言います」
「で」
康平は名乗る必要を認めなかった。言葉は丁寧だが、明らかに上から目線の声に聞こえた。
「日本政府を代表して来たと思ってください」
「・・・」
「今、政府は全国の国勢調査をしています」
「・・・」
「全国民の皆さんに、協力いただきたいと思っています」
「で」
「ここに、お住まいの方の名簿を頂きたい」
「名簿」
「できれば、この中も拝見したい」
「用件は、その二つですか」
「今日は、そうです」
「と言うことは、今日で終わりではない、ということですか」
「お話しなければならないことは、沢山あります。それは、後日で結構です」
「そうですか。では、一つ目の答えですが、名簿はありません。二つ目ですが、見学はお断りします。どうぞ、お帰り下さい」
「名簿がなければ、我々が聞き取りをして名簿を作ります。皆さんと話をさせてください」
「訳がわかりません。何故、名簿を出すのですか」
「国勢調査だと言いました」
「ここでは、必要ありません」
「日本にお住まいなのですから、その義務はあります」
「あなたは、政府の人間だと言いましたね、あなた方は認めないかもしれないが、ここも、日本政府です。ここに住むことは、我々日本政府が許可しています」
「ここが」
「そうです」
「無茶を言わないでください。あなた方が日本政府だと言っても誰も認めませんよ」
「同じ事です。我々もあなた方を認めた憶えはありません」
「それは、協力しないということですか」
「そうです。あなたに協力する必要が見当たらない」
「それは、まずいです。協力することをお勧めします。あなたは、最初に責任者ではないと言いました。話を聞くとおっしゃったから話をしたんです。あなたが、結論を出されるのでしたら、是非、責任者の方にお会いしたい」
「我々、日本政府は合議制ですから、特定の責任者はいません。私が事後報告をしておきますから、気を使わないでください。話は聞きましたから」
「そうは、いきません。どうしても、協力していただかなければなりません」
「では、国勢調査とやらをして、何がしたいのですか」
「何って、国が国民の事を知るのは当然だからです」
「そこが、わかりません。我々は、あなた方の国民になったことはありません」
この議論はどこまでやっても堂々巡りになることがわかったのだろう。宮部という男が口を閉じた。いや、そうではなく、怒ったのかもしれない。後ろにいる警護の人間が銃口を少しだけ上に挙げた。
「わかりました。今日は引き上げます。もう一度、正式な話し合いをしたいと思いますが、いいでしょうか」
「何のために、ですか」
「争い事にしないためです」
「争い事。武力で、抑える、つもりですか」
「そう、ならないために、です」
「驚きましたね。いいでしょう。一年後で、どうです」
「そんなには、待てません。一週間後でお願いしたい」
「忙しい人だ。では、三年後としましょう」
「はあ」
「三年がご不満なら、五年後でもいいですよ」
「あなたは、喧嘩を売ってる。皆さんを危険に晒す権利があなたにあるのですか」
「あなた方が何もしなければ、危険はありません。脅しをかけているのは、あなたです」
「では、一ヶ月後にしましょう」
「話し合いをしても、答えは一緒です。我々もぎりぎりの生活をしていますので、あなた方に渡す食料はありません」
「えっ」
「税金だと言って、我々の食料を取り上げることが目的なんでしょう。そうじゃないのであれば、話し合いの余地はあります。そのことを約束できますか」
「・・・」
「一カ月では、その文書は用意できないでしょう。一年あれば、できますよね」
「私の一存で、そんな約束はできない」
「では、結論を持ち帰って、検討して下さい。その答えは、あなた一人で、ここに持ってきてください。後ろにいる危険な人達を連れずに、です」
宮部と名乗った男は、康平を睨みつけながら、しばらく考えていたようだ。
「とりあえず、今日は帰ります。また、来ますので、検討しておいてください」
男は康平の返事を待たずに、回れ右をして警護の人間の間を割った。
「宮部さん」
男は足を止めて、半身になって康平を見た。
「でしたよね」
「・・・」
「次に来る時は、来てもらいたくはないけど、あなたは来るんでしょう」
「もちろん」
「その時は、その銃を持った人達を連れてこないことをお勧めします。そうしていただかないと、あなたも、ここまで辿りつけません。あなたは、命じられた仕事をしなくてはいけない立場にある。違いますか」
「どういう、意味かわからない」
「意味などありません。我々の警戒区域に銃を持った人間が入れば、敵とみなして警告なしに射殺します。あなたが銃をもっていなくても敵として対処することになる。そのことを承知しておいてください」
「我々を脅すのは、ちょっとまずくありませんか」
「脅しではありませんよ。ただの忠告です。どうするかは、あなたの自由です」
康平は男達に背を向けた。
「待ちなさい」
男は、どこまでも上から目線の物言いをした。
「私は、私の判断で、私の仕事をするだけです。あなたに、忠告されるおぼえはない」
「ですから、自由にやってもらっていいのです。あなたの命ですから」
男は三歩前に出てきた。明らかに怒った顔つきになっていた。後ろにいる男達の肩にも力が入っている。
「我々は強引に立ち入ることもできます。あなたが抵抗すれば、あなたを排除してでも、やれるんです。この建物だって国の施設ですから、あなた方は不法占拠しているんです。あの畑だって、あなた方の持ち物ではないでしょう。勘違いしないように」
「だったら、そうしてみれば、どうです」
「なに」
警護の人間が一斉に銃を持ちあげ、銃口を康平に向けた。
康平は、両手を横に広げた。
「もちろん、私は抵抗しますよ」
銃を構えた男達が前に出てきた。
「もう一つ、忠告しておきます。私を殺せば、あなた方も全員、ここで死ぬことになります。仕事の方が大事なんじゃないんですか」
その時、川面城の銃眼から銃口が出てきた。林で待ち伏せしていた別働隊が立ち上がって銃口を男達に向けた。男達の目が泳いだ。倍以上の銃口が、男達に照準を合わせている。
「皆さん。引き金から指を離して、安全装置をかけて、その手を上に上げてください」
男達は宮部の顔を見た。
「数を数えますよ。ゼロが合図です。さん」
「にい」
男達が慌てて右手を高く挙げた。
「では、銃を下に置いてください。もう、数は数えませんよ」
男達の手から一斉に銃が投げ出された。姿形は軍人に見えるが、康平達のように修羅場をくぐって来た兵士ではないと思われる。実弾の入った銃を投げ出すことなどあってはならないことだが、男達にとっては恐怖の方が強かったようだ。銃口を向けられた経験もないものと思われた。
「では、五歩、後ろに下って」
全員が大人しく指示に従った。
「ベルトを外し、荷物も下に」
拳銃、銃剣、予備弾のベルトと背嚢が地面に投げ出された。
「もう、武器は身につけていませんか」
全員が自然と両手を上に挙げている。
「もし、身体検査で武器が出たら、全員、死にますよ。いいですか」
男達は完全に死の恐怖に支配されていた。
「今から、10数えます。射程距離から逃げ出してください。いち」
「にい」
男達が走りだした。それは、全力疾走だった。
「さん」
「しい」
「ごお」
もう、数を数える必要はなかった。
正門から、副官の細貝が走り出てきた。林の中からも三浦が来た。
「追いますか」
「いや」
男達の姿は小さくなっていた。
「二人で、守備態勢を作って、しばらく警戒をしてくれ。今日は、一人も外へは出すな」
「はい」
門を入ると、生産隊の隊長をしている浅井と援助隊の吉崎が近よって来た。
「兵頭さん」
「早急に、対応を話し合いたい」
「わかりました」
三人は本部室に入った。
「話は聞こえてましたか」
「はい」
浅井も吉崎も、康平より10歳は若いが、甲子園城での誠心会との戦闘は知っているし、死体の処理もしている。二人とも、信頼できる男だった。
「先ず、守備隊を復活させなければならない」
「はい」
「私達の畑を引き継いでもらいたい」
「大丈夫です」
「城の外に出ている人はいますか」
「薬草取りに、二人出ています」
援助隊の吉崎が、すまなそうに答えた。
「場所はわかりますか」
「はい」
「すぐに、迎えに行きましょう。守備隊も一緒に行きます」
「はい」
「念のためです。私が向こうの立場なら、ここの住民を誰か一人でも拘束したい。情報が欲しいですからね」
「そうか」
「今日は無理ですけど、明日からは、畑にも守備隊が警護につきます。この件が片付くまで、しばらく、守備隊の指示に従ってもらいます」
「もちろんです」
「援助隊の人を迎えに行く人間は除外して、班長以上に集まってもらいましょう」
「はい」
「多分、みんな、動揺しているだろうけど、この事態を受け止めてもらわなければならないと思います」
「そうですね。兵頭さんは、どう思ってるんですか」
「甲子園城での誠心会との戦い以上の、厳しい状況だと思っています」
「そんなに」
「そうでないことを、祈りたいけど、覚悟は必要です」
「はい。時間は」
「2時間後で、いいですか」
「わかりました」
「援助隊の人は、すぐに選べますか」
「はい」
「じゃあ、正門前に来てください。私も、守備隊の人間を決めておきます」
「はい」
甲子園城でも川面城でも、15歳までは未成年とされ、教育期間に当てられている。15歳になると、一人一人が石田計画の100枚近くある計画書を自分で筆記して作ることで大人の仲間入りをする。だから、全員が石田計画書を持っている。ただ、石田計画には、今回のことは想定されていなかった。いかに生き延びるかが主題であり、新しい国が出来ることも、国が調査にくることも書かれていない。ただ、なぜ国が滅びたのかという記録は別紙としてあり、班長以上の責任を持たされた時に筆記させられていた。

