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花火 [超短編]


 背後の山は白一色なのに、眼下の里に、まだ雪はなかった。遠目に見ても豊かな土地にはみえない。今の時期なら麦の穂があってもいいのだが、それらしき作物も見えない。農夫が一人、土に鍬を打ち込んでいるが、芋畑と思える土から芋を掘り出しているようにはみえなかった。
こんな貧しい村で、食べ物を分けてくれるのかどうか。自分達の食べ物を確保するだけで精一杯の村なら、余所者に分ける食べ物はないかもしれない。しかし、もう他の村を探すだけの体力が残っていない二人は、この村に下りて行く他はなかった。落ち武者狩りがあるという話は聞いていた。里に下りて行けば、捕えられて突き出される危険は大きい。二人はよく話し合って覚悟を決めたはずなのに、立ち上がるのには時間が必要だった。
「アル」
「ん」
立ち上がると、少し眩暈がした。水だけで三日間生きてきた。もちろん、その前も十分に食べていた訳ではないので、この三日は体力を限界まで奪ってしまった。最後に兎を仕留めて食べたのが何日前だったのか覚えていない。まだ何日間かは息をすることができるかもしれないが、動けなくなったら、それは死と同じことになる。
カイの剣とアルの弓は、森の茂みに隠してきたので、二人は丸腰だった。武器を持ったままで、食べ物を分けてくれと言っても、争いごとになるだけだろう。ただ、ひたすら、頼み込む。それで、駄目なら諦めるしかない。多分、もう、戦う体力は残っていない。
前を歩くカイの姿は、浮浪者のようだ。着の身着のままで半年も山を逃げていたのだから仕方がない。髪は伸び、カイはうっすらと髭も生えている。せめて、顔だけは洗っていこうと言って、二人は冷たい川の水で顔と手を洗った。髪も束ねて紐で縛った。
アルは背中に矢筒を背負っていないだけで、宙を歩いているような違和感があった。アルにとって、弓矢は友であり同志であり心の支えだった。それを手放した今、自分の半身を森に忘れてきたような喪失感がある。きっと、空腹のせいだけではないだろう。
近づくと、農夫が持っているのは銃だった。丘の上から見た時は確かに鍬だったはずだ。銃口をこちらへ向けていないのだから、有無を言わさずに殺すつもりはないようなので、二人は農夫に近づいた。
「食べ物を分けてもらいたいのですが」
カイが落ち着いた声で話しかけた。いつでも、カイは落ち着いている。
「お金は持っていません」
カイは薄汚れたカバンから短剣を取り出して地面に置いた。
「これは、私の家に代々伝わる剣です。値打ちがあるのかどうかはわかりませんが、これしかありません。できれば、これをお金の代わりに受け取ってもらいたいのです」
「ハザルの国から来たのかね」
「はい」
「十日前に、落ち武者狩りの連中が来たところだ」
「そうですか」
「山にいたのか」
「はい」
「武器は」
「山に隠してきました」
「どうして」
「もう、争うだけの体力がないからです。それに、あなたは銃を持っている」
「これは、ただの護身用だ」
「助かります」
「名前は」
「私は、カイ・オルバンです。それと、弟のアルです」
「歳は」
「僕が16で、弟は14です」
「私は、ワッツ・ドイルだ。お前達も戦ったのか」
「はい」
「だったら、お前達は勇者だ。勇者なら、喜んで我が家に招待する」
「はい」
男は、銃を背中に背負い、鍬を手にして歩き出した。
「あの」
「ん」
「これは」
「大切なもの、なんだろう」
「はい」
「仕舞っておきなさい」
「はい」
背の高い男は、歩く歩幅も広い。ずんずんと進んでいく。二人は、小走りになって追いかけた。