食堂に70名近い人間が集まった。援助隊の班長の一人と、守備隊の三浦が連れて行った6人の中に班長が一人含まれているので、全員ではない。できるだけ椅子を寄せて、小さくまとまって待っている人達の顔は緊張していた。
「今日、政府の役人だという人間が、20人の武装兵を連れてやってきました」
康平は立ったまま、話を始めた。
「要求は、国勢調査だと言い、住民の名簿の提出を要求したことと、ここの内部の調査です」
「どちらも、断りました。その理由は、相手が銃を持っていた事。調査の目的は税の徴収だと判断したからです。多分、東京かどこかに政府が、いや、政府と名乗る集団が出来たのだと思います。彼等は、生き残っている日本人を捜し、国になろうとしているのだろうと推測しました。貨幣がありませんから、彼等に必要なものは、食料です」
「わかり易く言えば、彼等は生産隊の仕事はしません。守備隊や援助隊のような仕事はすると言うでしょう。最近は、我々守備隊も作物を作っていますが、我々の本来の仕事は生産隊と援助隊の人達を外敵から守ることです。その役目があったから、生産隊の人達が収穫した食料で、守備隊も生きてこれたのです。それは、援助隊も一緒です。でも、生産隊にとっては、守備隊も援助隊も必要だった。だから、食料を分けることに問題はありませんでした。一方、甲子園城にいた頃、誠心会という強盗団が来て、備蓄していた食料の半分を出せと言いました。彼等は、私達の食料を何の見返りもなく出せと言ったので、我々は戦いました。守備隊は多くの犠牲者を出しましたが、運よく勝つことが出来、我々は生き延びました。あの政府の人間も、極論ですが、誠心会と変わりがありません」
「この考え方から言えば、我々は、我々の食料を守るために戦わなければなりません。しかし、今度は少し事情が違います。国だと言っていました。どれだけの規模なのかわかりませんが、この宝塚まで遠征してくるだけの力を持っていると考えなければならないでしょう。推測に過ぎませんが、彼等の力はあの20人だけではないと思っています。武器も小銃だけではないとすれば、簡単に勝てる相手ではありません。例えば、千人の軍隊を持っていたら、一万人の軍隊であれば、それが10万人だったら、戦うだけ無駄だということになります」
「では、彼等の要求を受け入れるのか」
食堂には静けさに緊張感が加わり、より静かになった。
「ここで、歴史を振り返ってもらいたいのです。食料を作っていたのは、農民でしたが、彼等は豊かだったのでしょうか。いいえ、何百年も、何千年も、農民は貧しい暮らししかできませんでした。それは、何故でしょう。税があったからです。支配者は、問答無用で農民から収穫物を取り上げてきました。それは、何のためだったのか。支配者は国の安定のためだと言い続けてきました。しかし、支配者は、古くは大きな御殿を、巨大な城を築き、贅沢な暮しをしていました。それは、農民が苦労して育てた農作物があったから、それを税として取り上げたからできたことです。では、国の使いだと言っていた、今度の支配者は、そんなことをしないのか。私には、そうは思えません」
「ここにいる人は班長です。石田計画の別冊は知っています。この国が潰れたのは、やはり支配者の強欲のためだったと知っています。今度だけ、同じ事にならないとは、言えないと、私は思っています」
「そこで、皆さんには、住民の方の意見を集約していただきたい。この問題は、隊長が決めることではなく、班長が決めることでもありません。ここにいる住民一人一人が決めなければいけないことだと思います。戦うか、税を出すか。それを選んでもらわなければならないのです。戦えば、多くの人間が死ぬでしょう。税を出せば、貧しい生活に耐えることになります。他の選択肢があればいいのですが、私には思いつきません」
「意見があれば、言ってください」
「いいですか」
年配の班長の一人が手を挙げた。
「どうぞ」
「税って、どのぐらい」
「わかりません。2割も、あるかもしれないし、8割も、あるかもあるかもしれない。私は5割と、考えました。それでも、生活が厳しくなるのは間違いないでしょう。甲子園城での最初の15年は、食べることも満足にできませんでした。子供の頃の記憶は、空腹です。ずっと、腹いっぱい食べてみたいと思ってました。あなたなら、その体験はあるでしょう」
「交渉はできないんですか」
「最初はできると思います。でも、多分、最初だけでしょう。話し合いの条件として、彼等は武装解除を要求してきます。武装解除をすれば、我々に逆らう力はなくなります。彼等の要求通りになるのは時間の問題でしょう。彼等にとっては、生かさぬように、殺さぬように、生産を続けさせることが望ましいことです」
「では、兵頭さんは、戦うつもりですか」
「いいえ。私には、どんなつもりもありません。皆さんの意見に従います。せっかく、今日まで生きてきて、誰が死んでも、私は嬉しくなんかありません。しかし、皆さんの希望であれば、私が死ぬことは、構いません」
「税を出して、いいことは一つもないんですか」
「いえ。すぐにではないでしょうが、電気や水道が使えるようになるかもしれません。我々に一番不足している医療が手に入るかもしれません。手術ができれば、いい薬があれば、死なずに済んだ人は大勢います。我々の平均寿命は下がり続けていますので、いつの日にか上昇に転ずることもあると思います」
「それは、いつ頃なんでしょう」
「わかりません。50年後なのか、100年後なのか、もっと時間がかかるのか。ここまで潰れてしまった国が、そう簡単に豊かになれるとは思えません。でも、何代か後の子孫はそれを手にすることが出来るかもしれない」
「50年」
「それは、誰にもわからないのでないかと、思います」
「はい」
別の班長が手を挙げた。生産隊の班長で、康平と同年代の清水という男だった。
「どうぞ」
「毎年、収穫は違いますよね。出来高の5割ですか」
「いえ。まだ、5割と決まった訳じゃありませんが、出来高よりは決められた量になるのではないでしょうか。例えば、年間何キロというような」
「では、不作の時は」
「我々の食べるものが減るということでしょう」
「収穫がなかった時は」
「国が、我々の食料を出してくれるか、ということですか」
「そう」
「それも、わかりません。不作になる時は、ここだけではないでしょう。国が面倒を見てくれるかどうかは、その時になってみなければ、わからないと思います」
「ずっと、豊作が続いているけど、必ず、そうではない年が来ます。不作というより凶作という年があれば、飢え死にもあります。備蓄なしに、やってはいけませんよ」
「税を出すことになれば、備蓄は難しいと思います。勿論、物々交換もできませんから、魚は手に入らないでしょう」
「それでも、税を出す方がいいんですか」
「そうは言っていません。でも、どちらかを選ばなければならない状況は変わらないと思います」
しばらく、溜息と班長同士の話声が続いた。
「兵頭さん」
「はい」
「どうやって、みんなに話をすればいいんですか。私には荷が重すぎる」
「それは、私も一緒です。でも、黙っておくわけにはいきません。ありのままを話すしか方法はないと思って、私もここにいます。今でも、逃げ出したいくらいです」
「はい」
若い班長が手を挙げた。
「どうぞ」
「戦うとしたら、私達、生産隊も戦闘に参加するのですか」
「それも、意見を聞いてください。ただ、守備隊が全滅した時に降伏しても、相手にも犠牲は出ている筈ですから、簡単に収まりはつかないと思います。天候や水や土という点では、ここは恵まれています。皆さんも、ここの土を大事に育ててきました。報復としてここから別の場所に移されるかもしれません。そこは、一から土地を作らなくてはならない場所かもしれない。収穫にも影響しますし、一人いくらの税を出せと言われると困ったことになるかもしれません」
「それは、戦争か全面降伏か、ということでしょうか」
「その中間があればいいと思いますが、つきつめれば、そうなるのではないかと、私は考えています。相手も人間ですから、感情で決めるようなことはしないと言い切れません。こちらに都合のいい解釈は極力排除すべきだと思っています」
「それじゃあ、踏んだり蹴ったりじゃないですか」
別の若い男が声を震わせた。
「その通りです。40年前に日本が崩壊した時、大勢の日本人が、同じ事を言っていたと聞いたことがあります。国とはそういう存在なのだと言われた事もあります」
自分達が非常に不利な条件を押し付けられていることが、わかったようだった。しかも、その事に対して自分達が無力であることも。
「いつまでに、やれば、いいのですか」
「次に、彼等が来るまでに。それは、一週間なのか、一カ月なのか、わかりません。ですから、早急に結論を出しておく必要があります。特に戦うという結論の場合、準備にはそれなりの時間が必要になります」
「決めてくれませんか」
「わかりました。それでは、4日後に、ここに集まってください」
「4日」
「多分、時間をかければ結論が出るというものでもないと思います。無理矢理でも決めるしかないのではないでしようか」
「私に答えられないことを聞かれたら、相談に乗ってくれますか」
「もちろんです。一緒に考えましょう」

川面城の重い4日間が始まった。
畑に仕事に出る人間も減った。康平のところへは、班長達がひっきりなしに相談にやってきた。康平は、どんな相談にも真剣に応えるようにした。住民の将来を大きく変えることになるこの問題を疎かにはできない。どんな結論になるとしても、それなりの納得がなければ、この先の辛さを乗り越えることは難しいと感じていた。
そして、再び班長が食堂に集まった。今度は全班長と12名の副官、そして3名の隊長が揃った。3名の隊長と書記を務める生産隊の大場副官だけが机につき、班長は椅子を詰めて座っていた。
生産隊の班長から順に報告をした。一人の班長だけが、結論が出なかったと報告を保留したが、生産隊の意見は、税を納めるという意見。援助隊も納税意見。守備隊は、意見が分かれた。
「特に、意見がある人はいませんか」
康平は、班長達の顔を順に見ていったが、誰も手を挙げなかった。
「納税という意見が圧倒的に多く、これを全体の意見としたいと思います。個人的な感想ですが、皆さんは賢明な判断をしたと思っています。今度、彼等が来た時には、この結論を前提にして交渉し、少しでも譲歩が得られるようにしたいと思います。ただ、完全に決着するまでには、まだまだ時間がかかると思いますので、生活は今まで通りの生活をしてください。不測の事態が起きないように、守備隊も警護をしますし、皆さんも充分注意して下さい。ここで、人質を取られたら、交渉も難しくなります」
会議が終わって、三人の隊長は本部室に入った。
「兵頭さん、これでよかったのでしょうか」
生産隊の浅井が暗い表情で言った。
「皆が真剣に考えました。殴り合いの議論もあったと聞いています。当然の結果ですよ、これは。誰だって死にたくはありません。そういう本音の話し合いができたのですから、この先、大勢の人が今日を思い出し、耐えていく気力が持てると思います。これで、よかったと思います。私は」
「でもね。今日までの我々の頑張りは何だったのか、と思えて」
「おかげで、今日まで、これだけの人が生きてこれたじゃないですか。これからも、生きていくんです」
「政府の人間なんて、信用できませんよ」
「その通りです。彼等を信用する必要はありません。あくまでも、我々が、どうすれば、生き延びることができるか。それだけを考えることです」
「んんん」
「ところで、浅井さん」
「はい」
「あなたに、お願いがあります」
「・・・」
「守備隊の半数以上が、政府の要求を受け入れることは、川面城の滅亡になると思い込んでいます。私の説得も受け入れてはもらえませんでした。この件に関しては、私が命令を出すことができません。彼等をこのままにしておけば、全体に影響が出るでしょう。そこで、この決定に不満を持つ人間を集めて、私はここを出ていこうと思っています」
「えっ」
「今後の、この川面城の指揮をあなたにお願いしたい」
「駄目ですよ、それは」
「よく、聞いてください。今は、ただの不満で済みますが、日々の生活が苦しくなれば、この不満は憎しみに変わります。私達が持っている今の絆は、それほど強いものではありません。満足できるほどの生活ではないとしても、食べることはできています。我々の絆はその上に成り立っています。生活次第では、いつでも壊れる危険があるんです。そうなれば、不満分子は、必ず大きなガンになります。取り除いておかねばなりません。守備隊の人間は銃の取り扱いができるだけではありません。素手でも戦闘能力があるんです。ですから、これは、大勢の人が生き残るためには必要な事です。今回の決定に不満を持っていなかった人でも生活が苦しくなれば、不満を持つようになるでしょう。でも、その人達は、自分が決定に参加していたことで、何とか自制することができます。どちらの結論になっても、我々の進む道は厳しいものです。いや、生き残りを選択した方が、苦しみが長期間続くことになるので、より過酷と言えるかもしれない。でも、耐えるしかない時に、不満分子が暴れれば、全体を危険に晒します」
「でも」
「今、この決断をしておかないと、必ず、後悔します。ここにいる3人は、好き好んで隊長をやっている訳ではない。なりたくてなったわけじゃありません。浅井さんも、吉崎さんも、私も、です。それでも、その立場を、私達は否定できない。私は、隊長に選出された時、考えました。隊長の立場を受け入れるか、城を出ていくかと。結果、引き受けたということは、責任を持ったということだと思いました。決して楽な責任ではありません。それでも、やるしかない。それは、3人とも、同じではないでしょうか。私の理屈、変ですかね」
「いえ」
「私も、背負わなければならないものがあり、浅井さんも、そうです。ただ、浅井さんが背負うものの方がはるかに重いのは気の毒だと思いますが、巡り合わせだと思ってもらうしかありません」
「重すぎます。私には」
「吉崎さんは、どう思いますか」
「浅井さんに、お願いするしかないと思います」
「ちょっと」
「ここの主力は生産隊です。ですから、生産隊の隊長が責任を負うことは自然です。たまたま、生産隊の責任者をしていたのが浅井さんだった。兵頭さんの言う通り巡り合わせとしか言いようがありません。私が、その立場にあれば、私がやらなければならなかったと思います。勿論、私には責任がないとは言いません。私は、どこまでも浅井さんに協力します。確信はありませんが、兵頭さんの考えは無視できません」
「浅井さん。お願いします」
浅井は天を仰いで返事をしなかった。元々、浅井が慎重な男だということを、康平も吉崎も知っている。浅井は信頼に足る男であるし、慎重であることはリーダーには必要な資質だと、以前から感じていた。吉崎と話し合ったことはないが、いいリーダーになると確信していたのは吉崎も同じだったようだ。
「でも、兵頭さん。家族は、どうするんです」
「それを、吉崎さんにお願いしたい。名簿の改竄はいいことではありませんが、私の家族だったとわからないように、してもらいたいのです。私だけではなく、出ていく隊員の家族も同じように。出来ますよね」
「まあ」
「もう一つ、お願いがあります」
「まだ、あるんですか」
浅井の声には非難するような響きはなかった。これなら、指揮を取ることを受け入れてくれそうであった。
「一芝居打ってもらいたい。ここを出ていく独身者と私を追放処分にして欲しいのです」
「追放」
「戦争を主張した危険分子を追い払ったことにするのです。私以外に顔を見られた人間はいません。彼等はここに何人いるのかも、どんな人間がいるのかも知りません。ですから、どんなシナリオでも向こうにはわかりません。それと、私に対しては、いい感じは持っていないでしょう。その私を追放すれば、彼等は納得してくれます。本物の名簿を見せる必要はありませんし、提出する必要もありません。吉崎さんがやり易いようにシナリオを書いてもらえばいいのです。ただし、追放したことは相手との話し合いが終わってから言えばいいと思います。最初から抵抗する意志がないとわかれば、向こうの都合で条件が決まってしまいます。いいですか、正直になっていては生き延びることはできません。騙してでも、嘘をついてでも、こちらの利益になることだけをすればいい。そのことは、肝に銘じておいてもらいたいのです」
「そこまで」
「場所は決まっているんですか」
「援助隊の宮坂さんから、箕面にいい場所があると聞きました」
「そうですか」
「荷車と、武器と、当面の食料。あと、野菜のたねと苗もいただきたい。しばらく農作業をやってたことが役に立ちそうです」
「私も、行きたくなりました」
「浅井さん」
「済みません。私は、戦って死んでもいいと思ってたんです。こんな結果になるとは思いませんでした。だって、許せませんよ。国を潰したのも、我々にこんな生活を強いたのも、全部、国のやったことですよ。のこのこやってきて、また、税を納めろ、という資格なんてありません」
「申し訳ない。浅井さんに全部押し付けて」
康平は本部の部屋を出て正門に向かった。まだ、一番の難関を乗り越えなくてはならない。浅井の説得はそれなりに成功すると思っていたが、舞子の説得には全く自信が持てない。
「康治」
「父さん」
「今、任務中か」
「いえ。今は待機中ですよ」
「少し抜けられるか」
「班長に聞いてみます」
康治はすぐに戻って来た。
「許可をもらいました」
「すまんが、母さんと奈津を呼んできてくれ。武器庫で待ってる」
「わかった」
他人の耳を気にせずに話が出来る場所は武器庫くらいしか思いつかなかった。途中、三浦を捕まえて、武器庫を借りることを断った。職権乱用は初めてだった。
「どうしたの、父さん。こんなところに」
「ん。他の人には聞かれたくない話がある。その辺に座ってくれ。康治、ドアの近くで見張りを頼む」
「わかった」
舞子も奈津も不安そうな表情をしている。自分の表情は見えないが、一番不安を感じているのは自分だと思った。家族のリーダーが不安な顔をしていれば、家族は不安になる。他人を説得する場合には顔を作ることもできるが、家族相手の場合はそれが難しい。
「今日出た方針は聞いたか」
「康治から」
「奈津は」
「私も」
「今日の会議、全会一致ではなかった。特に守備隊の半数は、反対意見だった。でも、9割以上の人が、政府の管理下に入らざるをえないと判断した。この判断は重い。だから、川面城は生き残る道を選んだ。これは、正しい判断だと、私も思う。石田計画でも、目的は生き残る事だった。私達が40年間やってきたのも、その目的のためだった。本当は他に選択肢はなかったのだと思う」
「しかし、どうしても、この理不尽を許せないと思った人間がいた。今度のことが理不尽だと思っていない人間は一人もいないだろう。でも、生き残るという目的を捨てでも、受け入れたくないと思う人間がいた。康治もその一人だ」
舞子と奈津が、少し離れた場所に立っている康治を見た。
「守備隊の28人が、城を出たいと言っている。別の場所で、この理不尽と戦いたいと言っている。生産隊や援助隊の人達の目的は戦うことではないが、守備隊の目的は、住民を守るためとは言え、戦うことが一つの目的みたいなものになっている。そんなところから、守備隊だけに反対意見が出たのだと思う。今まで、守備隊が隊員に教えてきたのは、自分の命に替えても城の住民を守る事、戦う事、勝つ事だった。住民が苦しい状況に追い込まれようとしている今、戦いたいと思うことも、守備隊としては自然な判断かもしれない。父さんは、守備隊隊長としてではなく、一人の年長者として28人を説得しようとした。今度だけは、戦いを放棄しなければいけないと。でも、どうしても納得してもらえなかった」