母屋と納屋の間には、雑多なものが置かれていた。馬車もあり、馬の水飲み場もあり、洗濯物も干されている。どこにでもある、村の風景だ。
「そこに座って、待っててくれ」
「はい」
外で食事をとることがあるのか、机と長椅子があった。
納屋は馬小屋なのかもしれない。馬の鼻息が聞こえる。あれは、馬が喜んでいる時の声。誰かが馬の背をこすっているのだろう。アルも馬の手入れは好きだった。サバという名の馬は父親を乗せたまま突撃していき、帰ってこなかった。
男が両手に木皿を持って戻ってきた。その後ろに、女の人が水差しとコップを持って立っている。多分、ワッツという人の奥さんなのだろう。きれいな女だ。
「食事は今から作る。それまで、これで我慢してくれ」
二人の前に置かれた皿には、パンとチーズが載っていた。パンを見るのは半年ぶり、チーズは、多分、一年ぶりだろう。アルはおもわず唾を飲み込んだ。
「何日、食べていない」
「三日、です」
「ゆっくり噛んでくれ。慌てると吐くことになる」
「はい」
「妻のララ」
二人はお預けを命令された犬のように、パンとチーズから目を離さずに、頭だけを下げた。
コップに水が注がれた。
「どうぞ。ゆっくり、食べるのよ」
二人は、パンに手を伸ばした。口に近づけると、パンの匂いがする。
「食べながら聞いてくれ」
ワッツが、向かいの椅子に座り、ララは母屋に戻って行った。
当たり前のことだが、パンはパンの味がした。目はチーズに釘付けになっている。パンを飲み込んでチーズを食べたいが、正面からワッツが見ている。皿を握っている自分の指が震えているようにみえたが、きっと、勘違いだろう。
「君たちは、勇者だが、落ち武者だ。落ち武者を匿えば、私達も無事には済まない。このことはわかってくれるな」
カイとアルは頷いた。
「この前、落ち武者狩りの連中が来た時、あいつらは、家の中まで調べた。家族の様子も、部屋の様子も知っている。それと、その家の臭いも知っている。だが、君たちは臭い。自分でも臭うだろう」
二人は首を傾げた。自分の臭いはわからないし、カイが臭いのかどうかもわからない。でも、体は洗っていないし、色々な場所で寝ていたし、殺した獲物の血や獣の臭いは付いているかもしれない。
「君たちが家の中に入れば、臭いが残る。だから、それを食べ終わったら、最初に風呂に入ってもらいたい」
二人は頷いた。城にいた時も風呂なんて入っていないから、もう一年は入っていない。
「それと、着ているものは全部捨ててもらう。その鞄も。この辺では、そんな服を着ている者はいない。ハザルの人間だとすぐにわかる。洗濯してもいいが、干しておいたら危ないし、証拠は全部始末したい。もちろん、着るものは用意する。それで、いいか」
アルは顎が疲れるほどパンを噛みながら、頭を上下に振った。今は、着るものなどどうでもいい。食べる物さえあれば、いい。
「サーシャ。ガルシャ」
ワッツが納屋に向かって大声を出した。
納屋から、子供が二人出てきた。きっと、アル達と同じくらいの歳だろう。女の子と男の子。
「なに」
「紹介する。ハザルの国から来たカイとアル。落ち武者だ」
「子供なのに、落ち武者なの」
「娘のサーシャと息子のガルシャ。君たちと同じ歳だ」
「私、サーシャ。よろしく」
「俺、ガルシャ」
「カイ・オルバンです」
パンを飲み込んだカイが名乗ったので、アルもパンを飲み込んだ。これで、チーズが食べられる。
「僕は、アル。よろしく」
「サーシャ。風呂を沸かしてくれ。ガルシャは水だ。この臭いでは、すぐに見つかってしまう」
「臭い」
「ガルシャ」

風呂の外で待っていたワッツの許可が出て、用意されていた服を着ると疲れで座り込んでしまった。しかし、どうも、服が落ち着かない。ハザルの服は手首も足首も細くなっている。与えられた服は、そんな細工がなく、締まりがない。でも、温かい。
二人は食堂に連れていかれた。狭い食堂で、壁際の暖炉には赤々と火が燃えていた。アルの住んでいた家でも食堂は狭かった。薪を節約するためだ。
食堂に入った時は、暖炉の前で寝てしまいたいと思ったが、スープの匂いがして、元気が出た。
「どうだ。気分、悪くなってないか」
「大丈夫です」
「じゃあ、遠慮なく食べてくれ。ララが勇者のために腕を振るった」
「はい」
カイとアルは、ハザルの神に短く祈りを捧げて、スプーンを手にした。四人の目が二人に注がれていたが、二人の目はスープしか見ていなかった。
最初の一口を食べた時、目の前が曇り、アルの目から涙が零れ落ちた。カイの手が背中に置かれたのはわかったが、アルはスプーンを使えなくなった。
「すみません」
カイがアルの代わりに謝ってくれた。
「このスープ、母さんのスープと同じ味がします。こいつ、まだ、子供だから」
「お母さんは」
「死にました。アクバの砲撃でバラバラに。何日も探しましたが、右腕だけが見つからなくて。アルは、右手がなければ母さんがあの世で困るからと言って、なかなか埋葬できなかったんです。こいつは、母さんが大好きでしたから」
「ごめんなさい。酷いこと聞いてしまって」
「いいんです。もう、アルは乗り越えていますから。そうだな、アル」
大丈夫、と胸を叩きたかったが、アルは小さく頷いてみせた。母さんのことも父さんのことも乗り越えてなどいない。そんな日が来るとも思えない。
食事を終った二人は、毛布を渡されて納屋に連れていかれた。
納屋の外にある便所に連れていかれたあと、道具棚を動かした隙間から暗闇の中へ入った。
「ベッドで寝てもらいたいけど、ここで我慢してくれ」
連れていかれたのは、狭くて急な階段を登った暗い場所だった。ランプをカイに預けたワッツさんが太い材木を二本外して板を外すと、サーシャとガルシャがいた。そこは、二階の干し草が置かれた倉庫になっていた。
「壁が二重になってる。ここにいれば、見つかる心配はない」
干し草を隠し部屋に敷き詰め、板を立て、固定用の材木を上下に嵌める練習をさせられた。
二人は、狭くて、真っ暗な場所で、すぐに干し草と毛布にくるまれて眠ってしまった。
不安はあったが、疲れの方が大きかった。

三日で体力は戻った。
「やはり、アクバに行こうと思う」
「ん」
考えるのはカイの仕事で、カイを助けるのがアルの仕事。
ただ、何の礼もなく去るわけにはいかない。二人が手にした仕事は薪割りだった。
サーシャとガルシャの協力をもらい、鋸を使い、薪を割った。薪はいくらあっても邪魔にはならない。カイとアルにとっても、リハビリの効果はあった。
納屋の外壁にある薪置き場は、三日もすると置き場に困るまでになった。
「ドーン」
サーシャとガルシャの体が緊張した。
「隠れて、誰か、来る」
カイとアルは追われるようにして、隠れ部屋に駆け込み、板を立て、材木をはめ込んだ。
サーシャとガルシャが梯子を下りて行く音がして、静寂が来た後に、外で馬蹄の音が聞こえた。一頭や二頭の馬ではない。
しばらくすると、人の足音と、壁や床を叩く音がし始めた。梯子を上ってくる気配。干し草を叩く音。二人は、息をひそめた。少しでも動くと、藁が音を出す。首を動かすと、骨が鳴る。闇の中で、正面を向いて、動かないようにした。
納屋から人の気配は消えたが、安全かどうかはわからない。安全が確認できれば、誰かが知らせてくれるだろうと思っているが、その知らせが無いままに時間は過ぎていく。
「ドーン」
先ほど聞こえたものと同じ音がして、しはらくして、梯子を登る音。すぐに壁を叩く音が聞こえた。でも、固まってしまった体は動かなかった。また、壁を叩く音。
板を外すと、ワッツとガルシャの顔があった。