「で」
「だから」
「なに」
「私と康治は、城を出る」
「はあ」
「すまん」
「馬鹿な事、言わないでよ」
「すまん」
「私は、認めない。そんなこと、認められるわけがない。嫌です」
「・・・」
「父さんと康治は、死にに行くと言ってるのよ。しかも、私と奈津を放り出して。はい、そうですかと答えるとでも思ったの」
「いや」
「他の人のことはわからない。でも、あなたたち二人は、我儘言ってるだけじゃない。この大変な時に、寝ぼけたこと言わないで」
母親の激怒に驚いたのか、父親の我儘が耐えられなかったのか、奈津が泣き始めた。
「理不尽が許せない。甘い事言わないで。理不尽なんて、掃いて捨てるほどあるものでしょう。家族を守れない男が、正義を守れるの。そんなの、嘘っぱちよ。父さんも康治も、そんなことしたら、卑怯者になるだけよ。隊長かなにか知らないけど、私と奈津にとっては、私達の父さんで、私達の康治なの。卑怯者になんかなって欲しくない」
康平には返す言葉がなかった。舞子の言うことの方が正しい。康平は困った。
家族全員で気まずい空気を部屋まで持ち帰った。康治は任務があると言って出ていった。無言で、舞子と奈津は食事の用意をするために動き始め、二人で共同炊事場に出ていき、康平は部屋に一人だけ残された。康平は自分の両手を広げて見つめている。気力で老いを見せないようにしていたが、自分の老いは感じていた。特に、今は、自分が本物の老人になってしまったように思うと、体が沈みこむような違和感があった。
康平は眼を覚ました。いつものように、横に舞子が寝ている。外は暗く、まだ水汲みの時間には早い。眠るつもりはなかったが、体が眠りを要求していた。
康平は夢を見た。それが甲子園城での戦いなのか、川面城に政府の軍が攻めてきたのかはわからないが、康平は戦っていた。銃弾が飛び交い、周囲に爆発音がする。立ち上がった康平の腹部に砲弾が飛んでくるのが見えた。砲弾が自分の体に吸い込まれていくのが見える。銃弾ではないので、人間の体など簡単に貫通すると思っていたのに、砲弾は体内に止まってしまった。一気に痛みが押し寄せる。耐えられない痛みだ。康平は自分の叫び声で目を覚ました。目を覚ました筈なのに、痛みは消えていかない。自分のうなり声が他人の声のように思える。舞子が何か言っているが、意味がわからない。
康平は、余りの痛みのために、転げ回った。もう、夢なのか現実なのかを判別する余裕はなく、痛みに翻弄された。
康治の背中にいることはわかったが、痛みは波のように襲ってきて、背中から転がり落ちる。診療所のベッドの上でも痛みに耐えられずに床に転げ落ちた。遠藤先生がいるのはわかったが、次第に意識が途切れていった。

「先生」
「癌だな。かなり転移している。痛みは、あった筈だが、何も聞いていないか」
「はい」
舞子は、うろたえている自分に驚いた。最初に思ったのは、昨日、あんなに責めなければよかったという後悔だった。
「すまんな。早期発見をしても、治療は難しい。なるようにしかならん」
「はい」
「まだまだ、痛むだろう。痛み止めだけは売るほどある。わしらに出来ることはその程度なんだ。情けない」
「いえ。よろしくお願いします」
「この男には、生きててもらいたいな」
「はい」
遠藤医師は甲子園城の発起人になった人で、年齢は誰も知らない。70歳だと言う人もいれば80歳を超えているという人もいる。ただし、絶対的な信頼感だけは、誰も否定しなかった。遠藤医師の診断は確かなものだと思っていたので、舞子は、康平の余命を聞きたくなかった。舞子の父親も戦いの中で死んだ。理解はできないが、康平が戦いの中で死ぬことを願っているのではないかと思った。ほんとに、どこまで、男は馬鹿な生き物なんだろうと思う。でも、女にそのことを変える力はないし、そんな男がいなければ、人間は生きていけない。この20年間、充分幸せだった。幸せが一日で途切れる人もいれば、一年で失う人もいる。20年も続いたのだから、これ以上求めるのは強欲なのだろう。戦場で死なせてやりたい。自分にできることは、そのくらいしかないと思った。

「先生」
「どうじゃ、まだ、痛むか」
「いえ。病気ですか」
「ああ。今までも、痛みはあったろう」
「まあ。でも、こんなに痛くはなかった。ひどかった。癌ですか、先生」
「ん」
「それも、だいぶ、進行してるってことですか」
「ん。痛い時は、構わずに痛み止めを出す。遠慮はするな」
「そうですか」
無制限に痛み止めを処方するということは、末期癌だという認識は持っている。ついに、終わるのかと、冷静に受け止めることができたように思う。心配事は山のようにあったが、もう時間はないのかもしれない。
舞子が診療所に来た。
「父さん、どう、まだ痛い」
「いや、もう大丈夫だ、すまんな」
「何、言ってるの」
「末期癌だそうだ」
「うん」
舞子は心配そうな目をしたまま、帰って行った。康平は、またうとうととした。痛み止めの薬のせいなのか、体を動かす気力はまだなかった。
次に目が覚めた時、ベッドの横には三浦と康治がいた。
「おう」
「どうです」
「癌だそうだ」
「そうですか」
「三浦」
「はい」
「隊長選挙をやってくれ」
「でも」
「もう、そろそろ、解放してくれ」
「ええ、まあ」
「いろんな人の顔を思い出す。長くやりすぎたかもしれん」
「奥さんに話をしたんですって」
「ああ、こてんぱんにやられたよ。卑怯者だとよ」
「卑怯者」
「言われてみれば、私達がやろうとしてることは、かっこう良すぎるよな。だから、我儘だと言われても反論はできなかった。正義への殉教を夢見てるガキに見えたんだろうな。ここにバズーカをぶち込まれたような気分だったよ」
「隊長」
「悪いけど、私は外してくれ。もう、戦える体じゃない」
「はあ」
「あの」
康治の声は小さかった。
「なんだ、康治」
「この前から、思ってたんですけど」
「言ってみろ」
「でも、叱られそうですから、やめときます」
「言えよ」
「別行動をするのは、武装解除されるからですよね」
「ああ」
「だったら、武器を隠してしまえばいいんじゃないんでしょうか。武器さえあれば、いつでも戦えますし、そんな日が来るような気がするんです。皆が、ほんとに戦って欲しいと思った時には、守備隊もいないし、武器もない、では辛いのかなって」
「んんん」
「怖くて言ってるんじゃないんです。いや、ほんとは、怖いけど。それより、守備隊を頼ってくれた時に死んだ方が、気分いいかなと思ったんです」
「隠すか」
「あいつらは、ここに武器がどれだけあるか知らない訳でしょう。これで全部だと言えば信用するしかないと思って」
「康治」
「すみません」
「いや、そうじゃない。隊長、少し時間をください。隊長選挙は、後にします」
「どうするんだ」
「もう一度、話しあってみます。康治の言う通りかもしれませんよ。この先、戦いを放棄する訳じゃないとわかれば、皆の気持ちも変わるかもしれない。守備隊は守備隊でいたいと誰でも思っているんです。隊員なら」
「隠す、と言っても、どこに隠す。使い物にならなくなるかもしれんぞ」
「真空パックにすれば、長持ちしませんか。援助隊に、発電機と機械があって、食料品をパックにしてますよね。銃や銃弾だってできると思います」
「なるほど。真空パックか」
三浦と康治が部屋を出ていった。まだ、子供だと思っていた康治の方が、はるかに冷静な判断をしている。やはり、引退する潮時だろうと思った。
生産隊の浅井と援助隊の吉崎が来た。
「びっくりしましたよ、兵頭さん」
「申し訳ない。そろそろ、年貢の納め時かもしれません」
「馬鹿な事、言わないでください」
「ほんと、馬鹿は死ななきゃ、です。ところで、昨日お願いした件、少し保留にしておいてくれませんか」
「それは、いいですけど。どうしてですか」
「話が変わるかもしれません。吉崎さん。援助隊に真空パックの機械があるんですか」
「ありますよ。業務用のやつですからしっかりしてます」
「フィルムって言うか、包むやつも」
「ええ、いろんな種類が、山のようにあります」
「そうですか。それを、お借りするかもしれませんが、いいですか」
「もちろんですよ」
「実は、武器を真空パックにして、隠しておいたら、いざという時に使えるんじゃないかという隊員がいて、そうなれば、いつか役に立って死ねるかもしれないと言うんです」
「なるほど。嬉しいですね。そう言ってもらえるのは」
「まだ、決まったわけじゃありません。その話をしに、今、ここを出て行ったとこです」
その日から、守備隊の体制は変更され、武器の梱包と隠し場所の選定が始まった。
城を出て戦うと言っていた隊員も納得した。隊長である康平が病に倒れたことも影響していたのかもしれない。徹夜作業に近い隊員の頑張りで、全ての作業は約二週間で終了した。しかし、康平の病状は回復へ向かったわけではなかった。食べ物を受け付けないために、日に日に痩せていったが、舞子は遠藤医師の指示する流動食を作り続けた。痛みに耐えるだけでも体力は消耗する。痛み止めを服用しているので、眠っている時間が増えたが、舞子は康平の傍から離れようとしなかった。
「母さん」
舞子はぼんやりと窓の外を見ていた。
「痛いの」
「いや。今日は痛みがない。いよいよ、かな」
「馬鹿な事、言わないで」
「体が、ふわふわしてる」
「そりゃあ、そうよ。食べてないんだもの」
「そうか」
「食べてみる」
「ああ」
「暖めてくる」
「いや、冷たい方がいい」
舞子は立ち上がり、お粥というより水の中に米粒が少しだけ混ざったゆきひらを手にした。
「少し、起こしてくれ」
「そうね」

康平が歩行練習を始めたのは、痛みを感じなくなって食べることが出来るようになってから3週間ほど経った時だった。
「先生」
「ん」
舞子は遠藤医師の部屋に来ていた。
「あの人は、もう、大丈夫なんでしょうか」
「いや。わからん。わからん、というのは、なぜ、痛みがないのかがわからんという意味で、病気が治ったかどうかではない。癌はまだある」
遠藤医師は掌を舞子の前に出した。触診しか方法がないのは舞子も知っている。遠藤医師の手には康平の癌が見えているようだ。
「はい」

10月になっても、まだ暑さが戻って来る日が多かった。康平は出来るだけ歩くようにしている。年寄りの散歩と一緒で、少し歩いては休み、少し歩いては座り込むような散歩だったが、歩ける距離が長くなっているのは嬉しかった。暑さによる汗が気持ちいい。
「外に出てみるか」
「大丈夫なの」
「ああ。天気もいいし」
小さな椅子を持った舞子が付いてきている。舞子は康平に付きっきりだが、康平はありがたいと感じている。あの痛みがいつ戻って来るのか。一人でのたうちまわって死んでいくのも辛いだろうと思う。康平も自分の病気が治ったとは思っていない。残された時間が少ないことも感じる。家族を守れなくなった男に生きている意味はなく、特に守備隊の責任者として、住民を守れなくなった守備隊長は必要ではない。それでも、三浦が隊長選挙を拒絶しているので隊長の立場から逃れられてもいない。もちろん、三浦の気持ちはわかっている。隊長を辞めれば、康平の気力が萎えることを心配しているのだ。
康平は建物を出たとたんに、目を閉じた。部屋の明るさに慣れていた目は、太陽の光に耐えられなかった。
「こんなに、明るかったのか」
「えっ、どうしたの」
「眩しい」
「そうね」
目を閉じていても瞼が明るい。時間をかけて少しずつ目を開けた。体の奥の方からエネルギーが染み出してくる。眩しさのためだけではなく、太陽の光を浴びることができた喜びが涙になったのかもしれない。とても、叫ぶ元気はないが、叫びたいと思った。
「隊長」
守備隊の隊員が大勢寄って来た。
「眩しい」
「よかった」
隊員の笑顔が見れたことも、康平の中ではエネルギーになった。弱気になっていた。まだ、やらねばならないことがあるのではないか。
「眩しくってな」
康平は、また歩き始めた。
屋外に出たことが良かったのか、康平の回復は周囲を驚かせた。舞子が「もう、病人の顔ではない」と言ってくれた。しばらくすると、椅子をもって付き添いをしていた舞子も、康平の自由にさせてくれた。
康平は拡大幹部会を招集してもらった。各隊の隊長と12名の副官が出席した。
「国の役人だと名乗った男に、どう対応するか、話しあっておきたい」
「やはり、来ますか」
生産隊の副官が、質問をした。多分、多くの住民が希望的観測に傾いていると思っていた康平の感触は間違っていなかった。
「当然、来ます。今度は充分準備をして、有無を言わせないようにして、来ます」
「兵頭さんは、交渉に参加してくれないのですか」
生産隊の浅井隊長が、心配そうな声を出した。
「私は、体力的に無理です。浅井隊長を中心にして、交渉してもらわなくてはなりませんが、浅井さんに責任を押し付けるやり方はよくないと思います。全ての人の責任ですが、少なくともここにいる人達には大きな責任があります。極端な話ですが、籤引きで責任者を決めてもいいくらいです」
全員の両肩に重い責任が乗った印象がある。
「この幹部会で決まったことを、浅井さんが代表する形の方がいいと思いますが、どうでしょう」
浅井の顔も明るくなったし、出席者の肩の荷も少し軽くなったようだ。こんな善人ばかりの集まりで交渉が出来るのか、康平の心配はさらに大きくなった。
「そこで。漠然とした議論より、叩き台があった方がいいのでないかと思って、考えたことがあります。よければ、そこから初めてみませんか」
「お願いします」
途方に暮れていた子供達が、年長者のお兄ちゃんを見るような目つきをしている。
「最初に、私が考えたことは、どうしてこの国が、こんなことになってしまったのか。そのことです。この前、宮部という男を見て、この国は、また同じことをしようとしているのではないかと感じました。石田計画に書いてあった、ボタンのかけ忘れです。この国はボタンを掛け間違えたのではなく、ボタンをかけ忘れていたという文章です。以前に読んだ時は気にもしませんでした。と言うか、意味がわかっていなかったのだと気が付きました。石田さんが私達に言いたかったのは、ボタンをかけろ、と言うことではないか。そして、何度も読み返しました。石田さんは、国とは何か、国民とは何かを決めずに、曖昧なままであったために破局を迎えたと書いています。国を運営していた当時の政治家や官僚が、国民の利益ではなく、自分達の利益だけを追求した結果だと書かれていました。そこに欠けていたのが、国とは何か、国民とは何かです」
「そう考えると、そのボタンをかけるチャンスは一回しかないことに気がついたのです。それが、今です」
「今、ボタンをかけなければ、なし崩しに同じ道を歩くことにならないか。彼等は、国勢調査だと言っています。彼等の目的は、税の自動徴収システムを作る事です。その基本情報が国勢調査だとすれば、彼等にはボタンをかける意志がないのではないか」
「ボタンをかけずに、曖昧なままに国家運営をした方が彼等にはいい。税が自動的に入ってくれば、やりたいようにできます。彼等にとって、税は、勝手に沸き出している泉のようなものです。そうやって潰れた国の国民は、どうなったか。ほんとに多くの人達が死にました。私達の周りには、誰もいない。もう、数は憶えていませんが、私達は一体何人の遺体を埋葬したのか。ここに生き残っている人も、どれだけ苦しい毎日を乗り越えてきたのか。彼等は、国の役人だと言い、国の軍隊だと言い、私達が収穫した食料を、当然のような顔をして食べるでしょう。彼等に、それだけの価値があるのだろうか」
「私達は、魚が食べれるようになりました。物々交換が出来るようになったからです。でも、その時に渡している、私達が作った米を、私達は惜しいとは思いません。それは、魚という見返りがあるからです。国と国民の関係も、それならば成り立つのではないか。勿論、彼等は私達に渡す魚は持っていないでしょう。でも、国の役割と国民の役割が決まっていれば納得できるのではないか。そう、考えたのです」
「彼等は、税を徴収して軍隊を作ります。その武力で更に税を徴収する力にします。彼等は、他国の侵略に備えるためだと言うでしょう。では、この40年間、他国の誰かが侵略して来たでしょうか」
「多分、これは、多分です。この国は、放射性物質に汚染されているのではないかと思うのです。私達は何も知らずに、汚染された水を飲み、汚染された食料を食べているのではないだろうか。そんな国に侵略してくる国はありません。そうであれば、この先も侵略してくる国はないし、侵略に対応する軍隊もいらない」
「石田計画には、新しい国が出来た時のことについて書いてありませんでした。どうして、書いておいてくれなかったのかと思いました。しかし、それは、私達が決めなくてはならないことだからだと、わかったのです。私達が、私達の子供や孫に何を残すかは、私達が決めなくてはならないと。石田さんは可能な限りの材料を残してくれていたのだと気が付きました。今度は、私達が残す立場にあるのです」
「川面城の意志として、税を納めることに決まりました。でも、それが私達を苦しめるであろう役人と軍隊のためであっては意味がありません。このことは、川面城だけの問題ではないし、川面城だけで解決できる問題でもありません。その方法も考える必要があります。ここで、間違えば、100年後の私達の子孫は、また滅びることになります」
「石田計画は、自分では暗記しているとまで思っていました。でも、読み直して思ったことは、理解していなかったということでした。今は、わからないけど、きっと、私達は正念場にいるのではないか。そう思うのです。これが、私の考えた事です」
「兵頭さん。すみません。とても、頭の整理ができません。少し、時間を置いてもいいでしょうか」
「ですよね。私も時間がかかりました。もう一つ感じたことがあります。甲子園城の20年と川面城の20年が終わったと感じました。もう、全く別の局面に、私達は立っているのだと。今までの延長線上には、私達の未来はないのだと感じました」
「そうみたいですね」
幹部会は散会した。
「隊長。部屋まで送ります」
三浦が手を出してくれた。
「すまん。少し疲れた。もう少し、ここにいさせてくれ」
「はい」
副官の三浦と細貝が座りなおした。
「隊長。自分にはよくわかりませんが、浅井さんで大丈夫ですか」
「大丈夫。あの人は慎重だけど、粘り強い人だから」
「だったら、いいんですが」
「交渉の場には、浅井さんと吉崎さん、守備隊からは細貝に出てもらおうと思ってる」
「待ってください、私には無理ですよ。三浦先輩にお願いします」
「三浦は、どう思う」
「細貝、でしょう」
「戦争をさせると、三浦の右に出る奴はいないだろう。敵に回せば、私も勝てない。しかし、和平交渉は難しい。三浦なら、席を蹴って戦争に持ち込むことになる。違うか」
「隊長には敵いません。褒めておいて、返す刀でばっさりと切る。しかも、それが間違っていない。人使いの天才ですよ。自分は、隊長のそこが、好きです」
「戦争と、交渉と、人使い。三浦が言うように、三人で一人前かもしれんな」
「それで、私が交渉役ですか」
「仕方ないだろう。一人は年寄りで病人だし、一人は戦争屋で交渉事には不向き。誰が残る」
「隊長が出ないから、守備隊からは交渉役を出さないのかと思ってました」
「そうはいかないだろう」
「細貝が出てくれれば、自分も安心です」
「決まりだ。いいな、細貝」
「はあ」
「三浦」
「はい」
「私達の時代は、終わったかもしれないな」
「はい」
「これから必要になるのは、政治力だろう。細貝は、いいリーダーになると思う」
「はい。今日の隊長の話を聞いて、自分も、どこかで、終わったなと思いました。実は、細貝も隊長と同じようなことを言ってたんです。そん時は、こいつ、何言ってるんだろうと思いましたが、どうやら、そうじゃないらしい」