「もう、大丈夫だ」
「便所」
「おう」
カイとアルは、明るさに目を細めながら梯子を降り、便所に走った。
二人が納屋に戻ると、ララとサーシャが作業台の上に食事を並べていた。皆の顔が緊張しているのが不安だった。ララとサーシャは無言で母屋に戻って行った。
「二人には見張りを頼んだ。ララはこの村で一番の射撃手なんだぞ」
ワッツに促されて、四人は無言で食事をした。
「明日、と言うか、夜が明ける前に、二人を山に連れていく。連中は、何か、感づいてる」
「薪だと思う」
ガルシャの声は、いつもと違った。
「この前、来た時から見れば、薪が何倍にも増えている」
「そうだな」
「ごめんなさい。僕たち、すぐにでも出て行きます」
「どこに」
「アクバに行きます」
「行ったことがあるのか」
「いえ」
「馬車で行っても、四日はかかる。途中、食糧も水もない。アクバ軍だけではなく、強盗団がいる街道をどうやって行くつもりだ」
「でも、ここにいれば、皆さんに迷惑がかかります」
「だから、山に連れていく」
「ワッツさんは、どうして、そこまでしてくれるのですか」
「ん。君達の力を借りたいからだ。このザーカの村も、三十年前にアクバに占領され、多くの犠牲者を出した。今のアクバの力は強大で、倒すことはできない。でも、いつの日か、アクバは倒さなければならない。その時に、君達の力がいる。三十年前、私は君達よりも小さかった。弟と二人、山にある叔父の家に隠れていたが、里にいた人間の半分は殺され、残りはアクバに連れていかれた。鉱山で働かされていると聞いている。もう、三十年も経っているのだから、誰も生きてはいないかもしれない。でも、一人でも助けなければならない。そのために、仲間は、一人でも多く欲しい。あの落ち武者狩りの連中だって、アクバとの戦いになれば仲間になる」
「えっ、僕達を追っているのはアクバ軍じゃないのですか」
「君たちの首には賞金がかかっている。落ち武者狩りをやっているのは貧しい農民だ。彼等は生活のために、賞金稼ぎをするしかないんだ。この村だって、貧しければ、君達をアクバに差し出していただろう。もちろん、裕福だとは言えないが、食べることはできる。私達にはあの山があるから」
「山って、雪と氷ですよね。獲物なんていませんでしたよ」
「狩りだけが、山の民の仕事ではない。ザーカの村は、昔から山でいろいろなものを作ってきた。木で作った食器や道具や家具。鉄製の鍬や刃物。焼き物の食器。少し離れているが牛や馬も飼っている。花火もザーカの花火が一番。それ以外にも、あの山ではいろいろなものを作っている。花火を知っているか」
「聞いたことはあります」
「アクバにも花火はあるが、ザーカの花火がなければ、アクバの祭りは成り立たない。それに、花火は合図にも使える。ドーンという音を聞いただろう」
「はい」
「ザーカの村は、辺境の地と言われている。この先には、山しかない。だから、ザーカの村への道は、この村の者しか使わない。余所者が来れば、花火で合図して、村全体が戦闘態勢に入る。もしも、アクバ軍が来れば、何発もの花火が上がり、私達は山に逃げる。それは、私達がアクバを攻める時に、一人でも多くの仲間が必要だからだ」
「僕達でも、役に立ちますか」
「何を言う。君達は、実際にアクバ軍と戦った勇者じゃないか。私達は、まだ、アクバの軍と戦ったことなどない。私達は、きっと、いい仲間になれる」
ワッツとカイとアルの三人は、四時間だけ睡眠をとり、持っていくものを用意して、暗い道を山へ向かった。
ワッツの言うように、いい仲間になれるかもしれない。


2015-11-10

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