「そうか。同じ事を言ってたか」
「いえ。同じ事なんかではありません。でも、国ってなんだろうと思ったんです。それだけのことです」
「でも、石田計画のことも、言ってたじゃないか」
「あれは」
「今度のことがあって、今日まで、何人が石田計画を読みなおしただろう。細貝、自信を持て。お前は間違っていない」
「はあ」
「この、煮え切らない態度。何とかなりませんか、隊長」
「そこが、細貝のいいとこなんだろう」
「なるほど」
「ただし、100%戦争がなくなったとは思っていない。三浦抜きで戦争はできない。それは、二人ともわかっているんだろ」
「はい」
「はい」
「ところで、細貝」
「はい」
「今、サイレンがなったら、どうする」
「えっ」
「国の使いとやらが、5分後に門の前まで来る」
しばらく、時間が過ぎた。
「一旦、引き取ってもらいます」
「どうしてだ」
「中に入れるわけにもいかないし、立ち話でもないと思います」
「で、その後、どうする」
「まだ、わかりません」
「街へ行く途中に一軒だけ家があるよな。確か、食堂だった」
「はい」
「援助隊に頼んで、あそこに会議場を作ってもらえ」
「はい」
「今日から、お前はこの件に専念しろ」
「はい」
「三浦」
「はい」
「お前が、向こうの参謀だとしたら、何をする」
「先ず、偵察です」
「その対応は」
「監視場所は確保しましたが、人員の配置はまだしていません」
「一番遠い所は」
「2キロほどです。西と東に」
「そこには、人を出せ」
「はい」
「まだ、守備隊の使命は終わっていない。二人とも、守備隊の隊長になったつもりで、動け。私の了承を取る必要はない。先ず、動け。まとめて報告してくれれば、それでいい」
「はい」
「はい」

拡大幹部会から一週間後に、東監視所から合図が届いた。昼間は川面城の監視塔から、東監視所と西監視所の動きを常時双眼鏡で見ている。夜間の場合は火を焚くことになっていた。合図があったのは、青天の日の午前11時を回った時だった。黄色い旗が10秒間隔で10回振られる。守備隊の隊員が一人、監視所から走りだすのが確認された。
サイレンは鳴らさずに、畑に出ている住民に知らせる伝令が出て、口頭で避難命令を伝えた。すぐに、東監視所の守備隊員が戻って来た。偵察隊と思われる車両を視認、本隊を確認するために一名が監視中という報告だった。
夕方になって東監視所のもう一名の隊員が戻って来た。
「車両が、大小合わせて46台。人員を乗せた大型車両が31台。一台に30名ほどが乗っている模様。10台は物資。小型車両が5台。一台に4名ないし5名。総勢で約1000名と思われます」
その報告を持って三浦が康平の部屋に来た。
「西の監視所はどうした」
「戻るように、旗を挙げました。まだ、戻っていませんが」
「そうか」
「機動部隊が先行していて、歩兵が後から来るのでしょうか」
「先行部隊としては多すぎないか。多分、本隊だろう」
「1000人なら勝てませんか」
「難しいな。車両があって、燃料があって、千人の兵士を集められる。東京からここまで、道路の整備もそれなりにしただろう。向こうにはそれだけの経済力がある。多分、どこかの国からの援助を貰っていると考えた方がいい。1年も経てば、またやってくる」
「そうですか」
「私達には機動力もないし、補給もない。いつかは負ける。その時、ここの住民は皆殺しにされる。生産隊の意向を無視することはできない」
「はい」
「監視体制は」
「全員、配置につけました」
しかし、その日は誰も現れなかった。政府軍は小学校の校庭に駐屯したので、その校庭が見える監視所には6人の隊員が張り付いた。通信手段がないために、伝令要員は必ず置かなければならない。
翌日も、川面城では外出禁止になって、全住民が城内にいたが静かだった。
政府の人間だと名乗る宮部という男が正門の前に来たのは、10時を過ぎていた。背広姿の若い男も前回と同じ男だったが、武装兵は2人しか連れてきていなかった。
浅井が応対に出て、会議場を指定したために、四人はすぐに引き上げていった。
浅井と吉崎、そして細貝の三人が出かけた。三人とも顔がこわばっていたらしい。
康平は自分の部屋で横になっていた。
11時前になって城内が騒がしくなり、浅井と吉崎と三浦が康平の部屋に走り込んできた。細貝ではなく、三浦が一緒にいる意味がわからない。
「すみません。細貝さんが人質にされました」
浅井が深々と頭を下げた。
「・・・」
浅井が早口で喋り始めたが、意味がわからない。
「浅井さん」
「・・・」
「浅井さん。落ち着いて。何があったのか、ゆっくり話してください」
「あの」
「母さん。浅井さんに水を持ってきてくれ」
康平は浅井の発言を手で制して、舞子に水を持ってくるように言った。
浅井は舞子からもらった水を一気に飲み干した。
「深呼吸をしましょう」
しかし、まだ、浅井の目は泳いでいた。
「吉崎さん」
「はい」
「何があったのか、順を追って話してください」
「はい」
吉崎の方が少しだけ落ちついていた。
「こちらの話は何も聞きません。武装解除をして、城への立ち入りを認めれば話し合いをすると言うだけです。何度も押し問答になりましたが、話になりません。そして、突然、兵隊が入ってきて、銃を向けられました。戻って、相談して結論を持ってこい。それまでは細貝さんを預かると言われて、文字通り追い出されました」
「そうですか」
「申し訳ない」
「あなたたちのせいではありません。浅井さん、大丈夫ですか」
興奮していた浅井は、肩を落として俯いていた。
「三浦、監視塔の報告は」
「聞いてきます」
会議場へ兵隊が入って来たということは、敵が動いたということだが、三浦もその状況を掴んでいない。話し合いをするということで、守備隊も安心していたのではないか。
三浦が戻ってくるのに、少し時間がかかった。
「敵は、邀撃体制を取っています。すみません」
「三浦。私は、守備隊の仕事は、まだ、終わっていないと言った。お前はどんな解釈をしたんだ。10倍以上の敵が前面で展開している時に、なぜ、報告が来ない」
「はい」
「浅井さん」
「はい」
「最初に、応対に出る時に、細貝は何も言わなかったのですか」
「いえ。聞いていません」
「そうですか。これは、守備隊の手落ちです。申し訳ない。人質になったのが細貝でよかった。あなた達が人質になってたら、困ったことになっていた」
「・・・」
「敵の部隊をあの会議場から遠ざけ、動かないように要求するのは、守備隊としては当然の行動です。三人が会議に出ることは決まっていたのだから、細貝にはあなた達二人を守る責任もあった。人質になっている細貝は、今はわかっているでしょう。多分、助けてくれとは言わない筈です。細貝のことは気にしないでください」
「でも」
「さて、問題は、どうするか、です。相手は、無条件降伏か戦争かを選択しろと言っているのです。どうします」
「細貝さんが」
「細貝のことは無視して下さい。守備隊という名前ですが、私達は軍人だと思っています。細貝もそうです。覚悟はあると思います。甲子園城での戦いを思い出してください。犠牲は覚悟で私達は守備隊をやっているのです」
「ですが」
「彼等にとって、無条件降伏はベストで、戦争はベターなのでしょう。話し合い、それも対等な話し合いには価値がないと考えている。しかし、私達は、その話し合いで、自分達を守り、子孫を守りたいと思った。そうですよね」
「はあ」
「だったら、それを放棄するのは責任者の仕事ではないでしょう」
「・・・」
「今となっては、乱暴な手段を必要としますが、話し合いの席につかせることは不可能ではないと思います」
「どうするんですか」
「脅します」
「えっ」
「相手が、その脅しに負ければ話し合いになりますが、そうでない場合は、戦いが始まるでしょう。今回だけであれば、戦争しても勝つ確率はあります。その先をうまく収められれば、戦争も選択肢になります。ただし、戦争をした場合は、その後の対応で今以上の政治力が要求されることになります。決して楽な道ではありませんが、道が閉ざされた訳でもありません。でも、私達は、危険を冒すか、相手の言いなりになるかの選択をしなくてはなりません」
浅井は大きく深呼吸をしたが、口は開かなかった。
「浅井さん。皆の意見を集約している時間はありません。生産隊の隊長として、あなたが決めるしかないのです」
「どうやって、脅すんですか」
「それは、守備隊の仕事です。心配いりません」
浅井は、また下を向いてしまった。
「いいですか」
吉崎が口を開いた。
「向こうは、力で押して、自分達のやりたいようにやると言ってるようなものです。つまり、この先も、同じ事が続くということですよね」
「その通りです。彼等は、前回出さなかった牙を出しました。今回は、あれだけの武器を用意したのですから、遠慮するつもりはないと思っているようです。そうであれば、彼等の最初の要求が武装解除というのも当然です。そんな彼等に対して、私達がどうするのか。それを決めることができるのは生産隊だけです。守備隊にも援助隊にも、それを決めることはできません。この城は生産隊の努力で成り立っているのです。そのことを忘れたら、城自体が意味を失くしてしまう。私や吉崎さんがそれを決めれば、守備隊も援助隊も、あの政府の連中と一緒だということになるんです」
「そうですね」
「浅井さん。お願いします。あなたの決定に、守備隊も援助隊も従います。決めてください。それで、いいですよね、吉崎さん」
「はい」
それでも浅井は何も言わずに俯いていた。
「浅井さん。一時間だけ待ちます。生産隊の方と相談してみてください。一時間経っても結論が出ない時は、それはそれで結論としてもいいじゃないですか。その時に、守備隊に出来ることがあるかどうか、また検討してみます」
浅井が無言で立ち上がり、部屋を出ていった。
「私も、相談してきます」
吉崎も部屋を出ていった。
「小学校の監視をしている所だけを残して、監視の隊員を呼びもどしてくれ」
「いいんですか」
「今、発砲するわけにはいかん。小学校の監視所にも発砲しないように伝令を送ってくれ」
「はい」
「三浦」
康平は、部屋を出ていく三浦を呼びとめた。
「しばらく、私が隊長をやる。情報は私に集めてくれ」
「はい」
川面城では、善意をもって相手と話し合う。それが当たり前のことだったので、浅井は相手が宮部であっても善意で応じてくれると思い込んでいたのだろう。康平が交渉役だったら、最初から相手を疑ってかかっただろうと思った。守備隊の人間なら、敵が善意で殺しに来るとは思わない。戦争での善意は、あまり役には立たないのだ。そういう意味では、三浦と細貝は軍人失格と言える。しかし、今更、それを言っても意味がない。守備隊も解散すべき時期なのかもしれない。余りにも平和が続き過ぎた。甲子園城での戦いでは、銃を捨て、両手を高く挙げた敵に、銃弾を浴びせた。あんな過酷な戦いは、もう出来ないのかもしれない。
今、一番心配なことは、自分の命がいつまであるのかという心配だった。個人的な事情ではあるが、舞子や子供達に辛い生活はさせたくないと思う。自分の家族だけではなく、それぞれの家族が苦しむことは避けたかった。
30分で吉崎と三浦が戻って来た。それから10分遅れて浅井が来た。
「兵頭さんの話に乗ってみます。その前に、どうするのか教えてもらいたいのですが、いいですか」
「わかりました」
浅井の様子は先ほどよりは落ち着いていた。
「敵の兵站基地は小学校にあります。食料、銃弾、ガソリンなどが車にあります。それを、破壊、できれば燃やしてしまいます。小学校に残っている武装兵は10人ほどしかいませんので可能です。ガソリンがなければ、彼等は歩いて東京まで帰らなくてはなりません。食料なしで、一週間は戦えません。銃弾の補給がなければ、満足な戦いはできません。その準備をして、私が彼等と交渉します。ただ、私の体力では一回の交渉が限界でしょう。彼等が話し合いの席に着く約束をすれば、浅井さん達が交渉を始めてください。もちろん、細貝も連れて帰ってきます。彼等が同意しない場合は、その時点で戦争になります」
「成功の可能性は」
「わかりません。私が相手の立場なら、戦争よりも交渉を選びますが、彼等がどう判断するかは、わかりません」
「わかりました。やってみましょう。いや、やってもらえませんか」
「はい」
「私にできることは」
「できれば、吉崎さんに同行してもらいたいのと、あそこまで歩けるかどうか自信がありませんので、荷車と3人ほどの押し手を貸していただきたい。そのまま、戦いになれば捕虜になるか殺されるかのどちらかになりますので、それを承知で引き受けてくれる人がいてくれればありがたい。近くまで行けば、歩きますので、押し手の人が帰ることができるようにしたいと思いますが、約束はできません」
「わかりました」
「吉崎さん、よろしいですか」
「もちろん、です」
「三浦」
「はい」
「小学校を制圧して、破壊するのに、何人必要だ」
「20人で、大丈夫です」
「あと、爆薬を掘り出しに行く人間を選んでくれ。一旦、同意していても、あそこの車両を動かしたり、物資を他へ移されたら脅しが効かなくなる」
「はい」
「時間は」
「一時間あれば、展開できます」
「なら、私は一時間半後にここを出る」
「攻撃開始の合図は」
「信号弾を撃つ。破壊したら、速やかに撤退。中止の場合は、サイレンを断続的に鳴らす。中止の場合は、小学校を確保。その後の行動は伝令を送る」
「はい」
三浦は戦争屋の顔になっていた。これなら、つまらん失敗はしないだろう。
「母さん。康治を捜してきてくれないか」
浅井と吉崎も部屋を出ていき、康平は一人になった。康平は目を閉じて、相手の出方を想像し想定していた。
舞子より先に康治が部屋に走り込んできた。
「細貝は捕虜になり、三浦は作戦で出た。お前がしばらく副官代理をやってくれ」
「はい」
康平は、作戦を説明して、監視塔で合図を出す役目を康治に頼んだ。
「私と吉崎さんは、建物の外で交渉する。作戦中止の場合は、両手で丸を作る。中止の時はサイレンを断続的に鳴らし続けろ。私達が拘束されたら、作戦開始の信号弾を撃て。敵部隊が小学校に向かったら、鐘を鳴らせ。そして、私か吉崎さんが両手を挙げたら信号弾を撃て」
「できるか。間違えると、戦争になるかもしれん」
「はい」
「復唱しろ」
康治は冷静に復唱した。
「監視塔の隊員に協力してもらえ。一人ではできん」
「はい」
「行け」
舞子が部屋に戻って来た。
「母さん」
「なに」
「すまん。帰ってこれないかもしれない」
「わかってる。大丈夫。後は任せて」
「ん」
「お兄ちゃん」
「えっ」
子供が出来てからは、父さん、母さんの呼び方になっていた。お兄ちゃんという呼び方はもう古い記憶にしかない。
「私、幸せだったよ。お兄ちゃんは約束を守ってくれた。ありがとう」
「ああ」
「でも、帰ってきてね」
「ああ」
康平は舞子を残して部屋を出た。さっさと歩ければいいのだが、歩みは鈍い。軍人としては様になっていないと自嘲した。限界だ。本当に、帰ってこれないかもしれない。
荷車に乗って橋を越え、敵の前線が見えた所で、康平は荷車を降りた。
「あとは、歩きます。ここで、戻ってください」
危険を冒して荷車を押してくれたのは、全員が康平よりも年長者だった。
「吉崎さん。肩を貸してくれませんか」
康平は吉崎の力を借りて進んだ。
吉崎の笑い声が聞こえた。
「吉崎さん」
「いえね。一秒後には死ぬかもしれない場所を歩いているのに、急に楽しくなってしまいましてね。変ですね。でも、笑えてくるんですよ」
吉崎は緊張の境界線を越えてしまったようだ。戦闘などには縁のなかった人なのだから、仕方がない。
「あなたも、ここの皆が好きなんですね」
「この川面城もね」
「私も、です」
ゆっくりとした速度だったが、二人は会議場の建物に近づいた。建物の前には、宮部を中心にして15人ほどの人間がいた。兵士は銃を上げて二人に向けている。
康平は吉崎の肩から手を外して前進した。疲労で足が笑っている。建物まで辿りつけずに、康平は地面に座り込んでしまった。
「兵頭さん」
「大丈夫。水を貰えませんか」
吉崎から水筒を渡されて、ゆっくりと水を飲んだ。宮部達が近づいてきた。
「武装解除に応じるんですか」
宮部の声は硬かった。
「その積りですが、その前にお願いがある」
「お願いは聞けません。先ず、武装解除するように伝えましたよね」
「わかってます。少しだけ、話を聞いてください。5分でいいですから」
「5分ですよ」
「ありがとうございます」
康平は、もう一口水を飲んだ。
「あなた達の物資は、あの小学校にあります」
指揮官と思われる軍人が息を飲むのがわかった。
「あの物資を、全て破壊する用意ができています」
指揮官が動いた。
「待ってください。動かないで。あなた達が動けば、すぐに破壊します。その前に話を聞いてください」
「私達の目的は、あなた達の物資を破壊することではありません。話し合いをするためです。ガソリンや食料、銃弾がなくなれば、楽な戦争はできないでしょう。ここは、話し合いをしませんか。私達は戦争がしたいのではありません」
「それと、ここは私達の地元です。私達には地の利があります。あなた達の監視だけではなく、トラップもありますし、私達には武器もあります。簡単には勝てないでしょうが、補給物資のないあなた方が相手なら勝つ自信があります。でも、こちらにも大きな犠牲が出ますから、戦争は望んでいません。話しあって平和的に解決したいのです」
「平和的だと。これは、脅しだ」
「その通りです。申し訳ない。できれば、最初からフェアな話し合いができればよかったと思います」
しばらく、敵の相談が続いた。
「話し合いをしてもいい。その前に、破壊できるという証明をしてもらう」
「ただの、脅しだと」
「だから、証明してみろと言うんだ」
「残念ですが、証明のしようがありません。合図をすれば、一気に制圧、破壊をします。これだけの軍隊を前にして、ゆっくりと行動する時間はありません。もし、私の言っていることがブラフだと思うのなら、私達二人を殺してしまえば済む事です。戦争を始める権利を阻止することは、私にはできません。あなた方が決める事です」
また、相談が始まった。康平達を敵だとすると、敵を前にして相談事をしている軍隊は軍の資質を欠いていると言ってもいい。本物の戦争をしたことのない、作りたての軍に過ぎない。制服を着せ、武器を持たせれば軍隊になったと思っているのだろうか。
「あんたの言い分を聞こう。中に入ってくれ」
「申し訳ない。私が建物に入るのも、合図になってしまいます。私達が拘束されたり、殺されたり、あなた達が行動を起こすことも合図になりますが、建物に入ることも合図になっているんです。ここで、お願いします」
「・・・」
「すみません。服が汚れますが、座ってもらえませんか」
宮部と若い背広と指揮官が、不満な顔で地面に腰を下ろした。
「少しだけ、部隊を下げてくれませんか。こんなに身近で銃を向けられていると落ちつきません。お願いします」
宮部が不機嫌な顔で顎をしゃくる。指揮官も怒りを含んだ声で「下がれ」と命令した。
「さて、話を始める前に」
「まだ、何かあるのか」
宮部は本気で怒っている。
「宮部さん。あんた、ほんとに話し合いをする気、あるんですか」
康平は、低い声と鋭い目付きで宮部の目を見た。
「何です」
「細貝という男が、拘束されています。そうですね」
「ああ」
「もしかして、殺してしまったんですか」
「いや」
「細貝を解放して下さい。これは、当然のお願いですよね。我々は話し合いを始める訳ですから」
「わかった」
また、宮部は不機嫌な顔で指揮官を睨みつけた。指揮官は兵を一人呼びつけ、捕虜を連れて来るようにという命令を出した。
少し時間がかかったが、銃を突きつけられた細貝がやってきた。
細貝は姿勢を糺して、康平に頭を下げた。自分が何をしたのか、何をしなかったのか、細貝にはわかっているようだった。
「城へ戻れ。三浦が小学校を包囲してる。お前は、戻って指揮をしろ」
「はい」
「待て。戻っていいとは言っていない」
「そうですか。だったら、この話し合いはなかったことにしましょう。あなた方のやり方には、これ以上付き合えない。私も、戻ります。殺したければ殺しても構いません。その覚悟はできてますから。帰りましょう、吉崎さん」
康平は重い体を持ち上げようとした。
「待て。解放してやれ」
細貝が城に向かって小走りに立ち去った。
「これで、いいな」
「宮部さん」
「まだ、あるのか」
「そろそろ、対等な関係を作りませんか。あなた達のアドバンテージは、私達2人の命だけですよ。なぜ、そこまで、強圧的になるんですか。お互いに相手を尊重して、真摯な話し合いをしなければ、何も前には進みませんよ。もう、あなたの後ろにいる武装集団は圧力にはなりません。一週間もすれば、皆、飢え死にするんです。兵隊に聞いてみてはどうです。何人の兵が、ここに残りたいと思っているか」
宮部の目は、怒りから不安へと変わった。
「東京まで、歩いて帰るのですか」
「・・・」
「ここで、戦争をして、たとえ、勝ったとしても、どんな成果を報告するんですか。ここの住民は最後の一人まで戦いますよ。一つの村を皆殺しにしたことが成果になりますか。あなたの目的は、人殺しではないでしょう。この村の住民も国民にしたいのではありませんか。それも、一生懸命働いてくれる国民に」
「・・・」
「戦争をすれば、死者も出ますし、負傷者も出ます。車両もなく、遺体や負傷者をどうやって東京まで連れて帰るのですか。置き去りにするんですか。争って得をすることなど、どちらにもないんです」
康平は兵隊たちにも聞こえるように大きな声を出していた。
「最後は、私達も売られた喧嘩は買うしかなくなります。私は、なんとか、平和的に話し合いをしたいと思っているんです。話し合いはフェアで対等なものでなくてはなりません。私達は、物資を押さえたことをアドバンテージにはしません。必要な食料はお渡しします。誰も死なず、帰り道のガソリンもあり、この村の住人を国民として登録できる。それが、あなたの仕事だと思います。そうでないのなら、今からでも戦争を始めましょう。私達には戦う覚悟があります」
「わかった」
「宮部さん」
「・・・」
「あなたと私の間には、まだ何の信頼関係もありません。友達でもありません。私なら、わかった、と言わずに、わかりました、と言います。違いますか」
「わかりました」
「ありがとうございます。先ず、名前を名乗りましょう。私は兵頭といいます。吉崎は自己紹介してますか」
「はい」
「宮部さんのお名前は知っています。お二人の名前を教えてください」
「内藤です」
若い背広の男の名前が内藤だとわかった。
「久保田です」
「久保田さんは、この部隊の指揮官ですか」
「そうです」
「私は、この村の守備隊の隊長をしています。職業はあなたと同じです。私は、これまでに多くの人間を殺してきましたし、部下も死なせました。もう、自分が殺すのも、部下が殺されるのもご免です。平和でありたいと願っています」
「はい」
「では、最初に私達の希望をお伝えします。よろしいですか」
「はい」
「宮部さんは国の代表だと言っておられたと思いますが、国の名称は何ですか。どんな理念を持った国なのですか。当然、憲法があると思うのですが、まだ、私達はその条文を見ていません。また、どうやって、憲法が制定されたのかも知りませんので、教えていただきたい。次に、憲法には書かれているのでしょうが、国の義務は何ですか。そして、国民の義務は何でしょうか。最後に、この国が、こんな状態になってしまったことの総括はできているのでしょうか。その反省に立った憲法になっているのでしょうか。ここの住民は日本崩壊の原因を知っていますので、同じ間違いは繰り返したくないと強く願っているのです。もう一つ、付け加えるなら、私達の声は反映されるのでしょうか。これが知りたい事と望む事です。では、宮部さんの要求を聞かせてください。武装解除をして、あの城を占拠して、その後に話そうとしていたことは何でしょうか」
宮部は予想に反したことを言われて、思考停止になってしまったのか、口を開かなかった。
「宮部さん。あなたの要求です。お願いします」
「ああ、前回も言いましたが、国勢調査です」
「それだけですか」
「納税のお願いもします」
「その数字はお持ちですか。概略で結構ですが」
「出来れば、我が国は建国途上ですから、収穫の半分をお願いしたい」
「半分ですか」
「最終的には、調整が可能です。あくまでも、これは概略です」
「宮部さんは農作業をしたことがありますか」
「いえ」
「大変な仕事です。農民にとっては、収穫が一番の喜びです。それを半分納めるのであれば、当然、それに見合うものがあるということですよね」
「・・・」
「すぐに、各論の話し合いに入れますか」
「いや」
「用意するのに、何日かかりますか」
「いや、それは」
「では、次の話し合いは、いつにすればいいのですか」
「追ってお知らせするってことで、いいですか」
「わかりました。ご返事を待ちます」
「よろしく」
「ところで、久保田さん」
「はい」
「私達は、これで引き上げますが、不測の事態を防ぐために、小学校の人員を引き上げていただけますか」
「引き上げる」
「あとは、私達の管理に任せてください。食料はきちんと渡しますから。いいですね」
久保田は宮部の顔を見た。最終判断は宮部にしか下せないようだ。
「一人だけ、伝令を認めます。吉崎が一緒に行けば、攻撃は受けないと思います。吉崎さん、行ってくれますね」
「もちろん」
宮部の思考が混乱している間にたたみかける。このチャンスを逃す手はないと思った。
宮部が頷いた。
吉崎が行った後で、康平は宮部に別の質問を投げかけた。
「今、この国には何人ぐらいが生き残っているんでしょう。少なくとも、この近辺では人の姿は見ませんが」
「それは、まだわかりませんね」
「予想でも、結構です」
「3000万人と考えていますが、もっと少ないかもしれません。私の担当は関西地区ですが、予想よりは少ないと思っています」
「関西地区の全域を回っているのですか」
「まだ、一部だけです」
康平は、宮部の仕事に関する質問を次々と口にした。現実に起きていることを深く考える時間を減らしたい。吉崎が戻ってくるまでは。
ほぼ1時間近く質問攻めにした頃に吉崎が戻って来た。
「宮部さん。私達は戻りますが、次の話し合いの日時が決まりましたら、ここで何らかの合図をしてください。私達はいつもここを見ていますから」
康平は吉崎の手を借りて立ち上がった。しかし、すぐに歩けたわけではない。足の感覚がなかった。吉崎に抱きかかえられるようにして城に向かった。半分意識を失っていたのかもしれない。
気がついた時は、診療所で寝ていた。
遠藤医師が横に座っている。
「先生」
「気分、悪いか」
「いえ」
「そうか。気分悪かったら、遠慮するな」
「はい」
「入っていいぞ。ただし、5分だけだ」
浅井と吉崎、そしてまだ硬い表情の細貝が部屋に入って来た。
「細貝。爆薬はどうした」
「三浦さんに届けました」
「そうか。それでいい。誰か、敵との連絡係を選べ。食料の受け渡しが必要になる。他にもあるだろう」
「康治君でも、いいですか」
「それは、お前が決めることだ」
「はい」
「吉崎さんから、話は聞いたな」
「はい」
「そういうことだ」
「兵頭さん。ありがとうございます」
浅井が、康平の手を握って頭を下げた。
「いや、これは、守備隊の失敗です。交渉するのに、何もなしであなたたちを行かせた守備隊に責任があります。そうだな、細貝」
「はい。すみません」
「交渉する時は、力を見せつけてやるものだと。そのぐらいは、細貝にはわかっていると思っていた私のミスでもあります。ともかく、振り出しには戻した。後は、浅井さん、お願いしますよ」
「はい」
「時間だ、そのぐらいにしておいてくれ」
遠藤医師の一言で、三人は部屋を出ていき、入れ替わりに舞子が入って来た。
「おかえり」
「ああ」
康平は、また吸い込まれるように眠ってしまった。
三日後、薄く目を開けた康平に家族の顔が見えていたのかどうかはわからない。小さな笑みを浮かべて、頷いたように見えたが、それが最後だった。
「いい顔してるじゃないか。痛みがなくて、よかった」
遠藤医師の言葉に、残された家族3人は頷いた。
同じ日に、話し合いを一度もせずに、宮部と政府軍は川面城を後にし、東京へ戻って行った。
二日後。
浅井の発案で兵頭康平の葬儀が行われた。援助隊が四苦八苦して作った棺桶に入った康平の遺骸は、小学校の校庭に組まれた櫓の上に安置され、火葬にされる。甲子園城にいた頃、それも初期の段階で二度ほど火葬の経験はあったが、燃料不足により土葬しかできなかった。だから、40年ぶりの火葬ということになる。川面城の住人全員が校庭に集まった。病人も担架に乗せられて、医療班と一緒に参列している。
約70名の守備隊が整列し、小銃による礼砲を合図にして、大勢の住民が手にした松明で櫓に火が移された。次第に火の勢いが強くなり、青空に炎と煙が昇って行く。こんな贅沢を本人は望んでいなかったと思われるが、浅井の強硬な主張は止められなかった。止めることが出来るとすれば、生きていた頃の兵頭康平ぐらいではないかと思われる。
浅井は、甲子園城と川面城という40年の歴史が終わったことを、住民全員の胸に焼き付けて欲しいと主張した。兵頭康平の葬儀を、その象徴にする。それを、新たらしい川面城の第一歩にしたいと、熱心に説いて回った。



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